ラストシンフォニー

By クラシック名曲サウンドライブラリー

What's ラストシンフォニー about?

Last Symphony ~最後の希望を求めて~オーケストラ再生の物語経営難から解散の危機に追い込まれた伝統のオーケストラこの事態を打開すべく集められたのは、音楽への熱い理想を胸に抱く精鋭の演奏家たち(クラシック名曲サウンドライブラリー)

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LAST EPISODE

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op...

06.09.2023

♪第13話:【緊急座談会】トワ・レア・美里・綾乃のガールズトーク…オケ運営の現状 こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラの主席指揮者アンドウトワです、コンマスの風華レアです、ピアノの永井美里です、オーボエ主席の吉田綾乃です。 トワ:今日は「緊急座談会」ということなんですけど… レア:何を話したらいいんでしょうね? 綾乃:とりあえずガロ理事長はオケ運営の現状について話してほしいと言ってましたよ。 トワ:「オーケストラ再生の物語」と副題が付いてるくらいだからね。 美里:私はピアノですからオケの全公演は観てないんです。お客様の入りとかはどうなんですか? トワ:今はまだ家族とか親戚、友達とか身内が多いよね。そこに新規のお客様も少しずつ増え始めてる感じ? レア:座席は3分の2くらい埋まってるのかなぁ。 トワ:そうだね。満席にはほど遠いよね。 美里:うちのオケはやたらとメンバーが多いじゃないですか。今の状況では全員に満遍なく給料を支払うのは難しくないですか? トワ:そうだよね、てか無理だと思う。大体、なんであんなにたくさんいるんだろうね?まだステージに立っていない人も多いし。 レア:理事長が楽器演奏だけじゃなくてモデルの仕事も考えてるって、どこかでチラッと聞きましたよ。 トワ:モデル?モデルって何やるの?デザイナーの新しい服を着てランウェイを歩くとか? 綾乃:そういうんじゃないと思いますよ、多分。よく芸能事務所とかだと、とりあえずモデルの肩書で在席して色んな仕事をしてるみたいですから。 美里:でもうちは音楽事務所ですよね?モデルなんて私は何にも聞いてないですよ。 レア:私も…。でもそう言えば、なんかやたらときれいな人が多い気がする。ほんとに実力で選んでるのかなって思うことがあります。 トワ:ほんとそこだよね。うちのサイト見たらオーケストラじゃなくて、キャバクラかなんかのサイトと勘違いされそうだよね。 美里:プロフィール写真の撮影現場に行ったら、似たような黒い衣装がたくさん吊るしてあって、どれも品がないというか… トワ:選びようがないよね。椅子に座ったら勝手にメイクされて髪も結わかれて。私なんていざ撮影になったら風を吹き付けられて、長いウィッグがバッサバッサなびいてた(笑) レア:でも、その割に楽しそうな顔してますね。 美里:まんざらでもないような… トワ:違うのよ。でっかい扇風機で風をビュンビュン顔に吹き付けられるは、髪が強風で鯉のぼりみたいにたなびくはで、もう笑うしかなかったの。「私、ここで何やってるんだろう?」って。 美里:そうやって苦労して撮った写真がキャバクラみたいだったら萎えますね。 綾乃:サイトの写真を見た私の父が「おまえ、あのオーケストラは大丈夫なのか?信頼できる事務所なのか?」って聞いてきました。 トワ:たしかに、それは心配になるよ。知らないうちに睡眠薬でも飲まされて、目が覚めたら南米にいたとか(笑) レア:なんですかそれ?意味がわかりません。 美里:モデルって、まさかグラビアをやれとか言うんじゃないでしょうね。 綾乃:絶対嫌です。 トワ:でもあるかも。って言っても水着とかじゃないよ。ちゃんと服着たファッション誌のグラビアとかだったら。 綾乃:でもああいうのは有名な女優さんとかアイドルなんかが出てますよね。無名の私たちでは誰も見ないですよ。 トワ:そう、だからモデルの話は将来もっと有名になってからでしょ。いずれにしても水着グラビアはないと思うよ。まあ今度、理事長に聞いてみるけど。 レア:あの人は何を考えてるんだかほんとわからない。 全員:(うなずく) トワ:でもさ、私何年かドイツにいたでしょ?そこでガロ理事長の話は何度か聞いた。けっこう凄いキャリアがあるみたいだよ。その界隈では有名らしい。 美里:でもなんで日本にいるんですか?そんな人ならそのまま海外で活動してればいいのに。 トワ:なんか色々あったみたい、業界の大人の事情的な?ああ見えて、音楽に関してだけは純粋なんだよ理事長は。汚れた話は音楽に持ち込みたくないって考えがあるみたい。 美里:それだったら私も少しわかりますよ。色々あってプロの演奏家は一旦あきらめてましたから。 トワ:何?色々って。 ...

ラストシンフォニー episodes:

06.09.2023

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op.23 第1楽章 [2023] / P.I.Tchaikovsky:Piano Concerto No.1 in B-flat minor, Op.23:I. Allegro non troppo

