キリストの平和教会

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キリストの平和教会 episodes

  • 2019年10月6日「神様のとの秘密 その2」マタイの福音書第6章5節〜8節 岩本遠億牧師

    また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。マタイの福音書 6章5~8節


    当時のイスラエル人の義務

    =宗教的義務=義(善行)

    1.施し

    2.祈り

    3.断食


    主イエスご自身も施しを推奨し、祈り、断食を行われた。


    何を問題となさったのか?


    会堂や通りで、多くの人に見えるように祈る。

    =人に認めてもらいたいという気持ち、自分で自分を褒めたい気持ちが入り込む


    人に「立派だ」「素晴らしい」と言われる

    自分で自分に「良くやった」と言う

    →自分の報いを受けてしまっている

    →天におられるあなたがたの父の報いを受けられない


    第一神殿以前:

    幕屋における礼拝と個人個人の祈り


    第一神殿時代(紀元前10世紀〜紀元前6世紀)

    人々は律法を軽視

    預言者の言葉:律法を守らないイスラエルの民に対する警告が中心

    各地で異教の神への礼拝が横行

    →エルサレム神殿だけでの礼拝を推進


    第二神殿時代(バビロン捕囚(紀元前6世紀)以降)

    人々は律法を遵守

    預言者の言葉:律法を守るとは如何なることかとの議論が中心

    →パリサイ派が会堂や家庭での礼拝を推進


    イエス時代の祈り


    公の祈り:神殿、会堂

    「シェマーの祈り」が特に重んじられた。

    「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」申命記6:4


    個人の祈り:

    会堂での公の祈りに個人の祈りを加える。

    街角に立って個人やグループの祈りを祈る。


    問題:神様との個人的親密な関係の欠如


    パリサイ派

        ・主流派 「神よ」「主よ」と呼びかける。

             自分の祈りによって奇跡が起こると信じていない。


        ・敬虔派(ハシディーム)「我が父」「天の父」と呼びかける。

             天の父が祈りに答えて奇跡を起こしてくれると信じている。


    S・サフライ『キリスト教成立の背景としてのユダヤ教世界』


    「天におられるあなたの父」

    →イエスが敬虔派ハシディームの学者であったことは間違いがない。


    「天の父との親密な関係」・・・祈りの前提

             ↓

         他者は関係ない

         他者は父と子の関係の中に立ち入れない

             ↓

         人が見ていないところで祈れ

         「自分の部屋」=納屋、物置



    「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます。」ローマ人への手紙 8章14~15節


         


    「また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。

    ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」


    異邦人の祈り:無意味な音の連続をいくつも試し、有効な組み合わせから呪文を作る。


    「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」エペソ人への手紙 6章18節


    「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」    ヨハネの福音書 14章12~14節


    ・キリストの名代として祈る

    28 min
  • 2019年9月29日「神様との秘密 その1」マタイの福音書第6章1節〜4節 岩本遠億牧師

     人に見せるために人前で善行(義)をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。

     ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
     あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。
    あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
    マタイの福音書 6章1~4節

    *********************

    二人だけの秘密とは?

    「ここに来たことは二人だけの秘密だよ」

    「この秘密基地のことは、二人だけの秘密だ」

    二人は特別な関係

    他の何ものも間に入れない強い関係

    当時のイスラエル人の義務

    =宗教的義務=義(善行)
    1.施し
    2.祈り
    3.断食

    主イエスご自身も施しを推奨し、祈り、断食を行われた。

    何を問題となさったのか?

    会堂や通りで、多くの人に見えるように施しをする。

    =人に認めてもらいたいという気持ちが入り込む

    人に「立派だ」「素晴らしい」と言われる

    →自分の報いを受けてしまっている
    →天におられるあなたがたの父の報いを受けられない

    キリスト教会は、何故、キリストのこの警告を2000年間、無視し続けるのか?

    あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。

    =自分で自分を敬虔と認めてやりたいという気持ちが入り込まないようにせよ。

    自分の行為で自分を認めたい

    =目は自分を向いている

    理想の行為ができない自分を誇れない

    =目は自分を向いている
           ↑
         両者は同一基準、同一線上を動いている

    隠れたところで見ておられるあなたがたの天の父

    あなたがたの施しが隠れたものとなる
    →あなたがたの施し、愛の業が天の父の宝物となる

    その宝物を天の父とあなただけの秘密とせよ。

    天の父とあなたの関係は、二人だけの秘密の関係

    主イエスが与えてくださった、この救い、この喜び、この命、この秘密の関係の中で、自分の業、自分という思いすら、消えていく。自分が何もしていないことに気づく。

    しずけき夕べの【賛美歌48】

    1.しずけき夕べの しらべに寄せて

      歌わせたまえ  父なる神よ
    2.日かげもやすろう 頃にしあれば
      父にぞゆだねん  今日まきしたねを
    3.みにくき者の  いろもかたちも
      見えずなりゆく 時は来にけり

    4.日ごと我がなす 愛の業をも

      人に知らさず かくしたまいね
    5.鳥はねぐらに 人は家路に
      かえる夕べこそ いとしずかなれ
    6.神よ この世の 旅路おわらば
      わがふるさとに 憩わせたまえ

    30 min
  • 2019年9月15日「私たちを完成する愛」マタイの福音書第5章43節〜48節

    『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。マタイの福音書 5章43~48節

    意志によってコントロールできる行為と

    できない行為

    ○食べる、歩く、走る

    ✕失神する、躓く、目覚める、老いる

    「完全である」「敵を愛する」「迫害する者のために祈る」

    は自分でコントロールできるか?

    意志によってコントロールできる行為の命令形

    →命令の意味

    意志によってコントロールできない行為の命令形

    →人の場合、願いや呪い

    「雨、雨、降れ、降れ」・・・降るかどうか分からない

    「明日天気にな〜れ」・・・天気になるかならないか分からない

    全能の神による命令→必ず実現する

    「あなたがたの天の父が完全であられるよう、あなたがたも完全であれ!」→必ず完全になる

    「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」

    自分を迫害する者のために何度祈れば良いのか?

    1回か?10回か?100回か?
    99回は祈れたが、1回は祈れなかった人。
    99回は祈れたなかったが、1回祈れた人。
    どちらが神の子になれるのか?
    昨日は祈れたが、今日は祈れなかった人は神の子になれるのか?         
              ↑
       根本的な前提と理解の誤り
    人間の祈りという行為によっては神の子になれない

    「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」

    前提:あなたがたはこの方の子供である

    天におられるあなたがたの父は、敵を愛し、迫害する者のために祈る愛の方だ。愛そのものだ。あなたがたはこの愛に満たされ、父に似た者となる。

    天の父はどのようなお方か?

    「父は、ご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」

    父なる神の愛=良し悪しを超えた愛

               感情を超えた愛
    命の根源

    人間の愛・・・自分の都合によって左右される

    父の本質である「この愛」に満たされ、この愛が君たちの内面を支配するようになる

    →「この愛」が、君たちの中で敵を愛し、迫害する者のために祈るようになる。

    主イエスは、これをご自分の生涯において実証なさった。

    主イエスは、ご自分を十字架に釘付けする者たちのために祈り続けられた。主イエスの中に満ちていた「この愛」が十字架の苦しみにおいて自己を現した。

    「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全であれ。」

    自分の祈りという行為によって完全となるのではない。自分の愛の行為が自分を完全にするのでもない。

    父なる神様の中に満ち満ちていた愛という実体、すなわち、父なる神様ご自身が、私たちの中に入ってきて、私たちを完全な者とする。

    私たちが祈り得ない祈りを、聖霊が私たちの中で祈ってくださる。

    神様ご自身がそうすると約束。

    「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きを持って、とりなしてくださるのです。」ローマ8:26

    初代教会時代の伝道者ステパノ

    最初の殉教者、この門外で殉教

    神殿礼拝主義を否定

    神がお住みになるのは、人である。
    人こそ神殿である。

    「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」

    →人々は殺到して、ステパノを石打ちにして殺した。

    こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊を受けてください。」そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。

