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こんにちは、おぐりんです。
最近、「才能とは何か?」という問いについて、ある研究者との対話を通して改めて深く考える機会がありました。そのとき僕の中で明確に言語化された感覚があります。
それは、才能とは能力ではなく、“狂人のように没頭できる対象への持続的な指向性”だということです。ここではその考え方を、僕なりにできるだけ丁寧に、わかりやすく紐解いてみたいと思います。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251010
こんにちは、おぐりんです。
昔から無意識に強く反応してしまうこと
「食事中のクチャ音」。
うちの家庭では、口を開けて食べる、音を立てて食べる──という行為に対して、ものすごく厳しかったんです。何度も何度も怒られて育ったせいか、大人になった今でも、あの音に強烈な嫌悪感を持ってしまう。
でも、あるとき思ったんです。
「これって、誰にでも共通する“常識”なんだろうか?」
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251013
こんにちは、おぐりんです。
「最も効果的な嘘は、真実の一部を語ることだ」
──ジョージ・オーウェルがこんな言葉を残しています。
この言葉に出会ったとき、僕の中に強く響いた感覚がありました。
全部が嘘ではない。むしろ“本当”が含まれているからこそ、人は信じてしまう。その構造の中に、情報の危うさや人間関係の繊細さが見えた気がしたんです。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251012
こんにちは、おぐりんです。
“人間は不幸でも、自由を望むのだ”
──これはドストエフスキーの『地下室の手記』の一節です。
この言葉、ずっと頭の片隅に残っているんです。
なぜ人は、苦しみや不幸を抱えていても、自由を求め続けるのか?
逆に、今の時代には「不自由でも安心を選ぶ」ような選択も多い気がします。
それでもやっぱり、自分の中には、
“自分で選びたい”“変えられるものなら変えたい”という、
小さな炎のような自由の衝動が、確かにあると感じるのです。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251009
こんにちは、おぐりんです。
ユングの言葉に、こんな一節があります。
「あなたが無意識にしていることが、あなたの人生を支配する」
自分で選んでいると思っていた行動や判断が、実は“無意識のクセ”によって動かされているかもしれない、ということを指す表現。
最近の自分の行動を振り返ってみても、「あれ?なんでこれ避けてるんだろう」と思うことがあるんですよね。
特に、「めんどくさいな」と感じた瞬間。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251011
こんにちは、おぐりんです。
SNSや政治、社会課題にまつわる発信で「炎上」という現象はすっかり日常化しました。
でも、どうして私たちはこれほどまでに炎上に巻き込まれ、疲弊してしまうのでしょう?
最近の発信や議論を見ている中で、僕なりにひとつの仮説を持つようになりました。
それが、「命題のズレ」と「時間軸の歪み」という2つの構造です。
この構造を理解すれば、炎上をただの“燃えた事象”ではなく、構造的に起こる現象として捉えることができる。そしてそれは、「納得される命題」をどう設計するか──すなわち命題デザイン論へとつながっていきます。
そしてもうひとつ大事なのは、「命題を設計する力」は、政治やSNSだけの話ではないということ。私たちが誰かに何かを伝えたいとき、リーダーシップを発揮したいとき、あるいはちょっとした議論に加わるときにも、命題のズレと時間軸の歪みは常に潜んでいます。
つまり、命題デザインは“社会を変える技術”であると同時に、“日常の対話を健全にする技術”でもあるんです。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251008
こんにちは、おぐりんです。
ある日、子どもが「野球選手になりたい」と話してくれたんです。
もちろんその夢自体は素晴らしい。でもふと、こんなことを考えました。
「この子がほんとうに目指したいのは、野球選手になることなのかな?」
もしかしたらそれは、お金を稼ぎたい、誰かに認められたい、ヒーローになりたい……そんな内側の“WANT”があって、その手段として「野球選手」という言葉が出てきたのかもしれない。
こうして見えてくるのは、人が本当に向き合うべきは“目的”ではなく“命題”ではないかということです。
教育とは「問いの根源に触れる営み」だと、僕は思います。つまり、「なぜそれをしたいのか」「なぜそれが気になるのか」といった“なぜ”を深掘りすること。これは知識を与えるだけでは届かない、人間の根っこに関わる行為です。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251007
んにちは、おぐりんです。
「君の時間は限られている。だから他人の人生を生きることで無駄にするな」
──スティーブ・ジョブズ
スタンフォード大学の卒業式で語った有名な言葉です。
この言葉を聞いたとき、「そうだよね」と思う人は多いと思います。
でも一方で、本当に“他人の人生を生きずにいる”ことって、可能なんだろうか?と、自問してみたくなることもあるのではないでしょうか。
私自身、他人の期待や評価を気にすることはよくあります。
「嫌われたくない」「ちゃんとしてると思われたい」「間違ったと思われたくない」──そう思う瞬間は、少なからず日常に存在しています。
人と人の間で生きる以上、完全に他人の目を意識しないのは難しい。でもその意識に引きずられて、自分の選択を見失ってしまうとしたら、それは少しもったいないような気がしています。
だからこそ、ジョブズのこの言葉を「どうやったら実現できるのか?」という視点から、少し深掘りしてみたくなりました。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251006
こんにちは、おぐりんです。
「一人で見る夢は夢でしかない。皆で見る夢は現実だ」
──ジョン・レノン
この言葉、どこかで耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
この言葉に出会ったとき、僕は思いました。
「うわぁ、そうだよね」って。
というのも、僕の中にある夢って、いつも“誰かと一緒に”の前提があるんです。
たとえば今、仲間と共に夢を追いかけている動画メディア「Footballcoach」もそう。僕一人では絶対に実現できなかったし、その輪の中で、僕の中の夢も形を変えて育っていってる。
でも、最初からそうだったわけじゃありません。
むしろ、昔は“夢”という言葉が、もっと個人的で閉じた世界のものだと感じていました。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251005
こんにちは、おぐりんです。
教育について考えるとき、いつも頭をよぎる言葉があります。
「教育とは自由の練習である」──ジョン・デューイ
一見すると、少し不思議な表現ですよね。
「練習?自由って、自分の好きにしていいことじゃないの?」と感じた方もいるかもしれません。
でもこの言葉には、現代においてこそ大切にしたい“自由の本質”が込められているように思います。
そして同時に、「私たちは本当に自由を手に入れているのだろうか?」という逆説的な問いも含まれているように感じます。
引用記事:https://ogu-rin.com/blogs/20251004
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