はてなからnoteへの引っ越しにあわせて、毎日ひと月分ずつ、過去のブログ記事をリマスタリングしているのですが、改めて己の進歩のなさに驚きます。ほとんどなにも変わっていません。苦笑してしまいます。こちらはほとんど変わってないのですが、コロナ禍もあり、世の中がこちらへ寄ってきているというのが、正直な思いです。
4年以上前のブログから、引用します。2016年9月14日にすでにこんなことを書いています。
本音を申せば、最早出社も不要ではないかと思う。インターネットが組織を無用の長物にしたということは、組織の容れ物であるオフィスも無用の長物である。精勤や頑張りに何の意味もない。結果が全てである。
会社などのヒエラルキー型の組織は、インターネットのない時代のインターネットでしたので、インターネットが普及すればするほど、大きな組織は要らなくなります。ヒエラルキーは、遅かれ、はやかれ、自律分散型のネットワークによって、滅ぼされます。少なくとも、ヒエラルキーの何を滅ぼし、何を残すのかを決めるのは、ネットワークのがわであり、大きな組織は必ず立ち行かなくなります。
最近YouTubeで、アニメの美味しんぼが無料で公開されていますが、改めてかいつまんで内容を観てみると、30年以上前の日本社会はほとんど別世界のようです。特に、美味しんぼを観て驚いたポイントは次の3つです。
まず東西新聞の記者たちが、まだレッツノートのトリテキをしていません。彼らのオフィスにはワープロさえなく、原稿を手書きしています。当然ながら、取材のメモも手で書いています。パソコンもワープロもないのに、彼らの仕事ぶりはいまよりずっとのんびりしています。
いまの新聞記者なんて、記者会見に来ても事前に決められた記者以外いっさい質問もせず、レッツノートで発言を打ち込んでいるだけです。ガースーに誘われれば、パンケーキパーティーにもホイホイついていきますし、まさしく心を亡くした、朱子学カルトでしかありません。新聞の権威みたいなものももはやなく、文化の担い手という存在意義も、ほとんど日本の新聞には残っていないように思います。
2つ目の驚きは、山岡士郎のアルコール依存症ぶりで、毎晩高級割烹やバーに通い、二日酔いのまんま、午前中は資料室や屋上で寝ています。これはぐうたらなのではなく、飲み過ぎて肝臓がやられているのです。そんな彼は、海原雄山の息子なのでコネ入社、東西新聞社の社運をかけた究極のメニューづくりをまだ20代でありながら、一手に引き受けています。
この時代のサラリーマンは、毎晩浴びるように酒を飲み、午前中は仕事にならない、そんなスタイルでも経済は成長していました。山岡士郎の世代がいまでは、新聞社の役員になっていますので、現在の新聞社の凋落はまさしく山岡世代の結果だと言えるかもしれません。
最後のポイントは、中間管理職の無能ぶりです。東西新聞の社主から、帝都新聞との対決企画について圧力をかけられるたびに、局長、部長、副部長はただただ山岡士郎を呼びつけ、怒鳴りつけ、今度負けたらボーナスはゼロだなどと恫喝します。課題の解決はすべて山岡士郎任せです。栗田ゆう子はお茶くみ係固定とか、あの頃のサラリーマンの常識が、なんと五、六年前までは通用してました。
コロナ禍ではっきりしたのは、この東西新聞の30年前の古い仕事ごっこが、さすがにオワコンだという事実で、本来ならば、少なくとも20年前までには解決していなければならない問題です。デジタル化してないことが問題の本質なのではありません。もはや手遅れ、日本の政財官学マスメディア、エスタブリッシュメントは、コロナ禍で壊滅的な打撃を受けることになると思います。