よっしーの「今週のエッセイ」

よっしーの「今週のエッセイ」

By 森田義夫LeisureHobbies
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よっしーの「今週のエッセイ」 episodes

  • 今週のエッセイ/マルチワーク

    8年前になる。

    この時期はこんなに働いていたのかと驚愕!

    今は、ブライダルの仕事とネットの配信作業と家事と趣味で

    一週間が過ぎてしまう。やりたいことが多くて、一日がとても速い。

    今週には、エッセイ集が完成しそうだ。

     

    このエッセイは、2016年2月の作品です。

     

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         「マルチワーク」

     

     今年は、六十五歳になろうとしている。一昔前なら、鬼籍に入っているか、隠居の暮らしだろう。しかし、逆に仕事を増やしている。そんなにも働かなくてもという声も聞こえてきそうだが、こちらにも他人に言えない事情と言うものがある。私の人生には、安穏とした老後というイメージはない。体が続く限り働いて、ライフワークに取り組んで、人生を振り返る時間もなく、あっと言う間に、引き上げられたい。エノクのごとくに・・・。幸いなことに、天における私の住まいは、すでに備えられている。

     一昨年の十一月に学校給食の仕事に就いた。私の担当は、春日北中学校である。春日市の給食は、弁当なので、赤い食器には、ごはん、黒い食器には、おかずが二品から三品。それに、マグカップには、味噌汁などが入る。それを学年ごと学級ごとに入れ、弁当保温カートに納め、九つのカートを二トン車に入れ、十一時四十五分までに学校に納めるのである。毎日が、時間との勝負なので、作業に対する段取りがすべてである。ちょっと段取りが狂うと納入時間が遅れ、学校から校長会、校長会から教育委員会、教育委員会から中村学園事業部へとクレームが入ってくる。異物混入もしかり、数量違いもしかり、交通事故もしかりである。だから、納入が完了するとほっとするものである。毎日が緊張の連続であるが、1日一日で完結するので、翌日に引きずることはない。それに、夏休み、冬休み、春休みがあるのがいい。収入はないが体の休養には最高である。

     ほかに、ブライダルの仕事もかかえている。もう、十八年目、二千件を越えてしまった。こちらの方は、土・日・祝日の仕事がほとんどである。だから、休みがない。それに団地の入金事務もあるので、大変だ。数字が合わない時は、徹夜して、そのまま仕事に出かける時もあった。その他にも収入はないが、自社の経理、NPO法人の経理も見ている。

     マルチワーク。現代ならではの働き方かも知れない。その先に何が待っているか分からないが、今は、楽しくこなしている。多分、何が起きようともそのまま受け入れてしまう。そういう生き方をしてきた。だから、悔いはないが、他人に薦める気はない。まぁ、そんな生き方は、御免蒙りたいという声が聞こえてきそうだが・・・。満足な人生、でも、高らかには叫べない。

     

    注

    エノク・・・創世記五章二十四節「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」

          エノクだけが死んだという記述がなかったので、生きたまま引き上

          げられたという人もいる。

    天における私の住まい・・・「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く

          のです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て

          あなたがたをわたしのもとに迎えます」(ヨハネの福音書十四の二)

          イエス・キリストを信じる群れは、そのイエスの言葉により、天に

          自分の住まいが備えられていることを信じて疑わない。

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    兎に角、時間が少なくなってきている。

    まだまだ元気なうちに、やりたいことをやり終える。

     

    それも亦、愉しからずや です。

    6 min
  • 今週のエッセイ/未来草稿

    これは、確か、「余暇草」の巻頭言だったかな?

    この時期は、比較的本を良く読んでいたようだ。

    今は、ほとんど読まない、聖書以外は。

    本屋の平積みが私を呼ばない。

    だから、本屋にも寄らない。

    コロナ以降、それが顕著である。

     

    このエッセイは、2015年7月の作品です。

     

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    未来草稿 

     

     草枕、文鳥、霧の城、鬼弾、悪党の戦旗、朝の霧、のぼうの城、忍びの国、

    信長の血脈、剣と紅、三好長慶、前田慶次郎、崖っぷち侍、花の館、刀伊入寇、

    沙門空海唐の国にて宴す、長曽我部最後の戦い、実朝の首、箱根の坂、光圀伝。

     

