本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3caZ2wU
これまでの蓄積を参考にしながら、我々なりに「競技クイズ」というものを考えてみました。
「イントロクイズもクイズの一種である以上、『クイズ』そのものについても考えてみよう」回。
今回はクイズ好きの間で使われることがある「競技クイズ」と呼ばれるクイズについて、我々なりにイントロクイズと競技クイズの繋がりも考えてみました。
冒頭は今回参加している3人が同じクイズサークルにいたこともあるので、「クイズサークルでの経験が、イントロクイズをするときに繋がることはあるか?」という話から始めることに。
ここで登場する「立ち回り」というキーワードは今回の内容を考える上で重要です。
その「立ち回り」から自ずと、ここ十数年の「競技クイズ」を考える際に避けては通れない「abc」というクイズ大会の話へ。
この大会で予選を通過したことがあるソキウスとやすおを中心に、これまでの蓄積(詳しくは【参考文献】をご覧ください)も踏まえながら、「abc」が称する「基本問題」、そしてその「基本」を巡って出題者と解答者がおおよそ共有している感覚の存在、さらにはその感覚に基づいた競技クイズでの立ち回りというものを言葉にしようと試みます。
さらにそれと並行して、#10( https://spoti.fi/3plMBUp )でも話題に挙がった「『ある種の』体系化されたデータベースからの暗黙的な参照」と「百人一首的」というキーワードを用いながら、「競技イントロクイズ(競技クイズのイントロクイズ版)」の話へ拡張していきます。
まずは、「(一般的に)一つの曲に対してイントロが一意に限定される以上、競技イントロクイズは『(その曲を)知ってる/知らない』という観点からでしか記述することは出来ないのか?」という論点。
それに対し、「競技的な立ち回りが競技イントロクイズの場でも適用可能ならば、先ほどの観点だけとはならないだろう」とキョン。
#2( https://spoti.fi/3fUZhyt )の内容から繋がる指摘であり、この裏返しとして終盤で考える「非・競技イントロクイズ」の話へも続いていきます。
逆にその立ち回りをそこまで意識したことが無いやすおは、自身のスタッフ経験から「出題者」の存在を取り上げます。
出題者がいないことにはクイズは成り立たないという点は、また別の回でピックアップして取り上げる予定です。
次に、以前挙がった「データベースの暗黙的な参照」という観点を界隈での「基礎ボード」の動きと接続させようとします。
そこで、基礎ボード企画を行ったことがあるキョンが選曲時に気をつけていることは何かという質問を振ると…
これを聞いたソキウスは、その気をつけていることと開催時に参加者の反応を確かめることは、基本問題を暗黙的に確認しあう競技クイズ的な行為とさほど変わらないだろうと提示。
ここからやすおは、以前挙がったもう一つの観点である「百人一首的」の話へ。
極端にパターン化しすぎないように出題形式を工夫することで、読み上げ形式のクイズとは違う方向で、競技イントロクイズの可能性が更に広がるだろうというところに落ち着きます。
最後に、これまでの裏返しとして「非・競技イントロクイズ」の存在に触れます。
その一つの可能性としてソキウスは、データベースの参照先が競技クイズ的な相互行為の少し外にあるものであろう「日常音」を、クイズに積極的に取り入れようとしているという「崇高な(?)」理想を説明。
(この理想への課題ももちろんありますが、時間の都合でそちらは今後の「オールジャンルの辛さ」回へ。)
そしてキョンは、先ほど出た「形式の工夫」は非・競技にも応用できるという考え。
「競技クイズ/競技イントロクイズとは何か」を考えてみることは、競技クイズ的な相互行為に触れていない方でもイントロクイズを楽しめるようにする一つのきっかけになるだろうと思い、この回を設定してみました。
毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。
今回はやすおが、ミュージックレイン所属の歌手の楽曲を紹介。
立ち回り/「基本問題」/データベース/百人一首的/競技イントロクイズ/出題者/基礎ボード/日常音/halca
abc/EQIDEN 公式サイト (2021年6月5日取得, https://abc-dive.com/portal/index.php ).
伊沢拓司, 2020, 「クイズの持つ「暴力性」と、その超克――いかにしてクイズ文化を理解してもらうか」『ユリイカ』青土社, 52(8): 74-84.
田村正資, 2020, 「予感を飼いならす――競技クイズの現象学試論」『ユリイカ』青土社, 52(8): 95-103.
徳久倫康, 2020, 「競技クイズとはなにか?」『ユリイカ』青土社, 52(8): 85-94.