♪第13話:【緊急座談会】トワ・レア・美里・綾乃のガールズトーク…オケ運営の現状 こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラの主席指揮者アンドウトワです、コンマスの風華レアです、ピアノの永井美里です、オーボエ主席の吉田綾乃です。 トワ:今日は「緊急座談会」ということなんですけど… レア:何を話したらいいんでしょうね? 綾乃:とりあえずガロ理事長はオケ運営の現状について話してほしいと言ってましたよ。 トワ:「オーケストラ再生の物語」と副題が付いてるくらいだからね。 美里:私はピアノですからオケの全公演は観てないんです。お客様の入りとかはどうなんですか? トワ:今はまだ家族とか親戚、友達とか身内が多いよね。そこに新規のお客様も少しずつ増え始めてる感じ? レア:座席は3分の2くらい埋まってるのかなぁ。 トワ:そうだね。満席にはほど遠いよね。 美里:うちのオケはやたらとメンバーが多いじゃないですか。今の状況では全員に満遍なく給料を支払うのは難しくないですか? トワ:そうだよね、てか無理だと思う。大体、なんであんなにたくさんいるんだろうね?まだステージに立っていない人も多いし。 レア:理事長が楽器演奏だけじゃなくてモデルの仕事も考えてるって、どこかでチラッと聞きましたよ。 トワ:モデル?モデルって何やるの?デザイナーの新しい服を着てランウェイを歩くとか? 綾乃:そういうんじゃないと思いますよ、多分。よく芸能事務所とかだと、とりあえずモデルの肩書で在席して色んな仕事をしてるみたいですから。 美里:でもうちは音楽事務所ですよね?モデルなんて私は何にも聞いてないですよ。 レア:私も…。でもそう言えば、なんかやたらときれいな人が多い気がする。ほんとに実力で選んでるのかなって思うことがあります。 トワ:ほんとそこだよね。うちのサイト見たらオーケストラじゃなくて、キャバクラかなんかのサイトと勘違いされそうだよね。 美里:プロフィール写真の撮影現場に行ったら、似たような黒い衣装がたくさん吊るしてあって、どれも品がないというか… トワ:選びようがないよね。椅子に座ったら勝手にメイクされて髪も結わかれて。私なんていざ撮影になったら風を吹き付けられて、長いウィッグがバッサバッサなびいてた(笑) レア:でも、その割に楽しそうな顔してますね。 美里:まんざらでもないような… トワ:違うのよ。でっかい扇風機で風をビュンビュン顔に吹き付けられるは、髪が強風で鯉のぼりみたいにたなびくはで、もう笑うしかなかったの。「私、ここで何やってるんだろう?」って。 美里:そうやって苦労して撮った写真がキャバクラみたいだったら萎えますね。 綾乃:サイトの写真を見た私の父が「おまえ、あのオーケストラは大丈夫なのか?信頼できる事務所なのか?」って聞いてきました。 トワ:たしかに、それは心配になるよ。知らないうちに睡眠薬でも飲まされて、目が覚めたら南米にいたとか(笑) レア:なんですかそれ?意味がわかりません。 美里:モデルって、まさかグラビアをやれとか言うんじゃないでしょうね。 綾乃:絶対嫌です。 トワ:でもあるかも。って言っても水着とかじゃないよ。ちゃんと服着たファッション誌のグラビアとかだったら。 綾乃:でもああいうのは有名な女優さんとかアイドルなんかが出てますよね。無名の私たちでは誰も見ないですよ。 トワ:そう、だからモデルの話は将来もっと有名になってからでしょ。いずれにしても水着グラビアはないと思うよ。まあ今度、理事長に聞いてみるけど。 レア:あの人は何を考えてるんだかほんとわからない。 全員:(うなずく) トワ:でもさ、私何年かドイツにいたでしょ?そこでガロ理事長の話は何度か聞いた。けっこう凄いキャリアがあるみたいだよ。その界隈では有名らしい。 美里:でもなんで日本にいるんですか?そんな人ならそのまま海外で活動してればいいのに。 トワ:なんか色々あったみたい、業界の大人の事情的な?ああ見えて、音楽に関してだけは純粋なんだよ理事長は。汚れた話は音楽に持ち込みたくないって考えがあるみたい。 美里:それだったら私も少しわかりますよ。色々あってプロの演奏家は一旦あきらめてましたから。 トワ:何?色々って。 ...

06.06.2023

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 Op.92 第1楽章, 第4楽章 [2023] / Ludwig Van Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92

