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FAQs about 林芙美子 新版放浪記 第二部:How many episodes does 林芙美子 新版放浪記 第二部 have?The podcast currently has 14 episodes available.
May 20, 2012林 芙美子 放浪記第二部 その4参照テキスト:青空文庫図書カード№1813音声再生時間:25分19秒このブラウザでは再生できません。 * (二月×日) ああ何もかも犬に食われてしまえである。寝転んで鏡を見ていると、歪(ゆが)んだ顔が少女のように見えてきて、体中が妙に熱っぽくなって来る。 こんなに髪をくしゃくしゃにして、ガランスのかった古い花模様の蒲団の中から乗り出していると、私の胸が夏の海のように泡立(あわだ)って来る。汗っぽい顔を、畳にべったり押しつけてみたり、むき出しの足を鏡に写して見たり、私は打ちつけるような激しい情熱を感じると、蒲団を蹴って窓を開けた。――思いまわせばみな切な、貧しきもの、世に疎うときもの、哀れなるもの、ひもじきもの、乏しく、寒く、物足らぬ、はかなく、味気なく、よりどころなく、頼みなきもの、捉(とら)えがたく、あらわしがたく、口にしがたく、忘れ易く、常なく、かよわなるもの、詮(せん)ずれば仏ならねどこの世は寂し。――チョコレート色の、アトリエの煙を見ていると、白秋のこんな詩をふっと思い出すなり、まことに頼みがいなきは人の世かな。三階の窓から見降ろしていると、川端画塾のモデル女の裸がカーテンの隙間から見える。青ペンキのはげた校舎裏の土俵の日溜ひだまりでは、ルパシカの紐(ひも)の長い画学生達が、これは又野放図もなく長閑(のどか)な角力(すもう)遊びだ。上から口笛を吹いてやると、カッパ頭が皆三階を見上げた。さあ、その土俵の上にこの三階の女は飛び降りて行きますよッって呶鳴ったら、皆喜んで拍手をしてくれるだろう――川端画塾の横の石垣のアパートに越して来て、今日でもう十日あまり、寒空には毎日チョコレート色のストーヴの煙があがっている。私は二十通あまりも履歴書を書いた。原籍を鹿児島県、東桜島、古里(ふるさと)、温泉場だなんて書くと、あんまり遠いので誰も信用をしてくれないのです、だから東京に原籍を書きなおすと、非常に肩が軽くて、説明もいらない。 障子にバラバラ砂ッ風が当ると、下の土俵場から、画学生達はキャラメルをつぶてのように、三階へ投げてくれる。そのキャラメルの美味(おい)しかったこと……。隣室の女学生が帰って来る。 「うまくやってるわ!」 私のドアを乱暴に蹴って、道具をそこへほうり出すと、私の肩に手をかけて、 「ちょいと画描きさん、もっとほうってよ、も一人ふえたんだから……」と云った。 下からは遊びに行ってもいいかと云うサインを画学生達がしている、すると、この十七の女学生は指を二本出してみせた。 「その指何の事よ。」 「これ! 何でもないわ、いらっしゃいって言う意味にも取っていいし、駄目駄目って事だっていいわ……」 この女学生は不良パパと二人きりでこのアパートに間借りをしていて、パパが帰って来ないと私の蒲団にもぐり込みに来る可愛らしい少女だった。 「私のお父さんはさくらあらいこの社長なのよ。」 だから私は石鹸(せっけん)よりも、このあらいこをもらう事が多い。 「ね、つまらないわね、私月謝がはらえないので、学校を止(よ)してしまいたいのよ。」 火鉢がないので、七輪に折り屑くずを燃やして炭をおこす。 「階下の七号に越して来た女ね、時計屋さんの妾(めかけ)だって、お上さんがとてもチヤホヤしていて憎らしいったら……」 彼女の呼名はいくつもあるので判らないのだけれど、自分ではベニがねと云っていた。ベニのパパはハワイに長い事行っていたとかで、ビール箱でこしらえた大きいベッドにベニと寝ていた。何をやっているのか見当もつかないのだけれど、桜あらいこの空袋が沢山部屋へ持ちこまれる事がある。 「私んとこのパパ、あんなにいつもニコニコ笑ってるけれど、ほんとはとても淋しいのよ、あんたお嫁さんになってくれない。」 「馬鹿ね! ベニさんは、私はあんなお爺さんは大嫌いよ。」 「だってうちのパパはね、あなたの事を一人でおくのはもったいないって、若い女が一人でゴロゴロしている事は、とてもそんだってさア。」 三階だてのこのガラガラのアパートが、火事にでもならないかしら。寝転んで新聞を見ていると、きまって目の行くところは、芸者と求妻と、貸金と女中の欄が目についてくる。 「お姉さん! こんど常盤座(ときわざ)へ行ってみない、三館共通で、朝から見られるわよ、私、歌劇女優になりたくって仕様がないのよ。」 ベニは壁に手の甲をぶっつけながら、リゴレットを鼻の先で器用に唄っていた。 夜。 松田さんが遊びに来る。私は、この人に十円あまりも借りがあって、それを払えないのがとても苦しいのだ。あのミシン屋の二畳を引きはらって、こんな貧乏なアパートに越して来たものの、一つは松田さんの親切から逃げたい為めであった。 「貴女にバナナを食べさせようと思って持って来たのです。食べませんか。」 この人の言う事は、一ツ一ツが何か思わせぶりな言いかたにきこえてくる。本当はいい人なのだけれども、けちでしつこくて、する事が小さい事ばかり、私はこんなひとが一番嫌いだ。 「私は自分が小さいから、結婚するんだったら、大きい人と結婚するわ。」 いつもこう言ってあるのに、この人は毎日のように遊びに来る。さよなら! そう云ってかえって行くと、非常にすまない気持ちで、こんど会ったら優しい言葉をかけてあげようと思っていても、こうして会ってみると、シャツが目立って白いのなんかも、とてもしゃくだったりする。 「いつまでもお金が返せないで、本当にすまなく思っています。」 松田さんは酒にでも酔っているのか、わざとらしくつっぷして溜息(ためいき)をしていた。さくらあらいこの部屋へ行くのは厭いやだけれども、自分の好かない場違いの人の涙を見ている事が辛くなってきたので、そっとドアのそばへ行く。ああ十円と云う金が、こんなにも重苦しい涙を見なければならないのかしら、その十円がみんな、ミシン屋の小母さんのふところへはいっていて、私には素通りをして行っただけの十円だったのに……。セルロイド工場の事。自殺した千代さんの事。ミシン屋の二畳でむかえた貧しい正月の事。ああみんなすぎてしまった事だのに、小さな男の後姿を見ていると、同じような夢を見ている錯覚がおこる。 「今日は、どんなにしても話したい気持ちで来たんです。」 松田さんのふところには、剃刀(かみそり)のようなものが見えた。 「誰が悪いんです! 変なまねは止めて下さい。」 こんなところで、こんな好きでもない男に殺される事はたまらないと思った。私は私を捨てて行った島の男の事が、急に思い出されて来ると、こんなアパートの片隅で、私一人が辛い思いをしている事が切なかった。 