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マタイの福音書 3章13~17節
そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。
ネヘミヤ記 第1章5〜7節
「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。
イエス・キリストの宣教開始までの道
1.洗礼者ヨハネから受洗
2と3が起こるために1が必要だった
ヨハネの洗礼運動=罪から神への立ち帰り
ヨハネ自身も思いとどまらせようとした。
「全ての義を満たすのは、わたしたちにふさわしい。」
義=関係の正しさ
「義に飢え渇く者は幸いなり。彼らは満ち足りる。」
ヨハネにとっての「義」
主イエスがもたらした「義」
1.ヨハネからの洗礼において開始
天が開いた
聖霊が鳩のように降り、イエスの上に留まった。
天から声がした
ネヘミヤ
ネヘミヤ記第1章 旧約聖書834ページ
先祖の罪のため、ペルシャで奴隷とされ、ペルシャ王の献酌官として仕えている。
「私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。」
一つの命、一つの運命の中にある
× あの人の罪→あの人を赦してあげて下さい
この祈りによって歴史が動いた。
新島襄:同志社の創設者
幕末に聖書に触れ、米国に渡る。
「吉野山 花咲く頃の 朝な朝な 心にかかる 峰の白雲」
「諸君が本校において学ばれる姿は、ちょうど満開の桜のようであって、こんな些細なことで退校してしまっでは、将来はどうなることだろうか――私は諸君の前途を案じて日も夜もこの古歌のように心を痛めている。今回の事件は、最初から学校側の手落ちであって、これは全く校長の私が至らなかったためである。生徒を罰すべきでもなく、教員の誰かを咎めることでもない。全責任は校長にあるのであって、罰すべきはこの私である」
主イエスのバプテスマ
「天におられる私たちの父よ。」
「罪を焼き尽くす神」マタイの福音書第3章1節〜12節 岩本遠億牧師
マタイの福音書 3章1~12節
“そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。
このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。
私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」”
+++
洗礼者ヨハネ
イエス・キリストの出現の道備えの働き
預言者イザヤ(紀元前8世紀後半)による預言
「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
マラキ書4:5-6
「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶のものとして打ち滅ぼすことのないようにするためである。」
神の国(=神の支配)の到来
罪は、神の聖の臨在の中に存在することができない
→神に背を向けて生きている者たち、神の律法に従わない者たちが聖絶される(=火で焼き尽くされる)
→罪の赦し、罪から神への立ち帰りが必須
主の道を備える
=罪から離れ、神に立ち帰る
=ヨハネによる洗礼運動
ヨハネによる洗礼運動
・神への立ち帰りのための一生涯に一度の洗礼
・ヨハネによる授洗
・道徳的倫理的な神の義の実践を求める
伝統的ユダヤの洗礼との違い
・ユダヤ教への改宗(自ら洗礼→割礼)
クムラン(死海近く)のエッセネ派との違い
・何度も自ら身を水に浸して清める
1世紀以上に渡り地中海世界に多大の影響
「エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から人々がやってきて自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。」
罪の告白←罪(神から離れていること)を認める
↓
神への立ち帰り=神こそ自分の本質が存在するところであることを知る
個人個人の罪の意識⇔伝統的ユダヤの理解
自分では自分を清められない⇔エッセネ派
エルサレムから調査団(パリサイ派、サドカイ派)
×大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けに来るのを見ると
○大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマの現場に来るのを見ると
ヨハネによる警告
神の怒りの火から救われる道
○立ち帰りにふさわしい実(愛と義の実践)
×アブラハムの血統は保証にならない
私の後に来られる方(イエス・キリスト)
聖霊と火でバプテスマする方
ヨハネの理解
神に背を向ける者たちを焼き尽くす神の支配
=キリストの支配
・・・一面的な教え
イエス・キリストの神の支配
イエスは彼らにこう答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。ルカの福音書 7章22節
イエス・キリストにとっての神の火(旧約聖書の記述)
1. 罪に対する神の怒り(聖絶)の火
2. 傷のない完全な捧げ物を焼き尽くす火
3. 汚れを取り除き清める火
別々の火ではなく、同じ火。
1. 神に焼き尽くされるべき者たちの代わりに自らが焼き尽くされる=十字架の贖い
2. 自らを完全な燔祭(全焼の小羊)として十字架に献げる
3. 罪人たちに聖霊の火を注ぎ、汚れを取り除き清める
“わたしは、地上に火を投げ込むために来ました。火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。わたしには受けるべきバプテスマ(十字架と復活)があります。それが成し遂げられるまで、わたしはどれほど苦しむことでしょう。”ルカの福音書 12章49~50節
二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」ルカの福音書 24章32節
「しかし、神は愛である」マタイの福音書第2章13節〜23節 岩本遠億牧師
マタイの福音書 2章13~23節
“彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。
そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」
ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」
そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。
そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。”聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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マタイの福音書 5章10~14節
“義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
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ローマ人への手紙 8章14~39節
”神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。”聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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It is Well With My Soul 作詞 Horatio Spaford1.