♪第12話:すべては計画通りだった?…レアが独奏した「ヴォカリーズ」リハーサル現場の意外な真実 こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラのアンドウトワです。 前回のお話しでひとつ言い忘れたことがあるので補足させてください。 この前、コンマスのレアがラフマニノフ「ヴォカリーズ」のリハーサルについて語っていました。 私も見ましたが、あれではいかにも私と弦楽伴奏の楽団員が、意味なくだらけていたように思われるかもしれません。 言い訳がましいようですが、私はまだしも楽団員の名誉のためにも少しだけ説明させてください。 実はあの日、リハが始まる前に私と弦楽奏者たちは、楽屋でその日の進行について話し合っていました。 どうしたらレアがコンマスとして、もっと積極的に指示や意見をしてくれるようになるのかがその議題でした。 レアはオケの中では比較的に年齢が若いほうで、私とは5, 6歳の差があります。 また今後紹介される予定ですが、このオケには30代から40代の楽団員も少なくありません。 レアにしてみれば母親とまではいかないまでも、それなりに年齢が離れた楽団員もいます。 ですからまだ経験も浅いレアがそうした中にあって、つい発言にしり込みしてしまうのもうなずけます。 ですが事情があるとは言え、オケをまとめる立場のレアにはもう少し自信をもってほしいのも事実です。 そこで私たちはあえてリハで気のない演奏をすることで、レアの発奮をうながそうと考えたのです。 私たちの演奏や態度がつれないものであれば、レアも怒って本音をぶつけてくれると思ったのです。 結果は期待した以上でした。レアはめずらしく声を荒げて私に進言しました。 それでも私がとぼけていると、レアはいよいよカチンときたようで「ブラームスのように本気でやってください」と言われてしまいました(笑) この時、隅で見ていたガロ理事長は横を向いて吹いていましたが、楽団員たちも笑いをこらえていました。 そこへ何も知らない理事長が近づいて来て「ヴォカリーズの弦楽伴奏版にはブラームスのような重厚感がある。だからラフマニノフにこだわらずにトワなりの演奏にしたらいい」とアドバイスしてくれました。 私の目の色が変わったのはその言葉に突き動かされたからではありません。そんな、言われなくてもわかりきったことをあらためてアドバイスされて「大きなお世話です」と内心思ったからです。 もちろん、そのことは悟られないようグッとこらえて、私は弦楽奏者たちに目配せしました。そこからは通常運転でリハを進めました。 それでも伴奏側の演奏は八分ほどにとどめました。「ヴォカリーズ」の主役はあくまでレアであり、レアの独奏を最大限に引き立たせるのが私たちのなすべきことだったからです。 このリハーサルを境にレアはそれまでよりずっと積極的に意見してくれるようになりました。おかげでぶつかり合う機会も増えましたが、これは健全な変化です。 やっと本当のオーケストラらしくなって、今までよりもっと良い音楽が作れる土壌が整ったとうれしくなりました。 さて、今日お届けするベートーヴェンの交響曲第7番は前回もお話ししたように、私が指揮者クレンペラーの偉大さに目覚めたきっかけになった曲です。 この曲のリハーサルでレアはいつものように「遅い、なんですかこの遅さは!」と言ってきましたが、私は無視して自分の好きなように進めました。 レアはロリン・マゼールのような流麗でスマートながらも、格調高い演奏が好きなようなので、クレンペラーやそれを好きな私とは根本的に相いれないものがあります。 それでもリハーサルも後半になると「これはこれでいいのかも」という顔をして何も言わなくなりました。「それはそうでしょう」と私は心の中でレアに言ってやりました。 でも、意外に思われるかもしれませんが、私がクラシックを聴き始めて最初にハマったのはワルターとマゼールでした。 二人が演奏する「運命」を毎晩のように交互にプレーヤーにかけて聴いていました。音楽に合わせて指揮者気取りで腕を振りながら。 今回の交響曲第7番はクレンペラーに負けじと遅めにタクトを振ったので、最初のうちは慣れないテンポに戸惑う方もいらっしゃるかもしれません。でも少しだけ辛抱して聴いてください。 きっとこれまでにない新鮮な感覚を味わっていただけるはずです。 (あとから録音を聴いたところ、第4楽章の後半は思ったより、かなりテンポが上がっていました) ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 Op.92 第1楽章 ...

06.03.2023

ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」 第1楽章, 第4楽章 [2023] / Antonin Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World"

♪第11話:アンドウトワ、推しメンの大指揮者オットー・クレンペラーを語る こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラの主席指揮者アンドウトワです。 最近、楽団員のみんなが私の演奏を「遅い、遅い」というので、多分そのことの直接の原因となった存在についてお話しします。 その人物とはフルトヴェングラー、ワルターらと並び称される大指揮者のオットー・クレンペラーです。 私は子供の頃、クラシック好きの父の影響でワルターが指揮するベートーヴェン「運命」のCDを聴いて、初めてオーケストラや指揮者に興味を持つようになりました。 ワルターが奏でる「運命」の第2楽章はあたたかく感動的で「オーケストラっていいなぁ」と子供心に興味をひかれたのを覚えています。 長らくワルターの「運命」は私にとっての定盤でしたが、それを打ち崩したのが他でもないクレンペラーその人でした。 最初にクレンペラーの「運命」を聴いた時、あまりの遅さに「一体なんなんだこれは?」としばらく困惑したのを思い出します。 「さすがにどこかで速くなるだろう」と聴いていても演奏は一向にテンポを変えず、とうとう同じ調子で全曲が終わってしまいました。 ですが「こんなのを聴く人がいるんだろうか?」と思いながらも、なぜか何度も聴き返してしまったことも事実です。 この得体のしれない感覚が何なのか、しっかり確認したいと思ったのかもしれません。 次に聴いたクレンペラーのCDは同じくベートーヴェンの交響曲第7番でした。 これこそ「遅い」などという表現では足らないほどの"超低速"演奏で、思わず一度CDを止めてプレーヤーが壊れたのかと叩いてしまったくらいです。 もちろんCDプレーヤーは正常で、何度かけても変わらず鈍重な演奏が聴こえてくるばかりでした。 ところが何度目かの再生中に突然、同じ演奏がまったく違って聴こえ始めました。 すると、あれほど「遅い」と感じていた演奏がまったく苦にならないどころか、とてもしっくりときて聴いている自分に気づきました。 第7番には他のベートーヴェンのシンフォニーと比べて若干、内容が薄いライトな印象を持っていた私でした。 ですが今聴いている第7はそれまで耳にしたことがないほど立派で、格調高く、高貴な威厳に満ち溢れていました。 「第7って、こんなに凄い音楽だったのか…」と初めてその本当の魅力に気づいた瞬間でした。 それは同時に、指揮者オットー・クレンペラーの偉大さに目覚めた瞬間でもありました。 一度彼の音楽を理解してからは、逆に他の指揮者の演奏がせかせかと速く、いかにもスケールの小さな演奏にしか聴こえなくなってしまいました。 その後はそれまで持っていた名曲のCDをひと通りクレンペラーで買い直して、彼の演奏ばかり聴いていました。 私がドイツ・オーストリアのシンフォニーに惹かれるようになったのも、おそらくクレンペラーを聴いたのが大きかったと思います。 私が好きなクレンペラーの名盤ベスト3は、ベートーヴェンの「運命」と「第7」、それにドヴォルザークの「新世界より」です。 特に「新世界より」は、私がそれまでこの曲に対して持っていた「ポピュラーだけど中身はそこそこ」というイメージを一変させた名演です。 このシンフォニーにはドヴォルザークがアメリカ滞在中に聴いた黒人音楽の影響が全編に感じられます。 またその分、旋律の親しみやすさなどもあって比較的にポピュラーな印象が強くなっている曲です。 しかし、そもそもドヴォルザークを見出した師匠はドイツの大作曲家ブラームスです。 ですから「新世界より」にはドヴォルザークが尊敬するブラームスに代表される、ドイツの王道シンフォニーの緻密な構築性が感じられます。 外形は堂々として立派で、とても"ポピュラー"のひと言では済まされないものがあります。 そのことをハッキリと認識させてくれたのがクレンペラーによる演奏でした。 クレンペラーは60代までは現代音楽を得意とする即物的でテンポも速い普通の指揮者でした。 しかし70代になると突如演奏が極端に遅くなりました。 脳疾患で半身不随になり、口もろれつが回らない状態でしたが、その音楽はいよいよ深みを増し、時に大宇宙を感じさせるほどのスケールの大きさがありました。 クレンペラーの音楽は地上の細々とした出来事は相手にしていません。彼の演奏はただ遅いのではなく、あたかも大宇宙の森羅万象の運行のような悠久の時の流れを思わせる速度なのです。 …あぁ、つい熱くなってしまいました。 私にクレンペラーを語らせたらきりがありません。最近流行りの「推しメン」っていうやつですね。 ただ最後にひとつだけ。 70年代にNASAが打ち上げたボイジャー2号には、宇宙人に向けて地球の文明を知らせるいくつかの資料が搭載されています。 ...

