「み言葉を聞いて悟る人」マタイ福音書第13章21節
「良い土地に蒔かれたものとは、み言葉を聞いて悟る人である(13:21)。この「悟り」は地上から逃げる神秘体験ではありません。
逆に「天の国は近づいた」と、地上で生きる自分とその根っこにまで 近くに来てくださった神さまの愛を深く知ることです。私を愛して私のために命を与えてくださったイエスさまを信じて、噛みしめて、理解して、それを日常で実践する生活のことです。これが種まきの譬えの中 の「根を張る」という表現が励ますところの、神の愛の悟りです。
まず「道端」は何も信じず理解しません。ほんの少しでいい。愛を信じる。それが救いのはじめです。
そして「石だらけの土」。順風満帆の時は神の愛を感じますが、不幸や病気、躓きや不利益に会うと、神の愛を感じられず、苦しみます。
それに対して「根を張る」ことが 励まされます。それは祈りによって、 生活の隅々にまで染み渡る神の愛を信じて、理解して、実践することです。目覚めた時、顔を洗う時、 掃除をする時、働く時、人と話す時、食事をするとき、眠る時・・・。 いつでもどこにいても、誰と共にいても、私たちは神さまに愛されている。そう仮定して、信じて、行動する。そうすれば苦しみに襲われても忍 耐できます。非常時を生き残る、 神の愛の防災意識です。(もちろ ん私は悟ってなんかいません。)
小さい祈りでいい。例えば、目を覚ました時に十字を切ること。顔を洗う時に微笑むこと。掃除をしながらでも聖歌を口ずさむこと。働く時にはイエスさまと一緒に我を忘れて働くこと。ただ手を合わせること。電車でただ一言「父よ」 と祈ること。悲しむ人と話すとき共に悲しむこ と。一日の働きを感謝すること。美味しいご飯、 楽しい時間を感謝すること。そして疲れて横になって眠るときには、神さまが与えたこの体で、ただ、呼吸すること。なんでもいいのです。神さまへの祈りの心を実践するのです。このような実践が愛を悟らせます。
このように生活に神の愛を根付かせた「良い土」は、父へ生活のすべての時を委ねます。「思い煩うな。天の父はあなたの必要を知っている。明日のことは明日自らが思い煩う」 (6:25-34) 。神さまの愛を深く信じて、 悩みごとを委ねる、という実践です。
イエスさま自身、父の愛を自分の人生の隅々に染み渡るまで信じて、深く理解して、根を張らせて、それを実践して十字架へ向かわれました。だから神さまに見捨てられたような十字架の絶望の中でも、理解を超え神の愛をそれでも信じていました。その証拠が復活です。
主は言われるでしょう。「私の愛をあなたの根っこに張り巡 らせなさい。私は必ずあなたの人生を実らせて、喜び歌って刈り取らせてあげるから。」