    主イエスの十字架の祈り

    「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」

    主イエスの御霊ご自身がステパノの中にいて、ステパノを主イエスに似た者とした。

    私たちの祈り=聖霊に満たしてください。聖霊よ。私たちを満たし、私たちの内側で、私たちの祈り得ない祈りを祈ってください。

    第二コリント3:17-18

    「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

    27 min
  • 2019年9月8日「卑しめられることを恐るな」マタイの福音書第5章38節〜48節 岩本遠億
    卑しめられることを恐るな
    マタイの福音書第5章38節〜42節
    岩本遠億牧師
    2019年9月8日

    『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。マタイの福音書 5章38~42節

    「目には目を、歯には歯を」

    同態復讐法:復讐合戦を食い止める法的知恵=倍返しの禁止

    当時すでに金銭賠償が行われていた

    右の頬を打つ

    右手で相手を打つ場合、普通は左頬を打つ

    右の頬を打つ=右手の甲で打つ

          =相手に対する侮辱を表す

    強いて1ミリオン(1500m)行かせる

    =征服者による強制徴用→強い屈辱感、憎しみ

    ×相手に対する侮辱行為や、強制徴用を認めているわけではない。

    当時、下着は複数枚持っていたが、上着は一枚だけ。上着は掛け毛布ともなった。→貧しい者にとっては唯一の財産

    上着を借金の質として取っても、夕方には返さなければならないと規定されていた。

    ・侮辱された時、自分の持ち物を取られた時の屈辱感や怒りがあなたの行動を支配してはならない。

    ローマ人への手紙 12章18~20節

    自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。

    「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」

    主はそう言われます。次のようにも書かれています。

    「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」”

    詩篇 73篇1~28節

    見よこれが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで富を増している。ただ空しく、私は自分の心を清め、手を洗って自分を汚れなしとした。私は休みなく打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。

    もしも私が「このままを語ろう」と言っていたなら、きっと私はあなたの子らの世代を裏切っていたことだろう。私はこのことを理解しようとしたが、それは私の目には苦役であった。ついに私は、神の聖所に入って彼らの最期を悟った。[…]

    私の心が苦みに満ち、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は愚かで考えもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。

    あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。見よあなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不実を行う者をあなたはみな滅ぼされます。しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。

    マタイの福音書 10章28~31節

    “からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。
    二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
    あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。
    ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。”

    侮辱された時、自分の持ち物を取られた時の屈辱感や怒りがあなたの行動を支配してはならない。

    主イエスの十字架という屈辱

    “信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。”

    ヘブル人への手紙 12章2節

    主の御前にある喜び

    主の膝元にある喜びがこれを潜り抜けさせる。

    乗り越えるのではない、潜り抜ける。

    “私たちが卑しめられたとき主は心に留められた。主の恵みはとこしえまで。”

    詩篇 136篇23節

    ホレイシオ・スパフォード 

    Horatio Spafford (1828〜1888)

    シカゴの法律家、実業家

    多くの不動産を所有し、社会奉仕活動。 長老教会の役員

    1871年シカゴ大火→全ての不動産を失う。同年息子を猩紅熱で失う

    長老教会からは、隠れた罪が原因だと断罪される

    イギリスで宣教していた伝道者ムーディの活動に参加するため、一家でイギリスに渡る計画

    出発直前に、急な仕事のためスパフォードはシカゴに残り、妻のアンナと4人の娘だけ、先発することに。

    アンナと4人の娘が乗った蒸気船は、大西洋横断中に鉄の帆船と衝突、沈没

    アンナだけが助けられ生き残る。ホレイシオに電報。

    Saved alone.  What should I do?


    すぐにイギリスに向かうホレイシオ

    アンナたちが乗った船が沈没したところにさしかかった時、一つの言葉が与えられた。

    It is well with my soul.

