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作家久坂葉子の事は、今の今まで忘れていた。
自分が書いたエッセイを読みながら、思い出していた。
あの時の感動というか、ワクワクドキドキはどこへいったのだろうか。
そういえば、今はほとんど感動はない、でも、涙は流れる。
このエッセイは、2013年1月の作品です。
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作家久坂葉子のこと
彼女の名前を初めて目にしたのは、日本経済新聞のコラム「春秋」の中だった。心惹きつけられたキーワードは、「伝説の作家」「女太宰治」「男爵家出身」「川崎製鉄所創業者のひい孫」「二十一歳で鉄道自殺」、恥ずかしながら一度も聞いた記憶がない作家。そんな彼女に魅入られてしまったのだ。早速、数箇所の書店をあたってみたが、品切れか絶版。芥川賞にノミネートされた「ドミノのお告げ」は絶版、自殺前に書かれた「幾度目かの最期」は品切れ。でも、「幾度目かの最期」の方は、一月末に重刷する予定だとのことで、注文することにした。久しぶりに気持ちが昂揚し、何だかわくわくしてきた。待ち遠しいのだ。ところが、何気なく総合図書館のホームページから検索してみたら、「久坂葉子全集」も「ドミノのお告げ」も備えていたのだ。何でもっと早く気づかなかったのかと思いながらも予約を入れた。全集も「ドミノのお告げ」もすぐに手元に入ってきた。でも、書店で注文したことには悔いはなかった。手元に一冊ぐらいは持っておきたかったからだ。
早速、「ドミノのお告げ」を読み始めた。没落貴族の話。主人公の雪子は二十代半ばで独身、賭け事好き。父は喘息持ちの寝たきり病人、母は神霊教という神道の一派の信者。兄は、肺結核で入院中。弟は音楽を目指している学生。みんな働いてないのに、どうして生活をしているのか。家にある財産を売って生活をしているのだ。雪子は、世間体があるという理由で働くのを両親から止められている。しかし、両親に見つからないように働いて何がしかの収入を得ている。ある日、貴金属を売りに町へ出かけ、何とはなしに八卦見でみてもらうと、「今月中に動という字が出てますから、何か、あなた自身か家族に変動があると思います」ということだった。これが、「ドミノのお告げ」だ。ドミノというのは象牙でできた西洋カルタ即ちトランプである。その翌日、いつも咳をしている父親が静かなので部屋を覗いてみると自殺をはかって既に死んでいた。葬式を終えたある日、親戚四人でカードの卓をかこんでいた。賭け事をしながら雪子は述懐する。「この時だけ命を燃やしていると感じる」と。ここには、雪子が、「人生は賭け、そうであるならば賭けに生きよう」という決意がにじみ出ている。
太宰治の「斜陽」に似た雰囲気で物語は進んでいくが、私が生まれた翌年に阪急六甲駅で電車に飛び込み自ら命をたってから六十年、今私がこの作品に出会ったのは何の意味があるのだろうか。また、久坂葉子という作家に惹かれたのは何なのだろうか。「今知らず、後に知るべし」だろうが、ただ、今言えるのは、何篇かの作品を読み進むうちに自分の感性に近いものがあるということだ。言わば共感できる作品のひとつということだ。
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11年前は確かに共感し、彼女の本を読んだはずだが、あまり覚えていない。
その時の感動も共感した事も記憶にない、加齢の為なのか?
