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まけないタオル
物事は多面的に考える方が良い。一面的に考えてしまうと、それがネガティブな面だったら落胆が重くのしかかってくるだろうし、それがポジティブな面だったら謙遜さを置き忘れてしまうことになるだろう。たとえば「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があるが、これを一面的に考えると、「井戸の中の蛙は、小さな世界しか知らずに可愛そうだな」となってしまうが、「井の中の蛙、大海をしらねども、空の深さを知る」或いは「井の中の蛙、大海は知らねどもども、月もさしこむ、花も散る」となれば、趣も違ってくる。井戸の中の狭く小さな世界にいたとしても、そこから見える空に関しては深く深く知っているのである。また、月もさしこむし花も散ってくる。何とも優雅な風情を伴う世界なのである。
ラジオでこんな話をしていた。東北のお寺の住職が「まけないタオル」というものを作ったというのである。東北大震災の後の話だったので、てっきり「津波に負けるな」「悲しみに負けるな」という思いが詰まったタオルかと思ったらそうではないらしい。このタオル、普通のタオルよりも丈が短い。ほとんど正方形に近い。そこに「まけないタオル」と染め抜いてある。住職によると、丈が短いので、頭にも巻けないし、首にも巻けない。バンダナにもならないし、ネッカチーフにもならない、単なるダジャレのタオルだということです。
この話を聞いたのは、東北大震災で日本中が自粛ムードの時でした。この住職の本音は聞けませんでしたが、これも生き方のひとつではないでしょうか。「東北の人達が大変な目にあっているときに、笑うとは何事だ」というような風潮の時に、ダジャレのひとつでも飛ばして楽しむのは誰憚ることではないし、他人がとやかく言うことでもない。それくらいの心の余裕があってもいいのではないか。震災から遠く離れた地の九州に住んでいる私が言うと顰蹙ものだが、東北の住職が言うと、これまた味わい深いものとなるに違いない。
暮らし方も生き方もそれぞれ違っていい、その違いを認め合いながら生きてゆく時に、また違った世界が見えてくるのではないだろうか。
平成23年11月
九十九島せんぺい
長崎くんちの帰りに立ち寄った土産物屋で、「九十九島せんぺい」を手に取った。大好物なのに暫し逡巡したのは、昔と違うパッケージの所為だろうか。味は変わっていない筈という半ば信心めいた気持ちで支払いを済ませた。
自宅に戻って、すぐに開けてみた。確か昔は、五枚か六枚を白い紙で包んでいたような気がしたが、今は一枚づつを白い紙の袋で包み、五袋を透明なビニール袋におさめている。少し風情が落ちたかなぁと思いながらも、口に入れたせんぺいの感触は昔のままだった。パリッパリッと独特の食感と香ばしさを楽しみながら、「心にのこる贈りもの・・・九十九島せんぺい」のしおりに目を通した。
それによると、生まれたのは私と同じ昭和二十六年、材料は、砂糖に小麦粉にピーナッツ、素朴な味わいだ。今では機械化されたようだが、せんぺいの表に書いてある「九十九島」という文字は今でも職人さんの手書きのようだ。この白い文字の部分に好きな文字を入れてオリジナルのせんぺいもできるようだ。たとえば、「感謝」という文字でお世話になった人に贈るのも良いだろうし、「○○さん、あなたが好きです」と書いてプロポーズもいいのでは、まぁ、私には、そこまでして贈る人はいませんけどね。ちなみに、せんぺいというのは、小麦粉で作られたもので、せんべいは米から作られたものだそうだ。その当時の話のようなので今でもこの区別があるのかどうかはわかりませんが・・・。
パリッ、パリッという音がいつのまにか、パリパリパリパリという音に変わり、五枚が消えてしまった。次の袋に手をかけようとした時に玄関が開く音がした。娘のようだ。一瞬、どこへ隠そうかと考えた私はあさはかだった。娘の、その筋の鋭さを忘れていたからである。残りの二袋は、あっというまに、彼女の胃袋の中へと吸い込まれていった。
いざ、長崎くんち
七年前に、六十になったら長崎くんちを見に行こうと思った。お目当ては七年ごとに奉納される「太鼓山(コッコデショ)」だ。今年は都合良く十月七日が金曜日で仕事の支障もない。六日に夜行バスの予約を取った。七日午後十時五十分天神発に飛び乗った。乗客は五名。「予約なしでは乗ることはできません」という注意書きが何とも虚しく響く。長崎駅前に到着したのは七日午前一時半。それから、諏訪神社まで歩いて二十分、立ち見席を取る為に並んでいる人が、すでに七~八人いた。
