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自分のことが一番わからない
Like a Rolling Stone
「転がる石には苔が生えぬ」私の好きな言葉です。
閉じず滞らず生きたいものですが、「振り返ればいつもヤツがいる」的ヤツを愛している自分もいます。
歩いてきた中で、通過してきた場所。「そういえば」と思って久しぶりに訪れてみるとあの頃と寸分たがわずそこにある。なんとなく、長居してはいけない気がするけど、たまに帰るにはいい場所。流れ続ける自分として、滞りの上澄みを楽しむ。奥行きを育む、エゴイスティックな生き方。
なんとなく思い出すのは『ニュー・シネマ・パラダイス』終盤の一節。
ーこの場所から出ろ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じる。だが、2、3年も他にいると、何もかもが変わっている。頼りの糸も切れる。会いたい人もいなくなってしまう。一度ここを出たら、長い年月帰るな。年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地と再会できる。(中略)帰ってくるな。私たちを忘れろ。手紙を書くな。ノスタルジーに惑わされるな。自分のすることを愛せ。子供の時、映写室を愛したように。
挿入ソング(22:54~):前野健太『今の時代がいちばんいいよ』
(かいと)
出処と勇気と、やりたくてもできないことの話
賢く見られたいし、博識だと思われたい。
アイデアも先に思いついていたと言いたいし、でもヤなやつとは思われたくないし。
なによ!
みたいなことを考えているやつとも思われたくないんですけど、
もう喋ってしまったのでしょうがない。
自己開示にも程度ってものがあるし、行き過ぎると引かれる。
「絶対にあの人は〇〇である」と、本気で確信をもっているけどそれだけなのと、
本人が一言でも認めるのとではまったく状況が異なる。
暗黙の了解と明文化。
ルール化した方がよくないですか?は全部が全部そうではない。
でも「言わなくちゃわからない」し、「伝えてないのに分かってもらおうとするな」とも思う。
そして「誰が言うか」でもあって、自分を納得させるロジックとして使う分にはどれもいい。
「お客様は神様です」は店側しか使ってはいけない言葉。
考え抜くこと。
それが一番むずかしい。
評価の季節なので、評価の話と関連してお金の話をしています。
この日の収録としては3本目、ほどほどにアルコールも巡りAM3:00、後半は今にも眠ってしまいそうな二人の会話となっています。
お泊り会、一通り楽しんで「寝るか」となり照明を落とすも、今だ自然な眠気は訪れず、「そういえばさ……」「うん……」訥々とお喋りをする雰囲気。「……寝た?」「や、起きてるよ」「俺ちょっと眠くなってきた」「いいね」。ああいうとき、先に寝る人は一生先に寝る人だし、寝遅れて寂しい気持ちで携帯を開き、ブルーライトで眠気が覚めてしまう人は一生寝遅れて寂しい気持ちで携帯を開き、ブルーライトで眠気が覚めてしまう人なんだろうな。
おやすみなさい(かいと)
今自分がアウトプットモードになっているのは多分合っているとは思うのだけど、
すごい勢いで何かが目減りしている感じもする。
入れることができていないので、そりゃ減るよねっていうのは単純に量を考えたらそうなのだけれど。
自分は中学受験以外の受験を経験していなくて、いわゆる「勉強」というのは小学生以来していない。
だから、よく「自分の人生のピークは小6で、そこから先は貯金を切り崩して生きてます」みたいな事を言っているのだけど、人生の貯金がモノをいうタイミングってほんとうにあるんだなって。
自分を形成するためのインプット、とかではなくて、同じことを言わないようにするためにもインプットは必要。
「あの人、いつも同じことしか言わない」となったらオシマイである。
結局抽象化したら同じようなことを言っているとしても、そこにたどり着くロジックのバリエーションだったり、より補強するエピソードだったり、そういうものが必要になる。
結果的に持論が変わることもあるだろうさ。
でもそれはぜんぜんいいことだと思いたい。