忘却とは、忘れ去ることなり、忘れえずして、忘却を誓う、心の空しさよ。
誓わなくても、忘れてしまっているのも、虚しいものです。
それも亦愉しからずやです。
それでは、皆さんの明日が希望に満たされたものとなりますように・・・。
おやすみなさい。よっしーでした。
隠居 ・・・ 江戸時代のテレビや映画を見ると、朝から釣り竿片手に釣りへ
帰ってからは、近所の友と碁をうち
家に帰って晩酌というようなイメージでしょうか
さて、現代のご隠居さんはどうしているのでしょうかね。
もはや隠居という言葉もその人自身もいないのかも
このエッセイは、平成24年9月の作品です。
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隠居の時代へ
隠居のイメージは、例外はあったとしても決して若くはない。忙しい仕事の時間はなくても趣味を楽しむ時間はある。ローンを組むだけの余力はないが、今を楽しむだけの蓄えはある。子供は、もう独立していて、何の憂いもない。自分の好きな事だけに自由に時間を使える。ライフワークの集大成のために生き生きとしたプランを持っている。
だが、しかし、果たして隠居生活をしている人がどのくらいいるのだろうか。細川護煕のような殿様でないと一般庶民ではそれは、はなはだ難しいものがある。「明日から隠居」と宣言できるだけの余裕が欲しいものである。現実を見ると、死ぬまで働き続けなければならないし、今を楽しむどころか、日々の糧を得るのに必死である。子供の将来もいつまでたっても不安といえば不安である。これでは、自分の時間が持てないし、ましてやライフワークなぞ夢のまた夢である。
最近、街を歩いていても、車を運転していても、人々の動きが見えない。予測不能なのだ。ゆったりと道を渡る人たち、車が近づいても振り向きもしない。クラクションを鳴らしても平然としている。赤信号を渡る人たち、急いでいるのかと思ったら、渡り終えるとなおもゆっくりと歩いている。駐車場の出入り口に平気で駐車している。駐車場は空いているのに、路上駐車している。右ウインカをあげているのに、急に左に曲がる車がある。見ると、お年寄りだ。人口が多いせいか、お年寄りが目立つ。みんな、何かに向かって急いでいるようだが、果たして何かを掴んでいるのだろうか。
そこで、私も早めの隠居生活を始めることにした。何かを掴むどころか、生きているのさえ分からないようになる前に。しかし、イメージとはかけ離れたものとなるかもしれない。まず、仕事は死ぬまでやめられないので、続けざるを得ない。そうすると、残された時間は極めて限られてくる。その中で優先順位を決めていくと、私にとって順位の低いものは捨て去るしかない。優先順位が一番高いのは、ライフワークの集大成である。創世記から黙示録までのメッセージ化である。今はヨブ記が終わる所だが、ここ三ヶ月ほどは滞っている。次に、趣味で書いている小説、十一月までに七十枚程書かなければならない。これも進んではいないのだ。そうすると、時間を圧迫しているものを切り捨てなければならない。まずは、管理組合の仕事を今年度でやめることにしよう。午前様の仕事もきついし、小さな数字を追うのも辛いことだ。それに何よりも緊張感がなくなってきた。他にも多くの時間を割かれていることがある。少しづつ整理することにしよう。来年は息子の結婚も娘の就職もほぼ決まっている。余裕の隠居生活ではなく、切迫の隠居生活になりそうだが、心だけにはゆとりを持ちたいものである。せめて、道路を横断する時ぐらいは、笑顔の会釈を返したいものである。
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私が仕事を持ってないなら、自由気ままな隠居暮らしでしょうが、
今のところ、まだ仕事に忙殺されています。
それも亦、愉しからずや です。
それでは、皆さんの明日が希望に満たされたものとなりますように・・・。
おやすみなさい。よっしーでした。
このエッセイは、確か「余暇草」の巻頭言で書いたものだと思います。
第何号の作品なのかは、失念しましたが、2012年7月の作品です。
その「余暇草」も第41号で終了しました。
約20数年続いたので、それだけで素晴らしいです。
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生きとし生けるものへ
紀貫之の古今和歌集仮名序に記されている言葉である。「花に鳴く鶯 水にすむ 蛙の声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌を詠まざりける」花、鶯、水、蛙、そのいずれをみても和歌を詠めと言うのです。いや、詠まざるを得ないというのです。それは、和歌だけではなく、散文にも言えることです。生きとし生けるものへの感情がこんこんと湧き上がってくると、そこにはひとつの言葉が生まれる。そして、その言葉をひとつひとつ紡ぎ続けているのが余暇草である。これは、もはやひとつのアンソロジーである。