枡席は売り出し日に完売となり、すべての席が売り切れてしまっていた。朝から何度も電話をしたが繋がらず、昼には売り切れましたのトーキーが入っていた。残るは、立ち見席の千五百円か無料席の長坂だ。長坂というのは、はがき抽選による無料の特等席だ。諏訪神社は高台に拝殿があるので、だらだらと階段があり、拝殿に続く最後の階段は、八十段ばかりできれいに整った階段である。抽選で当たるとこの席に座れるのである。といってもきれいな席があるわけではなく、ただの階段に座るのである。二段に横に十二人がすわるので、ざっと四八○人が座れることになる。ここでは、奉納踊りを正面から見ることが出来るので、一番良い席である。ただ、少し制約がある。神様が通る場所ということで、帽子はかぶってはいけない、禁酒禁煙、飲み食いもできない。「持ってこ~い」のかけ声は人一倍しなければならないということになっている。この長坂席もはずれてしまった。もう、あとは立ち見席を狙うしかない。
そんなこんなで夜行バスに飛び乗ったのだが、思いがけない幸運が舞い込んできた。立ち見席の売り出しは午前五時半。長坂席には、はがきを片手に多くの人々が座りだしていた。「立ち見でも、見られればいいか」と思っていたら、案内の女の人が小走りでやってきて、「長坂席があと十ほど空いてますので、希望の人は先着順できてください」私は八番目だったので、すぐに手を挙げて長坂席に座ることができた。何という幸運、夜行バスに飛び乗ったのは正解だった。
向かいの山から朝陽が出る頃に奉納踊りが始まった。今年は、船が多い。「川船」「唐人船」「阿蘭陀船」「御座船」「傘鉾」「本踊り」「太鼓山(コッコデショ)」何と行っても圧巻は「コッコデショ」である。これを見ると鳥肌が立ち、涙さえ出てくる。「コッコデショ、コッコデショ」と音頭を取りながら、空高く投げ挙げ、男衆が片手一本で受け止める、圧巻である。このあたりは表現できないので、ユーチューブでご覧いただきたい。「コッコデショ」が最後だったので、次の演技場である公会堂までついていってしまった。まるで「追っかけ」である。
あ~満足した長崎くんち。
帰りは、久しぶりに新地中華街でちゃんぽんを食べ、大好きな九十九島せんぺいを買って福岡へと戻ってきた。七年間持ち続けた夢がかなった瞬間でもあった。ひとりは楽し~い。
【第121回】2023/11/13(月)
一週間のご無沙汰でした。72のポッドキャスターよっしーです。お元気でしょうか?
「今週のエッセイ」の時間となりました。
「タイトルは ハプニングいろいろ です。」
チャペルウエディングの仕事を始めたのは、1998年11月からでした。
だから、もう25年を過ぎようとしています。
結婚式は2000件を越えました。
ハプニングもいろいろありました。
このエッセイは2011年9月の作品です。
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ハプニングいろいろ
チャペルウエディングの司式をしていると、いろいろなハプニングが起こるものだ。最近一番びっくりしたのは、退場の時に新婦の長いトレーン(レース柄があしらわれた引き裾)がバージンロードに置き去りにされたことである。「新郎・新婦の退場でございます」と同時にバージンロードを静々と歩いてゆくのだが、私は拍手しながら、フラワーシャワーの様子を眺めていたので、トレーンがはずれる瞬間を見逃してしまったのだが、長いトレーンが扇形に落ちている。新婦は気づいてない様子で進んでいる。驚いた表情の新郎の父、聖歌隊、私。スタッフがすばやく巻き取るように持ち去っていった。どうやら、トレーンだけ着脱式になっていたようだ。きちっとはまってなくて、入場から退場までの動きの中でトレーンとバージンロードの絨毯との摩擦に耐えられなくなって、退場の途中ではずれたようだ。これは、もうクレームものである。でも、超格安の結婚式場故にクレームにならなかったかもしれない。これが、ある結婚式場Bだったら、支配人がスタッフを怒鳴りつけていたことだろう。そう言えば、Bでは先日、奏楽者がちょっと間違い、あわてて誤魔化したのだが、参列者がそれをBに後日伝え、奏楽者がひどく叱られたとか。参列者の気持ちが分らない。わざわざ言うことか?と思ってしまうのである。
