今日は、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガゼットの『大衆の反逆』という本をご紹介します。この氏名は、スペイン語圏の人名表記の慣習に従って、名前、父方の姓である第一姓、母方の姓である第二姓の順になっているのですが、日本では一般的にオルテガという第一姓で呼ばれています。『大衆の反逆』の訳本はいくつかあります。私が読んだ神吉(かんき)敬三氏訳の角川文庫版はもう絶版になっていますが、同じ訳者による改訳版をちくま学芸文庫で読むことができます。(余談ですが、前回の『日本永代蔵』も今回の『大衆の反逆』も角川文庫版でご紹介しているのは偶然ではなく、昔の角川文庫は国内外の古典について非常に学術的にしっかりしたライブラリを揃えており、文献の選び方にも先見の明があったのです。『大衆の反逆』が岩波文庫に入ったのは2020年ですが、角川文庫版は早くも1967年に刊行されていました。)
この翻訳書の解説によると、オルテガは1883年に、ジャーナリストで作家でもあった父親のもとマドリッドに生まれ、19歳で国立マドリッド大学の哲学・文学部で学士号を取り、同じ年に最初の論文を発表して、その2年後には博士号を取得したということですから、早熟の秀才だった訳です。この間、オルテガが15歳になった1898年に、スペインは米西戦争で米国に敗れて僅かに残っていた植民地を失い、かつて世界最大の帝国として築いた国際的な威信も失墜して、スペイン国民は心理的危機に陥っていたと言います。こうした時代状況を背景に、オルテガは博士号を取得した翌年にドイツに留学し、当時最先端の哲学を学んで2年後に帰国します。その後、1910年に27歳の若さでマドリッド大学哲学・文学部の正教授に就任し、ヨーロッパの哲学運動の埒外にあったスペインの国民に「哲学する心」を広めるため、旺盛な執筆・講演活動を展開していきました。オルテガは国民教育による社会変革を目指す政治活動にもコミットしていますが、それらの政治活動は結果的に失敗に終わったとされています。そして1936年に内乱が勃発するとスペインを去り、死ぬまで政治的な沈黙を守ったと言います。1946年には再び帰国しますが、1955年に72歳で没しています。
『大衆の反逆』は、1926年から新聞紙上に発表され始め、1930年にまとめて刊行された本で、政治理論に関するオルテガの主著であり、最も多くの国語に翻訳されているそうです。はじめ新聞紙上に発表されているため学術論文の堅苦しさはなく、生き生きとした文体で書かれています。
この本の中でオルテガは、1920代から30年代にかけてのヨーロッパ社会を、大衆に支配された社会と捉えています。オルテガが言う「大衆」とは、自分に対して特別な要求を持たず、万人に共通の性質を自分の中で繰り返す「平均人」と定義されています。一方、これと異なる人間像として、自らに多くの義務を課す選ばれた高貴な「少数者」を対峙させています。ここで注意しておくべき点は、大衆と少数者という分類は、人格に関する分類であって、上層階級と下層階級といった社会階級の序列とは一致しないということです。つまり、それぞれの社会階級のうちに大衆も少数者も存在する訳です。オルテガは、社会的な貴族というものは、自らを上流社会と呼び、誰を招待するのしないのといったことに明け暮れている少数のグループとは似ても似つかないものであるとして、ヴェルサイユは貴族的でないばかりか、全くその逆であると書いています。
オルテガは、文明は少数者によって生み出されてきたのであり、その意味で文明的な社会の本質を貴族的なものとして捉えています。この「文明」(英語ではcivilization)という言葉については、それが「市民」(civil)の概念に起源を持っていることを踏まえて、共同体を可能にするものであり、何よりもまず「共存への意志」を意味するものであるとしています。従って、人間が自分以外の人に意を用いず、分散していく状況は「野蛮」と捉えられます。
ところが今日では、この文明の原理に何らの関心を持たない大衆が、文明の生み出した利器を、あたかも自然物であるかのように所有し、使用するようになったという訳です。この文明の恩恵に浴しながら、文明が成立する根拠など全く意に介さない大衆のあり方を、オルテガは「慢心し切ったお坊ちゃん」であり、文明社会に現れた野蛮人であるとしています。そして、この大衆が社会的な権力の座に登ったことを、ヨーロッパの危機の本質として捉えています。
しかし、オルテガは同時に、文明の発展が大衆を生み出した側面についても議論しています。文明の根源である科学が発展するためには、専門を分科させる必要があり、科学者は狭い知的活動分野に閉じこもってゆくようになります。その結果、科学者の活動は機械的な頭脳労働となり、研究方法を機械的に操ってさえいれば、豊富な成果を得ることができるようになります。つまり科学者は大衆に変わり、もはやそれ以外の者ではない訳です。
オルテガはまた、国家を社会的な統治の技術であり、文明の産物であると位置付けた上で、それが最大の危険物となるプロセスを説いています。すなわち大衆は自分の生を保証してくれる匿名の権力として国家を認識し、何らかの問題が生じた時には巨大な力をよって解決してくれる自分のものと信じ込んでしまうと言います。オルテガは、これを生の国有化、国家による社会的自発性の吸収と呼んでいます。大衆は自らを国家と同一視することによって、国家を養うためのパンと化してしまうという訳です。この指摘は、当時台頭しつつあったファシズムの本質が大衆運動であるという洞察に結びついており、正確な分析を踏まえたものだと思います。
ただ、オルテガの議論には、今日から見て腑に落ちない点もありますし、特に少数者という知的エリートの理念型は既にリアリティを失っていると思います。しかし、一方では、今日の状況にも恐ろしいほど当てはまる分析があり、私たちがどういう世界に生きているのかを理解するための鍵を与えています。大衆を食い物にした国家を、自らも大衆でしかない独裁者が牛耳った上、ミサイルで他国を侵略するという姿に、文明社会の野蛮人という表現は何と似つかわしいことでしょうか。
今回のまとめ: 文明の本質を「共存への意志」と捉え、その意味を理解せず自然物のように文明の利器を使うだけの大衆を文明社会の野蛮人と呼んだ本書は、今日の状況理解にも通用する鍵を与えています。