最初から選ばれし者、途中で声を聞いた者、井出さんのように漫画界から呼び出された者、岡本さんのように再び、それも突然に舞い降りてきた者、その生き様はそれぞれだが、一人一人が確かにアンソロジストのようでもある。
十年の歴史を刻んだ余暇草の底に流れているものは、絶えることのない伏流水、それはもはや枯れることはない。生きとし生けるものへ咆哮する選ばれし者のエネルギーを感ぜざるを得ないのである。
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一番多い時期は10数名いましたが、団地に残ってる人は、4~5名となりました。
20数年続けていれば、年齢も20数年加味されるわけですから、
みんな年とってしまいました。それぞれの事情もあり、団地の中にいる人、
引っ越した人、亡くなられた人、それぞれです。
暫し、思い出に浸ることができました。
それも亦、愉しからずや です。
それでは、皆さんの明日が希望に満たされたものとなりますように・・・。
おやすみなさい。よっしーでした。
この出来事は、もう40数年前のことでる。
自分でもびっくり、そんなになるのかと。
全く、「光陰矢の如し」である。
確実に残された時間が少なくなってきている。
一日一日を大切にしたいものである。
2012年の作品です。
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初めての混浴
酸ヶ湯温泉。八甲田山の麓の温泉だ。千人が入る温泉がある。しかも混浴。心なしかワクワクドキドキで新潟へと旅立った。
もうすでに三十五年程前の話である。九ヶ月間同じ釜の飯を食った仲間との同窓会。場所は青森県の浅虫温泉。
総勢三十人程の仲間で、一番仲が良かったのが新潟県新津市の先輩だった。養子で奥さんに頭が上がらないと聞いていたので、それを確かめるのも楽しみの一つだった。当然、私の方はまだチョンガー。色々な夫婦の形態を見るのも後学のためには良い。しかし、奥さんは最後まで出てこなかった。夕方に新津市に到着し、そのまま外食し、先輩の家に戻ったら、そのまま二階の部屋へ直行し、翌朝は早立ちしたのである。その間、声も姿も気配さえ感じられなかった。いや、気配は微かにあったように感じられた。でも、そのことを先輩に聞くこともなく青森へ向けて車で出かけていった。
もう、心は酸ヶ湯温泉である。浅虫温泉までのルートを夕べ先輩が説明してくれたが、「酸ヶ湯温泉は混浴で・・・」という言葉しか覚えていない。慣れない道に戸惑いながらも何とか酸ヶ湯温泉へとたどり着いた。早速温泉に入ることにした。脱衣場は男女に分かれている。(何だよぉ!分かれているのかよぉ)すりガラスのドアを開き、中へ入ると湯けむりがもうもうとして視界が遮られている。足元は檜作りの板張りが足に感触が良い。目が慣れてくると両サイドにこれも檜作りの階段が下へと続き、四つか五つの大きな檜作りの浴槽が見えてきた。温泉全体が総檜作りである。そして、女性らしき声が聞こえてきた。(これよこれ!こうでなくっちゃ!)脱衣場は別々だが中は混浴なのだ。足取り軽く下へ降りてゆき、浴槽へと近づいていった。(いやぁ、混浴はいいよなぁ)先輩と湯船につかり、ゆっくりとあたりを見回すと、おばあちゃんとおじいちゃんばかり。(こっ、これは女性と言えるのか?)と思った瞬間、皆の目が若い二人に注がれた。若い人は珍しいらしい。その視線から逃れるように隣の浴槽を見ると、同じようなものだ。(何だ、若い女性なんていないじゃないか)ふてくされたように、打たせ湯へと移動した。結局、何の収穫もないまま上がることになった。
まぁ、期待した私がバカだったのだが、それ以来、混浴と聞くと、おばあちゃんとおじいちゃんのシワだらけの裸体が思い浮かぶのである。これも、トラウマというのだろうか。
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どんな収穫を期待していたんでしょうね。
20代後半の思い出でした。
それも、亦愉しからずや です。
それでは、皆さんの明日が希望に満たされたものとなりますように・・・。
おやすみなさい。よっしーでした。
最近の技術の進化はすさまじいものがある。
特に、AIの進化はいちじるしい。
私も使っているが、素晴らしい答えが返ってくる時がある。
すべてを受け入れるつもりはないが、便利である。
今に、頭の中の思いが外に流出できるようになったら大変だ。
このエッセイは、2012年9月の作品です。
頭の中の思いが他人に知られない時代の作品です。
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少年の笑顔
三月十三日、つまりホワイトデーの前日、私は年一回の妻と娘へのルーチン作業の為に会社からダイエー福重店へと歩き出した。空は晴れているが、風はまだまだ冷たい。