そんな訳で、私たちは、いつも緊張を強いられている。お客様からクレームがあがったら、注意だけならいいが、出入り差し止めや最悪の場合は契約解除にも発展しかねない。ある牧師先生は、メッセージの中でお客様の気に入らない内容があり、その結婚式場から出入り禁止となってしまったことがあった。
ハプニングも笑ってすませるうちはいいが、笑えないハプニングもあるので、式が無事に終わると本当にほっとする。家に帰り着くと何だか妙に疲れてしまっている。でも、幸せそうな新郎新婦を見ているとやはり嬉しいものである。また、力が湧いてくるのである。
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一番の失敗は、名前を間違ったこと、すぐに訂正をしましたが、
そして、新郎と新婦の指輪を間違えたこと。式後に支配人から
電話が入り、支配人が優しい人だったから、何とかおさまりましたが、
契約解除、出入禁止もあり得た。いろいろありました。
それも亦、愉しからずや。
それでは、私の自己満足の世界におつきあいくださって、ありがとうございました。
それでは、皆さん、おやすみなさい。
皆さんの明日が希望にあふれたものとなりますように・・・。 ヨッシーでした。
B面で恋をして
物事に表と裏があるように、レコードにAとBがあったように、磁石にプラスとマイナスがあるように、なぜか魅かれあうように男と女がいる。しかし、そこには深くて暗い河もある。勇気のあるものは、船を漕ぎ出し、優しい者は波打ち際で翻弄され、傷つくのが恐い者はただ遠くを見つめているだけである。
女は、ただいるだけで罪作りである。その容貌に魅かれ、その声に魅かれ、その仕草に魅かれ、その行動に魅かれ、その優しさに心捉えられてしまう。しかし、それは私一人に向けられたものではない。ここが注意すべきところである。女は誰にでも、その魅力をまき、男は自分だけに向けられたと勘違いしてしまう。
この勘違いを盾に押し捲る男がいる。この押しに弱いのも女である。この勘違いを疑心暗鬼に変え、思い惑う男がいる。女の知るところではないので、男の一人相撲である。この勘違いを無視する男がいる。しかし、時に近づいてくる女がいる。女は無意識のうちに撒き餌をし、食いついた男を物色している。
そこで、草食系男子という言葉が無かった時代の草食系男子である私は、B面で恋をすることにした。A面ではないので、別にヒットしなくてもいいし、プレッシャーもない。気楽なものである。ひょっとすると、今流行の四十歳差の恋人に巡り合えるかもしれない。B面の恋に乾杯!
地デジ化?
「二○一一年七月二十四日にアナログ放送は見られなくなり、デジタル放送が始まります」もう、何年も前からそんな知らせが何度となく流れてきていた。はなからデジタル対応のテレビを買う気もなく、チューナーを取り付けるつもりもない。まぁ、しかし、気が向けばその気になるかもしれない。そんな気分で過ごしてきたが、とうとう、その日がやってきた。もちろん、新しいテレビもチューナーもない。テレビの左隅に「デジタル化まで、あと〇日」の表示。非常に邪魔なテロップだと思っていたが、これも今日で最後だと思うと、何だか寂しい気もする。
その日は、仕事だったので、出かけてしまったが、戻ってくるともうテレビは砂嵐状態になっていて見られないのだろうと思って、テレビをつけてみた。3チャンネル、青い画面に「アナログ放送が終了したことと、引き続きNHK放送を視聴したい場合はチャンネル調整が必要です。J―COM」とあった。1チャンネルも同じ状態。4チャンネルも同じ。やはり、もうすべてのチャンネルが見られないのだと思いながら、6チャンネルをまわすと(押すと)きれいに映ってる。右上に「デジアナ変換」とある。驚きながら、9、10、12チャンネルを立て続けにまわしてみると、どこもきれいに映ってる。下のほうにテロップが流れてきた。「この放送は、デジタルをアナログに変換して流しております。このサービスは二○一五年三月末日までで終了させていただきます」
えっ、国策に抗っているJ―COM??
結局、うちのオンボロテレビは捨てられることもなく、まだあと4年ぐらいは役目を負うこととなった。ここでも、食み出し野郎の5%にはいってしまった。私の人生いつも少数派に属している。もうそれも慣れてしまった。大勢の中で埋没するのか、少数の中で突出するのか、いずれにしても大河の一滴にすぎないのだが・・・。
一週間のご無沙汰でした。72のポッドキャスターよっしーです。お元気でしょうか?
