本編でも話したが、宗教倫理による性差別は、本来の教えとしては“方便”でしかありません。特に法華経には、竜女の成仏事案が説かれていて、そこには、
性差別する男性信徒に対し、彼女の信心に比べたら劣ると切り捨ててます…況や、竜女は名の通りに畜生(人間以外の生物)であり、且つ子供である事で
男性陣は馬鹿にしたものの、釈尊はハッキリと嗜め、女性であっても仏道修行はできるし成仏も可能だと説いたのです。
つまり、方便でしかない“男性優位”の概念こそ、宗教倫理から外れた正常化バイアスであり、生物学上での雌雄の区別は、実態的には生物によっては“正しい”
モノではなく、人間の勝手な感覚のみで判別してるだけに過ぎない可能性もあるのです。
もっと突っ込んだ事を言えば、様々な“普通”という概念こそ、実態は条件次第で違う訳で、身障者と言っても、先天的か後天的かで感覚も違うし、地域別の
文化の違いも、地理的要因で考えれば、自ずと批判できる代物でない事に気付かないと、余計な衝突を生むだけで、結局誰も疲弊して不幸になるだけです。