のろいつくりつくりラジオ

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のろいつくりつくりラジオ episodes

  • #30 人のセノビを腐すな

    音楽には詳しくないが、好きなアーティストくらいはいる。

    たまにだけどライブにだって行く。2022年は2回も行ったんだぞ。ホントだぞ。

    そしてそういえばコンサートという名のイベントには行ったことないなって。

    ただただワードチョイスの問題だけれど、それこそ若い頃は「ライブ」は「今風」の「アーティスト」が行うもので、「コンサート」は「ちょっと前」の「歌手」が行うもの、みたいな感覚を持っていたと思う。

    でも結局「ライブ」だって「生のコンサート」「ライブコンサート」の「ライブ」だろうから、「携帯」と一緒やんな。え、合ってるよね。


    ライブといえば、2020年から配信が当たり前になりまして。

    自分も何度か視聴しているのだけど、夕方から飲み会が入っていた日にライブの配信があって、終了時間がギリギリだったので遅れて参加したことがあった。もともと遅れるかもとは伝えてあったのだけど、理由を聞かれて「ライブ観てた」って言ったら若干「え?」って空気になったのを四半期に一回くらい思い出す。


    おそらく会場に足を運ぶリアルライブだったら違うリアクションだった気がするけど、あれってどんな感情だったんだろうって。


    やっぱり人によって重心は違うもので。

    54 min
  • #29 自己をひらくミルク不在の台所

    シチウ引き回し(しちゅうひきまわし)

    かつて日本で行われたとされる懲らしめの一つ。シチウ(以下、シチュー)を入れた鍋に縄をくくりつけ、引きずりながら市中を歩かせる制度である。「シチウ引廻し」とも書く。シチューは当時まだ市中に浸透していない食べ物であったこともあり、実施の際は多くの衆目を集めたという。

    基本的に現代でいう警察に相当する組織内で規則違反が生じた際の処罰として実施され、寝坊等による訓練への遅刻や、外出から戻る際の門限超過といった素行不良が主な対象とされた。重量のあるもの(大きな石や木材など)を引かせる予定だったが、手近に適した重さのものがなく、宿舎で準備をしていた夕食用の寸胴鍋を引かせたことが由来であるとされる。

    引き歩く本人としては非常に恥ずかしいため、表面的には多大な効果があったというが、根本的に「何をさせられているのか分からない」行為のため、確実な反省を促す罰としては不向きであるという声が上がったことで徐々に実施がされなくなった。

    一部地域でまことしやかに語られているが、本件について正確な記録はなく、年代等も定かではない。明治期に東京のある洋食屋のチラシに「シチウ(牛・鶏うまに)」との品書きが見出されているため、そのあたり以降であろうとする説が有力である。

    48 min
  • #28 ワイルドピッチも捕りたい 〜that made me unrest〜

    父親と息子のキャッチボール。

    一定年齢層までは間違いなく伝わるであろう、親子に関する共同幻想の一つ。

    つまり自分にはその記憶がない。記憶がっていうか、経験がない。

    さすがに嘘かしら。何かのついででやったこと自体はあるかもしれないけれど、「思い出」にはなっていない。

    僕の父は学生時代そこそこガチめに野球をやっていて、今でもちゃんと野球中継は見ている程度には野球好き(なんだと思っているの)だが、キャッチボールをやらなかったのはなぜだろう。

    何かのついででやった際、自分がなかなか渋いリアクションをしたのか。子どもを誘うことが下手なのか。そもそも子どもと何か一緒にやろうという気がなかったのか。

    ワケを聞くか、聞くまいか。どっちでもいいけど、直接聞くのは野暮ってもんで、重ね合わせの状態で保留しつつ、何かの拍子に観測結果が固まるというのが良い。

    下手な問いかけは答えを歪めてしまうから。

    49 min
  • #27 本来的な何か、あと文庫とか

    小物が好き。

    アクセサリは今のところ付けていないけど、時計とか、靴とか、バッグとか、メガネとか、スマホとか、スマホケースとか、ポーチとか、水筒とか、ケーブルとか、充電器とか、、、なんかそういうもの。

    昔から小さくてよくできたものが好き。

    ソニーの据え置きゲーム機で、最新のナンバリングで5を数える、いわゆる「プレステ」。その初代の頃、ゲームのセーブデータを記録しておくアイテムとして「メモリーカード」というアイテムがあった。(2まであったと記憶している)

    ある時、そのメモリーカードに画面とボタンがついて、対応したソフトのデータを入れると、それでミニゲームができるという代物「ポケットステーション」が発売された。メモリーカードサイズのゲーム機に、当時11歳のいわたに少年はもうゾッコン。大したゲームはできないが、もうそのサイズ感とつくりに、モノとしてテンションが爆上がりだった。ビスの角が落としてあるところに生意気にも「ソニーのものづくり」を感じたりしてた。

    そういう「手のひらに収まる」くらいの何かに惹かれる特性が自分にはあると思う。逆に、大きなものとか、全体感を捉えるのが比較的苦手なように思う。なので、トキメイたアイテムを個別に買って、それを組み合わせた全体をイメージできずに破綻したビジュアルになったりするのだと思う。おしゃれはむずかしいのだ。