05.30.2023

ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34-14 [2023] / Sergei Vasil'evich Rachmaninov:Vocalise Op.34-14

♪第10話:コンマス・レアの急成長に指揮者のトワもタジタジ?…白熱のリハーサル現場 こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラのコンサートマスター風華レアです。 先日、プロフィール写真を撮り直しました。 最初に撮影したものは写真というよりイラスト風でそれも素敵でしたが、私自身の実像とかけ離れている写真も多かったです。どうやらカメラマンさんの独自の作風が全面に出ていたようです。 ですから今後は、今日新たに公開したプロフィール写真を「実写版・風華レア」と考えていただければと思います。 さて今回の「ヴォカリーズ」も私にとって父の思い出が詰まった曲です。 フランス人の父は仕事の関係で日本を訪れ、そこで母と知り合い結婚しました。 その後、私が生まれて、父は私が15歳の時に亡くなるまで家族と日本で暮らしました。 クラシック音楽が好きだった父は、アンナ・モッフォとストコフスキーによる「ヴォカリーズ」を好んでステレオで聴いていました。 私もそれを物心つく前から聴いていて、いつかヴァイオリンで弾いてみたいと思っていました。 それで父が亡くなった時には知人にピアノ伴奏を弾いてもらい、レクイエムとしてその曲をヴァイオリンで弾いて捧げました。 「ヴォカリーズ」は元々、ラフマニノフが声楽の発声練習用に書いた作品で、全編を通して歌詞がなく、歌手はハミングで歌い上げるのが原型です。 とても美しい旋律で器楽曲として演奏されることもあります。伴奏の低音がうねるように半音進行する部分は、ラフマニノフらしさにあふれ引き込まれます。 この名曲を取り上げることになり、指揮のトワさんとヴァイオリン独奏の私、それに弦楽パートの楽団員たちが最初に行ったリハーサルは聞くに堪えない惨憺たる内容でした。 トワさんは自分が好きな音楽の時は本気ですが、そうでもないとあからさまに気持ちが乗っていないのがわかります。 例によって「ヴォカリーズ」もとても遅いテンポで振り始めました。それは別にいいのですが、伴奏だからか弦への指示があまりに適当でした。 ●ヴォカリーズのリハーサル音源(抜粋) Rachmaninov-Vocalise-2023-Rehearses.mp3 少し頭にきた私はわざと主旋律を食い気味に奏で、指揮者に代わって私が演奏を引率する素振りをみせました。 するとトワさんは指揮棒を下ろし「なんでそんなに走るのですか?」と私に向かって言いました。私は「演奏に緊張感がなくてついていけません。これぐらいしないと寝てしまいそうです」と答えました。 「でもこれでは音楽として破綻しているでしょう?」とトワさん。 私は「それならもっと腰の入った、縦の線がハッキリわかる伴奏にしてください」と思い切って言いました。するとトワさんが「う~ん、そんなに手を抜いているつもりはないんですがねぇ」と、とぼけたことを言うので私は「ブラームスのシンフォニーみたいに本気で演奏してください!」と声を荒げてしまいました。 それを隅で見ていたガロ理事長は、横を向いて「ぷっ」と吹いていました。思わず「ピキ~っ」となった私は「笑ってないで理事長からも何とか言ってください!」と子供のように怒鳴ってしまいました。 理事長は笑いながら近づいてくると「いやぁ、すまない。でもいいやり取りだったよ。たしかにトワは好き嫌いがハッキリしているからね。これくらい言わないとスイッチが入らないかもしれない」とうなずきました。 続けて「それにしてもレアは出会った頃とは見違えるように逞しくなったね。コンマスになってまだ数か月でこれだから今後が楽しみだよ」と目を細めました。 またトワさんに対しては「ヴォカリーズの弦楽伴奏版はピアノ伴奏版にはない重厚感があるね。私は向こうで聴いていて、ブラームスの弦楽六重奏を思い出したよ。どうだろう、トワ。なにもラフマニノフの曲だからと捉われずに、トワなりの深くて重い演奏にしてみたらいい。きっといいものが生まれると思うよ」と言うと、背中で手を振りながらリハ現場を去っていきました。 理事長のアドバイスで目の色が変わったトワさんは、そこからあらためてリハーサルをやり直して、弦楽パートにも細かい指示を出し、何度も手直しして別物のような音楽を作り上げていきました。 本番でもそれが十二分に発揮できたと思います。私も心からの充足感を感じました。 余談ですが、リハのあと帰宅するトワさんをこっそりつけていくと、コンビニに立ち寄りカップ酒の「白鶴まる」とイカの燻製を買っていました。「オヤジか!」と思わず突っ込んだ私でした。 ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34-14 [2023] Sergei Vasil'evich Rachmaninov:Vocalise Op.34-14 [9:06] Rachmaninov-Vocalise-2023.mp3 Rachmaninov-Vocalise-2023.mp3 ...