     漱石を除いて時代小説あるいは歴史小説に類する本である。今年は、何だか歴史物を無性に読みたくなった。年間百冊を読破すると感嘆の声が聞こえそうだが、五十数冊では、中途半端な数である。しかし、これが僕の限界だ。

     読むと書きたくもなる。書くと行き詰まる。またぞろ、読みたくなる。そして、ペンを執る。そこに成長した自分を見出すのは皆無に等しい。陳腐な文章でもマンネリズムな表現でも独りよがりな言葉でも、それはそれでいい。何を伝えたいかは、ない。読んだ人が何かを感じれば、それがメッセージだ。自分を分かって欲しいという気持ちは、ない。自分自身も分からないのに他人が分かるはずがない。でも、書きたい。残された未来に向けて、読破した本がそのまま私の草稿だ。

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    いま、エッセイ集の編集作業中だ。

    「手ほどの雲 その一」

    書いたエッセイに、その時の心情、状況、環境等々を加筆している。

    自分の生きた証しにもなるので、それはそれで面白い。

     

    それも亦、愉しからずや」です。

    4 min
  • 今週のエッセイ/生まれた町の遺構が世界遺産へ

    私が生まれた町が世界遺産へ

    嬉しいことではあるが、無名の町である。

    長崎に住んでいても、小菅という地名を知らない人は多かった。

    世界遺産になったとしても、やはり無名のままである。

     

    このエッセイは、平成27年7月の作品である。

     

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    生まれた町の遺構が世界遺産へ

     

     私が生まれた町は、長崎市小菅町7。今回世界遺産に登録されたひとつに小菅修船場跡があり、その住所は小菅町5です。長崎駅から野母半島へと続く道沿いにあります。実家の前は、その道があり、渡ると下の方に小菅修船場跡が見えます。通称、”ソロバンドック”です。

     江戸末期から明治にかけて、長崎に出入りしていた船は中古船が多くて、たびたび故障していました。船を修理する設備が欲しいという声が多くあがり、薩摩藩士小松帯刀と五代才助、グラバーなどが協力して、長崎湾からすぐに船を引き上げやすくなっていた入り江小菅にそれを作ったのです。船を引き上げる為のレール上の滑り台が上から見るとソロバン状の形に見えたことから”ソロバンドック”と親しまれています。

     子供の頃は、すでに民営となっており、小型船舶の修理場となっていました。夏になると、「第八山田丸」と書かれた船舶が引き上げられ、錆を落とす音がけたたましく聞こえ、夏の風物詩となっていました。実家の五軒ほど先に「梶山商店」という駄菓子屋があり、といっても駄菓子だけではなく、パンや牛乳などの飲み物、米、野菜、缶詰なども売っていましたが、そのご主人が面白いことをしていました。店の前の道路を渡り、木の幹にロープをかけ、それを下の”ソロバンドック”に引き上げられていた船の甲板に取り付けてもらい、小さな籠を取り付け、上から下へ、下から上へと移動できるようにしたのです。その籠には作業員の注文の品が書かれ、商品とお金が行ったりきたりしていました。昭和二十八年に閉鎖されたとありますが、私の記憶の中にあるということは、昭和三十年代まで稼動していたような気もします。

     小学生時代の社会科の教科書の中には、日本最古の造船所として写真入りで”ソロバンドック”が載っていました。最近では、すっかりそのことも忘れていましたが、世界遺産の登録で俄かに脚光を浴びるようになりました。それは、私の中だけかもしれませんが。グラバー邸までは来るのでしょうが、その先歩いて二十分程の”ソロバンドック”まで足を伸ばす人はいないようです。よっぽど歴史に興味があるか、船の引き上げ方法に興味があるかしないと来ないと思われます。近くに駐車場があるわけではなく、お土産屋さんがあるわけではなく、風光明媚な場所でもなく、何のお薦め目玉もありません。実家には、今七十を過ぎた兄が一人で住んでいますが、世界遺産登録後の様子を聞いてみようと思っています。

     子供の頃から親しんでいた場所が世界遺産に登録されたということは、驚きであり、また、誇りでもあります。長崎市内の人でも小菅という町を知らない人が多いのですが、これで、少しは世界にその名を知る人が増えたことと思います。今までは、小菅を知らない人に、