「何もしません、これは自分に言いきかせるものなのです。死んでもいいつもりで話しに来たのです。」 ああ私はいつも、松田さんの優しい言葉には参ってしまう。 「どうにもならないんじゃありませんか、別れていても、いつ帰ってくるかも知れないひとがあるんですよ。それに私はとても変質者だから、駄目ですよ。お金も借りっぱなしで、とても苦しく思っていますが、四五日すれば何とかしますから……」 松田さんは立ちあがると、狂人のようにあわただしく梯子(はしご)段を降りて帰って行ってしまった。――夜更け、島の男の古い手紙を出して読んだ。皆、これが嘘だったのかしらとおもう。ゆすぶられるような激しい風が吹く。詮ずれば、仏ならねどみな寂し。 (三月×日) 花屋の菜の花の金色が、硝子(ガラス)窓から、広い田舎の野原を思い出させてくれた。その花屋の横を折れると、産園××とペンキの板がかかっていた。何度も思いあきらめて、結局は産婆にでもなってしまおうと思って、たずねて来た千駄木町の××産園。歪んだ格子を開けると玄関の三畳に、三人ばかりも女が、炬燵(こたつ)にゴロゴロしていた。 「何なの……」 「新聞を見て来たんですけども……助手見習入用ってありましたでしょう。」 「こんなにせまいのに、ここではまだ助手を置くつもりかしら……」 二階の物干には、枯れたおしめが半開きの雨戸にバッタンバッタン当っていた。 「ここは女ばかりてすから、遠慮はないんですのよ、私が方々へ出ますから、事務を取って戴けばいいんです。」 このみすぼらしい産園の主人にしては美しすぎる女が、私に熱い紅茶をすすめてくれた。階下の女達が、主人と言ったのがこの女のひとなのだろうか……高価な香水の匂いが流れていて、二階のこの四畳半だけは、ぜいたくな道具がそろっていた。 「実はね、階下にいる女達は、皆素性が悪くて、子供でも産んでしまえば、それっきり逃げ出しそうなのばかりなんですよ。だから今日からでも、私の留守居をしてもらいたいんですが御都合いかが?」 あぶらのむちむちして白い柔かい手を頬に当てて、私を見ているこの女の眼には、何かキラキラした冷たさがあった。話ぶりはいかにも親しそうにしていて、眼は遠くの方を見ている。そのはるかなものを見ている彼女の眼には空もなければ山も海も、まして人間の旅愁なんて何もない。支那人形の眼のような、冷々と底知れない野心が光っていた。 「ええ今日からお手伝いをしてもよろしゅうございますわ。」 昼。 黒いボアに頬を埋めて女主人が出て行った。小女が台所で玉葱(たまねぎ)を油でいためている。 「一寸! 厭になっちゃうね、又玉葱にしょっぺ汁かい?」 「だって、これだけしか当てがって行かねえんだもの!……」 「へん! 毎日五十銭ずつ取ってて、まるで犬ころとまちがえてるよ。」 ジロジロ睨(にら)みあっている瞳(ひとみ)を冷笑にかえると、彼女達は煙草をくゆらしながら、「助手さん! 寒いから汚ないでしょうけど、ここへ来て当りませんか!」と云ってくれた。私は何か底知れない気うつさを感じながら襖(ふすま)をあけると、雑然とした三畳の玄関に、女が六人位も坐っていた。こんなに沢山の妊婦達はいったいどこから来たのかしら……。 「助手さん! 貴方はお国どこです?」 「東京ですの。」 「おやおや、そうでございますの、一寸これゃごまめだわよ。」 女達は、あはあは笑いながら何か私のことに就いて話しあっていた。昼の膳の上は玉葱のいためたのに醤油をかけたのが出る。そのほかには、京菜の漬物に薄い味噌汁、八人の女が、猿のように小さな卓子を囲んで、箸(はし)を動かせる。 「子供だ子供だと言って、一日延ばしに私から金を取る事ばかり考えているのよ、そして栄養食ヴィタミンBが必要ですとさ、淫売奴のくせに!」 女給が三人、田舎芸者が一人、女中が一人、未亡人が一人と云う素性の女達が去ったあと、小女が六人の女たちの説明をしてくれた。 「うちの先生は、産婆が本業じゃないのよ、あの女の人達は、前からうちの先生のアレの世話になってんですの、世話料だけでも大したものでしょう。」 淫売奴、と云い散らした女の言葉が判ると、自分が一直線に落ち込んだような気がして急にフッと松田さんの顔が心に浮んで来た。不運な職業にばかりあさりつく私だ。もう何も言わないであの人と一緒になろうかしらとも思う。何でもない風をよそおい、玄関へ出る。 「どうしたの、荷物を持ったりして、もう帰るの……」 「ちょいと、先生がかえるまでは帰っちゃ駄目だわ……私達が叱られるもの、それにどんなもん持って行かれるか判らないし。」 何と云うすくいがたなき女達だろう。何がおかしいのか皆は目尻に冷笑を含んで、私が消えたら一どきに哄笑(こうしょう)しそうな様子だった。いつの間に誰が来たのか、玄関の横の庭には、赤い男の靴が一足ぬいであった。 「見て御らんなさいな、本が一冊と雑記帳ですよ、何も盗(と)りやしませんよ。」 「だって沈黙(だま)って帰っちゃ、先生がやかましいよ。」 女中風な女が、一番不快だった。腹が大きくなると、こんなにも、女はひねくれて動物的になるものか、彼女達の眼はまるで猿のようだった。 「困るのは勝手ですよ。」 戸外の暮色に押されて花屋の菜の花の前に来ると、初めて私は大きい息をついたのだ。ああ菜の花の咲く古里。あの女達も、この菜の花の郷愁を知らないのだろうか……。だが、何年と見きわめもつかない生活を東京で続けていたら、私自身の姿もあんな風になるかも知れないと思う。街の菜の花よ、清純な気持ちで、まっすぐに生きたいものだと思う。何とかどうにか、目標を定めたいものだ。今見て来た女達の、実もフタもないザラザラした人情を感じると、私を捨てて去って行った島の男が呪(のろ)わしくさえ思えて、寒い三月の暮れた街に、呆然と私はたちすくんでいる。玉葱としょっぺ汁。共同たんつぼのような悪臭、いったいあの女達は誰を呪って暮らしているのかしら……。 (三月×日) 朝、島の男より為替を送って来た。母のハガキ一通あり。――当にならない僕なんか当にしないで、いい縁があったら結婚をして下さい。僕の生活は当分親のすねかじりなのだ。自分で自分がわからない。君の事を思うとたまらなくなるが、二人の間は一生絶望状態だろう――。男の親達が、他国者の娘なんか許さないと言ったことを思い出すと、私は子供のように泣けて来た。さあ、この十円の為替を松田さんに返しましょう、そしてせいせいしてしまいたいものだ。 オトウサンガ、キュウシュウヘ、ユクノデ、ワタシハ、オマエノトコロヘ、ユクカモシレマセン、タノシミニ、マッテイナサイ――母よりの手紙。 せいいっぱい声をはりあげて、小学生のような気持ちで本が読みたい。 ハト、マメ、コマ、タノシミニマッテイナサイか! 郵便局から帰って来ると、お隣のベニの部屋には刑事が二人も来ていて何か探していた。窓を開けると、三月の陽を浴びて、画学生達が相撲を取ったり、壁に凭(もた)れたり、あんなに長閑(のどか)に暮らせたら愉しいだろう、私も絵を描いた事がありますよ、ホラ! ゴオガンだの、ディフィだの、好きなのですけれど、重苦しくなる時があります。ピカソに、マチイス、この人達の絵を見ていると、生きていたいと思います。 「そこのアパートに空間はありませんか?」 新鮮な朗かな青年達の笑い声がはじけると、一せいに男の眼が私を見上げた。その眼には、空や、山や海や、旅愁が、キラキラ水っぽく光って美しかった。 「二間あいてるんですか!」 私はベニの真似をして二本の指を出して見せた。ベニの部屋では、何か家宅捜索されているらしい。ビール箱のベッドを動かしている音がしている。 焦心。女は辛し。生きるは辛し。 ...more26minPlay
