東京オリンピックの開会式、2008年北京や、2012年ロンドンの演出と比べて、圧倒的に劣っていたと思いますが、開会式だけが別に劣っているわけではなく、もはやありとあらゆる日の丸アウトプットは、クソなのです。昨日の開会式は、そのことが、大衆にもはっきりわかる、きっかけとなりました。良かったですね。
ダイジェストをYouTubeで観た私は、なんとなく既視感を覚えました。私にとって昨日の開会式の読後感は、何に近いかといえば、エイシージャパンつまり、公共広告機構のCMを見たあとの、いやーな気持ちに、とても近いものでした。
まず第一に、エイシーの広告というのは、本来流すはずだったコンテンツを、自粛で止めたときに流れるもの、という、存在そのものが埋め草、という特性があります。今回の開会式の内容もまさに、本来やりたかったことが何らかの事情でできなくなって、しぶしぶ埋めている、というところがクリソツです。各コーナーの終わりに、エイシージャパンのサウンドロゴが入っていたら、もっと良かったと思います。
第二には、エイシージャパンの訴える内容が極めて偽善的なことと、今回の開会式は似ています。米国国務省に人身売買であると認定されている、技能実習生制度を厚顔無恥に続けながら、レインボーやイマジンなどという、歯の浮くようなインクルージョン、ダイバーシティがペラッペラのうわっつらだけな点が、公共広告機構とおんなじです。ひとことで言えば、おまゆう。お前が言うなです。
ラーメンズのホロコーストネタは、SNSでは、Let's play the Holocaustと訳されて拡散しているのに、インクルージョンも、ダイバーシティも、うるせえバカ、お前が言うなで、はい、論破です。取ってつけたような医療従事者への感謝なども、私にはエイシージャパンの戯言、としか思えませんでした。
エイシージャパンと相通じる3つ目のポイントは、二流、三流の人間がしぶしぶやらされている感です。そして誰もいなくなったあと、そこにいる人たちは、己にオリジナルな世界観などないので、とにかく無難に、怒られないように、そして透明人間となって、永遠に目ン玉の入らないドラゴンの絵を書きまくります。
エイシージャパンの広告が鬼のように流れたのは、東日本大震災のあとでしたけど、昨日の開会式は、あのとき以来のエイシージャパンまつりだったのでは? と思います。
そもそも日本に公共広告機構をつくったのは、いまやエタノールに砂糖をまぶしただけの、反社会的なドラッグであるストロングゼロで荒稼ぎする、サントリーです。大阪万博のときに、日本人を啓蒙するためにアメリカをパクったものですが、エタノールという日の丸オピオイドでしこたまおカネを儲けている政商が、愚民を啓蒙するというスタンスは、昨日の開会式でも貫かれていたのではないかと思います。滅びゆく朱子学カルトのマスメディア広告枠において、エイシージャパンはいまや、最大の広告主です。ポテチン。