    しかし、私の魂にとっては大丈夫。私の魂は守られている。

    1.平安が川のように、心に寄り添う時も、悲しみが大波のように、逆巻く時も、 私の運命がいかなるものであっても、主よ、あなたは、教えてくださいました。「私の魂は守られている」と語ることを

    It is well, it is well with my soul.

    2.サタンは攻撃をしかけてくる。試みの時もやってくる。

    しかし、この祝福された保証が心を支配するようにせよ

    キリストは、私の惨めな状況をご存知である。

    そして、私の魂にその御血を注いでくださったのだ

    3.私の罪、ああ、この栄光ある喜びよ!私の罪は、一部分ではなく、その全てがキリストの十字架に釘付けられた。私はもはや、自分の罪を背負ってはいない。主を讃えよ!主を讃えよ!我が魂よ!

    It is well, it is well with my soul.

    4.私にとってはキリストのみキリストだけが生きている

    ヨルダン川は頭の上で、逆巻くだろう。

    しかし、もはや痛みは私を苦しめない。

    死もいのちに呑み込まれた。

    あなたが、あなたの平安を私の魂に語りかけてくださった。

    5.主よ、その日を来らせ給え。あなたの真実が目に見える時を。

    雲は幕のように巻き取られ、ラッパの音が響き、主がやってこられる。

    しかし、私の魂は守られている。

    It is well, it is well with my soul.


    ムーディの宣教活動に参加

    その後、エルサレムに移住、エルサレムで貧困にあえぐ人たちの救済のために生涯を捧げる。今も、スパフォードの子孫が経営するホテルがエルサレムにある。

    スパフォード夫妻の子孫が運営するアメリカン・コロニーホテル・エルサレム

    https://www.americancolony.com/

    32 min
  • 2019年9月1日「真実は真実に応える」マタイの福音書第5章33節〜37節 岩本遠億牧師

    真実は真実に応える

    マタイの福音書第5章33節〜37節

    岩本遠億牧師

    2019年9月1日

    また、昔の人々に対して、『偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。


    「あの素晴らしい愛をもう一度」 北山修作詞・加藤和彦作曲

    命かけてと 誓った日から

    すてきな想い出 残してきたのに

    あの時 同じ花を見て

    美しいと言った二人の

    心と心が 今はもう通わない

    あの素晴らしい愛をもう一度

    あの素晴らしい愛をもう一度


    忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 

        人の命の 惜しくもあるかな               

                  右近 『拾遺集』恋四・870


    「天地神明に誓って」

    一般の理解:嘘をつく人(特に政治家)の常套句


    十戒の第3戒

    主の名をみだりに唱えてはならない。

    =主の名による誓いを禁止

           ⇩

    天にかけて誓う

    地にかけて誓う

    エルサレムにかけて誓う

    自分の頭にかけて誓う

    神殿にかけて誓う

    神殿の黄金にかけて誓う

    祭壇にかけて誓う

    祭壇の捧げ物にかけて誓う


    人はなぜ誓うのか?

    なぜ誓わせるのか?


    前提:自分の言葉、相手の言葉が信用できない

       人の言葉は不真実である


    誓いの偽善性


    誓いと契約の違い

    契約=違約した場合の報いが規定


    ダビデとヨナタンの愛の契約

    =裏切ったら、殺してくれ←主が証人


    不真実な言葉の世界から真実な言葉の世界へ


    「あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。」


    コリント人への手紙 第二 1章15~24節


    この確信をもって、私はまずあなたがたのところを訪れて、あなたがたが恵みを二度得られるようにと計画しました。すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニアに赴き、そしてマケドニアから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。


    このように願った私は軽率だったのでしょうか。それとも、私が計画することは人間的な計画であって、そのため私には、「はい、はい」は同時に「いいえ、いいえ」になるのでしょうか。


    神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。


    この方においては「はい」だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。


    私は自分のいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたへの思いやりからです。私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力して働く者です。あなたがたは信仰に堅く立っているのですから。


