まず、今回の冒頭に出てくる「きょうわ」とは「共話」と書きます。
水谷信子さんという言語学者が提唱した考え方で、一つの会話のフレーズを一緒に完成させるという共同作業の連鎖で話が進むという、日本語話者同士の会話に見られる特徴を言ったものです。
自分で出しておいてアレなんですけど、そんなにふだん共話してるだろうかとも思ったり。
なんか使いたくて「食う」とか使ってしまったけれど、いわゆる「食いぎみ」とはまた違いますね。
「食いぎみ」だと多くの場合リアクションになってしまう気がする。
「共話」はあくまでフレーズを一緒に完成させること。感想とか聞いてねえのである。
いや、話し手として感想は大事。世界は感想でできている。しらんけど。無実感想。
そんなことは良いとして、かいとくんと収録の場以外のところで話していたことで、
自身の中で「入力と出力のギャップが少なくなる(あわよくばプラスになる)こと」が「できる(ようになる)」ということなのではないかと。
時間でもリソースでも(ほぼ同義だけど)、投入量の割にアガリが雀の涙であればそりゃがっかりしちゃうよねって。
これが最近流行り(とされている)「タイムパフォーマンス」の価値観と相性が良くて(悪くて)、特に仕事なんて嫌になっていく一方なんじゃないかなとか。
入力と出力が一致するものはなんでもそこそこ楽しくて、そこのギャップの大きさがいわゆる「難易度」ってやつなんだろうな。
目の前にある課題が得体の知れないものであっても、途方も無い難易度のものであっても、一致していることの無限の集合体だとしたらずっと気持ちいいままでいられたりするのだろうか。
だとしたら、「分解力」がすべてで、分解するには得体の知れないもののなかに「自分が知っているもの(もしくはそれに似ているもの)」を見つける力が要る。あと、必ずしも全体把握をする必要もなさそうだけど、全体が分かるといろいろなところに相似形が見つけられて圧縮が捗るかもしれない。
類似パターンの発見。結びつける力と、自身のなかにパターンのストックがあると発見の確率は高まるでしょうね。
簡単なことでもとりあえずやりまくった方が良いのかもしれない。
多くの人が自分なりにたどり着いているであろうことに、自分がしっくりくる説明を付けていくシリーズでした。