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そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちは空腹だったので、穂を摘んで食べ始めた。するとパリサイ人たちがそれを見て、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」しかし、イエスは言われた。「ダビデと供の者たちが空腹になったときに、ダビデが何をしたか、どのようにして、神の家に入り、祭司以外は自分も供の者たちも食べてはならない、臨在のパンを食べたか、読んだことがないのですか。また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日を汚しても咎を免れる、ということを律法で読んだことがないのですか。あなたがたに言いますが、ここに宮よりも大いなるものがあります。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、咎のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。人の子は安息日の主です。」
それからイエスは、ご自分が力あるわざを数多く行った町々を責め始められた。彼らが悔い改めなかったからである。「ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。おまえたちに言う。さばきの日には、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。おまえのうちで行われた力あるわざがソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。おまえたちに言う。さばきの日には、ソドムの地のほうが、おまえよりもさばきに耐えやすいのだ。」そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。そうでなければ、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。柔らかな衣を着た人なら王の宮殿にいます。そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。すべての預言者たちと律法が預言したのは、ヨハネの時まででした。あなたがたに受け入れる思いがあるなら、この人こそ来たるべきエリヤなのです。耳のある者は聞きなさい。この時代は何にたとえたらよいでしょうか。広場に座って、ほかの子どもたちにこう呼びかけている子どもたちのようです。『笛を吹いてあげたのに君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってあげたのに胸をたたいて悲しまなかった。』ヨハネが来て、食べもせず飲みもしないでいると、『この人は悪霊につかれている』と人々は言い、人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。しかし、知恵が正しいことはその行いが証明します。」
イエスは十二弟子に対する指示を終えると、町々で教え、宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じてイエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」マタイの福音書 11章1~6節
あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」マタイの福音書 10章40~42節
"わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。そのようにして家の者たちがその人の敵となるのです。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。"
弟子は師以上の者ではなく、しもべも主人以上の者ではありません。弟子は師のように、しもべは主人のようになれば十分です。家の主人がベルゼブルと呼ばれるくらいなら、ましてその家の者たちは、どれほどひどい呼び方をされるでしょうか。ですから彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはないからです。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。あなたがたが耳もとで聞いたことを、屋上で言い広めなさい。からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。ですから、だれでも人々の前でわたしを認めるなら、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。マタイの福音書 10章24~33節
「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。また、あなたがたは、わたしのために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。一つの町で人々があなたがたを迫害するなら、別の町へ逃げなさい。まことに、あなたがたに言います。人の子が来るときまでに、あなたがたがイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません。」マタイの福音書 10章16~23節
"イエスは十二弟子を呼んで、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモンと、イエスを裏切ったイスカリオテのユダである。イエスはこの十二人を遣わす際、彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。また、サマリア人の町に入ってはいけません。むしろ、イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人を癒やし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊どもを追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。胴巻に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはいけません。袋も二枚目の下着も履き物も杖も持たずに、旅に出なさい。働く者が食べ物を得るのは当然だからです。どの町や村に入っても、そこでだれがふさわしい人かをよく調べ、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしければ、あなたがたの祈る平安がその家に来るようにし、ふさわしくなければ、その平安があなたがたのところに返って来るようにしなさい。だれかがあなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家や町を出て行くときに足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに言います。さばきの日には、ソドムとゴモラの地のほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。"マタイの福音書 10章1~15節
“それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。そこでイエスは弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」”マタイの福音書 9章35~38節
「こよなき主イエスの愛」 作詞 チャールズ・ウェスレー
訳詞 岩本遠億
1.こよなき主イエスの愛!仇をも愛し給う
主を十字架の死に 追いやりし我に
罪清むるくすしき血潮 限りなく注ぎ給う
主イエスにあらわる 驚くべき愛よ
2.御父の許をはなれ 溢るる愛に生きぬ
僕となり十字架に 身を捧ぐるまで
計り知れぬそのみ恵み 価なく満たし給う
死にたる我をも、主は見出し給えり
3.ああ、主イエスの眼差しよ 罪のこの身 照らし給う
暗闇に光満つ 我が霊(たま)、目覚めぬ
罪の鎖、砕かれたり この喜び、このいのち!
主と共に甦り、主と共に永久に生く
4.審きの日も恐れじ イエスのすべて我にあり
主イエスの義をまとい いざ王座に着かん
永久の冠り戴かせ給う 主イエスの功限りなし
讃えよ、主イエスを、永久の主、永久の王を!
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