     「戸町(バス終点か経由地でほとんどの人が知っている)の隣の小菅です」

     と、言っていましたが、これからは、

     「世界遺産の町小菅です」

     と、言うことにしたいと思います。

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    世界遺産になってから、一度帰ったが、誰も来ている様子はない。

    地元のガイドさんが暇そうにしているだけだった。

     

    それも亦、楽しからずやです。

    6 min
  • 今週のエッセイ/漱石風を気取って

    このエッセイは、この時の状況を理解していないと何のことか分からないと

    思うので、かいつまんで、お話すると、

     

    この当時、私は団地の管理組合の会計担当をしていました。

    管理組合費の滞納者へ督促へ行った時の話なのです。

    団地の5階まで上って、ベルを押したが、誰も出てこず、

    帰ろうとして階段を降りかけた時に、その人は出てきました。

    昼の一時頃でしたが、酔っているようでした。

    その時の様子を、漱石風にエッセイにしました。

    感情を抑える為に。

     

    その後、この人とは、「支払った」、「支払われていない」で、

    ひと悶着があって、後味の悪いものとなりました。

    私の仕事ですから、仕事を全うしただけなので、仕様がないのですが。

     

    2014年11月の作品です。

     

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     漱石風を気取って

     

     団地の階段を踏みながら、自分はふと考えた。

     「今歩く道が過去からの道なのか、未来へと継ぐ道なのか、今知らず、後に知るべし」

     一陣の秋風が階段の斜に当たり、踊り場の病葉を吹き上げて、自分の目の前で挨拶をした。今、逢おうとしている人は、自分にとっては無益な存在である。しかし、返信が来ない以上、逢いに行かざるを得ない。人の気配がしない玄関扉を前にして、ベルを二度押す。気配がない。あらかじめ認めた覚書を新聞受けへ投じる。気配はないが、何だか中が明るい。少しの間の後に、階段を降り始めた。三段目を降りかけた刹那に玄関の扉が開く音、即、踵を返したら、その人が佇んでいた。少し目が虚ろ、裸足、足元がふらついている。昼の一時なのにと思いながら相好の微笑みで返した。初対面だと一触即発の場面だが、少しばかりの関係性を持っていたので、お互いの用件を理解することができた。人を知る、知らないで、斯様に違うものなのか。それぞれの用件を受け入れて降りていった。

     そうして、家人に話す種が殖えたことを喜んだ。

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    思えば、滞納者ともよく交渉をしてきました。

    解決してもしなくても、すっきりした気持ちにはなれませんでした。

     

    それも又、今では、楽しからずや です。

    5 min
  • 今週のエッセイ/町作り人作り

    誰に向かってのエッセイだったのだろう

    10年前のエッセイだが、もっともっと昔のような気がする

    今は、人と何かを作り上げるということはない。

    自分の世界で事足りている。

     

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    町作り人作り

     

     武田信玄の軍略をまとめた「甲陽軍鑑」の中に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と有名な言葉があります。攻撃手段としての或いは防衛手段としての城や石垣や堀の役割があります。しかし、これらはすべてただの道具に過ぎないのです。この道具を有効に最大限に活用するのは人の力です。有象無象の集まりでは、立派な道具が泣いてしまうのです。

     私たちが推し進めているNPO法人小羊の里も二期目となりました。少しはその思想や事業が具体性を帯び、少しずつだが支援する人々も増えてきたようです。私たちの事業は安心安全な場所作りです。具体的には環境にやさしい化粧品、安心して食べられる野菜、無理なく健康を維持できる体操、この三点セットがお互いを幸せにする大事なポイントです。これが少しずつ形になってきました。そして、それを提供する場所も福岡市でオープンし、島根県吉賀町でもオープンする予定となっています。この場所がどういう風に発展するのかは今からの楽しみでもあります。

     さて、この町作り、それは人作りでもあります。町を作るには、その狙いが必要です。構想、計画、行動も必要です。そのひとつひとつを実現するには人の力が必要となってきます。人がその狙いを理解し、それにそって構想を練り、計画し行動していくのです。その時にやっと町らしきものの一片が見えてくるのです。