April 26, 2012林 芙美子 放浪記第二部 その3参照テキスト:青空文庫図書カード№1813音声再生時間:27分40秒このブラウザでは再生できません。 *(九月×日) 今日もまたあの雲だ。 むくむくと湧き上る雲の流れを私は昼の蚊帳の中から眺めていた。今日こそ十二社(じゅうにそう)に歩いて行こう――そうしてお父さんやお母さんの様子を見てこなくちゃあ……私は隣の信玄袋に凭れている大学生に声を掛けた。「新宿まで行くんですが、大丈夫でしょうかね。」「まだ電車も自動車もありませんよ。」「勿論(もちろん)歩いて行くんですよ。」 この青年は沈黙って無気味な暗い雲を見ていた。「貴方はいつまで野宿をなさるおつもりですか?」「さあ、この広場の人達がタイキャクするまでいますよ、僕は東京が原始にかえったようで、とても面白いんですよ。」 この生齧(なまかじ)りの哲学者メ。「御両親のところで、当分落ちつくんですか……」「私の両親なんて、私と同様に貧乏で間借りですから、長くは居りませんよ。十二社の方は焼けてやしないでしょうかね。」「さあ、郊外は朝鮮人が大変だそうですね。」「でも行って来ましょう。」「そうですか、水道橋までおくってあげましょうか。」 青年は土に突きさした洋傘を取って、クルクルまわしながら雲の間から霧のように降りて来る灰をはらった。私は四畳半の蚊帳をたたむと、崩れかけた下宿へ走った。宿の人達は、みんな荷物を片づけていた。「林さん大丈夫ですか、一人で……」 皆が心配してくれるのを振りきって、私は木綿の風呂敷を一枚持って、時々小さい地震のしている道へ出て行った。根津の電車通りはみみずのように野宿の群がつらなっていた。青年は真黒に群れた人波を分けて、くるくる黒い洋傘をまわして歩いている。 私は下宿に昨夜間代を払わなかった事を何だかキセキのように考えている。お天陽(てんとう)様相手に商売をしているお父さん達の事を考えると、この三十円ばかりの月給も、おろそかにはつかえない。途中一升一円の米を二升買った。外に朝日を五つ求める。 干しうどんの屑を五十銭買った。母達がどんなに喜んでくれるだろうと思うなり。じりじりした暑さの中に、日傘のない私は長い青年の影をふんで歩いた。「よくもこんなに焼けたもんですね。」 私は二升の米を背負って歩くので、はつか鼠くさい体臭がムンムンして厭(いや)な気持ちだった。「すいとんでも食べましょうか。」「私おそくなるから止(よ)しますわ。」 青年は長い事立ち止って汗をふいていたが、洋傘をくるくるまわすとそれを私に突き出して云った。「これで五十銭貸して下さいませんか。」 私はお伽話(とぎばなし)的なこの青年の行動に好ましい微笑を送った。そして気持ちよく桃色の五十銭札を二枚出して青年の手にのせてやった。「貴方はお腹がすいてたんですね……」「ハッハッ……」青年はそうだと云ってほがらかに哄笑(こうしょう)していた。「地震って素敵だな!」 十二社までおくってあげると云う青年を無理に断って、私は一人で電車道を歩いた。あんなに美しかった女性群が、たった二三日のうちに、みんな灰っぽくなってしまって、桃色の蹴出(けだ)しなんかを出して裸足(はだし)で歩いているのだ。 十二社についた時は日暮れだった。本郷からここまで四里はあるだろう。私は棒のようにつっぱった足を、父達の間借りの家へ運んだ。「まあ入れ違いですよ。今日引っ越していらっしたんですよ。」「まあ、こんな騒ぎにですか……」「いいえ私達が、ここをたたんで帰国しますから。」 私は呆然としてしまった。番地も何も聞いておかなかったと云う関西者らしい薄情さを持った髪のうすいこの女を憎らしく思った。私は堤の上の水道のそばに、米の風呂敷を投げるようにおろすと、そこへごろりと横になった。涙がにじんできて仕方がない。遠くつづいた堤のうまごやしの花は、兵隊のように皆地べたにしゃがんでいる。 星が光りだした。野宿をするべく心をきめた私は、なるべく人の多いところの方へ堤を降りて行くと、とっつきの歪んだ床屋の前にポプラで囲まれた広場があった。そこには、二三の小家族が群れていた。私がそこへ行くと、「本郷から、大変でしたね……」と、人のいい床屋のお上さんは店からアンペラを持って来て、私の為(た)めに寝床をつくってくれたりした。高いポプラがゆっさゆっさ風にそよいでいる。「これで雨にでも降られたら、散々ですよ。」 夜警に出かけると云う、年とった御亭主が鉢巻をしながら空を見てつぶやいていた。(九月×日) 朝。 久し振りに鏡を見てみた。古ぼけた床屋さんの鏡の中の私は、まるで山出しの女中のようだ。私は苦笑しながら髪をかきあげた。油っ気のない髪が、ばらばら額にかかって来る。床屋さんにお米二升をお礼に置いた。「そんな事をしてはいけませんよ。」 お上さんは一丁ばかりおっかけて来て、お米をゆさゆさ抱えて来た。「実は重いんですから……」 そう云ってもお上さんは二升のお米を困る時があるからと云って、私の背中に無理に背負わせてしまった。昨日来た道である。相変らず、足は棒のようになっていた。若松町まで来ると、膝(ひざ)が痛くなってしまった。すべては天真ランマンにぶつかってみましょう。私は、罐詰(かんづめ)の箱をいっぱい積んでいる自動車を見ると、矢もたてもたまらなくなって大きい声で呼んでみた。「乗っけてくれませんかッ。」「どこまで行くんですッ!」 私はもう両手を罐詰の箱にかけていた。順天堂前で降ろされると、私は投げるように、四ツの朝日を運転手達に出した。「ありがとう。」「姉さんさよなら……」 みんないい人達である。 私が根津の権現様の広場へ帰った時には、大学生は例の通り、あの大きな蝙蝠(こうもり)傘の下で、気味の悪い雲を見上げていた。そして、その傘の片隅には、シャツを着たお父さんがしょんぼり煙草をふかして私を待っていたのだ。「入れ違いじゃったそうなのう……」と父が云った。もう二人とも涙がこぼれて仕方がなかった。「いつ来たの? 御飯たべた? お母さんはどうしています?」 矢つぎ早やの私の言葉に、父は、昨夜朝鮮人と間違えられながらやっと本郷まで来たら、私と入れ違いだった事や、疲れて帰れないので、学生と話しながら夜を明かした事など物語った。私はお父さんに、二升の米と、半分になった朝日と、うどんの袋をもたせると、汗ばんでしっとりとしている十円札を一枚出して父にわたした。「もらってええかの?……」 お父さんは子供のようにわくわくしている。