平安が川のように、心に寄り添う時も、悲しみが大波のように、逆巻く時も、私の運命がいかなるものであっても、主よ、あなたは、教えてくださいました。「私の魂は守られている」と語ることを
2. サタンは攻撃をしかけてくる。試みの時もやってくる。しかし、この祝福された保証が心を支配するようにせよキリストは、私の惨めな状況をご存知である。そして、私の魂にその御血を注いでくださったのだ
3. 私の罪、ああ、この栄光ある喜びよ!私の罪は、一部分ではなく、その全てがキリストの十字架に釘付けられた。私はもはや、自分の罪を背負ってはいない主を讃えよ!主を讃えよ!我が魂よ!
4. 私にとってはキリストのみキリストだけが生きているヨルダン川は頭の上で、逆巻くだろう。しかし、もはや痛みは私を苦しめない死もいのちに呑み込まれた。あなたが、あなたの平安を私の魂に語りかけてくださった
5. 主よ、その日を来らせ給え。あなたの真実が目に見える時を。雲は幕のように巻き取られ、ラッパの音が響き、主がやってこられる。しかし、私の魂は守られている。
It is well, it is well with my soul.
「神からの直接の導きを与えられる人生へ」岩本遠億牧師
"イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
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"神はある方法で語り、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。
夢の中で、夜の幻の中で、深い眠りが人々を襲うとき、また寝床の上でまどろむとき、
そのとき、神はその人たちの耳を開き、彼らを懲らしめて、それを封印される。
神は、人間がその悪いわざを取り除くようにし、人から高ぶりを離れさせ、
人のたましいが滅びの穴に入らず、そのいのちが投げ槍で滅びないようにされる。"
ヨブ記 33章14~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「神が共におられるとは!」 岩本遠億牧師
“イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。”マタイの福音書 1章18~25節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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“このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。聖霊もまた、私たちに証ししておられます。というのも、「これらの日の後に、わたしが彼らと結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにこれを書き記す」と言った後で、「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるからです。罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。”ヘブル人への手紙 10章10~23節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
マタイの福音書 1章1~17節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ。
ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。
バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。
それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。
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ヨハネの福音書 3章3~8節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」
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ヨハネの手紙 第一 4章7~12節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
“『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。”マタイの福音書 5章43~48節
天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。
あなたがたの父→あなたがた=父の子
前提
天におられるあなたがた父に似たものとなるためです。
あなたの敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈る愛
あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全であれ。
意志動詞と無意志動詞の違い
唯一の例外=創造者である神様
創世記第1章
神が語る無意志動詞の命令形
あなたがたの天の父が完全であられるように、あなた方も完全であれ。
×自分で完全になれという命令
「いさおなき我を」の作詞者
Malan博士との出会い
高慢な自分に気がつく。
クリスチャンとしての生活を始めたシャーロット、しかし、身体の苦しみのために、苛立ちと惨めさに苛まれる。
1834年、兄のエリオット牧師が、聖職者の娘たちのための高等教育学校設立ための計画を立てる。
惨めで役立たずの自分
彼女と同じ境遇にある人々を思い、詩を書く。
1.Just as I am, without one plea,
このままの私、何も申し開きすることもできません/
Just as I am, thou wilt receive,
このままの私を、あなたは受け入れ/
Just as I am, thy love unknown,
『身体障害者の賛美歌』
全ての壁を打ち砕く愛
罪の壁、生い立ちの壁、健康の壁、
この方の愛が、私たちを神の子とする。全ての人を神の子とする。真の礼拝者とする。
ヨハネの手紙 第一 4章7~21節
愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
コリント人への手紙 第二 3章17~18節
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
1. いさおなきわれを 血(を)をもて 贖(あがな)い
「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。
聖書の重要関心事、神様が歴史をとおして証明しようとしておられること
人としてやって来られたナザレのイエス
イエスの2つの戦い
イエスの生涯=悪魔との戦い
=神様に完全に信頼される生涯を全う
1.サタンの誘惑を退ける
2.サタンの手下である悪霊を放逐
→病の癒し、人生の回復
3.十字架の勝利
=サタンが為し得る全ての攻撃に完全勝利
→もうサタンがイエスに対して行い得ることはない
=人として来られたイエスの勝利が確定