     私たちの小羊の里は、みんなが夢を持ち、それぞれに協力しながら、みんなの夢実現のために前に進んでおります。どうかこれからも応援の程よろしくお願い致します。 

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    ビジョン無き民は滅びると言われるが、

    今は、自分のライフワークに取り組むだけである。

     

    それも亦愉しからずやです。

    4 min
  • 今週のエッセイ/カモン!家紋

    最近、家系図を造ろうかなと思った。

    義父が天に召された時に、自分で相続登記をしたが、

    その時に集めた資料を丹念に追うと少しは何かが分かる気がした。

    でも、時間も体力も知力もないので、誰かに依頼するのが一番良いかなと。

    そこで、ネットで検索すると、4系統で13万円で・・・。

    これが一番妥当かな! でも、大丈夫かな?

    それに、今年は提灯も和田家と森田家の家紋入りを造ろうかな。

    子どもたちに残しておきたい。

    そんなことを考えている時に、このエッセイが出てきました。

     

    このエッセイは、平成26年2月の作品です。

     

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    カモン!家紋

     

     いきなり息子から携帯へ着信があった。いつもはメールの返事もないし、電話にも出ないのに、何だろうと思い携帯に出た。

     「お父さん、和田家の紋は、菊水だったよね」

     「あ~」

     「凄いじゃん」

     「何が?」

     「今、ネットサーフィンしていたら、菊水の紋にいきついてね、確か、和田家はそうじゃなかったかなぁと思って」

     「そう、楠正成の紋」

     「楠正成の子孫ということ?」

     「よくは分からないけど、もともと楠の前は橘姓を名乗っていたらしい。それから、正成は楠姓に変わり、弟は和田姓を名乗ったらしい」

     「ふ~ん。その菊水の紋は残ってないの?」

     「提灯とか着物の紋には使われていたけど、今は、うちには何も残ってないなぁ」

     「どっかに残ってない?」

     「兄貴の家には何かあるかもしれないけど。ちょっと気にかけとくね」

     「何かあったら、お願いします」

     「わかった」

     突然呼び出された菊水の紋。私の姓も和田から森田へと変わったから、ほとんど思い出すこともなかったのに、菊が入っているので、天皇と関係があるのかなぁと思い調べてみると、後醍醐天皇が正成に下賜したが、恐れ多いということで、下半分を水の流れにしたということだった。何の役にも立たない知識が一つ増えた。

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    と、いうことで、家系図と提灯、作ってみたくなりました。

    今年中に何とかしたいものです。

    それも亦愉しからずや です。

    5 min
  • 今週のエッセイ/ことの葉エレジー

    この出来事は、もう32年ほど前になる。

    だから、この時に生まれた子は、32歳ぐらいだろう。

    もう、結婚しているかもしれないし、そうでないかもしれない。

    消息は、まるで知らない。

    この事を分かち合える人は、誰もいない。それでいいのだろう、この世では。

     

    このエッセイは、2013年12月の作品です。

     

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    ことの葉エレジー

     

     「妊娠三ヶ月なんです」

     それは、温子の一言から始まった。彼女は、まだ十七歳、相手も高校生で経済力もなければ、その親も無関心。私は、教会の伝道師という立場上、この小さな命を守る方向で動き出した。短い時間の中でやらなければならないことは多々あった。温子の検診と保護、彼の親との面談と交際禁止、主治医と生まれてくる子の養子先探し。

     「お願いします」

     酒乱の父と精神的に不安定な母を持つ温子にとっては、そう答えざるを得なかったのかもしれない。早速、両親に会いにいくが話が通じない。最後は、「こちらに任せていただきます」と通告して帰ってきた。彼の母親にも会いにいったが、関わりたくない様子。「息子さんに会わないように言ってください」とこれも通告して戻ってきた。近くの産婦人科へ温子を連れてゆき、診察を受けてもらった。幸いにも順調でほっとした。養子先はCという団体に相談し、指導を仰ぐことにした。

     「それでいいです、お任せします」

     進む方向を温子に説明し、了解を得た。まずは、彼女を安心できる環境に置かなければならない。自分の家に引き取ることにした。妻と六歳の息子二歳の娘がいる我が家では少し狭いが心は紛れることだろう。C団体からの紹介で他県の産婦人科医を紹介してもらい、