店の中へ入っていくと、前から爽やかな少年が歩いてきた。私服なので年齢は定かではないが、中学生のように見受けられる。その顔が遠く何かを見つめているようで笑みを含んでいた。その笑顔の何と可愛く爽やかなことか。見ると、右手に小さな紙袋、彼の後方にはホワイトデーの特設販売所、なるほど、遠く見つめていたのは、バレンタインデーにチョコをもらった彼女の顔、ニヤけていたのは渡す時を想像していたのだろう。そんなことを考えていたら、すれ違いざまに、つい吹き出してしまった。
その時、買い物をしていたオバちゃんと目があってしまった。ニヤけている私の顔を怪訝そうに見ていた。ヤバイ、このオバちゃんはきっとこう考えているに違いない。
(このオジさん何でニヤけているんだろう。ホワイトデーの特設販売所に向かっているので、家族に買う為か、いやいやそれぐらいでは、こんなにニヤけないはず、さては、あの顔で愛人がいるのでは・・・。まぁ、オジさんのニヤけた顔なんかどうでもいい。次のバーゲンに行かなくっちゃ。あ~忙しい、忙しい)
ニヤけた顔のやり場に困りながら特設販売所へと向かった。あの少年は、どんな商品を選んだのかと思いつつ物色していたが、「完売」の札がやたらと多かった。結局、値段も商品も思い通りとはいかず、妥協に妥協を重ねたものとなってしまった。
私の帰り道は、あの少年の爽やかな笑顔とは裏腹に何だか寂しいものとなってしまった。六十過ぎた男の頭の中がこんなふうに考えているとは、決して人には言えたものではない。
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自分の頭の中で考えていることが、どこかのスクリーンに映し出されたり、
誰かの頭の中で再生できたりしたら、大変なことになる。
そんな時代がくるのだろうか?
来てほしくはないものである。
今の時代を楽しむ事にしよう。
【第129回】2024/1/14(日)
一週間のご無沙汰でした。72のポッドキャスターよっしーです。お元気でしょうか?
「今週のエッセイ」の時間となりました。
「タイトルは 東日本大震災から一年 です。」
このエッセイは、2012年に書かれたものです。
今年初めての配信となります。
昔書いたエッセイを順番にアップしていますが、
今回は、「東日本大震災から一年」というエッセイになりました。
あれから13年が経ったんですね。復興状況はどうなってるのでしょう。
2024年は、元日から大きな出来事が起こりました。
能登半島の大地震、多くの方々が無くなり、今も安否不明の方々も多くいます。
二日には、航空事故が起こりました。奇跡的に乗員はすべて助かりましたが、
海保の職員5人が亡くなられました。
私には何もできませんが、末永い寄付と祈祷で応援したいと思っています。
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東日本大震災から一年
二○一一年三月十一日午後二時四十六分、マグニチュード九・一の大地震が東北地方を襲った。そして、津波に原発事故。誰も想像しなかった事態が発生したのである。
私は、その日その時間、会社で仕事をしていたが、何気なく開いたインターネットで津波警報を目にした。「津波の高さ六メートル」(いやに高いな。今まで津波警報が出されても数十センチで津波といえるのかなぁといつも思っていたのだが、今回はそれに比べると非常に高いな)でも、思考はそこまででそれ以上考えることもなく、仕事に戻っていた。しかし、帰宅してからテレビのニュースを見ると、目を疑った。そこには、信じられない光景が映し出されていたからである。人が建物が車が船が材木が流れてゆく。大きな波が押し寄せてくる。六メートルどころではない、十メートルを越えている。所によっては十六メートルもの津波がきた所もある。もう、人間は為す術がないただ見つめているだけである。それぞれの人に生死を分けた物語があり、それぞれの人生に津波は問答無用で押し寄せてきた。残ったのは夥しい瓦礫の山、山、山である。
あれから一年が過ぎてしまった。生き残った人たちの歩みは、遅々として進まないのか、それとも一歩でも前に進んだのか。遠くにいる私には想像もできない。同じ体験をした者同士だと、言葉を交わさなくても、苦しみも楽しみも悩みも分かることと思う。だけど、体験していない私には、どんなに言葉を尽くして語られたとしても本当の痛みは分からないと思うし、どんな立派な言葉で励ましても伝わらない気がする。今までは人海戦術で良かったかもしれないが、これからは、人が必要なところ、物が必要なところ、情報が必要なところ、心が必要なところ、被災地というひと括りでは解決できない問題が多々でてくることだろう。そういうきめ細かい配慮の上に綿密な計画をたてた旗振り役が必要となってくることだろう。復興には長い時間と深い知恵が必要となってくる。国の舵取りは重大な仕事となってくる。
はてさて、毎日がいっぱいいっぱいの生活をしている私に求められているのは何だろうか。考え込む一日である。