一貫性がないのは気持ちが悪いけど、矛盾を抱えることはしょうがない。
ただ、矛盾を抱えていることに自覚的になることは絶対必要だと、自分に言い聞かせる。
やっぱり強い言葉は使いたくないが、これは絶対と言いたい。
ーー矛盾は許容されうるのは、そのことに自覚的である者だけだ
ーいわたに
今回はほぼノーカット版でお送りします。
メンタルコストゼロ、友達二人のピュアな会話をお楽しみください。
あてのない散歩のお供に、グラタンが焼けるのを待つ間に、いかがですか。
……うそ、ごめんなさい、サボタージュです。でもこんな日があってもいい。
いや、「こんな日があってもいい」。これはちゃんとした日々をベースとする人が、たまの怠惰を許すための言葉ですね。”こんな日”を万年床とする自分の吐ける言葉ではない。
でもそんな人の方が言いますね、「こんな日があってもいい」って。みんな、パノプティコン。多くの人間は怠惰に耐えられない。
怠惰に耐えられる、というか真に何も感じなくなったとき、始まるのかもしれない……終わりか(かいと)
パズルっていいよね
ごくごく個人的なことだけれど、パズルを前にした時の集中力が違う。
一気に脳が回りだす。
こないだ久々に少年漫画をまとめ読みして、集中の引き出され方におどろいた。
一気に引き込まれるから。
しかも持続するし。
そう考えると、今の自分は無理しているのかもしれないなと思ったりもしたりして。
ーー君の敗因はメモリの無駄遣い
考えてしまうのです。
ーいわたに
「思っちゃうことはしょうがないよ、思っちゃってるんだから」と、よく人に言う。自分にも思う。自分にとっては至極当たり前のフレーズなのだけど、これが引っ掛かる人もいるらしい。イワタニさんなんだけど。だから面白いなぁと思う。
イワタニさんとポッドキャストをはじめて1年が経つ。録音初日が2022年の5月20日だったので、本当にまるっと、1年。それなりにたくさん時間を過ごしてきたし、色んな話をしてきた。パートナー以外だと、一番長く時間を過ごした人じゃないだろうか。そのせいで時々、他の人もいるのに二人の言葉で話してしまうときがある。だんだんと二人の間にあるATフィールドが溶けて、一つになっていくような気持になるときもある。入社したての方に「二人はリラックマとコリラックマみたいですね」と言われた。そういうこと。
でも、当たり前に理解できないことは絶えない。これはとっても希望的なことだと思う。人を分かり切るのにはとても時間がかかる(もしくはできないのかもしれない)。分かりたいと思う人がいる限り、やることはなくならない。……ん、やることがなくなることを、恐れているのだろうか。
「分かりたい」と思うこと、「分かってほしい」と思うこと、根源的な心の体力を支える二つの気持ちを持ち続けること、かも(かいと)
先日、中高時代の友人と会話をした。
オタクなりたてかつ熱量がピークだった頃を共にした友人だ。面構えが違う。
男子オタクと言えばロボットアニメだし、ロボットアニメといえばとりあえずガンダムだ。異論は認める。
自分は1988年生まれなのだけど、中学生の時分に放送されていたガンダムが『機動戦士ガンダムSEED』『機動戦士ガンダムSEED Destiny』である。本当に懐かしいな。
「ファーストをもっかいやる」みたいなコンセプトだったと思うのだけど、当時の自分はもちろんそんなことは知る由もなく。ネットとかないしね。(あったけど中学生の手元にまともなネット環境がなかった)
毎週ただただ楽しく観ていた。強いぞーかっこいいぞー。
土曜の夕方枠だったと思うが、毎週部活があったのでリアタイはできず、ビデオデッキで録画予約をしていた。Gコードとかね、懐かしいね。
出がけに予約をするのだけど、けっこう忘れることが多くて、その場合は学校から親にメールで指示をして録画してもらっていたことも思い出した。
オタク趣味はあけっぴろげにはしてなかったのに、ガンダムの録画予約を頼むのはいいんだ。
謎の「ガンダムは市民権を得ている」感じ。「パンピー」であることを装うとするなら、もう完全に踏み越えてるラインなんだよそこは。
もっと小さい頃からガンダムは好きで、それは親も知っていたから、中学になってもガンダムのアニメは観るだろってことだったのかな。自分の中では。