05.27.2023

チャイコフスキー:バレエ音楽 《白鳥の湖》 第2幕 「情景」 [2023] / Peter Ilyich Tchaikovsky:SwanLake act2 "Seane"

♪第9話:オーボエを始めたきっかけは「白鳥の湖」…主席奏者・吉田綾乃が聴かせる渾身のソロ みなさん、初めまして。 CMSLシンフォニックオーケストラの主席オーボエを務めている吉田綾乃といいます。どうぞよろしくお願いいたします。 私とオーボエとの出会いは私がまだ小学生だった頃、家族でチャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」を観に行った時のことです。 舞台を所狭しと踊るダンサーたちの華麗な姿に魅せられたのはもちろんですが、私がもっと心を惹かれたのは舞台を彩る生のオーケストラの迫力ある演奏に対してでした。 私がオーケストラの生演奏を聴いたのはそれが初めてで、時には舞台が目に入らず音楽にばかり気が向いてしまうほどでした。 特に私の胸に刺さったのは有名な「情景」の主題を奏でるオーボエの音色でした。 その音は魔法によって白鳥に姿を変えられた王女オデットの哀しみを訴えているようで、子供ながらに目頭が熱くなったのを覚えています。 その後、数年が過ぎて中学3年生になった頃、再び映像で「白鳥の湖」を観る機会がありました。 精神的にも少しは成長して物語の理解が深まったのもあると思いますが、なぜか小学生で観た実演より何倍も感動して涙がとまらなくなりました。 そして「情景」のオーボエを聴いた時に「私もオーボエが吹きたい」と痛切に思いました。 その後は高校で吹奏楽部に入り、音大でも専門に学ぶなどして、これまでずっとオーボエ中心の生活を送ってきました。 CMSLのオケはコンサートのプログラムの組み方にちょっと変わったところがあります。 通常は最初に序曲などの10分程度の管弦楽曲、次にヴァイオリンやピアノなどの協奏曲を演奏した後、休憩を挟んでメインの交響曲などをやるのが一般的です。 CMSLも基本はそのスタイルですが、時には前半を有名曲のオンパレードにすることがあります。 例えば最近だと、ラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章、フォーレのシシリエンヌ、そして今回のチャイコフスキーの白鳥の湖「情景」は、すべて同じ日の演目でした。 モーツァルトの時代には自身のコンサートを開く場合、過去の自作曲からひとつの楽章ごとにピックアップして、並べて演奏することが多かったみたいです。 現代でもロックやポップスのコンサートではアルバムを丸ごと一枚演奏することはなく、過去のアルバムから何曲かを選んで演奏するのが常です。 ガロ理事長は「このほうが初心者にも親しみやすくていい」と常々言っています。 白鳥の湖「情景」をやるにあたって指揮者のトワさんはリハーサルで「いつも耳にしているような演奏とは全く違ったものにしたい」と言いました。 「この曲は有名曲なだけに軽く見られがちです。でも実際は音楽的な内容が濃いのでしっかり演奏すれば、曲としては短いながらも充分な聴き応えが得られると思います」と続けました。 リハーサルが始まるとトワさんの指揮は思った以上にゆったりとした演奏で、まるでブルックナーの交響曲を聴いているかのようでした。 オーボエが最初に奏でた主題を弦楽器が再現する部分では、コンマスのレアさんが演奏を遮って「いくらなんでも遅すぎると思います」とめずらしく語気を強めて主張しました。 そう言われてしばらくスコアを見ていたトワさんは、顔を上げると「そうですか…ちょっとやり過ぎましたかね」と楽団員たちを見まわしました。 みんなはそれに対し一斉に、床を小さく足で踏み鳴らしました。でもフルート主席の泉真佐子さんだけは「はい、遅すぎると思いま~す!」とわざとおちゃらけて言って、少し緊張したその場を和ませていました。私はオーボエがじっくり吹けるので、全体に遅い演奏でも構わなかったのですが…。 こうして「情景」のテンポはかなり速くなったものの、それでも一般的な演奏に比べれば、まだ充分に遅いほうだと思います。 バレエ音楽であるのを全く無視したトワさんらしいスタイルで、私は結構好きです。 チャイコフスキー:バレエ音楽 《白鳥の湖》 第2幕 「情景」 [2023] Peter Ilyich Tchaikovsky:SwanLake act2 "Seane" [3:23] Tchaikovsky-SwanLake-act2-Seane-2023.mp3 Tchaikovsky-SwanLake-act2-Seane-2023.mp3 ...

