キリストの平和教会

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キリストの平和教会 episodes

  • 2019年4月7日「天を開く祈り」マタイの福音書第3章13節〜17節 岩本遠億牧師
    天を開く祈り
    マタイの福音書第3章13節〜17節
    岩本遠億牧師
    2019年4月7日

    マタイの福音書 3章13~17節

    そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。

    しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」
    しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。
    イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。
    そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」

    ネヘミヤ記 第1章5〜7節

    「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。

    どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
    私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。

    イエス・キリストの宣教開始までの道

    1.洗礼者ヨハネから受洗

    2.天が開く
    3.聖霊がイエスの上に留まる
    4.荒野の試み
    5.宣教開始

    2と3が起こるために1が必要だった

    ヨハネの洗礼運動=罪から神への立ち帰り

    イエス・キリストは罪を犯さなかった(Iペテロ2:22-23)
    ヨハネから洗礼を受けなければならない理由?

    ヨハネ自身も思いとどまらせようとした。

    ヨハネは自分の罪を知っていた。
    キリストが現れたら、自分がキリストから受洗したい。

    「全ての義を満たすのは、わたしたちにふさわしい。」

    義=関係の正しさ

       人が神様を信頼して従い、神様が溢れる祝福を注ぐ。人が神様を見上げ、神様が人を見つめてくださる。

    「義に飢え渇く者は幸いなり。彼らは満ち足りる。」

    「神の国とその義をまず第一に求めなさい。」

    ヨハネにとっての「義」

    神への立ち帰り=自分の罪の告白+洗礼+正しい生活
            →神との関係の回復

    主イエスがもたらした「義」

    罪のない主イエスが、神の民の罪を自分の罪として受け取り、その赦しを乞う
    →神の民と神との関係の回復

    1.ヨハネからの洗礼において開始

    2.十字架の贖いにおいて完成

    天が開いた

    =神の臨在の場と地を隔てるものがなくなった
    =神の国(天の支配)がこの地にやって来た

    聖霊が鳩のように降り、イエスの上に留まった。

    天から声がした

    「これは、わたしの愛する子、わたしの心にかなう者」=「メシアの即位の歌」詩篇2篇より

    ネヘミヤ

    紀元前5世紀頃に、アケメネス朝ペルシャによりユダヤ属州の総督として派遣されたユダヤ人。エルサレムの城壁を再建し、ユダヤ民族再興に取り組み、エズラらとともにユダヤ史における第二神殿時代のはじまりを担う。

    ネヘミヤ記第1章 旧約聖書834ページ

    先祖の罪のため、ペルシャで奴隷とされ、ペルシャ王の献酌官として仕えている。

    自分自身は神の正しく礼拝者として生活し、滅ぼされるような罪を犯してはいない。むしろ被害者。

    「私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。」

    「私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も掟も定めも守りませんでした。」1:7-8

    一つの命、一つの運命の中にある

    × あの人の罪→あの人を赦してあげて下さい

    × あなたの罪→あなた、罪を認めなさいよ!
    ○私たちの罪→私たちを赦して下さい

    この祈りによって歴史が動いた。

    ペルシャ王から暗い顔の理由を尋ねられる
    →「エルサレムの城壁が崩されたまま、同胞が苦しんでいる。城壁を再建に行きたい。」
    →ユダヤ総督に任命
    →困難な中、城壁再建
    →第二神殿時代の幕開け

    新島襄:同志社の創設者

        日本最初のプロテスタントのクリスチャン

    幕末に聖書に触れ、米国に渡る。

    洗礼を受け、神学校で聖書を学ぶ。
    キリスト教高等教育学校設立のための献金
    →明治8年 同志社英学校を設立 
    →明治15年 経営上の問題
    →学生のストライキ 退学をも辞さない勢い
    →4月13日の朝の礼拝

    「吉野山 花咲く頃の 朝な朝な 心にかかる 峰の白雲」

    「諸君が本校において学ばれる姿は、ちょうど満開の桜のようであって、こんな些細なことで退校してしまっでは、将来はどうなることだろうか――私は諸君の前途を案じて日も夜もこの古歌のように心を痛めている。今回の事件は、最初から学校側の手落ちであって、これは全く校長の私が至らなかったためである。生徒を罰すべきでもなく、教員の誰かを咎めることでもない。全責任は校長にあるのであって、罰すべきはこの私である」

