前回は、組織内の他のメンバーの経験や得意分野、関心のありように関する理解のことをトランザクティブ・メモリーと呼ぶこと、そしてトランザクティブ・メモリーを豊かにすることがイノベーションをはじめ現代の組織における業績を高めるのに非常に重要であるということをお話しました。また、コロナ禍以前の、つまりオフィスで物理的に顔を合わせてコミュニケーションをとれる状況下ならば、昔であればタバコ部屋、現代的になるとコーヒーマシンとかウォーターサーバーなど、人が集まってリラックスした状態で立ち話をしながら情報共有ができる空間がトランザクティブ・メモリー強化に役立つということも合わせてご説明しました。
今日、世界中の、それこそ社員が何万人もいるような大企業から数人規模のスタートアップまであらゆる組織が直面している課題が、トランザクティブ・メモリーです。つまり、土台となるメンバー間の信頼関係を、オンラインコミュニケーションを通じてどのように構築するかというものです。オンラインでのコミュニケーションに関する成功事例は実は数多く存在していて、その中には日本の企業も含まれています。
しかし、それらの事例をご紹介する前に、まずはなぜタバコ部屋やコーヒーマシンを囲むことがトランザクティブ・メモリーの強化に繋がっていたのかについて一度整理しておきましょう。煙草部屋にふらりと立ち寄ってそこで顔を合わせた人とお互いの近況を伝えあうとか、あるいは仕事中に一息つこうとコーヒーを淹れに行って、そこにたまたま居合わせた人としばし歓談をするといったコミュニケーションに共通する重要な要素の一つが「ふらりと」「たまたま」といった偶発性です。つまり、事前に計画をたててアポをとって何月何日の何時に、と示しあわせて面談をするのではなく偶然である、これが大事なのです。
なぜなら、組織でのコミュニケーションはそのままだとどんどん偶発性が無くなっていって、いつも同じ人としか話をしないという状態になりがちだからです。スケジュール帳には毎日何件ものミーティングや打合せが入っているけれど、どれも上司や同僚との打合せ、あるいは取引先とのミーティングで、たまに他の部署の人と話をすることはあっても仕事上のやりとりだけ。コロナ禍でオンラインコミュニケーションが主体になって、なんだか息苦しさを感じるという人や組織は、そういうところが多いのではないでしょうか。
仕事上のやりとりをしていて直接関係のある相手とは、コロナ禍であろうがコロナ以前であろうがやはり話をしますよね。でもそうではない、普段は仕事上では直接関わりはないけれども、同じ社内にいるとか違う部署の人とか、「あ、元気?」とか「最近寒くなってきたね」とか、雑談をするような場面が今はなかなか無いのです。それで何故息苦しさを感じるようになるのか、その原因を探っていくと人の脳の構造に求められます。
人の脳は相矛盾する二つのニーズを持っていまして、新しいことを知りたいのだけれど、もう一方では未知の情報は怖いので避けたいと願う、わがままな性質をもっています。そのために、いつも同じ人としかコミュニケーションをしないでいると、前者のニーズが満たされず、新味が無くてストレスが溜まるのです。もちろん、話す相手が同じでも、何か新しいトピックについて情報交換をするとか刺激があれば全然良いのですが、職場の同僚や上司との話でそうそう新しい話題が毎回出てくるものではありません。
その点、タバコ部屋やコーヒーマシンの周りで歓談をするのは、基本的に会う予定がもともと無かった人です。「最近どう?」というところから入っていくので、話をしているだけで面白くて脳が喜び、ストレス解消になります。通常使っている脳の部分と違う部分を使うと、やはり嬉しいですよ。さらに言うと、脳はある状況とその時そこで覚えた感情を紐付けて、情報処理をします。つまり、楽しい時間を過ごしていると、そのときそこにいた人に対しても好意的な感情を抱くようになりやすい。
これが極端に現れるのが吊り橋効果と呼ばれるものでして、山の谷に掛っていてグラグラ揺れる吊り橋を渡っていくと、怖くて心臓がバクバクします。そういった状況下でたまたま誰かと一緒にいると、今自分はすごくどきどきしている。ということは、自分はこの人のことを好きなのかもしれないと脳が勝手に勘違いをする。そういった現象を吊り橋効果といいます。そこまでいかなくても、偶発性が高い状況で出会って楽しい話をした人に対しては、やはり好意的な印象を持つようになるということがあります。
そうするとお互い何かあったときに連絡を取りやすいですし、お願い事もしやすくなるので仕事上のコミュニケーションもスムーズに進みやすくなるということがあります。逆に、偶発性が低い、言い換えると計画性が高くて事前に予定を組んでアジェンダが設定されていて、スケジュールに書き込まれた時間通りに話が始まって話が終わるというようなコミュニケーションばかりだと、どうしても自分も相手もつまらないなと感じたり、そこまでいかなくても少なくともたまたま会った相手とよもやま話をする時のような楽しさは覚えにくいのです。オンラインコミュニケーションがかれこれ1~2年くらい続く中で、なんとなく殺伐とした雰囲気を感じているという人は、もしかしたらこの偶発性の欠如が原因の一つになっているのかもしれません。
オンラインコミュニケーションが主流になっている今、なかなか直接的に人とタバコ部屋で一緒になるとか、コーヒーマシンのところで一緒になるということが作りにくい状況の中、どうやってそこを埋めていくかという問題になっていきます。これは、オンラインコミュニケーションだからというところがあるとも言えるし、ないとも言える。オンラインコミュニケーションであっても偶発性のあるやりとりが出来るような工夫をしさえすればいいだろうということで、次回以降はそういった事をお話していければと思います。
今日のまとめです。本日は、トランザクティブ・メモリーを豊かにする上でタバコ部屋やコーヒーマシンを囲むことが、なぜ効果的に働くのかについて偶発性の観点から分析しました。人の脳は新しい情報を喜ぶと同時に、未知の情報を怖がるという矛盾した性質をもっています。オンラインコミュニケーションはそのままだと事前に予定されている内容のやりとりをするだけで偶発性が低いものになりがちであり、その結果ストレスがたまりやすくなるのです。