    ヘブライ語

     信仰 エムナー:‘eMuNa

     まことにそうだ アーメン: ‘aMeN 

     信頼を引き起こす実体 ネエマヌート

               ne ‘eMaNut

     中心概念=「‘ M N」 確かさ


    信仰=

    神のまこと(ネエマヌート)に触れられた時に、人の中に立ち上がる信(アーメン!と言うこと)


    ・信仰の実体は神のまことにある

    ・人の信仰は、それに触れられた時の非意志的変化

    ×教理を意識的に信じ込もうとすること。

    ×自分の頑張りで持続、完成するもの。


    ヨハネの福音書 5章24~25節


    まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。



    キリストの真実に触れられると、私たちの中に死んでいた真実が立ち上がる

            ↓

    私たちも真実の言葉を語るものとされて行く


    神様は、真実を持って触れてくださった私たちを信じ抜いてくださる。


    神の真実が人の中の死んだ真実を甦らせるから。



    29 min
  • 2019年8月4日「一人を愛し抜く」マタイの福音書第5章27節〜32節 岩本遠億牧師
    ただ一人を愛し抜く
    マタイの福音書第5章27節〜32節
    岩本遠億牧師
    2019年8月4日

    “『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。”マタイの福音書 5章27~32節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    聖書の言葉は、その時代、その地域・社会の中で語られた。時代と地域社会というコンテキストを無視して聖書を読む

    →聖書が意図しない倫理観を生み出す

    この箇所についての誤解

    ➢性欲の否定

    ➢他人の妻・婚約者を対象とした性欲に焦点

    イエス・キリストの教えは、具体的。

    ◇当時のイスラエルの社会悪を糾弾している。

    “人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。”レビ記 20章10節聖書 新改訳

    結婚に関する当時の社会悪

    離縁する権利があったのは男性だけ

    申命記24:1 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。

    パリサイ派の律法学者:二つの見解

    1.妻が性的な不道徳を犯した場合のみ離縁できる

    2.料理を失敗したとか、他の男性と話しをするなど些細な理由

      ラビ・アキバ 「妻が気に入らなくなったら離縁できる」

    多くの人が第二の見解を受け入れる

    マタイの福音書 19章3~10節

    パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」彼らはイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」”

    マラキ書 2章13~16節

    あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と悲鳴と嘆きで、主の祭壇をおおっている。主が、もうささげ物を顧みず、あなたがたの手からそれを喜んで受け取られないからだ。「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。「妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、主は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。──万軍の主は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。”

    離婚された女性=生産手段を持たない

    ⇒他の男性と再婚、あるいは、身を売るしかない

    マタイの福音書 21章31~32節

    「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。”

    “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

    何故、姦淫は死刑になるほどの罪なのか?

    複数の人との性交渉=複数の神礼拝と直結

    ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜く

    人には心は一つしかない→愛せる対象は一人

    ソロモン王   300人の妻と700人の側女

                 ↓

             主を捨て偶像崇拝者へと

                 ↓

             イスラエル王国滅亡への道

    「聞け、イスラエルよ。主はただ一人の神である。あなたは、心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なるあなたの神を愛せよ。」

    ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜くことを知る

    旧約の預言者ホセア

    ゴメルは恋人の後を追い、姦淫を犯し恋人の子供を産む

             ↓

    主からの言葉 「姦淫の女と姦淫の子等を引き取れ」

             ↓

    ホセアの妻となるゴメル

             ↓

    ホセアから離れ、姦淫を犯し続け、ついに奴隷とされ、偶像の神殿で参拝者に体を提供

             ↓

    主の言葉「再び行って、姦淫の妻を引き取れ」

             ↓

    銀15枚(女性の奴隷を買い取る金額)でゴメルを身請けし、救い出す

             ↓

    神様の変わらぬ愛とは何かを知る

    サマリアの女

    4人の男性と結婚→幸せになれない

    今は別の人と同棲生活

    異性によっては心の奥の奥の渇きは満たされない

    “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節”しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」”ヨハネの福音書 4章23~24節

    31 min
  • 2019年7月28日「激しい言葉から守られて」マタイの福音書第5章21節〜26節 岩本遠億牧師
    激しい言葉から守られて
    マタイの福音書第5章21節〜26節
    岩本遠億牧師
    2019年7月28日

    “昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません(裁きを免れることはできない)。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

    ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。

    あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。“

    マタイの福音書 5章21~26節

    地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。

          ↓
    どのように神の言葉を聞き取っていくのか?
          ↓
    私たちはどう生きるのか?

    あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

    天の御国

    ✕死んでから行く天国
    ○この地に行われる神の支配
    ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。

    怒る→裁きを受けなければならない

    兄弟に『ばか者』と言う→最高法院で裁かれる
    『愚か者』と言う→火の燃えるゲヘナに投げ込まれる

    一般の理解:心の中の怒りは殺人と同じ罪

         誰でも怒ったことはある
         →誰でも罪びと
         →地獄に落とされないためにイエス様を信じましょう

    「天の御国に入れません」の理解に問題

    “そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』こうして、主君(=神様)は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。” マタイの福音書 18章32~34節

    “それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。王(=神様)は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。”

                      マタイの福音書 22章4~7節

    「怒っても罪を犯してはなりません。」エペソ:4:26

    怒れ!しかし、罪を犯すな!

    聖書は、怒ること自体を悪、罪とは言っていない。

    『愚か者』(moros)と言う

    →火の燃えるゲヘナに投げ込まれる

    ゲヘナ:エルサレムのゴミ捨て場、常時火でゴミを燃やし続けていた

    →地獄のイメージとして定着

    “わざわいだ、目の見えない案内人たち。おまえたちは言っている。『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』

    愚か(moroi)で目の見えない者たち。黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。“ マタイの福音書 23章16~17節

    イエス・キリスト自身がパリサイ派律法学者たちを「愚か者」と呼んでおられる。

    怒ること、人を愚か者と呼ぶこと自体が神に赦されることのない、罪ではない。

            ⬇︎
    ここで裁き、最高法院(サンへドリン)、ゲヘナの火と言うのは、この世での現実的な裁きを意味する。

    では、キリストのここで教えは何か?

    弟子たちがこの世の裁きから守られるための知恵を授けている。

    キリスト自身は、パリサイ派律法学者たちに「愚か者、目が見えない者」、「災いなるかな!」と激しい言葉を使っておられる。

    =神様の怒り、神様の言葉の代弁
    →パリサイ派律法学者たちから恨みを買う、命を狙われる
    →十字架の苦しみに投げ入れられる
    =人々は、神様の言葉を代弁したキリストを裁き、殺した

    しかし、弟子たちはその必要はない。

    →人の恨みを買うような言葉を使うな
    →自ら争いを引き起こさず、平和のうちに伝道せよ

    “ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。

        マタイの福音書 5章21~26節

    27 min
  • 2019年7月21日「言葉の心を知る」マタイの福音書第5章17節〜20節
    言葉の心を知る
    マタイの福音書第5章17節〜20節
    岩本遠億牧師
    2019年7月21日

    “わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。”

    マタイの福音書 5章17~20節

    地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。

          ↓
    どのように神の言葉を聞き取っていくのか?
          ↓
    私たちはどう生きるのか?

    あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

    天の御国

    ✕死んでから行く天国
    ○この地に行われる神の支配
    ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。

    誰に語られたのか?

    幸いなるかな!
    心(霊)の貧しい者
    深い悲しみの中にある者
    低められている者
    義に飢え渇く者
    憐れみ深い者
    心の清い者
    平和を造る者
    義のために迫害されている者
    ➔あなたがたは預言者と同じ者だ。神の言葉を託されている。

    心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義がある。

    では、その「義」とは何か?