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今日現在で、石川県の死者213人、安否不明者52人となっているようです。
悲しみの中にいる人々に早く平穏な生活が戻るように、お祈り致します。
「みよこつれづれ」
きっかけは、重岡さんが知人から作ってもらったエッセイ集だった。それを見た時、牛島さんの心に本を作りたいという思いが湧き上がったのだった。
「私も本を作りたい」と牛島さん。
「森田さん作ってあげたら?タイトルは「みよこつれづれ」がいいと思いますよ」と多賀先生。
「わかりました」と応じる私。
こうして「みよこつれづれ」の本作りが始まったのだった。早速、牛島さんのご自宅を訪問し、原稿の整理にとりかかった。余暇草に掲載された原稿、新聞に投稿された原稿、それ以外の原稿と区分けし、その数八十近くだった。これを全部入力するのはちょっとしんどいなぁと思っていたが、その半分ぐらいは余暇草のホームページよりコピーできたので助かった。はじめは牛島さんの誕生日にあわせて五月に発行しようと思ったが、長すぎる感があったので、年内に発行するように段取りを整えた。
原稿の打ち合わせで数回ほど訪問し、その原稿の背景にある出来事も聞くことができ、なかなか楽しい作業であった。「ちんちん電車で彼と再会」の初恋の人との出会いと別れ、「赤提灯」での、Kさんの話。私が忘れられない情景は、Kさんが投げ上げた黄色いみかんが放物線を描きながら、牛島さんの手へと吸い込まれるシーンだった。何だか映画の一場面にもなるような情景だった。
平成二十三年十一月下旬に取り掛かり、本が出来上がったのが、クリスマスイブの日だった。約一ヶ月かかったが、年内に完成することができ、幸いだった。そして、発行日は平成二十四年一月一日とした。牛島さんにも喜んでいただきほっとした。
その牛島さんが美室を離れるという話を聞いたのは、二月のことだった。寂しい限りである。でも、「みよこつれづれ」が私の手元にある限り、たとえ遠く離れていても、すぐ近くに牛島さんの思いも寄り添っているような気がする。
一週間のご無沙汰でした。72のポッドキャスターよっしーです。お元気でしょうか?
「今週のエッセイ」の時間となりました。
「タイトルは 勝・喝・活(かつかつかつ) です。」
別に靴の音ではありません。
最初の勝は、勝利の勝でかつ、
次の喝は、喝を入れるの喝、
最後の活は、活性化の活です、それで勝・喝・活
さて、2024年の目標は何にするか、もうすでに決まっている。
ライフワークとしての取り組みが徐々に先が見えてきた。
後5年後には、完成することだろう。約30年かかったことになる。
このエッセイは2011年のエッセイです。
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勝・喝・活(かつかつかつ)
二○一二年の目標を立ててみた。とは言ってみても、若い時のような溌剌さはない。ここ数年、目標らしき目標はなく、目標を立てるのが目標のようなものだった。そこで今年はこのような目標を立ててみた。
「自分に打ち勝ち、
自らに喝を入れ、
己を活かす道を歩め」
ぬるま湯の生活の中に、少しのスパイスを効かせただけの話なのだが、このスパイスが何とも味わい深い生活を醸し出す場合も有り得る。目標があるのとないのとでは小さな違いのようで、実は随分な違いなのだ。
例えば、今朝の話だが、「今日は久しぶりの休みだし、もう少し寝ていようかな。余暇草の原稿も三作出していることだし、今日は出さなくても・・・」とぼんやり考えていた時に「勝・喝・活(かつかつかつ)」との目標が頭をよぎった。次の瞬間には、パソコンの前に座っていたのだ。
この積み重ねは、一年後には大きなものとなって、自分の糧となっていることだろう。今年一年の呪文は「勝・喝・活(かつかつかつ)」、怠惰な気持ちになったら「勝・喝・活(かつかつかつ)」、嫌な気分に陥ったら「勝・喝・活(かつかつかつ)」、いらいらしてきたら「勝・喝・活(かつかつかつ)」、なんでもかんでも「勝・喝・活(かつかつかつ)」
「勝・喝・活(かつかつかつ)」という足音のような呪文が私の頭の中を駆け巡り、ティンカー・ベルのタクトが振られる度に事が成就してゆく、まるで夢のような話だ。しかし、夢だけで終わらせたくない話でもあるのだ。
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さしおり、今まで書いてきた原稿をまとめることにしましょう。
エッセイ集「手ほどの雲」
応答集「高嶺の麗しさ」
メッセージ集「説教ノート2023」
配信集「み言葉日記2023」
是も亦愉しからずやです。
それでは、私の自己満足の世界におつきあいくださって、ありがとうございました。
それでは、皆さん、おやすみなさい。
皆さんの明日が希望にあふれたものとなりますように・・・。 ヨッシーでした。
一週間のご無沙汰でした。72のポッドキャスターよっしーです。お元気でしょうか?
