滋賀県出身、新卒社会人の「chiharu」と「Yさん」が不急の内容を最近読んだ本、エンタメ作品や心理学の切り口で紐解いていくラジオ。
何者でもない未完成な状態から、何者かになりたいと挑み続け、思案している「ワカモノ」たちに捧げます。
今月からシーズン[6]に突入しまして「ワカモノ目線で贈与とGive&takeを解剖するシーズン」です。
今回は『Give&take』と『世界は贈与でできている』の2冊から二人が印象に残っている章や一節から贈与に対して頭回しながら哲学してる内容になっています。是非ながら作業にでもお聞きになってください。
※この放送回は著書『Give&Take』と『世界は贈与でできている』を基に話し合っています。気になる方は是非本書を手に取って読んでみてください。
名乗ってしまったら、お返しがきてしまうから。贈与はそれが贈与だと知られない場合に限り、正しく贈与となる。
ずっと気づかれることのない贈与はそもそも贈与として存在しない。
贈与はいつかどこかで「気づいてもらう」必要があります。
あれは贈与だったと過去時制によって把握される贈与こそ、贈与の名にふさわしい。
逆説的に、受取人が現れさえすれば、あらゆるものが贈与になる。
受取人が現れることで、それが贈与であることに気づく
母親は、「息子を迎えに行く」という行動を取ろうとしていた。それは、愛情から来る行動だ。
しかし「徘徊」と捉えている男性には、それが愛情だとは分からない。介護職員が現れ、母親の行動を解明した瞬間、男性は「受取人」となり、その瞬間に「贈与」が立ち上がる。
ルシウスは、僕らに何が与えられているのかを教えてくれる。
ルシウスが見て驚くもの、驚く対象。それは、僕らが気づかぬうちに受け取っていた贈与。古代ローマには存在していなかったということは、この世界に初めからあったわけではないもの。
歴史の過程で、それを生み出した誰かがいるということになります。だとすれば、それは誰かからの僕らに宛てた贈り物といえる。
こんな風に「贈与」には、差出人が存在しないものもある。これも、受取人が出現することで初めて存在しうる「贈与」なのだ。
【贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。】
倫理と知性はどちらが先かと問われれば、それは知性です。つまり、受取人のポジションです。
贈与に気づくことのできた主体だけが再び未来へ向かって贈与を差し出すことができるから
その主体は「もし私が気づかなかったら、この贈与は存在しなかった」ということを痛いほど理解している。
「この贈与は私のもとへ届かなかったかもしれない」と直覚できているからこそ、今から差し出す贈与も他者へと届かない可能性が高く、届いてくれたならこれほど素晴らしいことはないと分かっている。
ハーバード大学のフランチェスカ・ジーノさんとスタンフォード大学のフランク・フリンさんの研究では、贈る側と受け取る側がそれぞれ「欲しいものリスト」の贈り物と独自の贈り物にどのような反応をするか調べた。
贈る側が、「欲しいものリストから選びたいことを低く見積もる
贈る側は受け取る側が独自の贈り物のほうが心がこもっていてよいと思った
受け取る側は独自の贈り物よりも欲しいものリストの贈り物をもらったほうが嬉しい
つまり、贈る側は独自で贈りたい。受け取る側は欲しいものリストから選びたい。
人はプレゼントを贈るときに「自分なら嬉しいか」の範囲で考えてしまう。
自分の範囲から抜け出さないといけない。他人の視点から見る能力。
Q.欲しいものからあげるのと独自で贈るのどちらが多い?
Q.欲しいものからもらうのと独自でもらうのどちらにする?