    聖書における「義」=関係の正しさ

    ・神様との関係の正しさ
    ・人との関係の正しさ

    神様は、「律法」によって「関係の正しさ」とは何かを示しておられる。   

    十戒 1〜4:神と人との正しい関係

    5〜10:人と人との正しい関係

    1. わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
    2. あなたは自分のために偶像を造ってはならない。
    3. あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。
    4. 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
    5. あなたの父と母を敬え。
    6. 殺してはならない。
    7. 姦淫してはならない。
    8. 盗んではならない。
    9. あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
    10. あなたの隣人の家を欲してはならない。
    11. 十戒を基礎とする613の規定

      さらに、律法学者、パリサイ人たちによる多くの細則(口伝律法)

      「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。」

      キリストの十字架刑の理由

      ・安息日主義の否定
      ・神殿礼拝主義の否定
       ➡︎律法を廃棄しようとする者として処刑

      律法を成就/完成/満たすとは何か?

      キリストの聖書解釈の手法:ミドラッシュ

      ミドラッシュ:「尋ねる、求める、探す」という語根から派生。

      表面の世界の裏側にある、内側の真の状況を明らかにする。

      ✕聖句の説明や解説

      ○書かれている文字の裏側にある意味や論理(内的意味と傾向)を聖書全体の出来事やその状況を考慮しつつ引き出すこと。手島勲矢「成文律法と口伝律法」

      まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。

                 ↓
      その内的意味を基盤に律法を完成する

      “主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。” 創世記 6章5~6節

      “わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。

      こうして、彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。” エゼキエル書 11章19~20節

      肉の心=霊の貧しさを知る心、深い悲しみを知る心、低められることを知る心

      心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義(神様との正しい関係、人との正しい関係)がある。

      “雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、

      まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。” ヘブル人への手紙 9章13~14節

      “また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、

      心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
      約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。”
      ヘブル人への手紙 10章21~23節
      聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

      “私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。

      この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。”
      ヨハネの手紙 第一 2章1~2節

      1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩むなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血は全ての罪から私たちをきよめます。

      37 min
    12. 2019年7月14日「神が灯火を守られる」マタイの福音書第5章13節〜16節 岩本遠億牧師
      神が灯火を守られる
      マタイの福音書第5章13節〜16節
      岩本遠億牧師
      2019年7月14日

      あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気を付けるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。

      あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。

      このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

      ************************************

      「主イエスの愛の手が」作詞・作曲 岩本遠億

      主イエスの愛の手が  この地を包む

      一羽の雀さえ  主は 守られる

      傷ついた葦を  折ることなく 

      ほの暗いほのお  消すことなく

      主は地に造られる  神の国を

      この地に満たされる 神の国を

      **************************************

      ○あなたがたは地の塩である。世の光である。

      ×地の塩になれ。世の光になれ。

      ×地の塩になるだろう。世の光になるだろう。

      ×地の塩、世の光になるために、こうしろ。

      誰に語られたのか?

      幸いなるかな!

      心(霊)の貧しい者

      深い悲しみの中にある者

      低められている者

      義に飢え渇く者

      憐れみ深い者

      心の清い者

      平和を造る者

      義のために迫害されている者

      ➔あなたがたは預言者と同じ者だ。神の言葉を託されている。

      地の塩

      死海沿岸=豊富な塩の産出地

      庶民が使っていた塩:砂などを含む純度の低い塩

      塩が塩気をなくす=砂や泥だけになってしまう

              ➡︎塩としての働きができない

      心の貧しさを知らない者、悲しみを知らない者、低められることを知らない者、神の救いを必要としない者、倒れている人を見ても何とも思わない者、清められることを求めなくなった者、平和を求めない者、神の義と共に生きることを望まない者。

      聖書における塩の意味とは何か?

      ・全焼の捧げ物に不可欠のもの

      “主はモーセに言われた。「あなたは香料のナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香と純粋な乳香を取れ。これらは、それぞれ同じ量でなければならない。これをもって、調香の技法を凝らして調合された、塩気のある、きよい、聖なる香を作れ。」”               出エジプト記 30章34~35節

      “穀物のささげ物はみな、塩で味をつけなさい。穀物のささげ物に、あなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのどのささげ物も、塩をかけて献げなければならない。”                    レビ記 2章13節