「今週のエッセイ」の時間となりました。
「タイトルは 恋と愛のはざまで です。」
自分で書いたエッセイなのに、その真意が分からないエッセイが多々ある
その一つがこのエッセイである。
多分、言葉に酔っていたのでしょう。
どこかにあった表現を使ってみたかったのでしょう。
無価値な体験を何か価値あるものとして綴ってみたかったのでしょう。
2011年11月の作品です。
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恋と愛のはざまで
♪ 逢っている時は、何ともないが、さよならすると、涙がこぼれちゃう ♪
布施明が歌う「恋」の一節であるが、恋は一緒に住めない人に対する憧れの気持ちである。だから、逢っている時の気持ちと逢えない時の気持ちの落差が激しい。逢っている時でも、別れる時が来るのを知っているので、だんだんと息苦しくなってくる。そして、その対象は極めて狭い。その人しか見えないのである。「恋は盲目」と言われるのもその所以なのかもしれない。そう言う意味で、私が恋をしたのは、ただ一人、あとにも先にも一回だけである。でも、苦い思いだけが残っている。恋とはそういうものなのかもしれない。
♪ 愛、あなたと二人 花、あなたと二人 恋、あなたと二人 夢、あなたと二人 ♪
ここに出てくる愛は全世界にまたがり、花にも夢にも空にも丘にも、恋までをも包含したものである。この全世界を愛する気持ちや花や空を愛する気持ちは私にはない。自分独りで恋する分には良いが、二人で育てる愛の感覚はない。愛には犠牲的な愛があり、友情的な愛があり、家族的な愛があり、肉体的な愛がある。私にあるのは肉体的な愛のみである。つまりエロスの愛のみなのである。ここまで言い切ると誤解を招くような気がするが、ただ私の中でいつも欲望と理性の戦いで理性がわずかに勝っているだけである。
恋と愛のはざまで私は沈黙する。確かに今も恋をしている。されど、若い時のようなときめきもなければ、「恋は曲者」というような行動もとらない。ましてや、映画「卒業」のラストシーンに至ることはない。これが恋といえるのだろうか。告白もなければ、熱意もない。いや、私の頭の中では、確かに告白し、熱く語り、激しく求めてはいる。しかし、それは全く表には出ないことである。もはや恋ではない、友情的な愛にとどまるものでしかない。だけど、♪ 僕のこの胸は 恋にふるえてる ♪ この気持ちを何としよう。
恋と愛のはざまで私は葛藤する。恋愛と言えるかどうかは判らないが、そんな時期があり、結婚して、子どもが生まれ、やがて子どもに手がかからなくなり、夫婦だけとなってゆく。しかし、ここに私の愛は注がれてきたのだろうか。妻への愛はあったのだろうか、子どもへの愛はあったのだろうか。確かに一緒に暮らし、一緒の空気感を味わい、一緒に時代を生きてきた。だけど、そこには本当の私が見えてこない。あるのは醒めた姿だけである。ルシファの目のように漠然とした不安をみつめている姿だけである。
そして、やがて私は恋にも愛にも関係なく、ただただ呼吸をするだけの人間になってゆくのだろうか。いや、それはよそう。恋と愛のはざまで沈黙せざるをえなくなっても、無意味な恋、無価値な愛になろうとも、息を引き取るその刹那まで恋を語り、愛に溺れることにしよう。それが、生きてきた証しなのかもしれないから。
♪ 逢うたびに嬉しくて 逢えば又切なくて ♪
♪ 逢えなけりゃ悲しくて 逢わずにいられない ♪
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やっぱり良く分からない。
自分でも分からない、説明できない、そんなエッセイを読んで
他人が分かるはずはない。でも、それらしき説明を加えてくる人も出てきたりして、
それも亦愉しからずや です。
それでは、私の自己満足の世界におつきあいくださって、ありがとうございました。
それでは、皆さん、おやすみなさい。