    そこで診察を受けた。生まれるまでは、そこに入院することとなり、一度戻ることとなった。温子は押し黙ったままであった。

     「赤ん坊は自分の袋を持って生まれてくるから」

     牧師に一部始終を説明し、了解を得た。その時に牧師が言われた言葉であった。生きる為に必要なものを袋の中に詰めて生まれてくるから何の心配もないということだった。そのことを温子に話し、安心して連れていくことができた。一番不安だったのは、私だったかもしれない。生まれるまでの数ヶ月、温子の両親の動きも心配だったし、彼の行動も不安、そして、温子自身の心変わりも心配だった。

     「無事に生まれました、女の子です」

     安堵の気持ちと共に飛ぶように病院を訪れた。温子に似た可愛い女の子だった。抱き上げると、じっと私の顔を見て、視線をはずそうとはしなかった。私も、その子を食い入るように見ていた。その様子がぎこちなかったのだろうか。C団体の人が、「赤ん坊を抱くのがうまくないですね」その声で我に返ったような気がした。自分が生んだ子を抱くこともなく、他人へ渡さなければならない温子の気持ちを考えると切なかった。一切の手続きを完了し、真理と名付けられたその子をC団体の人に預け、帰ることにした。

     「・・・・・」

     温子は何も言わず車に乗り込んできた。生まれた時の様子も聞かなかった。生まれた子を抱いたのかも聞かなかった。温子の気持ちを聞くこともなく、車は福岡へと黙々と走り続けていった。温子の声なき声が私たちの心の中にガンガン言葉となって落ちてきた。それを拾うこともなく、整えることもなく、淡々と車を走らせていた。

     

     あれから二十年。真理ちゃんは成人式を終えた頃だろう。一年近く一緒に暮らした温子は、結婚して幸せに暮らしていると聞く。あの時、言葉を封印した温子は、今の幸せを得る為に過去を葬り去ったのだろうか。

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    あの時の姉妹は、今、妹が49歳、姉が52歳ぐらいだろうか。

    この二人の姉妹の出会いが、私の人生に大きく関わってきたのであった。

    今あるのは、彼女たちのお陰ともいえる。

    いろいろありましたが、それも亦、愉しからずやです。

    7 min
  • 今週のエッセイ/今日の一日

    不毛の一日、不毛のエッセイ、

    不毛ではあるが、そんな一日があっても良いのでは・・・

     

    このエッセイは平成25年10月の作品です。

     

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    今日の一日

     

     これは、ただの言葉の羅列です。エッセイでもなく、ましてやショートストーリーでもありません。何のメッセージ性もなく、テーマもありません。ご用とお急ぎのない方は、読んでも構いませんが、何の益にもなりません。随筆とは何ぞや、メッセージは?テーマは?と考えている生真面目なお方は、もうこの辺で読まない方がよっぽど精神的なストレスを抱え込まないのではないかと思う。

