日本共産党の二段階革命論は、民意が得られるまで天皇制廃止などの主張を伏せ、啓蒙を通じて段階的に目標を遂行する戦略です。批判者はこれを、自分たちを「目覚めた存在」と過信する前衛主義的で不誠実な姿勢だと指摘します。真の革命とは、国民を操作の対象とする戦術ではなく、太宰治が説いたように自己を律し、現実と誠実に向き合う静かな変化であるべきだと論じています。
芦田先生の元記事は以下。
この動画インタービューで、田村智子さんが示している革命論を「2段階革命論」といいます。
現時点では国民の民意が得られない日米軍事同盟廃棄、これについて私たち共産党は廃棄の立場ですけど、民意が得られない現段階では廃棄しません、というもの。
これと同じように天皇制廃棄も、現段階では廃棄しないと。
もう一つ、自衛隊も明白に日本国憲法違反だけど、自分たちが政権を取ったあと、民意を得て、一度自衛隊を解散させて、その後軍隊を持ちます、との立場。
これが二段階革命論です。
二段階革命論自体は、スターリンコミンテルン(共産主義インターナショナル)の革命論のプロセスで出てきたものです。
二段階革命論の中身を簡単に辿ると、まだ国民(民衆)は、時の権力イデオロギーに染められているので、共産党が政権を取る過程で、啓蒙し、その中で(真の)多数派を形成して、日米軍事同盟廃棄、自立した軍隊の構築、天皇制の廃止するというもの。民意が目を覚ますまで啓蒙しつつ待つということ。
二段階革命論の迷妄はあきらか。自分たちだけは権力イデオロギーに染められてないという超越はどこで生じたのか(いつ自分たちだけが目覚めたのか)、さっぱり説明できない。
結果、民意の尊重ということは、見せかけということになります。国民政党ではないということです。
「天の声にも変な声がたまにはあるなぁ」と自民党の1978年総裁選嘆いたのは福田赳夫でした。橋本龍太郎は総選挙で負けて、「ちくしょー」と言いかけて悔しさを滲ませました(1998年)。選挙(多数決)というものの結果は、いろいろな意味でしみじみとかみしめるもの。
共産党にはこういうしみじみ感はなくて、「私たちの活動が足りなかった」「敵のイデオロギーが強かった」ということになります。さらには、小選挙区制は死票が多いから、民意ではないとまで言いはじめます。
いつも、自分たちは正しいという立場です。その証拠に、総選挙で負けて、共産党中央委員会委員長が辞任したことは一度もありません。橋本龍太郎は潔く即辞任したのに。
もし本気で日米同盟廃棄、憲法改正、天皇制廃止と考えているのなら、最初からそう言えばいいし、正々堂々と論陣を張ればいいのに、そこを避けるわけです。論陣を正々堂々と張る中で、共産党自身の〝理論〟や〝革命の原理〟も成長、進化するはず。そうしないで、民意を戦術的な対象としかみなさない。これを前衛主義とも言うわけです。
トロツキーは、ロシア共産党はすべてを変えたが、唯一変わらなかったのはその共産党自身だった、と言いました。革命とは矛盾なのです。『灰とダイヤモンド』(1958年)のマチェクの空虚な死もまたその革命の矛盾を生きたからこそだった。
ついでに言えば、私はこの二段階革命論について考える度に、太宰治(太宰は共産党に入党はしなかったが、寄付(金銭カンパ)を毎月していた)をの二つのテキストを思い出す。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、 「世間というのは、君じゃないか」 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。 (それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる) (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
― 『人間失格』第二の手記1948年より
もう一つは、
ただ、言葉で、かくめい、かくめい、と、うわごとのように、つぶやいているだけでは、それは、何もしていないのと同じことです。本当に、かくめいを行おうと思っているならば、もっと生活の、つまらない、些細な、目立たない部分から、一つ一つ、きびしくあらためて行かなければならない。昨日よりも、今日、今日よりも、明日、というように。本当のかくめいは、もっと、ずっと、しずかな、そうして、もっと、ずっと、おそろしいところから、はじまるものなのです。言いわけをしないこと。卑怯なふるまいをしないこと。自分を、ごまかさないこと。それは、とても、むずかしいことです。けれども、その、むずかしいことを、ただ、黙って、少しずつでも、やりはじめること。それが、かくめいというものの、ほんとうの姿なのです。私は、そう信じています。
― 太宰治『かくめい』(1948年)より