要は、どさくさに紛れて侮辱する人程、実は臆病で、安寧のみを求めて彷徨ってるだけですw
法華経勧持品の中で、法華経を受持する者は必ず災難に遭うと説かれている訳だが、その本意は、“真実”を公言する事によって生じる齟齬からの“証拠隠滅”目的での
暴力沙汰を指していて、ある意味、相互理解を放棄して、情緒に流される事による堕落や腐敗が蔓延すると、保身の為の沈黙以外選択肢が奪われる事になる危険性を、
端的に表しているのです。
逆に、その暴力で散った命を“殉死”とするか“犬死”にするかは、どっちの立場で判断するかで変わるだけで、第三者…事柄に関して無関係な人から見たら、
どっちでもなく、単に事件に巻き込まれたか、自暴自棄になったかでしかありません。当然、騒乱の中での殺傷において、傷を負わせた側が“加害者”であり、
その前後にあった犯行動機など、あくまで後付けの道理でしかなく、正当化する事自体、本来であれば憚られる愚行なのです…如何なる理由があったとしても。
但し、“被害者”が相手を責められるのは、あくまで現行における被害のみであって、賠償の“おかわり”や、相手側へ無理難題を突き付ける事は、余計に事を拗らせて、
問題解決を遠ざけ、無駄な争いを生む“元凶”でしかありません。