     さて、今日十月二十七日は、仕事が入ってなかったので、早良区の卓球大会へ出場することにした。朝六時半起床。残っている味噌汁とご飯を頬張る。それだけでは足りなかったので、スパゲティを茹でる。何の具も野菜もないので、わずかに残っているキャベツを刻み、鍋に二リットルの水に塩小さじ一を入れ、八分間茹でる。そして、ざるに移し、しっかりと水を切っていると「水はあまり切らないでゆで汁が残っている方が私は好き」むかっときたので、わざと水を目いっぱい切る。「自分でしたら?」と、娘がフォロー。何も言わず、中華鍋にごま油とにんにくを入れ、それにバターを追加し、水をしっかりと切ったスパゲティを入れ、手早く炒める。麺がなじんだらキャベツを入れ、手早く炒め、火を止める。ちょっと七味唐辛子を入れて完成。時間がなかったので、自分だけ食べていると、「私は?」娘が「自分でしたら?」面倒くさいので、お皿についで、箸も水も添える。食べ終わるとそそくさとバッグ片手に家を出る。途中でおにぎり一個を買い、バスに乗り込む。早良体育館まで十五分程度。試合が始まる五分前に到着。何の準備もないまま、試合に臨む。最初はミックスダブルスで相手は男性ペアだったので、ハンディ二本をもらう。そのハンディのおかげと相手の調子があがらないうちに勝ってしまった。次もミックスダブルス、パートナーのおばちゃんのイージーミスに「いいよ、いいよ」と言いながら、内心いらいら。負けてしまった。次もミックスダブルス。次のパートナーは、うるさいおばちゃん。自分もミスが多いくせに、こっちがミスると何かしら講釈が始まる。いつもははいはいと聞くのだが、今日は何だかいらいらしていて、無視を決め込む。最後までぎくしゃくしていたら、また、負けてしまった。最後は、シングルス。相手は今まで勝ったことがない強敵。だけど、二ゲームを先取。これはひょっとすると勝つかなぁと思っていたら、二ゲームを取られ、タイになってしまった。でも、粘りをみせて、何とか勝つことができた。このチーム、女性四人に男性は私だけだった。何となく気分が乗らないままに、試合が終わると早々と帰宅。家には、娘がいて、帰るなり、「ちょうど良かった。藤崎まで送っていって」あ~、何で女性は人をこきつかうのか、いらいらしながらも、送ってゆく。帰ったら、掃除、洗濯物とりこみ、かたずけ、風呂の掃除、掃除機かけ、終わる頃に、「迎えに来て?」と今度は家内から電話。家の中が一段落してから、車で拾六町の会社まで、迎えに行く。麻雀メンバーを乗せて、おじいちゃんの家へ直行。時間は夕方六時半。日本シリーズを気にしながら、半荘、ついていて一人勝ち。おじいちゃんが「時間が早いから・・・」暗黙のうちに、もう半荘。またもや一人勝ち。今日はついてるついてる。朝からのいらいらも解消。自宅へ戻り、携帯のカメラで写していた写真をパソコンへ送る。美のり新聞用だ。最後は、余暇草の原稿書き。最近の心模様を書こうと思ったが、人に読んでもらうには何だか鬱陶しい。楽しい話題に関して書こうと思ったが、これもつまらない。そんな訳で、こんな文章になってしまった。明日は、余暇草だが、平日なのに結婚式が十二時から入っているので、十五分程しか参加できない。何か原稿を持っていくと、許してもらえるだろう。そんなこんなで今日の一日は過ぎていった。私のいらいらを解消したのは、誰かの言葉でもなく、カウンセリングでもなく、ただの麻雀だった。人生とはそういうもんさと、嘯きながら、明日の結婚式の準備をする。寿三ヶ月とある。平日だし、できちゃった婚みたいだし、二人式か少人数なのだろうと考えながら、床につく。何とも人に語るような一日ではなかった。読むべき事はなかったが、原稿二枚完成。一八○○文字となった。

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    10数年前は、不毛な一日があったようですが、

    今は、ないです。好きな事を好きなだけしています。

    気楽な一人暮らしです。それが不毛というのだよという声が聞こえてきそうですが。

     

    それも亦、愉しからずや です。

    8 min
  • 今週のエッセイ/麻雀介護

    義父が天に召されて、もうすぐ二年になる。

    本当に手のかからない人だった。

    介護できる人間はわたしだけ。

    94歳で天に召されたが、あまり会話をする機会も

    最後の方は、なかったような気がする。

    今思うと、聞きたいことがたくさあんあったのに・・・。

     

    このエッセイは、2013年10月の作品です。

     

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    麻雀介護

     

     昭和三年生まれだから、八十五歳である。何だかんだと言う割には、頗る元気である。若い時には自ら志願して少年飛行兵に行って、韓国の水原(スウォン)を中心に出陣の支度をしているうちに終戦となり、日本へ引き揚げて来たそうである。運動能力は高く、身体能力も誰にも負けないほどの強者である。数年前の自動車事故で大怪我をしたにも関わらず、寝たきりになることもなく、最近は、要介護のランクが下がってきた。要は、手のかからない老人ということである。その義父は、隣に住んでいるので、家内は毎日顔を出しているようだが、私は、麻雀の時に顔を出している。麻雀は、ほとんど毎日やっているので、私も毎日ということになる。

     家内が、まだ幼かった頃は、ミルク代を麻雀で稼いでいたようである。自宅に雀士が集まってきては、卓を囲んでいた。現在と同じじであるが、違うのは賭けないことである。ミルク代を稼ぐ必要もないし、お金に困っているわけでもない。そこそこに暮らしていけるのである。ただただ、楽しんでいるようである。一日のリズムは麻雀を中心に回っている。麻雀以外の時間帯に、病院や買い物、その他の所用を済ませているようである。メンバーも忙しいので、一時間半ぐらいで切り上げる。それも毎日続けられる理由のひとつかもしれない。