05.22.2023

フォーレ:組曲「ペレアスとメリザンド」 Op.80 - 第3曲 シシリエンヌ [2023] / Gabriel Urbain Faure:Pelleas and Melisande Suite:3. Sicilienne

♪第8話:なぜ、このオケには女性の楽団員しかいないのか…ガロ理事長が明かしたその理由とは? みなさま初めまして。 私はCMSLシンフォニックオーケストラでフルートの主席をやらせていただいています泉真佐子と申します。以後、お見知りおきを。 早速ですが、多分みなさんの多くが疑問に思ってらっしゃることについてお話ししたいと思います。 それは、なぜ「このオケの楽団員には女性しかいないのか?」ということに関してです。 この事実は当初、すべての楽団員たちにも知らされていませんでした。 初めて私たちが事実に気づいたのは、オケのメンバー全員が初顔合わせした会場でのことでした。 メンバーの顔をひと通り見ておきたいと考えた私は当日、誰よりも早く会場入りして他の人たちが来るのを待ちました。 集合時間の10分ほど前になると、入り口から楽団員たちが続々と入って来ました。 私はそれを遠巻きに見ながらも、それぞれの顔だけは目に焼き付けるように凝視しました。 「何かがおかしい…」そう気づいたのはメンバーが20人近く入ってからのことでした。 その時点で私の目に映ったのは全員が女性、年齢は20代が中心だったでしょうか。 その後も入場してきたメンバーたちは一人残らず女性で、とうとう男性はひとりも来ないまま全員の入場が終了しました。 「どういうこと?」私と同じ疑問を感じたのか、会場に着いたメンバーたちが一斉にざわつき始めました。そこに理事長のセバスチャン・ガロが満を持してゆっくりと会場入りしました。 ざわつく私たちの疑問を察したのか、ガロ理事長は最初のあいさつもそこそこに「みなさんの疑問にお答えします」と切り出しました。 以下は理事長が当日発した言葉です。 「なぜ女性しかいないのか?みなさん、そうお思いですよね? ごもっともです、これは少し異様な光景ですね。 オーケストラを新装するにあたって私は、女性の活躍が輝いて見えることを望みました。外国人として長年、日本で暮らしてきた私は、日本は他の国に比べて社会的にまだまだ男性優位だと感じていました。日本以外では女性の首相やリーダーは当たり前です。ですが日本では多くなってきたとは言え、まだ女性に比べて男性が実権を握っている印象があります。 そこで私はまず、指揮者とコンマスは女性にしようと決めていました。トワとレアには偶然出会ったのではありません。以前から漏れ伝わるうわさを耳にして、計画通りに現地に居合わせました。ピアノの美里も同じです。 ただオケの中心は女性で固めるとしても、楽団員全員を女性にしようとは、その時点ではまったく考えていませんでした。しかし、オーディションを進行するうちに、私は自分が思っている以上に優れた女性のプレーヤーがいることに気づきました。同時に自分の中に漠然と無意識に"でもやはり最終的には男性のほうがいい音、しっかりとした音が出せるだろう"と偏見をもっていたことにも気づいたのです。 その時ふと『ならばいっそのこと、オケのメンバー全員を女性にしてみてはどうだろう』との思いが脳裏をよぎりました。そういうオーケストラはありそうでないですから話題にはなりそうです。またもし団員を女性だけにしてもオーケストラとして機能するのか?私自身が試してみたい気持ちがありました。」 会場の楽団員たちはひと言も発っすることなく、理事長の言葉に聞き入っていました。 さらにガロ理事長はオケを女性だけにした本当の理由を話しました。 「みなさんもご存じのように現在、ウクライナをはじめとして世界にはこれまでなかったような不穏な空気が広がっています。時には第三次世界大戦の可能性にまで触れる弁も目にするようになってきました。 戦争は攻撃と破壊などの男性的なエネルギーから成り立っています。対して平和は子供を産み育てる女性的な包容力と創造のエネルギーから成り立っています。今、世界に必要なのはまさにこの女性的なエネルギーではないでしょうか? これ以上破壊のエネルギーが世界に充満すると、とんでもないことが起きそうな気さえします。だからこそ、今の世界にはすべてを受け入れ慈しむ女性的なエネルギーが必要なのです」 「音楽にはそれを形にして人々に届ける力があるのではないでしょうか?音楽は目には見えないものの、政治や言語を越えて人の心に響き、動かす力があると私は信じています。 そうした女性的なエネルギーをより強く打ち出すためにも、女性のみのオーケストラを一度やってみる価値はあると私は思いました。」 理事長の言葉を聴き終えた楽団員たちは、声を発するでもなく拍手をするでもなく、ただ小刻みに小さくうなずいていました。 私も話を聞きながら、後半はややこじつけな感じがしながらも、大筋では理事長の言葉はそれほどおかしくないと思いました。 そして何より、世界でもあまり前例を見ない全員が女性のオーケストラがどんなものになるのか、好奇心のほうが大きくなっていました。 多分、私以外の楽団員たちもシンプルにその思いが強かったと思います。 あれから数か月が過ぎ、すでにいくつかのリハーサルと本番を経てきましたが、「男性がいるオーケストラと比較しても特に物足らなさは感じない」というのが率直な感想です。 まあ、指揮者のトワさんがドイツの王道シンフォニーが得意なのも大きいと思います。どうしたって骨太な印象が増しますから。 でも私は正直に言って、ベートーヴェンとかブラームスよりラヴェルやドビュッシー、フォーレのようなフランス音楽のほうが好きです。 「音楽を聴いて反省したくない」というのが本音です。ただお洒落で透明感ある世界に身を浸すという音楽の楽しみ方があってもいいと思いませんか? だからサティの「環境音楽」みたいな考え方には心から共感します。サティのピアノ曲は心地よくて一日中でも聴いていられます。 そんなこともあって今回のフォーレは私がやりたいと直訴しました。とにかくフルートがメインの曲なのでやりがいがあり、演奏家冥利に尽きます。 私はこの曲を夜中に一人静かに、部屋の明かりを落としてヘッドフォンで聴くのが好きです。 ...

