徒手空拳日記
2021年8月1日日曜日
Faster, Higher, Stronger - Together'と、取ってつけたように、ルー大柴のトゥギャザーしようぜを加えた、オリンピックのモットー改訂版なんですが、私からすれば、最初の3つだけでも時代に合わない、意味不明なのに、またもう一個、不明な意味が加わったなという印象しかありません。そもそも、ジェンダーフリーになれば、どうやってFaster, Higher, Stronger の、公正なエントリー条件をつくれるのか、人間を身体能力で競わせる見世物に、未来なんてあるのかなって思います。Togetherって言うのなら、国民国家別のメダル表彰や国旗、国歌の掲揚もやめるべきです。
ナショナリズムそのものが、コンテンツとしてもはやオワコンです。米国のオリンピック視聴者数が、前回リオデジャネイロから42%も減っており、NBCが広告主と補償交渉に入ったとのことですが、そりゃそうだろうなと思います。
世界に広がったコロナ禍によって、なにが変わったかといえば、同じタイミングに、多くの人が一斉になにかをすることの陳腐化です。特に、身体儀礼の陳腐化だと思います。身体儀礼によって、人ははじめて団結できるのですけど、身体儀礼に力がなくなることで、国民国家の団結は、弱まっていくと思います。国民国家だけでなく、宗教やイデオロギーの結束力もなくなりつつあります。
仲間が集まって、酒を飲むことも、もちろん身体儀礼の1つです。ワインのテイスティングとか、飲み会の乾杯の音頭とかは、すべて儀礼です。みんなが集まって、決まったことをいっせいにやる、そのことのチカラが、今回のコロナ禍をきっかけにどんどんなくなっていきます。
会社や工場でいっせいに働くことも、ひとつの身体儀礼です。文化祭や運動会も、身体儀礼です。働いたカネを消費することも、儀礼です。世界的に、若い人ほど働くことをやめつつあります。中高年の精勤自慢には、若者の殺意が集まります。いわば不労革命が起きつつあります。ルールに則った、集団行動が恨まれつつあります。
身体儀礼とはなにかというと、要するに広告なんです。ユナイテッドバイエモーションとは、広告です。アフターコロナとはつまり、広告の終わりです。スポーツマーケティングの虚像で生き延びてきた電痛のブランド価値が、一気になくなりました。良かったですね。
なにかの終わりは、なにかの始まりです。身体儀礼が終わると、なにが始まるのでしょうか。私は、Slower, Lower,Weaker, Individualの時代が始まると思っています。遅いほうがいい、低いほうがいい、弱いほうがいい。国民国家が廃れて、個人の再生が始まります。
以上、本日も最後までありがとうございました。
人のゆく裏に道あり花の山