    主イエスのバプテスマ

    罪のない主イエスが、私たちと一つの命、一つの運命を共にし、祈ってくださる。
    →天が開いた
    =神の義が天から雨のように降り注ぐ

    「天におられる私たちの父よ。」

    「私たちの日毎の糧を、今日与えて下さい。」
    「私たちの罪を赦して下さい。私たちも私たちに罪を犯すものを赦しました。」
    「私たちを試みに会わせず、悪より救い出して下さい。」

    36 min
  • 2019年3月31日「罪を焼き尽くす神」マタイの福音書第3章1節〜12節 岩本遠億牧師

    「罪を焼き尽くす神」マタイの福音書第3章1節〜12節 岩本遠億牧師


    マタイの福音書 3章1~12節

    “そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。

    このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。

    ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

    あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。

    私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」”

    +++

    洗礼者ヨハネ

    イエス・キリストの出現の道備えの働き

    預言者イザヤ(紀元前8世紀後半)による預言

    「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」


    マラキ書4:5-6

    「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶のものとして打ち滅ぼすことのないようにするためである。」


    神の国(=神の支配)の到来

    罪は、神の聖の臨在の中に存在することができない

    →神に背を向けて生きている者たち、神の律法に従わない者たちが聖絶される(=火で焼き尽くされる)

    →罪の赦し、罪から神への立ち帰りが必須


    主の道を備える

    =罪から離れ、神に立ち帰る

    =ヨハネによる洗礼運動


    ヨハネによる洗礼運動

    ・神への立ち帰りのための一生涯に一度の洗礼

    ・ヨハネによる授洗

    ・道徳的倫理的な神の義の実践を求める


    伝統的ユダヤの洗礼との違い

      ・ユダヤ教への改宗(自ら洗礼→割礼)

    クムラン(死海近く)のエッセネ派との違い

      ・何度も自ら身を水に浸して清める


    1世紀以上に渡り地中海世界に多大の影響

    「エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から人々がやってきて自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。」


    罪の告白←罪(神から離れていること)を認める

       ↓

    神への立ち帰り=神こそ自分の本質が存在するところであることを知る


    個人個人の罪の意識⇔伝統的ユダヤの理解

    自分では自分を清められない⇔エッセネ派


    エルサレムから調査団(パリサイ派、サドカイ派)

    ×大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けに来るのを見ると

    ○大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマの現場に来るのを見ると


    ヨハネによる警告

    神の怒りの火から救われる道

    ○立ち帰りにふさわしい実(愛と義の実践)

    ×アブラハムの血統は保証にならない


    私の後に来られる方(イエス・キリスト)

    聖霊と火でバプテスマする方


    ヨハネの理解

    神に背を向ける者たちを焼き尽くす神の支配

    =キリストの支配

    ・・・一面的な教え


    イエス・キリストの神の支配

    イエスは彼らにこう答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。ルカの福音書 7章22節


    イエス・キリストにとっての神の火(旧約聖書の記述)

    1. 罪に対する神の怒り(聖絶)の火

    2. 傷のない完全な捧げ物を焼き尽くす火

    3. 汚れを取り除き清める火


    別々の火ではなく、同じ火。

    1. 神に焼き尽くされるべき者たちの代わりに自らが焼き尽くされる=十字架の贖い

    2. 自らを完全な燔祭(全焼の小羊)として十字架に献げる

    3. 罪人たちに聖霊の火を注ぎ、汚れを取り除き清める


    “わたしは、地上に火を投げ込むために来ました。火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。わたしには受けるべきバプテスマ(十字架と復活)があります。それが成し遂げられるまで、わたしはどれほど苦しむことでしょう。”ルカの福音書 12章49~50節


    二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」ルカの福音書 24章32節

    34 min
  • 2019年3月24日「しかし、神は愛である」マタイの福音書第2章13節〜23節 岩本遠億牧師

    「しかし、神は愛である」マタイの福音書第2章13節〜23節 岩本遠億牧師

    マタイの福音書 2章13~23節

    “彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」

     そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。

     そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」

     ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」

     そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。

     そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。”聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    +++

    マタイの福音書 5章10~14節

    “義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

    わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。”聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    +++

    ローマ人への手紙 8章14~39節

     ”神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。

    あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

     今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。

     被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

     同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

     神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。

     では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

     だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

     だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。

     私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。”聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    +++

    It is Well With My Soul 作詞 Horatio Spaford1.