「今週のエッセイ」の時間となりました。
「タイトルは 作家生活もどき です。」
自己満足の世界は良いものだ。
誰にも批判されず、誰にも認められないが、嬉しい。
自分の原稿が本になると、ニンマリとなる。
ライフワークである聖書の原稿も
来年で旧約聖書が完成するし、
新約聖書も後5年程で完成することだろう。
このエッセイは、2011年7月の作品です。
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作家生活もどき
原稿はある。本にしたい。でも、金はない。他人に認められるような実力はない。ただただ自己満足の世界である。でも、活字にして楽しみたい。そんな思いの人にうってつけのサイトがある。「出版できる本屋さんマイブックル・・・在庫なし、初期費用なしでほんの出版。販売ができる!充実したコミュニケーション機能で作家生活を楽しもう!」
五年程前から少しずつ本作りをしてきた。でも、やはり、一冊が高くなる。一冊作るのに二千円から三千円程かかる。一、二冊作るのなら、それもいいが、私のライフワークを書籍化すると、ざっと八十冊、仮に一冊三千円とすると二四万円。それに送料を含むと三十万円近くになる。ちょっと辛いなぁと思っていたときに、ライトブックなるものが新商品として登場してきた。一冊五百円である。これならいける。百冊作っても五万円である。ただ、制約がある。一頁の字数制限、一冊で百八十ページ以内、表紙のデザインは九種類しかない。それでも、ライフワークを書籍化するには充分である。
私のライフワークは、聖書の創世記から黙示録までをメッセージ化することである。只今、創世記上・下が製本化された。原稿は、エステル記まで完成している。黙示録までは遠い遠い話ではあるが、千里の道も一歩から、あと二十年はかけるつもりである。その間に小説も手がけてとなると本当に時間がない。だから、地デジには組しないつもりである。これは、ただ単に経済的な問題だけではあるが。七月二十四日、テレビに砂嵐が起こった瞬間に「これで日本もおわりだなぁ」と一人つぶやくことにしよう。
それは兎も角として、作家生活もどきを楽しむことにしよう。自分が書いた原稿が活字になるのは、内容は別にして嬉しいものである。この楽しみは何ものにも代え難い。後の願いは、自分の命が完成まで保たれることとマイブックルの会社がそれまで存続していることだけである。私の書物が後の世に誰かの目に留まり、その人の人生に影響を与えたならば望外の喜びである。といっても、その時には、この私はこの世には存在しないのだが・・・。
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ある姉妹との毎日の応答集が来年初めには完成すると思います。
エッセイ集も今まとめています。
毎日配信しているので、その原稿もまとめています。
今は、kindle本で出版するか、自宅のプリンターで本作り、
これも楽しいものです。
毎月**円の収入が入ってきます。
どういう種類の収入か分かりませんが、入ってくるのです。今のところ2桁ですが。
これもまた愉しからずやです。
それでは、私の自己満足の世界におつきあいくださって、ありがとうございました。
それでは、皆さん、おやすみなさい。
皆さんの明日が希望にあふれたものとなりますように・・・。 ヨッシーでした。
ビキニの日
ビキニという言葉を聞いただけでニヤッとするのは私だけだろうか。ビキニスタイルの女の子を見ると、もう目が踊っている。このビキニスタイルという水着が発表されたのは一九四六年の七月五日だった。だから、この日がビキニの日となっている。なぜ、ビキニかというと、一九四六年にマーシャル諸島のビキニ環礁で原爆実験が行われました。この発表は全世界を驚かせました。そして、その直後にビキニスタイルが発表されたのです。なぜ、ビキニにしたのか、それは、「その大胆さが周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえた」ということのようでした。
私が驚いたのは、ビキニではなく、一九四六年にアメリカが原爆実験を行ったという事実であった。つまり、一九四五年に広島、長崎に原爆を落とした翌年であった。アメリカは、戦争を早く終わらせる為には仕方がなかったという大義を押しつけてくるが、私には広島や長崎も実験の一環ではなかったかと思えて仕方がなかった。大国は常に自分の行動を正当化するために事実を隠したがる。
そして、時を経て二○一一年の東日本大震災、地震や津波も恐怖でしたが、原発の問題も急浮上してきた。原爆被災国としての日本が原発を押し進め、ここでその安全性が崩壊してしまった。どうする日本、ドイツはすぐに原発をやめ、イタリアも選挙で反対という立場を鮮明にした。しかし、賛成の国もある。賛否両論あり、原発がこれからどういう方向へと進むのかは分からないが、民が苦しむことのないようにしてもらいたいものだ。