「お前も一しょに帰らんかい。」「番地さえ聞いておけば大丈夫ですよ、二三日内には又行きますから……」 道を、叫びながら、人を探している人の声を聞いていると、私もお父さんも切なかった。「産婆さんはお出でになりませんかッ……どなたか産婆さん御存知ではありませんか!」 と、産婆を探して呼んでいる人もいた。(九月×日) 街角の電信柱に、初めて新聞が張り出された。久しぶりになつかしいたよりを聞くように、私も大勢の頭の後から新聞をのぞきこんだ。 ――灘(なだ)の酒造家より、お取引先に限り、酒荷船に大阪まで無料にてお乗せいたします。定員五十名。 何と云う素晴らしい文字だろう。ああ私の胸は嬉しさではち切れそうだった。私の胸は空想でふくらんだ。酒屋でなくったってかまうものかと思った。 旅へ出よう。美しい旅の古里へ帰ろう。海を見て来よう――。 私は二枚ばかりの単衣(ひとえ)を風呂敷に包むと、それを帯の上に背負って、それこそ飄然(ひょうぜん)と、誰にも沈黙(だま)って下宿を出てしまった。万世(まんせい)橋から乗合の荷馬車に乗って、まるでこわれた羽子板のようにガックンガックン首を振りながら長い事芝浦までゆられて行った。道中費、金七十銭也。高いような、安いような気持ちだった。何だか馬車を降りた時は、お尻が痺(しび)れてしまっていた。すいとん――うであずき――おこわ――果物――こうした、ごみごみと埃をあびた露店の前を通って行くと、肥料くさい匂いがぷんぷんしていて、芝浦の築港には鴎(かもめ)のように白い水兵達が群れていた。「灘の酒船の出るところはどこでしょうか?」と人にきくと、ボートのいっぱい並んでいる小屋のそばの天幕の中に、その事務所があるのがわかった。「貴女お一人ですか……」 事務員の人達は、みすぼらしい私の姿をジロジロ注視(み)ていた。「え、そうです。知人が酒屋をしてまして、新聞を見せてくれたのです。是非乗せて戴(いただ)きたいのですが……国では皆心配してますから。」「大阪からどちらです。」「尾道です。」「こんな時は、もう仕様おまへん。お乗せしますよってに、これ落さんように持って行きなはれ……」 ツルツルした富久娘(ふくむすめ)のレッテルの裏に、私の東京の住所と姓名と年齢と、行き先を書いたのを渡してくれた。これは面白くなって来たものだ。何年振りに尾道へ行く事だろう。あああの海、あの家、あの人、お父さんや、お母さんは、借金が山ほどあるんだから、どんな事があっても、尾道へは行かぬように、と云っていたけれど、少女時代を過したあの海添いの町を、一人ぽっちの私は恋のようにあこがれている。「かまうもんか、お父さんだって、お母さんだって知らなけりゃ、いいんだもの?」鴎のような水兵達の間をくぐって、酒の匂いのする酒荷船へ乗り込むことが出来た。――七十人ばかりの乗客の中に、女といえば、私と取引先のお嬢さんであろう水色の服を着た娘と、美しい柄の浴衣を着た女と三人きりである。その二人のお嬢さん達は、青い茣蓙(ござ)の上に始終横になって雑誌を読んだり、果物を食べたりしていた。 私と同じ年頃なのに、私はいつも古い酒樽(さかだる)の上に腰をかけているきりで、彼女達は、私を見ても一言も声を掛けてはくれない。「ヘエ! お高く止っているよ。」あんまり淋しいんで、声に出してつぶやいてみた。 女が少ないので船員達が皆私の顔を見ている。ああこんな時こそ、美しく生れて来ればよかったと思う。私は切なくなって船底へ降りてゆくと、鏡をなくした私は、ニッケルのしゃぼん箱を膝でこすって、顔をうつしてみた。せめて着物でも着替えましょう。井筒の模様の浴衣にきかえると、落ちついた私の耳のそばでドッポンドッポンと波の音が響く。(九月×日) もう五時頃であろうか、様々な人達の物凄(ものすご)い寝息と、蚊にせめられて、夜中私は眠れなかった。私はそっと上甲板に出ると、吻(ほっ)と息をついた。美しい夜あけである。乳色の涼しいしぶきを蹴って、この古びた酒荷船は、颯々(さっさつ)と風を切って走っている。月もまだうすく光っていた。「暑くてやり切れねえ!」 機関室から上って来たたくましい船員が、朱色の肌を拡げて、海の涼風を呼んでいる。美しい風景である。マドロスのお上さんも悪くはないなと思う。無意識に美しいポーズをつくっているその船員の姿をじっと見ていた。その一ツ一ツのポーズのうちから、苦しかった昔の激情を呼びおこした。美しい夜あけであった。清水港が夢のように近づいて来た。船乗りのお上さんも悪くはない。 午前八時半、味噌汁と御飯と香の物で朝食が終る。お茶を呑んでいると、船員達が甲板を叫びながら走って行った。「ビスケットが焼けましたから、いらっして下さい!」 上甲板に出ると、焼きたてのビスケットを私は両の袂(たもと)にいっぱいもらった。お嬢さん達は貧民にでもやるように眺めて笑っている。あの人達は私が女である事を知らないでいるらしい。二日目であるのに、まだ、一言も声をかけてはくれない。この船は、どこの港へも寄らないで、一直線に大阪へ急いで走っているのだから嬉しくて仕方がない。 料理人の人が「おはよう!」と声をかけてくれたので、私は昨夜蚊にせめられて寝られなかった事を話した。「実は、そこは酒を積むところですから蚊が多いんですよ。今日は船員室でお寝(やす)みなさい。」 この料理人は、もう四十位だろうけれど、私と同じ位の背の高さなのでとてもおかしい。私を自分の部屋に案内してくれた。カーテンを引くと押入れのような寝室がある。その料理人は、カーネエションミルクをポンポン開けて私に色んなお菓子をこしらえてくれた。小さいボーイがまとめて私の荷物を運んで来ると、私はその寝室に楽々と寝そべった。一寸(ちょっと)頭を上げると枕もとの円い窓の向うに大きな波のしぶきが飛んでいる。今朝の美しい機関士も、ビスケットをボリボリかみながら一寸覗(のぞ)いて通る。私は恥かしいので寝たふりをして顔をふせていた。肉を焼く美味(おい)しそうな油の匂いがしていた。「私はね、外国航路の厨夫(ちゅうふ)だったんですが、一度東京の震災を見たいと思いましてね、一と船休んで、こっちに連れて来て貰ったんですよ。」 大変丁寧な物云いをする人である。私は高い寝台の上から、足をぶらさげて、御馳走を食べた。「後でないしょでアイスクリームを製(つく)ってあげますよ。」本当にこの人は好人物らしい。神戸に家があって、九人の子持ちだとこぼしていた。 船に灯がはいると、今晩は皆船底に集まってお酒盛りだと云う。料理人の人達はてんてこ舞いで忙がしい。――私は灯を消して、窓から河のように流れ込む潮風を吸っていた。フッと私は、私の足先に、生あたたかい人肌を感じた。人の手だ! 私は枕元のスイッチを捻(ひね)った。鉄色の大きな手が、カーテンの外に引っこんで行くところである。妙に体がガチガチふるえてくる。どうしていいのかわからないので、私は大きなセキをした。 やがて、カーテンの外に呶鳴(どな)っている料理人の声がした。「生意気な! 汚ない真似をしよると承知せんぞ!」 サッとカーテンが開くと、料理庖丁(ぼうちょう)のキラキラしたのをさげて、料理人のひとが、一人の若い男の背中を突いてはいって来た。そのむくんだ顔に覚えはないけれど、鉄色の手にはたしかに覚えがあった。何かすさまじい争闘が今にもありそうで、その料理庖丁の動く度びに、私は冷々とした思いで、私は幾度か料理人の肩をおさえた。「くせになりますよッ!」 機関室で、なつかしいエンジンの音がしている。手をはなしながら、私は沈黙ってエンジンの音を聞いていた。...more27minPlay