→イエスに連なる者もイエスの勝利を自分のものに
4.サタンに対する勝利以上の神の業
=罪の贖いの完成
マタイの福音書 5章43~48節
自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。
王の王、主の主=完全な勝利者
何に対する勝利者なのか。
主イエスが十字架で立ち向かったものとは何か。
何故、これが分かっていたのに立ち向かったのか。
イエス様の精神の自由:
この苦しみの中で隠れていたものが明らかにされた
=敵を愛し、迫害する者のために祈る愛。死の苦しみの中にある罪人にパラダイスの約束を与える権威。
人が頑張ってできることではない
・・・天の愛、神の子の命が満ちていた
十字架の勝利はここに。
完全な者となって愛を全うしてくださった。
「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」ヨハネの福音書 10章18節
ヘブル5:9
キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従う全ての人々に対して、とこしえの救いを与えるものとなり、神によってメルキゼデクに等しい大祭司となられたのです。
ペテロの手紙 第一 2章21~25節
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ(罪に死に)、義(のため)に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。”
「神は人を信じ抜く」岩本遠億牧師
マタイの福音書 26章31~46節
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」
ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。
それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来て、彼らに「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」
それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」
それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
イエスは再び二度目に離れて行って、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と祈られた。
イエスが再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。イエスは、彼らを残して再び離れて行き、もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。
それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」
マタイの福音書 26章69~75節
ペテロは外の中庭に座っていた。すると召使いの女が一人近づいて来て言った。「あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」ペテロは皆の前で否定し、「何を言っているのか、私には分からない」と言った。
そして入り口まで出て行くと、別の召使いの女が彼を見て、そこにいる人たちに言った。「この人はナザレ人イエスと一緒にいました。」ペテロは誓って、「そんな人は知らない」と再び否定した。
しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った。「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「そんな人は知らない」と言った。すると、すぐに鶏が鳴いた。
ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたイエスのことばを思い出した。そして、外に出て行って激しく泣いた。"
ヨブ記 2章1~10節
ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンも彼らの中にやって来て、主の前に立った。
主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
主はサタンに言われた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」
サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分のいのちの代わりには、人は財産すべてを与えるものです。しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」
サタンは主の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。ヨブは土器のかけらを取り、それでからだを引っかいた。彼は灰の中に座っていた。すると、妻が彼に言った。「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」
しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。
創世記 4章1~17節
人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。
しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。
主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。
主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」
主は言われた。「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。あなたが耕しても、大地はもはや、あなたのために作物を生じさせない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」
カインは主に言った。「私の咎は大きすぎて、負いきれません。あなたが、今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人となります。私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」
主は彼に言われた。「それゆえ、わたしは言う。だれであれ、カインを殺す者は七倍の復讐を受ける。」主は、彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられた。
カインは主の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。
カインはその妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたので、息子の名にちなんで、その町をエノクと名づけた。
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