ビキニの日が七月五日、原爆の日が八月六日と九日、この暑い一月の間に、ビキニスタイルの女の子を楽しむのもいいが、なぜ、広島なのか、なぜ長崎なのか、なぜビキニなのか、そんなことを考えると暑い夏がひょっとするとぞっとするような寒い夏になるかも知れない。
恋愛ごっこ
還暦を過ぎたというのに、こんなタイトルのエッセイを書いていると、大向こうから「いよぉ!色きちがい」と声が飛んできそうだが、これもそれも余暇草メンバーを喜ばすための私なりの気遣いでありまして、決して色きちがいではないことをお断りしておきます。「そんなお気遣いは無用に願います」と今度は余暇草メンバーからお断りが入るかも知れませんが。
さて、「ごっこ」というからには本気ではない。本気ではないけれども、本気の気持ちで恋愛を演じてみる。これは、相手には強要できないから、気づかれないように演じることである。もう六十過ぎると恋愛対象の人はいない。現実を直視すると恋愛どころではない。でも、二つの目にかけるフィルターは現実と妄想の二つを備えていた方が良い。現実に押しつぶされないように、そして、妄想に陥らないように。確実に年はとるわけだから、何事も衰えてゆくばかりである。でも、人を思う気持ちは衰えるどころか日増しに募ってくることもある。そこをうまい具合に利用すると楽しくなることうけあいである。
私が、チャペルウエディングの司式の仕事を始めてから十三年ほどになる。千三百件以上の結婚式に携わったことになる。目標が二千件なので、後六年はかかる。つまり、二○一八年まではかかりそうである。結婚式を挙げる二人にはそれぞれに物語がある。今日(六月二十六日、日曜日、午後六時)の挙式は、三十代か或いは四十代の誠実そうな新郎と三十代の久本雅美のイメージを大人しくしたような新婦。新郎側の参列者はいない。新婦側の参列者はご両親と妹さんご家族三人(?)の五人だけ。退場前に新郎が泣きながら挨拶、海外で生活するらしい。私の妄想が始まる。新郎の家族が出席しないのはなぜ、二人の出会いは?何で海外?仕事は?判ったのは、現在フィリピンに住んでいて結婚式を挙げたら、また、フィリピンにもどるということだけ。これをまとめあげていたら、今頃は千以上の物語が完成しているはずですが、一つの物語も完成していない。
自分が中心の恋愛ごっこも楽しいが、他人の恋愛を妄想する恋愛ごっこも楽しいものである。わずか三十分ほどの時間で得た情報の中から物語を展開してゆく。それができればもうとっくに作家生活を送っていることだろうが・・・。だけど、この妄想が私を若くさせているのかもしれない。(自分で言うな!) よぼよぼでは、この仕事はできないので、いつまでも若くしておくことは、私の中では死活問題なのだ。そして、また、私に与えられた至上命令でもあるのだ。
「恋愛ごっこ」大好き。
トーストマスターズクラブ
日本ではあまり知られていないが、トーストマスターズクラブという団体がある。もうかれこれ二十五年程前のことになるが、熊本でその団体に属していたことがある。トーストマスターとは、「乾杯の音頭をとる人」という意味である。この団体、十八歳以上なら誰でも入られるし、何の制限もない。当時、「いのちの電話」の相談員のボランティアをしていて、その仲間から誘われて入会したのだった。
熊本での会員は十名程度。月に二回程の例会があり、二時間の集会だった。内容は、スピーチクラブなので、五分間スピーチが主であった。五分間過ぎると「チーン」と鳴って強制的に終了。もう話すことが許されない。四分四十秒から五分の間にスピーチが完了した人のみ論評の対象となった。熊本のクラブは草創期でもあったので、そんなにレベルは高くなく和気藹々という雰囲気だった。だから、五分間スピーチが主でたまにディベートという時間が設けられた。ディベートというのは、あるテーマを設定し、賛成側と反対側に分かれて議論を交わし、それに判定を下す人が最後はしめくくるのであった。
本来のトーストマスターズクラブはもっとレベルが高くて、日本でも英語のスピーチのクラブがほとんどである。五分間スピーチはもちろんの事、ディベートあり、即興スピーチ、ユーモアスピーチ、司会進行の学び、役員の学び、その他にもスピーチに関するいろいろな学びを習得する場でもあるのである。
熊本のクラブは、そこまでは求められていなくて、ただ、他人のスピーチを聞くのが楽しみで通っていたものであった。幼い長男と妻も一緒に参加していたので、私が三十六、七の頃だった。しかし、それも転勤で一年程の学びだったろうか。もっと、ディベートの時間が欲しかった。
しかし、それは、私だけではなく、この日本にも必要なのかもしれない。
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