April 24, 2012林 芙美子 放浪記第二部 その2参照テキスト:青空文庫図書カード№1813音声再生時間:25分26秒このブラウザでは再生できません。*(六月×日) 烈々とした太陽が、雲を裂き空を裂き光っている。帯の間にしまった二通の履歴書は、ぐっしょり汗ばんでしまった。暑い。新富河岸(しんとみがし)の橋を曲線(カーヴ)しながら、電車は新富座に突きささりそうに朽ちた木橋を渡って行く。坂本町で降りると、汚い公園が目の前にあった。金でもあれば氷のいっぱいも呑んで行くのだけれど、ああこのジトジトした汗の体臭はけいべつされるに違いない。石突きの長いパラソルの柄に頬をもたせて、公園の汚れたベンチに私は涼風をもとめてすずんでいた。「オイ! 姉さん、五銭ほど俺にくんないかね……」 驚いて振り返って見ると、垢(あか)もぶれな手拭を首に巻いた浮浪者が私の後に立っていた。「五銭? 私二銭しか持たないんですよ、電車切符一枚と、それきり……」「じゃア二銭おくれよ。」 三十も過ぎているだろうこのガンジョウな男が、汗ばんだ二銭を私からもらうと、共同便所の方へ行ってしまった。あの人に二銭あげてあの人はあんなに喜んで行ったんだから、私にもきっといい事があるに違いない。玩具(おもちゃ)箱をひっくり返したような公園の中には、樹とおんなじように埃をかぶった人間が、あっちにもこっちにもうろうろしている。 茅場町(かやばちょう)の交叉点(こうさてん)から一寸右へはいったところに、イワイと云う株屋がみつかった。薄暗い鉄格子のはまった事務室には遊び人風の男や、忙がし気に走りまわっている小僧やまるで人種の違ったところへ来た感じだった。「月給は弁当つき三十五円でしてね、朝は九時から、ひけは四時です。ところで玉(ぎょく)づけが出来ますかね。」「玉づけって何です?」「簿記ですよ。」「少しぐらいは出来ようと思います。」 まあ、月給が弁当つき三十五円なんて! 何とすばらしい虹の世界だろう――。三十五円、これだけあれば、私は親孝行も出来る。 お母さんや! お母さんや! あなたに十円位も送れたらあんたは娘の出世に胸がはちきれて、ドキドキするでしょうね。「ええ玉づけだって、何だってやります。」「じゃアやって見て下さい、そして二三日してからきめましょう――」 白い絹のワイシャツを、帆のように扇風器の風でふくらましたこの頭の禿(は)げた男は、私を事務机の前に連れて行ってくれた。大きな、まるで岩のような事務机を前にすると、三十五円の憂鬱が身にしみて、玉づけだって何だって出来ますと云った事が、おそろしく思えてきた。小僧が持って来た大きい西洋綴りの帳面を開くと、それは複式簿記で、私の一寸知っている簿記とは、はるかに縁遠いものだった。目がくらみそうに汗が出る。生れてかつて見た事もないような、長い数字の行列、数字を毎日書き込んだり、珠算を入れるとなると、私は一日で完全に、キチガイになってしまうだろう。でも私は珠算をいかにもうまそうにパチパチ弾(はじ)きながら子供の頃、算術で丙ばかりもらっていた事を思い出して、胸が冷たくなるような気がした。これだけの長い数字が、どれだけ我々の人生に必要なのだろうか、ふっと頭を上げると小僧が氷あずきをおやつに持って来てくれている。私は浅ましくもうれし涙がこぼれそうだった。氷と数字、赤や青の直線、簿記棒で頭をコツコツやりながら、でたらめな数字を書き込んだのが恐ろしくなっている。 帰ってみたら電報が来ていた。 シュッシャニオヨバズ。 えへだ! あんなに大きい数字を毎日毎日加えてゆかなくちゃならない世界なんて、こっちから行きたくもありませんよだ。成金になりたい理想も、あんな大きな数字でへこたれるようでは一生駄目らしい。(六月×日) 二階から見ると、赤いカンナの花が隣の庭に咲いている。 昨夜、何かわけのわからない悲しさで、転々ところがりながら泣いた私の眼に、白い雲がとてもきれいだった。隣の庭のカンナの花を見ていると、昨夜の悲しみが又湧(わ)いて来て、熱い涙が流れる。いまさら考えて見るけれど、生活らしいことも、恋人らしい好きなひとも、勉強らしい勉強も出来なかった自分のふがいなさが、凪(なぎ)の日の舟のように侘(わび)しくなってくる。こんどは、とても好きなひとが出来たら、眼をつぶってすぐ死んでしまいましょう。こんど、生活が楽になりかけたら、幸福がズルリと逃げないうちにすぐ死んでしまいましょう。 カンナの花の美しさは、瞬間だけの美しさだが、ああうらやましいお身分だよだ。またのよには、こんな赤いカンナの花にでも生れかわって来ましょう。昼から、千代田橋ぎわの株屋へ行ってみる。 ――[#ここから横組み]1 2 3 4 5 6 7 8 9 10[#ここで横組み終わり]―― これだけの数字を何遍も書かせられると、私は大勢の応募者達と戸外へ出ていった。女事務員入用とあったけれど、又、簿記をつけさせるのかしら、でも、沢山の応募者達を見ると、当分私は風の子供だ。 明石(あかし)の女もメリンスの女も、一歩外に出ると、睨(にら)みあいを捨ててしまっている。「どちらへお帰りですの?」 私はこの魚群のような女達に別れて、銀座まで歩いてみた。銀座を歩いていると、なぜか質屋へ行くことを考えている。とある陳列箱の中の小さな水族館では、茎のような細い鮎(あゆ)が、何尾も泳いでいた。銀座の鋪道(ほどう)が河になったら面白いだろうと思う。銀座の家並が山になったらいいな、そしてその山の上に雪が光っていたらどんなにいいだろう……。赤煉瓦(れんが)の鋪道の片隅に、二銭のコマを売っている汚れたお爺さんがいた。人間って、こんな姿をしてまでも生きていなくてはならないのかしら、宿命とか運命なんて、あれは狐つきの云う事でしょうね、お爺さん! ナポレオンのような戦術家になって、そんな二銭のコマで停滞する事は止(や)めて下さい。コマ売りの老人の同情を強いる眼を見ていると、妙に嘲笑(ちょうしょう)してやりたくなる。あんなものと私と同族だなんて、ああ汚れたものと美しいものとけじめのつかない錯覚だらけのガタガタの銀座よ……家へかえったら当分履歴書はお休みだ。空と風と河と樹とみんな秋の種子流れて 飛んで 夜。 電気を消して畳に寝転んでいると、雲のない夜の空に大きい月が出ている。歪(ゆが)んだ月に、指を円めて覗(のぞ)き眼鏡していると、黒子(ほくろ)のようなお月さん! どこかで氷を削る音と風鈴が聞える。「こんなに私はまだ青春があるのです。