先週の金曜日、6月10日から19日までの日程で、台湾北部の港町、基隆で「2022城市博覽會」が行われています。
これは基隆の街全体を会場として、様々な展示やアートインスタレーション、そしてパフォーマンスが繰り広げられています。
その基隆港に深夜、傘をさし、キャリーバッグを引いた「人々」が船を待っている姿が─。
実はこの「人々」は、台湾の有名な現代芸術彫刻家・朱銘の屋外彫刻美術館がこの「基隆都市博覧会」のために企画した「人間系列-紳士」という作品の展示なんです。
この「人間系列-紳士」は朱銘の代表的なシリーズ作品で、しかもその傘をさした姿が“雨の港町”・基隆のイメージとぴったり合っていて、多くの人たちを惹きつけています。
その現代芸術彫刻家・朱銘、本名は朱川泰と言います。
日本統治時代の1938年、台湾北西部の現在の苗栗で生まれました。
上に5人の兄と5人の姉がいる末っ子で、生まれたときには両親の年齢を足すと92歳だったことから、「九二」というあだ名で呼ばれていたそうです。
家は貧しく、両親は貧困との戦いに明け暮れていましたが、できるだけ教育の機会を与えることを忘れませんでした。13歳の時、朱銘は人生初で、唯一の卒業証書を手にし、その後、家計を支えるため、雑貨店で働き始めました。
15歳の時、街の媽祖廟が改修工事を行っていて、父親の言いつけにより、雑貨屋での仕事を辞め、彫刻家・李金川について彫刻と絵画の技術を学び始めました。これが彫刻家としての第一歩でした。
この時、李金川・師匠から「建築士が家は作れるが設計図はかけないのと同様に、彫刻家は絵が描けない」といつも言われていたことから、上手に掘るには、他人の絵やパターンをなぞるだけでなく、スケッチの書き方を知っておくべきだとして、修業時代は、昼は彫刻を、夜は絵を学び、人よりも努力を重ねました。
そして、3年4か月の修業を経て、20歳を前に、朱銘は独り立ちをします。1955年、朱銘と2人の仲間と共に、南庄へ行き、そこで生まれて初めてお金を稼ぎました。その時、稼いだお金は46元。このお金は1銭たりとも使わず、家に持ち帰って母親に全部上げたんだそうです。
この時のことは、大金を稼ぐようになった今でも、それを上回るような喜びで嬉しそうに語っているそうです。
30歳になった朱銘は4人の子供の父親として家庭を持ち、高給取りの彫刻家として活躍していましたが、“真の芸術家”になりたいという思いが尽きることはなく、さらに台湾彫刻界の大御所・楊英風に弟子入りすることを決意します。
この時、楊英風・師匠から「いつまで学ぶのか?」と問われ、「一生です」と答えたことで、楊英風・師匠から「よし!その通りだ。合格だ!」と弟子入りが認められたんだそうです。
こうして朱銘は工芸彫刻から正式に“芸術創作”分野へと踏み出しました。
朱銘という名前は、この楊英風・師匠がつけたもので、朱銘の“銘”には、「覚えておく」という意味があり、楊英風・師匠は、世界の人々が彼の名前を憶えてくれることを願って付けたと語っています。
1976年には、国立歴史博物館で初の個展を開催。朱銘の活躍は、多くの評論家から絶賛され、芸術界にその地位を確立しました。
既に台湾の芸術界で地位を確立していましたが、1980年、妻と子を残してアメリカに渡り、ニューヨークの小さなガレージで「人間系列」の作品を発展させました。
80年代から90年代にかけては、朱銘の芸術創作の活発な時期で、この時に、現在、代表作となっている、文化の精神と太極拳の動きを融合させた「太極拳系列」と、人間の様々な形を表現する「人間系列」とが並行して展開。そして、台湾から、シンガポール、香港、イギリス、フランス、日本など、国際的に活躍するようになっていきました。
製作した作品も増え、朱銘は、大小さまざまな作品の置き場所を求めて、台湾北部・新北市の金山に土地を購入します。そして、徐々に面積が広がるにつれて、次第にアートパークを設立することを考えていきました。
1987年から美術館の建設を始め、12年の歳月をかけ、1999年、「朱銘美術館」が正式にオープンしました。
この美術館自体が、彼の最大の一つの作品ともなり、その年の東京クリエイションアワードで海外賞を受賞しました。
そんな活躍が認められ、2003年には、芸術名誉博士号が授与され、また政府も同様に台湾への貢献を認め、2004年には行政院から、台湾の文化界で最高栄誉賞とされる「文化奨」が授与されました。
今年、84歳となる朱銘ですが、現在も精力的に活動を続けています。
代表的な作品である「人間系列」や「太極拳系列」は、どれもゴツゴツした人物の作品で、表情は描かれていないのですが、それぞれに個性があって、どこか優しい印象を受けます。
ちなみに、朱銘は、若い頃、基隆でも伝統的な木彫りの職人として働いていたことがあり(*3)、数十年の時を経て今回、基隆で行われている「2022城市博覽會」に参加しています。