皆さんの明日が希望にあふれたものとなりますように・・・。 ヨッシーでした。
団地の中に、文章クラブができた。
平成13年の事だから、今年で22年目である。
半年に一回発行しているのが、「余暇草」、今年5月で第41号、
最終号である。講師のT先生が一身上の都合で引っ越されたので、
余暇草メンバーも第41号を発行して、解散することとなった。
22年の歴史に幕を閉じたのである。
このエッセイは、その思い出を綴ったものである。
平成23年の作品なので、10年の思い出という事になる。
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思い出十篇
始まりは、廣岡さんの一言だった。「余暇草創刊号」を見ながら、「文章講座に来ませんか?」義父の家に立ち寄った時の出来事だった。ここから余暇草ライフがスタートしたのである。
余暇草第二号にデビュー作が掲載された。「三つの顔」十年経った今は二つの顔ぐらいだろうか?昼も夜も働いていた時代、確かに十年前は若かった。外なる人は衰え続けるが、内なる人は日々新たなり、といきたいものである。
平成十六年は、一発屋の匂いがする賞をいただいた。この十年、後にも先にもこの賞が唯一の賞である。そう言えば、最近応募することさえ忘れてしまっている。忙しいのを言い訳にはしたくないが、何かと忙しいのである。
創刊号からいるメンバーは多賀先生を除くと二名。牛島さんと重岡さんである。他界された人、引越しされた人、また新しく入ってこられた人、辞められた人、それぞれの個性が余暇草を彩っている。ちなみに、私と中村さんは二号から、江島さんは七号、堤さんは十号から参加されている。
久保さんを最後に見かけ、話したのは平成十八年だったろうか、義父を迎えに行った福大病院の待合室で息子さんと二人で座っていた。「検査入院なの」と明るく応えられていたが、程なくして、天国へと旅立ってしまった。
毎年五月は、JOMO童話の締切日である。毎年毎年ぎりぎりで郵送するのだが、送られてくるのは「童話の花束」という本のみ、「大賞です」という電話が欲しい。でも、数千という作品の中から選ばれるのは至難の業か。提出する度に無力感もひとしお。
平成二十年頃になると、手作りの余暇草作業も板につき、HPも整い、メンバーも落ち着き、順風満帆の安定行路を突き進んでいるように思えたが、私自身は創作にマンネリを覚える頃だった。殻を破りたいが破れない自分がそこにいた。
この頃、武田さんが加入され、私の「ぎんなんの笑顔」という童話を読んで、「東京育ちですか?」と尋ねられたことがあった。(私の中に都会的センスがあるんだ)というような勘違い人生はまだまだ続いているのである。今も・・・。
余暇草第十五号からは、賑やかな永尾さんが加入することとなる。口では謙遜しておられるが、どうしてどうして文章は相当なものである。隅に置けない存在となった。
こうして十年が経過すると、その重みをズシッと感ぜずにはいられない。この重みに耐えかねて発展的解消をするのか、はたまた、その重みを糧に次のステップに進むかは、明日の心だ。
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第40号で記念のユーチューブを造り、第41号が最終号となりました。
何となく、もうそろそろかなと思っていましたので、
ユーチューブを造り、アップしました。
先生の姿もアップされています。
「先見の明」ありという事か、ちょっと寂しい気もしますが・・・。
先生の引っ越し理由を聞くと、人生何が起きるか分かりません。
来年には、その理由も語れそうですが・・・。
それでは、私の自己満足の世界におつきあいくださって、ありがとうございました。
それでは、皆さん、おやすみなさい。
皆さんの明日が希望にあふれたものとなりますように・・・。 ヨッシーでした。
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