    平安が川のように、心に寄り添う時も、悲しみが大波のように、逆巻く時も、私の運命がいかなるものであっても、主よ、あなたは、教えてくださいました。「私の魂は守られている」と語ることを

    It is well, it is well with my soul.

    2. サタンは攻撃をしかけてくる。試みの時もやってくる。しかし、この祝福された保証が心を支配するようにせよキリストは、私の惨めな状況をご存知である。そして、私の魂にその御血を注いでくださったのだ

    3. 私の罪、ああ、この栄光ある喜びよ!私の罪は、一部分ではなく、その全てがキリストの十字架に釘付けられた。私はもはや、自分の罪を背負ってはいない主を讃えよ!主を讃えよ!我が魂よ!

    It is well, it is well with my soul.

    4. 私にとってはキリストのみキリストだけが生きているヨルダン川は頭の上で、逆巻くだろう。しかし、もはや痛みは私を苦しめない死もいのちに呑み込まれた。あなたが、あなたの平安を私の魂に語りかけてくださった

    5. 主よ、その日を来らせ給え。あなたの真実が目に見える時を。雲は幕のように巻き取られ、ラッパの音が響き、主がやってこられる。しかし、私の魂は守られている。
    It is well, it is well with my soul.

    5. 主よ、その日を来らせ給え。あなたの真実が目に見える時を。雲は幕のように巻き取られ、ラッパの音が響き、主がやってこられる。しかし、私の魂は守られている。

    It is well, it is well with my soul.

    35 min
  • 2019年3月17日「神からの直接の導きを与えられる人生へ」マタイの福音書第2章1節〜12節 岩本遠億牧師

    「神からの直接の導きを与えられる人生へ」岩本遠億牧師

    "イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

    「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
    これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
    王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
    彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
    『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
    そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
    そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
    博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
    その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
    それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
    彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。"
    マタイの福音書 2章1~12節
    聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    +++

    "神はある方法で語り、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。

    夢の中で、夜の幻の中で、深い眠りが人々を襲うとき、また寝床の上でまどろむとき、

    そのとき、神はその人たちの耳を開き、彼らを懲らしめて、それを封印される。

    神は、人間がその悪いわざを取り除くようにし、人から高ぶりを離れさせ、

    人のたましいが滅びの穴に入らず、そのいのちが投げ槍で滅びないようにされる。"

    ヨブ記 33章14~18節

    聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    34 min
  • 2019年3月10日 「神が共におられるとは!」マタイの福音書第1章18節〜25節 岩本遠億牧師

    「神が共におられるとは!」 岩本遠億牧師


    “イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。”マタイの福音書 1章18~25節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    +++

    “このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。聖霊もまた、私たちに証ししておられます。というのも、「これらの日の後に、わたしが彼らと結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにこれを書き記す」と言った後で、「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるからです。罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。”ヘブル人への手紙 10章10~23節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    30 min
  • 2019年3月3日「神から生まれ神に帰るために」マタイの福音書第1章1節〜17節 岩本遠億牧師
    「神から生まれ神に帰るために」 岩本遠億牧師

    マタイの福音書 1章1~17節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。

    アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ。

    ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。

    バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。

    それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。

    +++

    ヨハネの福音書 3章3~8節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」

    イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」

    +++

    ヨハネの手紙 第一 4章7~12節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

    神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

    愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

    37 min
  • 2019年2月24日「やがてイエスの姿に」マルコの福音書第4章26節〜32節

     またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。

    地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。
     実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」
     またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。
    それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」

    31 min
  • 2019年2月17日「完全な愛に出会おう」マタイの福音書第5章43節〜48節

    “『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。”マタイの福音書 5章43~48節

    天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。

    あなたがたの父→あなたがた=父の子

    前提

    ×今あなたがたはこのお方の子ではない
    ○今あなた方はこのお方の子どもである

    天におられるあなたがた父に似たものとなるためです。

    あなたの敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈る愛

    良い者と悪い者を差別せずに愛する愛
    =神様の自己紹介
    =イエス様が生涯をとおして成し遂げた愛

    あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全であれ。

    意志動詞と無意志動詞の違い

    意志動詞の命令形
          =相手に意志的に動作を行わせる
    無意志動詞の命令形
          =願いや呪い

    唯一の例外=創造者である神様

    創世記第1章

    「光あれ」と神は言われた。すると光があった。

    神が語る無意志動詞の命令形

    =神の意志がそのまま行われる

    あなたがたの天の父が完全であられるように、あなた方も完全であれ。

    =あなたがたを完全にする神の意志が行われるという宣言

    ×自分で完全になれという命令

    「いさおなき我を」の作詞者

    シャーロット・エリオット女史
             1789-1871
     牧師の家系に生まれる
     30歳の時、病気がもとで身体障害者となる→苛立ちと怒り