      “イスラエルの子らが主に献げる聖なる奉納物をみな、わたしは、あなたと、あなたとともにいる息子たちと娘たちに与えて、永遠の割り当てとする。それは、主の前にあって、あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる。」”            民数記 18章19節

      “罪を除き終えたら、傷のない若い雄牛と、群れのうちの傷のない雄羊を献げる。それらを主の前に献げ、祭司たちがそれらの上に塩をまき、全焼のささげ物として主に献げる。” エゼキエル書 43章23~24節

      全焼の捧げ物=神が民に臨む礼拝を意味する

      ➔塩がなければ、礼拝とならない üあなたがたがいるから、礼拝が全うされる。 ・あなたがたこそ、人と神を繋ぐ者だ。

      “あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。

      このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。” マタイの福音書 5章14~16節

      ○あなたがたはランプの光だ

      ✕あなたがたは太陽だ

      ✕あなたがたは月だ

      ○暗闇を照らす光

      どんなに弱い光でも、そこに神の臨在があることを示す。

      油がなくなれば、消えてしまう

      強風で消えてしまう

      ➔灯火を守られる神

      “「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」” イザヤ書 42章1~4節

      “「人はみな、火によって塩気をつけられます。塩は良いものです。しかし、塩に塩気がなくなったら、あなたがたは何によってそれに味をつけるでしょうか。あなたがたは自分自身のうちに塩気を保ち、互いに平和に過ごしなさい。」” マルコの福音書 9章49~50節

      “二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」” ルカの福音書 24章32節

      “私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。” エレミヤ書 20章9節 

      “この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。” ヨハネの福音書 1章4~5節

      “イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」” ヨハネの福音書 8章12節 

      43 min
    13. 2019年7月7日「アウトサイダーとして生きる」マタイの福音書第5章10節〜12節 岩本遠億牧師
      アウトサイダーとして生きる マタイの福音書第5章10節〜12節 岩本遠億牧師

      “義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。”マタイの福音書 5章10~12節

      「義のために迫害されている(されてきた)者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

      聖書における「義」

      =関係の正しさ

      =神と人の関係の正しさ

      ➡︎誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく作られた者です。(IIコリント5:17)

      ➡︎この世の価値観、この世を支配する悪霊に従わない者に

      神と人との正しい関係を憎む者=悪魔による妨害

      ➡︎迫害

      イエス・キリストが与えた義

      =人々に神の子の尊厳に満たす

      ・病に苦しむ者たちに癒しを与える

      ・苦しめられている者たちから悪霊を追い出す

      ・罪人と呼ばれ、卑しめられている人々の友となる

      ・律法の硬直的遵守よりも、現実に苦しむ者を救う

      ・形式的礼拝ではなく、霊と真による礼拝 =新しい人としての実存

      ➡︎この世の価値観、この世を支配する悪霊に従わない者に

      ➡︎神と人との正しい関係を憎む者=悪魔による妨害

         =民を支配していた特権階級の腐敗を指弾

      ➡︎ 十字架への道

      天の御国は彼らのものだ

      ×死んでから天国に行ける

      ○神の支配は、彼らによってこの地にもたらされる=彼らこそが神の名代なのだ

      「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」マタイ10:34

      迫害⬌戦い

      一方的に批判される、攻撃される

      人の罪を明らかにする神の愛と義を語るから。

      「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」

      預言者=神の御心を知ることを許された者、神がご自身の思いを開示してくださる者

      あなたがたに与えられるのは、預言者の祝福だ。

      神ご自身が、あなたがたにその御心を知らせてくださる。神の友とされるのだ。

      「わたしは、もはやあなたがたを僕とは呼びません。しもべなら、主人が何をするのかしらないからです。わたしは、あなたがたを友と呼びました。父から聞いたことを全て、あなたがたに知らせたからです。」ヨハネ15:15

      ヨハネの福音書 17章11~23節

      “わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって、彼らを守りました。わたしが彼らを保ったので、彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためでした。わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。”

      ヨハネの福音書 14章18~19節

      “わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。”

      ヨハネの福音書 14章27節

      “わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。”

      25 min

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