捻くれてるけど、今までの“常識”の裏側を、深く考えた時に、その“常識”っていつから続いているモノでしょうか?
結局はそれって、自分自身が“選んだ都合”ではないかと疑うと、結果的に自分では当たり前でも、周囲からすれば“空気嫁”案件な事も多く、
また、個人差によって事情が違うのに、杓子定規で考え方を単一化して批判するなら、意見が食い違うのも無理ない話です。それこそ、
お互い様な訳であり、本気で他人(親族含む)に迷惑をかけてると自覚し、故に全ての難題を抱え込んでしまってるなら、それを理解出来なくても、
相手が気付くまで“無駄な努力”を繰り返す事も、時には必要なのです。“馬鹿”だからこそ、愚直でも貫き通す信念の前には、誰も敵わないし、
その強さ故に惹かれる者、嫌う者、それぞれがあっても良いんですよ…たどり着く答えが同じである以上はw
#自己完結の矛盾 #常識を疑え #捻くれ者讃歌 #無駄な努力は無駄に非ず