これらは今から20年前の話だけど、ガンダムSEEDから20年前というと、ダンバイン、ボトムズ、マクロス(初代)あたりなので、立派なおじさんになったものであるなあと思うわけである。
下の年代・世代にガンダムSEEDの話をしたことはきっとおそらくたぶんないけれど、SEEDとダンバインが一緒だと言われたら、そりゃ軽い気持ちで喋ってしまうかもなあというのも分からんでもない。
で、少しだけ話は変わって、コンテンツの空気感が世相を反映しているというのであれば、2002年あたりの深夜アニメあの鬱っぽい感じはなんなのだろうか。『WOLF'S RAIN」とか『Witch Hunter ROBIN』とか、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』だって暗い。
でもたまらなくワクワクしたんですよ本当に。
ワケワカラン、フクザツなものを見ているオレ…おもしろいと感じているオレ…
…でウットリしてたんですよ。陶酔補正。
そう考えると最近のものはけっこうぱっきりしているなと思ったりするわけで。
考察が捗る感じの作品も無数にあるわけだけど、見えない部分がはっきりしている気がする。
雰囲気ではなく、画面が明るい、コントラストが髙い作品が多いのか。
映像技術とデバイスの表現力が向上しているのもあり、はっきりしている。
色々なものが。
そうすると謎も一問一答っぽくなる気がする。
断っておくけれど、あくまでニュアンスの話で、重厚かつ長大な設定があるものもたくさんある。本当に。
さて、今回のテーマは「おじさん」であるからして、その一側面を書いてみたけれど、やっぱり我々からみた「おじさん」に感じる「おじさんらしさ」を、今の若い年代の方々はこの文章から感じるのだろうか。感じるのだろうね。
おじさんになるのはぜんぜんいいけど、「おじさん」にはなるべくなりたくないかもなあと思ったりしながら、おじさんが分からなくなってきて、迷惑だけはかけたくないけど、「いつ会っても何やってる人か分からないけど、ちょっと良いことを教えてくれるおじさん」にはなりたいなって。
ーービールだけはうめえわ
いわたに
第50回ですよー! 50回!節目も節目、大節目!
そんな大節目の今回、話すテーマは「ワル憧れ」についてです。なんじゃそりゃ。でもね、皆さん胸に手を当て、己と真摯に向き合い、答えてください。
「今まで、一度でもワルに憧れたことはありますか?」あるでしょう、あるはずです。で、それはなぜですか? ちゃんと答えられますか? 「かっこいいと思って」のその先、大事なのはその先です。
ワルには「憧れた結果のワル」と「単なる結果としてのワル」の二通りがあると思います。本物のワルはもちろん後者で、ワルに憧れる僕らは結局偽物としての前者にしかなれません。「憧れるのはやめましょう」と、大谷さんも言っていました。憧れていては本物にはなれないのです。そして、憧れというのは一度でも抱いてしまえば二度と、剥がすことはできないものです。つまり僕たちは一生本物のワルにはなれないのです。幸か不幸か。
昨日、中野サンプラザ前の広場でスケボーをする少年たちを見ました。「スケボー禁止」とそこかしこに注意板がたち、「ここはスケボー禁止です。即刻やめてください」といった旨の機械アナウンスが大音量で流れ続けています。通行人もどこか煙たげに彼らを眺めていました。少年たちは7~8人いたのですが、アナウンスもどこ吹く風、スケボり続けます。どこ吹く風? や、3人は少し滑ると少し休み、端の方で「やめね? 場所変えね?」と話しています。そうだよな。もう2人はスケボり続けながら時折、機械アナウンスに向けて中指を立てています。イキってる。その中で一人、一人は誰とも話さず目線も合わせず、黙々とキックフリップを練習していました。あの彼、かっこよかったな~。
しばらくすると警備員が来て、みな蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。四方八方へ。
かいと
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