    51 min
  • #25 まだ袖まくってられるのさ ワイルドに風邪をひくまで

    引っ越しに伴って、インフラの切り替えがそれはまあ面倒くさいわけです。

    それは誰もが感じることで、だからこそ、そこら辺の手続きやりまっせ、みたいなサービスがある。

    物件の管理会社だったり、引っ越し業者の比較サイトだったり。

    全部丸投げしたいのやまやまだけど、それに乗っかることに大変な抵抗がある。

    その丸投げで契約するプランて損してない?みたいな。

    そんなことを気にして、調べてみたりして、そうしたらもう自分で進めちゃった方が早いかも…ってなる。

    とはいえ自分も素人なので、結局選んだプランが正解なのかは分からない。結局損しているかもしれない。

    同じ損でも、言われるがままで損するのは我慢ならないので、自分で選ぶ。なんのかんの丸投げがトータル良かったとしても、自分で調べるというプロセスが要る。自分の選択に責任を持つために。

    ネガティブな未来を考えれば考えるほど、実利のギャップより納得、なのかもしれない。

    しらんけど。


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    と、↑までを前日に書いたのですが、公開当日に制御ペンライトの話を見かけて、やがてつながる話なのでは?と思ったりしました。

    自分の中で検証できてないので、違うかもしれない。予防線。

    47 min
  • #24 百億の許容と千億の誤読

    概観効果という言葉がありますね。

    宇宙から地球を見るという経験をきっかけに、自身の価値観が劇的変化することだそうで。

    英語だと「Overview Effect」と言うそうです。気持ちのいい音だ。


    宇宙のサイズ感などを考えると、自分の悩みなんてどれだけ小さいんだ、みたいことが割とよく言われますが、このロジックでは自身に響いたことがないので、こればっかりは体験するしかないのかなと思ったり。


    「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのは、かの天才ビスマルクが語ったとされる言葉ですが、二分されてなるものかよって。というか、みんなどっちもあるだろって感じで、まあ割合の差はあるだろうし、歴史からかなり深い学びにまで自身の中で繋げられる人が「賢い人」なんだろうなって。


    自分個人としては、ふだんの生活で、「頭では分かっていても、感情が抑えられない」ケースが多いと感じるので愚者タイプかなあと思っているのですが、一方で「ロジックで説明されないと気持ち的に納得できない」というのもあって、「初めにことばがあった」なんだなあと飛躍してみたりして。


    ひねくれ、こじらせ、とはよく言ったものだなあと感心する、おじさん心と秋の空なわけです。



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    どうでもいいですけど、ビスマルクといえば「鉄血」の二つ名?ですよね。どうしたって記憶に残る。

    そして「鉄血のオルフェンズ」はちゃんと好きですよ。「自分の格」を基準にして散っていきたい、という気持ちはある。

    みんな早く「RRR」を観るんだ。


    52 min
  • #23 女神の前髪とディヴィデュアル・ノマドランド

    最近ようやく「カフェで仕事をする」ということをおぼえた。

    世間の人々が10代からやっているようなことを34になってようやくだ。

    これまでも幾度となくやっていたことだけれど、取材など移動込みの仕事があって、次の予定までに会社もしくは家に戻れない場合などに、近くのカフェに入るということが多く、基本的には連絡を捌いたり事務的なタスクをこなすことに充てていた。もちろん場合によっては原稿編集をすることもあったが、それはレアケースだった。


    それは自分で「自分はそういう場では長時間の集中ができない」と思っていたからというのが大きいのだが、実のところそうでもないのでは、ということに急に思い至った。


    特に大きなきっかけがあったわけではなく、ある日先述のようなタイミングでカフェに入って仕事をしていて、2時間くらい完全にゾーンに入れたタイミングがあった。自分のことながらまあまあな驚きで、次の予定があったので切り上げざるを得なかったのだが、このまま仕事を続けていたいとすら思ったほどだった。自分が「仕事を続けていたい」だって?いけないいけない、と首を振りながら店を出た。


    そこからちょっとその状態が気になって、完全に在宅の日であっても、まとまった時間がある場合はカフェに行くことが増えた。3本編集する、とか、この企画書を仕上げる、とか、そんな風に目標を定めて、滞在中に完了させるべくPCに向かう。


    時間が比較的物理的に区切られていること、場面が転換されること、そしてポケットWi-Fiなので通信量に制限があること(YouTubeとかずっと観ていられないよね)、など色々考えられるが、移動してきてかつお金を払ってその場に座って、何も終わらなかったら何をしているのか自分は、という気になるのも大きいのではないかと思ったりもしている。


    加えて個人的な特性として、ノートPCの小さい画面の方が、シングルタスクでは集中しやすいというのはなんとなく知っていたのだが、それも嵌ったのかなと思う。(自室でもオフィスでも、基本的に外部モニターをつないで作業することがほとんどだ)


    まとめて、外に出ることでプライベートモードからパブリックモードに切り替えるのは実は大きなスイッチかもしれないということだ。そんな話だったっけ?