05.19.2023

ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 第2楽章 [2023] / Maurice Ravel:Piano Concerto in G major, II. Adagio assai

♪第7話:うつ病のイングリッシュホルン奏者の心に射したひと筋の光 初めまして、こんにちは。 私はCMSLシンフォニックオーケストラでイングリッシュホルンを担当している新山妙子です。 どうぞよろしくお願いいたします。 唐突ですが、これを言わないと話が始まらないので…。 実は私は、重度のうつ病患者です。 症状が始まったのは二十歳を過ぎてからで、その後は悪化するばかりでついには通っていた大学を辞めてしまいました。 週のうち3日は寝込むほどで、その他の日もただ起きているだけで、何かをしようという意欲が湧きません。せめてアルバイトでもと思っても、いつ始まるかわからないうつ症状に振り回されて、結局長続きしません。 仕方がないので家で何をするということもなく過ごす日々が始まって、もう3年近くになりました。 こんな私を心配した両親は私に内緒でCMSLのオーディションに応募したようです。 「これが何かのきっかけになればいい」と思ったと、あとから聞かされました。 勝手にオーディションに応募した両親に対して私は「そんなことしたって絶対いかないから」と食って掛かるように言い放ちました。 両親はそんな私を黙って見つめていました。 うつ病の苦しさは罹った本人にしかわかりません。 自分でもこれではいけないとわかっていても、虚脱感の方が上回ってどうにもなりません。 悩みを相談すればいいと言われても、そもそも明確な理由などなく相談しようがありません。 ただただ空ろな時間だけが過ぎていく日々です。 それでもオーディションはともかく、誰かと接すれば少しは気分転換になるかもしれないと、とりあえず面接だけ受けに行ってみることにしました。 もし受かったとしても、オーケストラに入る気は毛頭ありませんでした。 当日、会場で初めて会った理事長のセバスチャン・ガロさんは、うつ病を中心とした私の身の上話を嫌な顔ひとつせず全部聴いてくれました。 そして私が気が済むだけ話したのを見て「それでは演奏を聴かせてください」と淡々とした口調で言いました。 実技までするつもりはなかった私でしたが、このまま帰るのも失礼なので、とりあえず持って行ったイングリッシュホルンで、ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章を演奏しました。 この曲は私が10代の中頃、偶々テレビで演奏を観て「なんてきれいな音楽なんだろう」と感動して、イングリッシュホルンを始めようと思ったきっかけになった曲です。 第2楽章の後半でイングリッシュホルンがソロで主題を奏で、それを支えるようにピアノがアルペジオで音楽に彩りを与えています。 この部分を初めて聴いた時、私は涙がとまらなくなり、それまで経験したことのない感動に震えていました。それをオーディションの実技でも演奏しました。 吹き終わって顔を上げ前を見ると、ガロさんの頬を一筋の涙が伝っていました。 しばらく目を閉じたまま、何かをかみしめるかのようにじっとしていたガロさんは、目を開けると「失礼しました。席におかけください」と言いました。 続けて「こんなにも儚く、わびしく、しかしあたたかいイングリッシュホルンの音を初めて聴きました。私はぜひコンサートで、もう一度あなたの奏でる音色を聴いてみたい」と私の目を見て言いました。 「でも、私はこんな状態ですからオーケストラに参加するのは無理です」と私が訴えるとガロさんは「わかっています。ではこうしたらどうでしょう。あなたはオーケストラのプログラムでイングリッシュホルンが必要な時のみの参加とします。またもし、うつの状態が悪化してどうしても舞台に上がるのが無理そうな場合は、オケのオーボエ奏者が当日、あなたに代わって演奏します。そのために事前の準備もしておきます。これならなんとかなりませんか?」と再び私の目をじっと見て言いました。 私は「でもどうして私などのためにそこまでしてくださるのですか?イングリッシュホルンの代わりならオーボエ奏者の方も含めて、他にもいくらでもいるでしょうに…」と必死に訴えました。 するとガロさんは「いや、いません。少なくとも私の知る限りは。新山さん、あなたはもっと自分に自信をもってください。あなたの奏でる音は唯一無二です。きっとあなたの演奏に癒される人がたくさんいるはずです」と語気を強めました。 こうして私は作品限定でオーケストラに参加する特別団員になりました。 コンサートの当日、ピアノ独奏を弾いた美里さんは演奏後の楽屋で私に歩み寄り、手を取ると「ありがとう、最高に幸せな時間でした。一生忘れられないコンサートになりそうです」と微笑んで手を握り締めてくれました。 私は「こちらこそ、こんな日が来るとは思っていませんでした。美しいアルペジオをありがとうございました」と美里さんの手を握り返していました。 今も私のうつは決して改善されたとは言えません。それでも以前にくらべてわずかでも、目的意識とかすかな希望のようなものが、自分の中に生まれ始めている気がします。これから少しずつでもオケに参加することで、自分を変えていけたらと思っています。 ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 第2楽章 [2023] Maurice ...

05.18.2023

エルガー:《エニグマ変奏曲》 Op.36 - 第9変奏 「二ムロッド」 [2023] / Elgar: Variations On An Original Theme, Op.36 "Enigma" - 9. Nimrod (Adagio)

