徒手空拳日記
2022年8月18日木曜日
電通の高橋治之が逮捕されても、日本のマスメディアは敗戦前からずっとグルなので、的を射る解説はまったくありませんね。萎縮してるのか、バカなのか、あるいはその両方なのか、よくわかりません。オリンピックの贈収賄について、どこにもまともな説明がないので、今日はそのことについて、書いておこうと思います。
オリンピックやサッカーなどのスポーツコンテンツは、電通という会社にとっては、核心的な利権なのです。新聞やテレビなどのマスメディアが水道管だとすれば、スポーツコンテンツは、命の水そのものです。電通の創業は、1901年ですが、創業者の光永星郎は、その5年くらい前には、日清戦争の従軍記者でした。
日本が中国に勝つありさまは、日本人にとって、まさにキラーコンテンツとなったのです。中国に勝った勝ったは、ズバリ、大衆が狐憑きのように乱舞するユナイテッド・バイ・エモーションでした。
光永が従軍記者として、日清戦争の戦地で取材した戦況報道は、いまでいうと、オリンピックや、サッカー中継のようなものです。リアルタイムでなければならない、しかも、都市部から農村まで、すべての国民に伝わらなければならない。このシンクロニシティと、熱狂のマッシブさこそ、スポーツコンテンツビジネスの本質なのです。
日清戦争の頃になって、日本でもようやっとナショナリズムが成立するようになり、戦争報道コンテンツは、書けば書くだけ飛ぶように売れる、いわば入れ喰い利権となりました。
日清戦争のあと、日露戦争がありました。日本の軍隊の最小単位は、町や村の地域です。隣近所が同じ部隊で戦うので、戦争から逃げたりしたら、イエがまるごと後ろ指を刺される、相互監視の朱子学カルトです。だからこそ、農村にまで、できるだけリアルタイムに、勝った勝ったのニュースを伝える必要がありました。ナショナリズムを高ぶらせなければ、強い国軍はつくれません。
つまり、電通とは戦争広告代理店が本質なのです。自動車や、洗剤や、ハンバーガーや、ビールを売る、経済戦争としての広告なぞよりも、スポーツコンテンツは、はるかに本物の戦争に近い、ドーパミン出まくりの、しびれるコンテンツなので、電通はいつの時代も、どんな手を使ってでも、それを独占したいわけです。リアルタイムで、日本全国津々浦々まで、勝った勝ったと伝えたい、愚かな人々を、エモーショナルの極限まで熱狂させたい、これこそが、電通の血の根底にある欲望だと思います。
ですので、高橋治之の逮捕とは、電通のコアバリューのサドンデスです。新聞やテレビの水道管も、老朽化がひどいですが、そのなかを伝わっていくはずの水が、安倍暗殺で枯れてしまいました。あと3ヶ月後のカタールのワールドカップは、民放にもう、日本戦の放映権料を支払うチカラがなく、ウマ娘でもうかりまくりのABEMAが、おカネのサポートをするしかありませんでした。テレビからダゾーンのような外資のサブスクサービスへ、バーゲニングパワーがどんどん移っていくでしょう。電通は、水道管も水も、いっきに失いつつあるということです。なーむー。
本日は以上です。ありがとうございました。
人のゆく裏に道あり花の山