    Malan博士との出会い

    「あなたはキリスト者ですか?」
    「宗教の話などしたくありません」
    「気に障ることを話題にしてすみませんでした。ただ、私は、あなたがあなたの心を神様に委ねて、そして、神様があなたに与えておられる賜物によって神様のために働くことができるようにと祈ります。」

    高慢な自分に気がつく。

    3週間後
    「私は、救われたいです。私は神様のところに行きたいです。しかし、どのようにして神様のところに行ったら良いか分からないのです。」
    「そのままのあなたのまま、神様のところに行けば良いのです。罪人のまま行けば良い。」

    クリスチャンとしての生活を始めたシャーロット、しかし、身体の苦しみのために、苛立ちと惨めさに苛まれる。

    1834年、兄のエリオット牧師が、聖職者の娘たちのための高等教育学校設立ための計画を立てる。

    →教会を挙げて、資金作りのバザーを
     行うが、シャーロットは何もできない。

    惨めで役立たずの自分

    ⇕
    聖霊の働きかけ→感情によらず、救われているという事実、主イエスがこのままの私を招いてくださっているという事実に立つ。

    彼女と同じ境遇にある人々を思い、詩を書く。

    1.Just as I am, without one plea,

    but that thy blood was shed for me,
    and that thou bidst me come to thee,
    O Lamb of God, I come, I come.

    このままの私、何も申し開きすることもできません/

    ただ、あなたの血潮が私のために流されたから/
    あなたが私に来なさいと命じて下さっているから/
    神の小羊イエスよ、御許に参ります

    Just as I am, thou wilt receive,

       wilt welcome, pardon, cleanse, relieve;
    because thy promise I believe,
       O Lamb of God, I come, I come.

    このままの私を、あなたは受け入れ/

    歓迎し、赦し、清め、休ませて下さる/
    ただ、あなたの約束を信じているだけですのに/神の小羊イエスよ、御許に参ります

    Just as I am, thy love unknown,

    hath broken every barrier down;
    now, to be thine, yea thine alone,
    O Lamb of God, I come, I come.

    このままの私、あなたの愛は知らぬ間に/
    全ての壁を打ち砕いてくださった/
    今、私はあなたのもの/
    そう、あなただけのもの/
    神の小羊イエスよ、御許に参ります

    『身体障害者の賛美歌』

             として匿名で出版
       ↓
    歌詞がカードして売られるようになる
       ↓
    彼女の主治医(熱心なクリスチャン)が
    彼女を励ますために、そのカードを彼女に手渡した。

    全ての壁を打ち砕く愛

    罪の壁、生い立ちの壁、健康の壁、

    感情の壁、主義主張の壁、民族の壁、
    宗教の壁、全ての壁を打ち砕く愛

    この方の愛が、私たちを神の子とする。全ての人を神の子とする。真の礼拝者とする。

    完全な者、聖なる者とする

    ヨハネの手紙 第一 4章7~21節

    愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。

    愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
    神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
    私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
    愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
    いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
    神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。
    私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをしています。
    だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。
    私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
    こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。
    愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。
    私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
    神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
    神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。”

    コリント人への手紙 第二 3章17~18節

    主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。

    私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。”

    1. いさおなきわれを 血(を)をもて 贖(あがな)い

      イェス招(まね)きたもう み許(もと)に われ行く
    2. 罪(つみ)咎(とが)のけがれ 洗

    41 min
  • 2019年2月10日「神が信頼した完全な人」ルカの福音書第23章32〜43節

    「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。

    そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
    民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」
    兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。
    「これはユダヤ人の王」と書いた札も、イエスの頭の上に掲げてあった。
    十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
    そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
    イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

