何度だって言うけれど、「アウトプットって大事だよね」って風潮がある。
「風潮がある」って言い回しがされる場合、大体はその状況にしっくり来ていない事が多いと思うのだけど、自分もそうだった。
インプットって楽しいし、それだけで知的好奇心も満足するし、自分なりの哲学が形成されてきている気がするし。
一定そうだと思うし、まだそう思っている。…のだけど、そうなんだけど、これがその哲学を人に届けるようにまとめて見ようとすると内容が変わることがある。
自分の中ではつながっていると思っていた部分が、相手に説明しようとした時に、ロジックが通っていないことに気がついたりする。
関係値や世間体みたいなものへの配慮とかを意識した途端、自分の主張って、セルフブランディングの方向性とバッティングするな、みたいなことに思い至ったりする。
その逆というか、伝えている最中に気持ち悪さを感じて、探ってみたら「自分は周りからこう見られたいと思っていたのか」と判明することもある。
そして「環世界」という言葉がある。ドイツの生物学者ユクスキュルが提唱した考え方で、今一部界隈では、コミュニケーションを考える際の基本ワードの一つになっている(と思っている)ヤツだ。あとは「分人」とかね。
(環世界の詳細はググってほしいのだけど、「自分の主観世界」くらいで捉えていておいていただいて)
知覚(インプット)と運動(アウトプット)が連動している存在が「主体」と呼ばれ、「主体である限り、その存在は環世界を持つ」のだそう。
でこれを踏まえて、美学者の伊藤亜紗(シリーズ『ケアをひらく』とかで有名ですね)が、ある本の中で、ある全盲の方とのコミュニケーションを紹介しながら、インプットとアウトプットが分離している状態は「自我」を失っている状態とも言える、という風に語っている。
まあまあな牽強付会であることは承知の上で、前半で書いた「哲学」と、後半の「環世界」「自我」がだいたい同じような部分を指しているとすると、インプットに応じたアウトプットを適切に行っていくことで、ちゃんとした自分、みたいなものが出来上がっていくのかなーとか。我が強いとか、強い個人とか、そういうことではまったくなく、どちらかというと自己肯定感に近いニュアンスとしての自分が。
なに当たり前のことを… みたいな内容ですが、やっと自分が理解できる言葉に出会ったなって、人生の見通しが2ミリくらい延びた気がした金曜の朝でした。
どうてもいいですが、「ある本」とは『情報環世界――身体とAIの間であそぶガイドブック』なのですが、読もうと思って買ってなくて、会社の本棚で見つけたので仕事中に読みました。これ今絶版?なのか、書店に在庫がなく、アマゾンでもプレ値になってて驚きました。
あと、伊藤亜沙さん、「フィルターバブルって、本当に出た方がいいんだっけ?」って話を、しっかりとしたスタンスで語っていて本当に好き。(環世界・自我・フィルターバブルを引っ掛けて語ってました)