情熱があるんですよお月さん!」両手を上げて何か抱き締めてみたい侘しさ、私は月に光った自分の裸の肩をこの時程美しく感じた事はない。壁に凭れると男の匂いがする。ズシンと体をぶっつけながら、何か口惜(くや)しさで、体中の血が鳴るように聞える。だが呆然(ぼんやり)と眼を開くと、血の鳴る音がすっと消えてお隣でやっている蓄音器のマズルカの、ピチカットの沢山はいった嵐の音が美しく流れてくる。大陸的なそのヴァイオリンの音を聞いていると、明日のない自分ながら、生きなくては嘘だと云う気持ちが湧いて来るのだった。(六月×日) おとつい行った株屋から速達が来た。×日より御出社を乞う。私は胸がドキドキした。今日から株屋の店員さんだ。私は目の前が明るくなったような気がした。パラソルを二十銭で屑屋(くずや)に売った。 日立商会、これが私のこれからお勤めするところなり。隣が両替屋、前が千代田橋、横が鶏肉(とりにく)屋、橋の向うが煙草屋、電車から降りると、私は色んなものが豊かな気持ちで目についた。荻谷文子、これが私の相棒で、事務机に初めて差しむかいになると、二人共笑ってしまった。「御縁がありましたのねイ。」「ええ本当に、どうぞよろしくお願いします。」 この人は袴(はかま)をはいて来ているが、私も袴をはかなくちゃいけないのかしら……。二人の仕事はおトクイ様に案内状を出す事と、カンタンな玉づけをならって行く事だった。相棒の彼女は、岐阜の生まれで小学校の教師をしていたとかで、ネーと云う言葉が非常に強い。「そうしてねイー」二人の小僧が真似をしては笑う。お昼の弁当も美味(うま)し、鮭(さけ)のパン粉で揚げたのや、いんげんの青いの、ずいきのひたし、丹塗(にぬ)りの箱を両手にかかえて、私は遠いお母さんの事を思い出していた。 ニイカイ サンヤリ! 自転車で走って小僧がかえって来ると、店の人達は忙がしそうにそれを黒板に書きつけたり電話をしている。「奥のお客さんにお茶を一ツあげて下さい。」 重役らしい人が私の肩を叩いて奥を指差す。茶を持ってドアをあけると、黒眼鏡をかけた色の白い女のひとが、寒暖計の表のような紙に、赤鉛筆でしるしをつけていた。「オヤ! これはありがとう、まあ、ここには女の人もいるのね、暑いでしょう……」 黒ずくめの恰好をした女のひとは、帯の間から五十銭銀貨二枚を出すと、氷でも召し上れと云って、私の掌にのせてくれた。 こんなお金を月給以外にもらっていいのかしら……前の重役らしい人に聞くと、くれるものはもらっておきなさいと云ってくれた。社の帰り、橋の上からまだ高い陽をながめて、こんなに楽な勤めならば勉強も出来ると思った。「貴女はまだ一人なの?」 袴をはいて靴を鳴らしている彼女は、気軽そうに口笛を吹いて私にたずねた。「私二十八なのよ、三十五円くらいじゃ食えないわね。」 私は黙って笑っていた。(七月×日) 大分仕事も馴れた。朝の出勤はことに楽しい。電車に乗っていると、勤めの女達が、セルロイドの円い輪のついた手垂(てさ)げ袋を持っている。月給をもらったら私も買いたいものだ。階下の小母さんはこの頃少し機嫌よし。――社へ行くと、まだ相棒さんは見えなくて、若い重役の相良(さがら)さんが一人で、二階の広い重役室で新聞を読んでいた。「お早うございます。」「ヤア!」 事務服に着かえながら、ペンやインキを机から出していると、「ここの扇風器をかけて。」と呼んでいる。 私は屑箱を台にすると、高いかもいのスイッチをひねった。白い部屋の中が泡立つような扇風器の音、「アラ?」私は相良さんの両手の中にかかえられていた。心に何の用意もない私の顔に大きい男の息がかかって来ると、私は両足で扇風器を突き飛ばしてやった。「アッハハハハハいまのはじょうだんだよ。」 私は梯子段を飛びおりると、薄暗いトイレットの中でジャアジャア水を出した。頬を強く押した男の唇が、まだ固くくっついているようで、私は鏡を見ることがいやらしかった。「いまのはじょうだんだよ……」 何度顔を洗ってもこの言葉がこびりついている。「怒った! 馬鹿だね君は……」 ジャアジャア水を出している私を見て、降りて来た相良さんは笑って通り過ぎた。 昼。 黒い眼鏡の夫人と一緒に場の中へ行ってみる。高いベランダのようなところから拍子木が鳴ると、若い背ビロの男が、両手を拡げてパンパン手を叩いている。「買った! 買った!」ベランダの下には、芋をもむような人の頭、夫人は黒眼鏡をズリ上げながら、メモに何か書きつける。 夫人を自動車のあるところまでおくると、また、小さなのし袋に一円札のはいったのをもらう。何だかこんな幸運もまたズルリと抜けてゆきそうだ。帰ると、合百師(ごうひゃくし)達や小僧が丁半でアミダを引いていた。「ねイ林さん! 私達もしない? 面白そうよ。」 茶碗を伏せては、サイコロを振って、皆で小銭を出しあっていた。「おい姉さん! はいんなよ……」「…………」「はいるといいものを見せてやるぜ。生れて初めてだわって、嬉しがる奴を見せてやるがどうだい。」 羽二重のハッピをゾロリと着ながした一人の合百師が、私の手からペンを取って向うへ行ってしまった。「アラ! そんないいもの……じゃアはいるわ、お金そんなにないから少しね。」「ああ少しだよ、皆でおいなりさん買うんだってさ……」「じゃ見せて!」 相棒はペンを捨てて皆のそばへ行くと、大きいカンセイがおきる。「さあ! 林さんいらっしゃいよ。」 私も声につられて店の間へ行って見る。ハッピの裏いっぱいに描いた真赤な絵に私は両手で顔をおおうた。「意気地がねえなア……」 皆は逃げ出している私の後から笑っていた。 夜。 ひとりで、新宿の街を歩いた。(七月×日)「ああもしもし××の家(や)ですか? こちらは須崎ですがねイ、今日は一寸行かれませんから、明日の晩いらっしゃるそうです。××さんにそう云って下さいねイ。」 又、重役が、どっか芸者屋へ電話をかけさせているのだろう、荻谷さんのねイがビンビンひびいている。「ねイ! 林さん、今晩須崎さんがねイ、浅草をおごってくれるんですって……」 私達は事務を早目に切りあげると、小僧一人を連れて、須崎と荻谷と私と四人で自動車に乗った。この須崎と云う男は上州の地主で、古風な白い浜縮緬(はまちりめん)の帯を腰いっぱいぐるぐる巻いて、豚のように肥った男だった。「ちんやにでも行くだっぺか!」 私も荻谷も吹き出して笑った。肉と酒、食う程に呑む程に、この豚男の自惚(うぬぼれ)話を聞いて、卓子の上は皿小鉢の行列である。私は胸の中かムンムンつかえそうになった。ちんやを出ると、次があらえっさっさの帝京座だ。私は頭が痛くなってしまった。赤いけだしと白いふくらっぱぎ、群集も舞台もひとかたまりになって何かワンワン唸りあっている。こんな世界をのぞいた事もない私は、妙に落ちつかなかった。小屋を出ると、ラムネとアイスクリーム屋の林立の浅草だ。上州生れのこの重役は、「ほう! お祭のようだんべえ。」とあたりをきょろきょろながめていた。 私は頭が痛いので、途中からかえらしてもらう。荻谷女史は妙に須崎氏と離れたがらなかった。「二人で待合へでも行くつもりでしょう。」 小僧は須崎氏からもらった、電車の切符を二枚私に裂いてくれた。「さよなら、又あした。」 家へかえると、八百屋と米屋と炭屋のつけが来ていた。日割でもらっても少しあまるし、来月になったら国へ少し送りましょう。階下でかたくりのねったのをよばれる。床へはいったのが十一時、今夜も隣のマズルカが流れて来る。コウフンして眠れず。...more26minPlay