     麻雀は、四人のメンバーでの会話あり、手を動かし、相手を観察し、捨て牌から相手の当たり牌を予測する、また、相手の性格から手牌を推測する。そして、計算もしなければならない。呆ける暇がないのでる。呆け防止で麻雀をしている団体もある。賭けさえしなければ、精神的にも経済的にも負担は少ない。

     義父の家に行くのは、ただ単に麻雀を楽しむためだけではない。介護なのだ。介護だけの目的で行くとしたら、行く方も来られる方も少し構えるし、だんだんと重荷になってしまう。でも、麻雀を目的にしていたら、それが少し和らぐ。その日の体調も分かるし、精神的状態も垣間見ることができる。一石二鳥どころか何鳥にもなるのである。でも、こんな環境にあるのは、日本広しと言えど、うちぐらいではなかろうか。義父の家のひと部屋は、全自動の雀卓が備え付けられているし、メンバーはすぐに調達できるし、時間も融通がきく。あと五年は、この麻雀介護が続くことを望む。

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    ある時、12時間ぐらい義父の話を聞いていた時があった。

    あの時、なぜいろいろと質問しなかったのだろうか、

    今なら、きちんと質問できただろうに・・・。

    謎の多い森田家である。ちなみに私は養子です。

     

    それも亦、愉しからずや です。

    6 min
  • 今週のエッセイ/ドボジョ

    娘は今、転職4回して、5社目である。

    昔と違い、転職にあまり抵抗はないようだ。

    それは、本人もだが、世間もそうなっているようだ。

    アメリカンナイズされてきているが、賃金はそうなってはいない。

     

    時代遅れの私には、何の助言も提言もない

    ただただ、見守るだけである。

     

    このエッセイは、2013年7月の作品です。

     

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    ドボジョ

     

     帳尻合わせの女が今やドボジョと化した。ドボジョとは、土木関係の仕事に従事している女子のことである。ニュースによれば、何だか急増しているらしい。その一翼を担っているかどうかは定かではないが娘も立派なドボジョである。天神の現場に夜な夜な現れ、朝の六時には引いている。ただ、ゼネコンだから実際の仕事は下請けの人たちが行い、彼女と所長と男性社員は、いわば監視役である。

     このドボジョ、どうやら漫画が発祥らしい。大学出の娘が、作業服を身に付け、土嚢を運んだり、ユンボを動かしたり、男顔負けの働きをするらしい。娘が入った会社の反応は、男並みの頑健な女子が入ってくるものと思っていたらしいが、そこに登場したのは華奢な体つきの娘である。困惑したことだろう。私も勤まるのかどうか心配だ。入社二日目にはもう泣きが入っていた。綺麗な服で通勤したいのに、作業服で通勤するのが嫌だというのである。やはり女の子である。次の泣きは、現場の事務所では一日ほとんど会話がないということだった。所長は無口、一年先輩の男性社員もほとんど口を聞かない。そんなこんなで三ヶ月が過ぎてしまった。今では、何だか作業着が似合っている。夜の仕事にも徐々に慣れてきている。

     その所長の趣味は読書にジャズにワイン。ほとんどのジャンルの本を読み、五年ほど前から少女文学にはまっているらしい。萩原規子、森絵都、香月日輪等々。文庫本を五十冊ほど貸してくれたそうだ。娘が読んだ本もあるし、まだ読んでいない本もある。ジャズもCDをリムーバブルディスクに落としてくれたそうだ。ジャズはワインを片手に聞いているらしい。独身の五十男、嫁が来ないのも分かる気がする。

     所長と気が合うのか合わないのか分からないが、外見には似合わず優しいらしい。しかし、その優しさを伝えるのが苦手のようだ。娘は、所長を好きだが恐いという。この先、どうなるのか、気が気でないが、今は、「ドボジョ頑張れ」と見守るしかない。

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    思い出すなぁ。真夜中にクレーンで釣り上げられて、写真撮影。

    開発した現場用トイレを運んだとか。

    朝6時ごろに迎えに行った、とか。etc.

    6 min

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