    +++


    聖書の重要関心事、神様が歴史をとおして証明しようとしておられること

    ・人は信頼に値する
    ⇔サタンのチャレンジ:人は神様の信頼に値しない

    人としてやって来られたナザレのイエス

    =サタンのこの挑戦に真っ向から立ち向かい、勝利した。

    イエスの2つの戦い

    ・ご自分が神様に信頼されるものとしての生涯を全う
    ・ご自分の弟子を信じ抜く

    イエスの生涯=悪魔との戦い

          =神様に完全に信頼される生涯を全う

    1.サタンの誘惑を退ける

    2.サタンの手下である悪霊を放逐

      →病の癒し、人生の回復

    3.十字架の勝利

      =サタンが為し得る全ての攻撃に完全勝利

      →もうサタンがイエスに対して行い得ることはない

      =人として来られたイエスの勝利が確定

      →イエスに連なる者もイエスの勝利を自分のものに

    4.サタンに対する勝利以上の神の業

      =罪の贖いの完成

    マタイの福音書 5章43~48節

    『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。

    自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。

    王の王、主の主=完全な勝利者

    何に対する勝利者なのか。

    主イエスが十字架で立ち向かったものとは何か。

    何故、これが分かっていたのに立ち向かったのか。

    十字架の苦しみ
      気が狂うほどの激痛
      何も悪いことをしていないのに罪人として殺されることの不条理
      自分を苦しめる者に対する怒り、憎しみ。
      最大限の恥辱
    どれも人として決して受け入れることができないもの

    イエス様の精神の自由:

    この苦しみの中で隠れていたものが明らかにされた

    =敵を愛し、迫害する者のために祈る愛。死の苦しみの中にある罪人にパラダイスの約束を与える権威。

    人が頑張ってできることではない

    ・・・天の愛、神の子の命が満ちていた

      十字架の勝利はここに。

    完全な者となって愛を全うしてくださった。

    「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」ヨハネの福音書 10章18節

    ヘブル5:9

    キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従う全ての人々に対して、とこしえの救いを与えるものとなり、神によってメルキゼデクに等しい大祭司となられたのです。

    ペテロの手紙 第一 2章21~25節

    キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。

    キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。

    ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

    キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ(罪に死に)、義(のため)に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

    あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。”

    32 min
  • 2019年2月3日「神は人を信じ抜く」岩本遠億牧師 マタイの福音書第26章31節〜46節ほか

    「神は人を信じ抜く」岩本遠億牧師

    マタイの福音書 26章31~46節

     そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」

     すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」

     イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」

     ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。

     それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来て、彼らに「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」

     それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」

     それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」

     イエスは再び二度目に離れて行って、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と祈られた。

     イエスが再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。イエスは、彼らを残して再び離れて行き、もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。

     それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」


    マタイの福音書 26章69~75節

     ペテロは外の中庭に座っていた。すると召使いの女が一人近づいて来て言った。「あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」ペテロは皆の前で否定し、「何を言っているのか、私には分からない」と言った。

     そして入り口まで出て行くと、別の召使いの女が彼を見て、そこにいる人たちに言った。「この人はナザレ人イエスと一緒にいました。」ペテロは誓って、「そんな人は知らない」と再び否定した。

     しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った。「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「そんな人は知らない」と言った。すると、すぐに鶏が鳴いた。

     ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたイエスのことばを思い出した。そして、外に出て行って激しく泣いた。"


    ヨブ記 2章1~10節

     ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンも彼らの中にやって来て、主の前に立った。

     主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」

     主はサタンに言われた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」

     サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分のいのちの代わりには、人は財産すべてを与えるものです。しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

     主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」

     サタンは主の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。ヨブは土器のかけらを取り、それでからだを引っかいた。彼は灰の中に座っていた。すると、妻が彼に言った。「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」

     しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。


    創世記 4章1~17節

     人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。

     しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。

     主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」

     カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。

     主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」

     主は言われた。「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。あなたが耕しても、大地はもはや、あなたのために作物を生じさせない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」

     カインは主に言った。「私の咎は大きすぎて、負いきれません。あなたが、今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人となります。私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」

     主は彼に言われた。「それゆえ、わたしは言う。だれであれ、カインを殺す者は七倍の復讐を受ける。」主は、彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられた。

     カインは主の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。

     カインはその妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたので、息子の名にちなんで、その町をエノクと名づけた。


    36 min

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