    で、そこそこ捗るものだから、こりゃあいいと割と便利使いをしていたのだが、ある日首を痛めた。

    痛みで動かせなくなって、特に上を向く動作がいけない。ちょうど飲み物を飲む時の動きだ。

    どうにもならなくて、整体にも行った。しばらくストレスフルな日々を過ごした。


    カフェとの因果関係は謎だが、相関くらいはあるかもしれない。

    ブーストもほどほどに。


    自分のことまた一つ知ったと思ったけど、本当に大事なことは知れていない、知ろうとしていない。

    みんな、水は飲んだほうがいい。1日1.5lだ。


    -いわたに

    45 min
  • #22 重力のすえ・残機のかたち
    普通に生活していて、足場がなくなれば「落ちる」ということにもちろん違和感はないですが、地球の中心に向かって「引っ張られている」と言うとすごく変な感じがする。
    上下の概念は重力の方向から便宜的にそう意味づけしているだけで、とにかく地球に引っ張られている。
    この気持ち悪さ、伝わってほしい。
    48 min
  • #21 ぼくの歌が、できました

    何度だって言うけれど、「アウトプットって大事だよね」って風潮がある。


    「風潮がある」って言い回しがされる場合、大体はその状況にしっくり来ていない事が多いと思うのだけど、自分もそうだった。

    インプットって楽しいし、それだけで知的好奇心も満足するし、自分なりの哲学が形成されてきている気がするし。

    一定そうだと思うし、まだそう思っている。…のだけど、そうなんだけど、これがその哲学を人に届けるようにまとめて見ようとすると内容が変わることがある。

    自分の中ではつながっていると思っていた部分が、相手に説明しようとした時に、ロジックが通っていないことに気がついたりする。

    関係値や世間体みたいなものへの配慮とかを意識した途端、自分の主張って、セルフブランディングの方向性とバッティングするな、みたいなことに思い至ったりする。

    その逆というか、伝えている最中に気持ち悪さを感じて、探ってみたら「自分は周りからこう見られたいと思っていたのか」と判明することもある。


    そして「環世界」という言葉がある。ドイツの生物学者ユクスキュルが提唱した考え方で、今一部界隈では、コミュニケーションを考える際の基本ワードの一つになっている(と思っている)ヤツだ。あとは「分人」とかね。

    (環世界の詳細はググってほしいのだけど、「自分の主観世界」くらいで捉えていておいていただいて)

    知覚(インプット)と運動(アウトプット)が連動している存在が「主体」と呼ばれ、「主体である限り、その存在は環世界を持つ」のだそう。

    でこれを踏まえて、美学者の伊藤亜紗(シリーズ『ケアをひらく』とかで有名ですね)が、ある本の中で、ある全盲の方とのコミュニケーションを紹介しながら、インプットとアウトプットが分離している状態は「自我」を失っている状態とも言える、という風に語っている。


    まあまあな牽強付会であることは承知の上で、前半で書いた「哲学」と、後半の「環世界」「自我」がだいたい同じような部分を指しているとすると、インプットに応じたアウトプットを適切に行っていくことで、ちゃんとした自分、みたいなものが出来上がっていくのかなーとか。我が強いとか、強い個人とか、そういうことではまったくなく、どちらかというと自己肯定感に近いニュアンスとしての自分が。


    なに当たり前のことを… みたいな内容ですが、やっと自分が理解できる言葉に出会ったなって、人生の見通しが2ミリくらい延びた気がした金曜の朝でした。


    どうてもいいですが、「ある本」とは『情報環世界――身体とAIの間であそぶガイドブック』なのですが、読もうと思って買ってなくて、会社の本棚で見つけたので仕事中に読みました。これ今絶版?なのか、書店に在庫がなく、アマゾンでもプレ値になってて驚きました。

    あと、伊藤亜沙さん、「フィルターバブルって、本当に出た方がいいんだっけ?」って話を、しっかりとしたスタンスで語っていて本当に好き。(環世界・自我・フィルターバブルを引っ掛けて語ってました)


    -いわたに

    58 min
  • #20 ビジネスパーソンはエイリアンの夢を見るか?

    「はたらく」を考える定点観測回の2回目です。10回ごとにやっていく所存。

    エイリアンというと、星野源のANNで作家の寺坂さんが、曲紹介で「エイリアンズで、『キリンジ』」というミスをしていたのを思い出す。2016年だったはずで、通勤電車内で聴いていた記憶。当時28歳。その頃から、随分遠くまで来たもんだと思うけど、自分は変わったのだろうか。

    「その人が、いつ会っても変わらないように見えるのであれば、変わり続けている証拠」「逆に、あいつは変わっちまったな、と感じたらその人が変わってない証拠」みたいな話をいつか聞いて、ずっと心に残っているのだけど、そんなもんかなーと思う一方で、流石に無理があるだろとも思う。

    どちらかといえば、「変わることは良いこと」派だけど、その変化には自覚的でありたいものです。

    35 min

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