April 22, 2012林 芙美子 放浪記第二部 その1参照テキスト:青空文庫図書カード№1813音声再生時間:24分23秒このブラウザでは再生できません。 第二部[#改ページ](一月×日)私は野原へほうり出された赤いマリ力強い風が吹けば大空高く鷲(わし)の如く飛びあがるおお風よ叩け燃えるような空気をはらんでおお風よ早く赤いマリの私を叩いてくれ(一月×日) 雪空。 どんな事をしてでも島へ行ってこなくてはいけない。島へ行ってあのひとと会って来よう。「こっちが落目になったけん、馬鹿にしとるとじゃろ。」 私が一人で島へ行く事をお母さんは賛成をしていない。「じゃア、今度島へお母さん達が行くときには連れて行って下さい。どうしても会って話して来たいもの……」 私に「サーニン」を送ってよこして、恋を教えてくれた男じゃないか、東京へ初めて連れて行ったのもあの男、信じていていいと言ったあのひとの言葉が胸に来る。――波止場には船がついたのか、低い雲の上に、船の煙がたなびいていた。汐風(しおかぜ)が胸の中で大きくふくらむ。「気持ちのなくなっているものに、さっちついて行く事もないがの……サイナンと思うてお母さん達と一緒に又東京へ行った方がええ。」「でも、一度会うて話をして来んことには、誰だって行き違いと云う事はあるもの……」「考えてみなさい、もう去年の十一月からたよりがないじゃないかの、どうせ今は正月だもの、本気に考えがあれば来るがの、あれは少し気が小さいけん仕様がない。酉(とり)年はどうもわしはすかん。」 私は男と初めて東京へ行った一年あまりの生活の事を思い出した。 晩春五月のことだった。散歩に行った雑司(ぞうし)ヶ谷(や)の墓地で、何度も何度もお腹(なか)をぶっつけては泣いた私の姿を思い出すなり。梨のつぶてのように、私一人を東京においてけぼりにすると、いいかげんな音信しかよこさない男だった。あんなひとの子供を産んじゃア困ると思った私は、何もかもが旅空でおそろしくなって、私は走って行っては墓石に腹をドシンドシンぶっつけていたのだ。男の手紙には、アメリカから帰って来た姉さん夫婦がとてもガンコに反対するのだと云っている。家を出てでも私と一緒になると云っておいて、卒業あと一年間の大学生活を私と一緒にあの雑司ヶ谷でおくったひとだのに、卒業すると自分一人でかえって行ってしまった。あんなに固く信じあっていたのに、お養父(とう)さんもお母さんも忘れてこんなに働いていたのに、私は浅い若い恋の日なんて、うたかたの泡(あわ)よりはかないものだと思った。「二三日したら、わしも商売に行くけん、お前も一度行って会うて見るとええ。」 そろばんを入れていたお養父さんはこう言ってくれたりした。尾道(おのみち)の家は、二階が六畳二間、階下は帆布と煙草を売るとしより夫婦が住んでいる。「随分この家も古いのね。」「あんたが生れた頃、この家は建ったんですよ。十四五年も前にゃア、まだこの道は海だったが、埋立して海がずっと向うへ行きやんした。」 明治三十七年生れのこの煤(すす)けた浜辺の家の二階に部屋借りをして、私達親子三人の放浪者は気安さを感じている。「汽車から見て、この尾道はとても美しかったもんのう。」 港の町は、魚も野菜もうまいし、二度目の尾道帰りをいつもよろこんでいて、母は東京の私へ手紙をよこしていた。帰ってみると、家は違っていても、何もかもなつかしい。行李(こうり)から本を出すと、昔の私の本箱にはだいぶ恋の字がならんでいる。隣室は大工さん夫婦、お上(かみ)さんはだるま上りの白粉(おしろい)の濃い女だった。今晩、町は、寒施行(かんせぎょう)なので、暗い寒い港町には提灯(ちょうちん)の火があっちこっち飛んでいた。赤飯に油揚げを、大工さんのお上さんは白粉くさい手にいっぱいこんなものを持って来てくれた。「おばさんは、二三日うち島へ行きなさるな?」「この十五日が工場の勘定日じゃけん、メリヤスを少し持って行こうと思ってますけに……」「私のうちも船の方じゃあ仕事が日がつまんから、何か商売でもしたら云うて、繻子(しゅす)足袋の再製品を聞いたんじゃけど、どんなもんだろうな?」「そりゃアよかろうがな、職工はこの頃景気がよかとじゃけん、品さえよけりゃ買うぞな、商売は面白かもん私と行ってみなさい、これに手伝わせてもええぞな。」「そいじゃ、おばさんと一緒にお願い申しましょう。」 船大工もこのごろ工賃が安くて人が多いし、寒い浜へ出るのは引きあわない話だそうな。 夕方。 ドックに勤めている金田さんが、「自然と人生」と云う本を持って来てくれる。金田さんは私の小学校友達なり。本を読む事が好きな人だ。桃色のツルツルしたメクリがついていて、表紙によしの芽のような絵が描いてあった。 ――勝てば官軍、負けては賊の名をおわされて、降り積む雪を落花と蹴散(けちら)し。暗くなるまで波止場の肥料置場でここを読む。紫のひふを着た少女の物語り、雨後の日の夜のあばたの女の物語など、何か、若い私の胸に匂いを運んでくれる。金田さんは、みみずのたわごとが面白いと云っていた。十時頃、山の学校から帰って来ると、お養父さんが、弄花(はな)をしに行ってまだ帰らないのだと母は心配していた。こんな寒い夜でもだるま船が出るのか、お養父さんを迎えに町へ出てみると、雁木(がんぎ)についたランチから白い女の顔が人魂(ひとだま)のようにチラチラしていた。いっそ私も荒海に身を投げて自殺して、あの男へ情熱を見せてやろうかしらとも思う、それともひと思いに一直線に墜落して、あの女達の群にはいってみようかと思う。(一月×日) 島で母達と別れると、私は磯づたいに男の村の方へ行った。一円で買った菓子折を大事にかかえて因(いん)の島(しま)の樋(とい)のように細い町並を抜けると、一月の寒く冷たい青い海が漠々と果てもなく広がっていた。何となく胸の焼ける思いなり。あのひととはもう三カ月も会わないのだもの、東京での、あの苦しかった生活をあのひとはすぐ思い出してくれるだろう……。丘の上は一面の蜜柑(みかん)山、実のなったレモンの木が、何か少女時代の風景のようでとてもうれしかった。 牛二匹。腐れた藁(わら)屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも、霧のような美しい光芒(こうぼう)を散らしていた。畳をあげた表の部屋には、あのひとの羽織がかけてあった。こんな長閑(のどか)な住居にいる人達が、どうして私の事を、馬の骨だの牛の骨だのなんかと言うのだろうか、沈黙(だま)って砂埃(すなぼこり)のしている縁側に腰をかけていると、あの男のお母さんなのだろう、煤けて背骨のない藁人形のようなお婆さんが、鶏を追いながら裏の方から出て来た。