2025年7月20日 三位一体後第5主日
説教題:私たちはどんな歌を歌おうか?
聖書: 創世記 4:17–26、マタイによる福音書 18:21–35、詩編 32、エフェソの信徒への手紙 4:32–5:2
説教者:稲葉基嗣
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カインの系図で特に強調されている、レメクの歌の中に、数字の7がとても印象的な形で使用されています。「カインのための復讐が七倍なら レメクのためには七十七倍」(24節)レメクは、この言葉の直前に、誰かから傷つけられた、その復讐として、その相手を殺したと伝えています(23節)。彼が自分の行ったこの復讐について引き合いに出しているのが、カインのための復讐が7倍という言葉です。この言葉は、カイン自身の言葉ではありません。弟アベルを殺してしまったカインは、神から告発されたとき、神に叫びました。そんな彼を憐れみ、神は彼を保護する約束を与えました。その際に、神が約束された言葉が、「カインを殺すものは誰であれ、七倍の復讐を受けるであろう」というものでした(15節)。復讐はあくまでも、神のもとにあり、カイン自身のものではありませんでした。けれども、レメクはカインへ語られた神の言葉を自分のために都合よく使います。まるで、自分の復讐を正当化するかのように、彼は歌いました。このレメクの復讐の歌は、彼のふたりの妻たちに向けて歌われました。創世記に記録されている最初の歌は、アダムからエバに向けられ、自分のパートナーの存在を心から喜ぶ歌でした(創 2:23)。それに対して、レメクの歌の内容は正反対のものです。まるで、それは、妻たちへの脅しのような、とても暴力的な言葉です。レメクの歌に耳を傾ける時、復讐や報復の正当化や暴力や憎しみの連鎖が続く、現代社会とこの歌が無関係だとは到底思えません。レメクの歌は形を変えて、この世界でも聞こえてきます。けれども、神はレメクの歌が、この世界で鳴り響き続けることを望んではいません。だから神は、主イエスを通して、レメクの歌が響き続けることを止めようとしました。レメクが自分の復讐や暴力を肯定することに用いた、7という数字を用いて、イエスさまは彼の歌に応えた姿をマタイによる福音書は記録しています。「七回どころか 七の七十倍まで赦しなさい。」(マタイ 18:22)私たちはレメクの歌ではなく、イエスさまの言葉を思い起こし続けます。77倍の復讐ではなく、7の70倍赦す。そんな、報復以外の道があるよと、イエスさまは私たちを招き続けています。レメクの歌が示す道とは違う、命の喜びにあふれる道を示してくださる、イエスさまを思い起こし、歌い続けることが、私たちがきょうこの世界に向かってできる、平和の築き方なのでしょう。