「私、尾道から来たんでございますが……」「誰をたずねておいでたんな。」 声には何かトゲトゲとした冷たさがあった。私は誰を尋ねて来たかと訊(き)かれると、少女らしく涙があふれた。尾道でのはなし、東京でのはなし、私は一年あまりのあのひととの暮しを物語って見た。「私は何も知らんけん、そのうち又誰ぞに相談しときましょう。」「本人に会わせてもらえないでしょうか。」 奥から、あのひとのお父さんなのか、六十近い老人が煙管(きせる)を吹き吹き出て来る。結局は、アメリカから帰った姉さん夫婦が反対の由なり。それに本人もこの頃造船所の庶務課に勤めがきまったので、あんまり幸福を乱さないでくれと言う事だった。こんな煤けたレモンの山裾に、数万円の財産をお守りして、その日その日の食うものもケンヤクしている百姓生活。あんまり人情がないと思ったのか、あのひとのお父さんは、今日は祭だから、飯でも食べて行けと云った。女は年を取ると、どうして邪ケンになるものだろう。お婆さんはツンとして腰に繩帯を巻いた姿で、牛小屋にはいって行った。真黒いコンニャクの煮〆(にしめ)と、油揚げ、里芋、雑魚の煮つけ、これだけが祭の御馳走である。縁側で涙をくくみながらよばれていると、荒れた水田の小道を、なつかしい顔が帰って来ている。 私を見ると、気の弱い男は驚いて眼をタジタジとさせていた。「当分は、一人で働きたいと云っとるんじゃから、帰ってもおこらんで、気ながに待っておって下さい。何しろあいつの姉の云う事には、一軒の家もかまえておらん者の娘なんかもらえんと云うのだから……」 お父さんの話だ。あのひとは沈黙って首をたれていた。――どう煎(せん)じ詰めても、あんなにも勇ましいと思っていた男が沈黙っていて一言も云ってくれないのでは、私が百万べん言っても動いてくれるような親達ではない。私は初めて空漠とした思いを感じた。男と女の、あんなにも血も肉も焼きつくような約束が、こんなにたあいもなく崩れて行くものだろうかと思う。私は菓子折をそこへ置くと、蜜柑山に照りかえった黄いろい陽を浴びて村道に出た。あの男は、かつてあの口から、こんなことを云ったことがある。「お前は、長い間、苦労ばかりして来たのでよく人をうたがうけれども、子供になった気持ちで俺を信じておいで……」 一月の青く寒く光っている海辺に出ると、私はぼんやり沖を見ていた。「婆さんが、こんなものをもらう理由はないから、返して来いと云うんだよ。」 私に追いすがった男の姿、お話にならないオドオドした姿だった。「もらう理由がない? そう、じゃ海へでもほかして下さい、出来なければ私がします。」 男から菓子折を引き取ると、私はせいいっぱいの力をこめてそれを海へ投げ捨てた。「とても、あの人達のガンコさには勝てないし、家を出るにしても、田舎でこそ知人の世話で仕事があるんだが、東京なんかじゃ、大学出なんか食えないんだからね。」 私は沈黙って泣いていた。東京での一年間、私は働いてこの男に心配かけないでいた心づかいを淋しく思い出した。「何でもいいじゃありませんか、怒って私が菓子折を海へ投げたからって、貴方に家を出て下さいなんて云うんじゃありませんもの。私はそのうち又ひとりで東京へ帰ります。」 砂浜の汚い藻(も)の上をふんで歩いていると、男も犬のように何時(いつ)までも沈黙って私について来た。「おくってなんかくれなくったっていいんですよ。そんな目先きだけの優しさなんてよして下さい。」 町の入口で男に別れると、体中を冷たい風が吹き荒れるような気がした。会ったらあれも言おう、これも言おうと思っていた気持ちが、もろく叩きこわされている。東京で描いていたイメージイが愚にもつかなかったと思えて、私はシャンと首をあげると、灰色に蜿蜒(えんえん)と続いた山壁を見上げた。 造船所の入口には店を出したお養父さんとお母さんが、大工のお上さんと、もう店をしまいかけていた。「オイ、この足袋は紙でこしらえたのかね、はいたと思ったらじき破れたよ。」 薬で黒く色染めしてあるので、はくとすぐピリッと破れるらしい。「おばさん! 私はもう帰りますよ。皆おこって来そうで、おそろしいもん……」大工のお上さんは、再製品のその繻子足袋を一足七十銭に売っているんだからとても押が太かった。大工の上さんが一船先へ帰ると云うので、私も連れになって、一緒に船着場へ行く。「さあ、船を出しますで!」 船長さんが鈴を鳴らすと、利久下駄をカラカラいわせていた大工の上さんは、桟橋と船に渡した渡し子をわたるとき、まだ半分も残っていた足袋の風呂敷包みを、コロリと海の中へ落してしまった。「あんまり高いこと売りつけたんで、罰が当ったんだでな。」 上さんはヤレヤレと云いながら、棒の先で風呂敷包みをすくい取っていた。 皆、何もかも過ぎてしまう。船が私の通った砂浜の沖に出ると、灯のついたようなレモンの山が、暮色にかすんでしまっていた。三カ月も心だのみに空想を描いていた私だのに、海の上の潮風にさからって、いつまでも私は甲板に出ていた。(一月×日)「お前は考えが少しフラフラしていかん!」 お養父さんは、東京行きの信玄袋をこしらえている私の後から言った。「でもなお父さん、こんなところへおっても仕様のない事じゃし、いずれわし達も東京へ行くんだから、早くやっても、同じことじゃがな。」「わし達と一緒に行くのならじゃが、一人ではあぶないけんのう。」「それに、お前は無方針で何でもやらかすから。」 御もっとも様でございます。方針なんて真面目くさくたてるだけでも信じられないじゃありませんか。方針なんてたてようもない今の私の気持ちである。大工のお上さんがバナナを買ってくれた。「汽車の中で弁当代りにたべなさいよ。」停車場の黒いさくに凭(もた)れて母は涙をふいていた。ああいいお養父さん! いいお母さん! 私はすばらしい成金になる空想をした。「お母さん! あんたは、世間だの義理だの人情だのなんてよく云い云いしているけれども、世間だの義理だの人情だのが、どれだけ私達を助けてくれたと云うのです? 私達親子三人の世界なんてどこにもないんだからナニクソと思ってやって下さい。もうあの男ともさっぱり別れて来たんですからね。」「親子三人が一緒に住めん云うてのう……」「私は働いて、うんとお金持ちになりますよ、人間はおそろしく信じられないから、私は私一人でうんと身を粉にして働きますよ。」 いつまでも私の心から消えないお母さん、私は東京で何かにありついたらお母さんに電報でも打ってよろこばせてやりたいと思った。――段々陽のさしそめて来る港町をつっきって汽車は山波(さんば)の磯べづたいに走っている。私の思い出から、たんぽぽの綿毛のように色々なものが海の上に飛んで行った。海の上には別れたひとの大きな姿が虹(にじ)のように浮んでいた。...more25minPlay
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