♪第6話:歩きながら演奏のイメージを組み立てるトワ流のスタイル こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラのアンドウトワです。もう少しだけ自分のことについてお話させてください。 私はよく友人から「トワは男だ」と言われます。 「黙っていればきれいでいいんだけど、話し出すと途端に色気がなくなる」とも。 たしかに普段の私は化粧っけもなく、ほとんど一年中、基本はデニムにTシャツで外に行く時はキャップ帽を被って出ます。 コロナの間はマスクもして、たまにサングラスもかけて出ると、もう誰だかわからないくらいです。 ですから、最初にプロフィール写真を撮影した時も、初めて本格的にメイクやヘアアレンジをしてもらった自分の姿が新鮮でした。 「見違えるよう」とはこのことだと思いました。そして「たまにはこうして着飾るのもいいかもしれない」と少しだけ思いました。 でも今回は人にやっていただいたからこそで、もし自分で全部となると面倒で多分やらないと思います。とにかく自然体が好きなんです。 時計は仕方ないとしても、アクセサリー類は何かが身にまとわりついているのが嫌でほとんど付けません。プロフィール写真の撮影が終わったあとはすぐに洗面所に行って、メイクをきれいに落としてしまいました。 ひとりで飲食店に入るのも平気で、それどころかディズニーシーに行ったこともあります。 一人旅が大好きで、誰にも気を使うことなく自由に行動できるのがいいようです。 私はよくひとりで散歩に出かけます。 歩きながらのほうが考えがよくまとまるんです。ですからあたらしく指揮する曲が決まるとまず散歩に出て、歩きながら「ここはどうしよう、テンポを上げようか下げようか」などと頭の中でシミュレーションしてイメージを固めていきます。 指揮者としての私は即興的なタイプではなく、こうして事前にほぼ100%、演奏の組み立てを決めてからリハーサルに臨みます。 ですが即興的ではないと言っても、理詰めで考えて作り込むタイプでもありません。あまりにそれをやると音楽が理屈っぽくなり過ぎで自然な流れが途絶えてしまうからです。 やはり音楽は理屈ではない部分が大きいと思います。その意味で私は演奏においては、直感的であることを心がけています。 フィーリングというか、自分がしっくりくる感覚が大事だと思います。それで、あまり思考に頼らないようにヨガや瞑想をしています。 音楽に限らず芸術は他の分野とくらべて特に直感が大切だと私は思っています。 今回の「ニムロッド」を指揮するにあたっても、いつもと同じように外を歩きながら演奏の組み立てをイメージしました。 気になる部分は何度も頭の中で反芻して、しっくりくるまでオケの音をイメージの中で鳴らし続けます。 私は頭の中でうるさいくらいに"ありあり"と音を鳴らすことができるので、普段から携帯プレーヤーを持ち歩いたことがありません。 「ニムロッド」は最初、極端に遅い演奏で崇高さを引き出そうと考えていましたが、あまりに遅くて旋律がわからないほどだったので、自然とテンポに緩急がついたスタイルになりました。 それでもこの曲がもつ独特な神々しさは損なわれないように、ここぞという場面では最初のイメージ以上にどっしりと構えたテンポ運びにしました。 「ニムロッド」は出版社に勤務する、エルガーが親しかった友人の名前で、二人がベートーヴェンの交響曲の緩徐楽章について語り明かした夜の思い出に基づき作曲されました。 そのためかこの曲にはベートーヴェンの交響曲にも通じるような崇高さがあります。 エルガー:《エニグマ変奏曲》 Op.36 - 第9変奏 「二ムロッド」 [2023] Elgar: Variations On An Original Theme, Op.36 ...

05.13.2023

ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 Op.90 第1楽章 [2023] / Johannes Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90:I. Allegro con brio

♪第5話:トワはいかにしてCMSLの指揮者になったのか…初めて明かす自身の過去と未来への展望 こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラのアンドウトワです。今日は自分のことについて少しお話させてください。 まず今回の顔写真と最初のプロフィール写真が、あまりに違うと思われるかもしれません。 その通りです。私自身も初めてあのプロフィール写真を見た瞬間、思わず「誰これ?」と声に出してしまいました。 あれは俗に言う"奇跡の一枚"のようなもので、後にも先にもあのテイストを出せたのはあれ一枚のみでした。コンマスのレアも私と同じで、最初のプロフィール写真と同じセッティングで何枚撮影しても、二度と同じような写真は撮れませんでした。 まるで詐欺のような話ですがガロ理事長は私のプロフィール写真を見て「韓国で活動してるなんとかサクラみたいでいいじゃないか」と無責任なことを言いました。 私はすぐに「宮脇咲良さんですか?とんでもない、あんな綺麗な方と一緒にしたら失礼です。ファンにも叱られますよ」と答えました。 私は宮脇咲良さんに憧れています。理由は日本でかなりのキャリアを積みながらも、その立場をすべて捨てて韓国に渡り、そこで一からやり直してきちんと結果も出しているからです。そうそうできることではありません。 私は指揮者の小澤征爾先生を尊敬していて、先生のように海外を拠点に活動するのが夢です。 先生は音大卒業後に単身ヨーロッパに渡り、バッグひとつと譲り受けたスクーター一台でドイツ、パリ、アメリカで武者修行を続けました。最初はドイツで「日本人のお前にバッハやベートーヴェンがわかるのか?」と相手にされなかったそうです。 その後、ブサンソンの国際指揮者コンクールで優勝したのをきっかけに、カラヤン、バーンスタインなどのもとで研鑽を積み、現在に至るキャリアを築き上げていきました。 私もそれに倣いたいと思い、音大を出てすぐにドイツに渡りました。運よく地方オケで指揮を振らせていただく機会があり、その現場でガロ理事長に声をかけられました。 そのままドイツでずっと活動していくつもりでしたが、あまりに熱心な理事長の誘いに折れて、とりあえず5年の約束でCMSLのオケで指揮活動をすることになりました。私のドイツへのこだわりは、祖父がドイツ人であることに起因しているのかもしれません。 私が好きなのはベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなどのドイツ・オーストリア王道のシンフォニーです。私は大阪フィルの朝比奈隆先生を目標にしています。 先生は日本人なのに、真の意味でドイツ的な演奏をされる方でした。晩年は徹底してベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーを中心に指揮されて、そのどれもが重厚で聴き応えある演奏でした。 気が早いですが私も最終的には、そのような自分の愛する音楽のみを振る指揮者になりたいです。そしてほんもののベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーを形にしたいです。 それにはもっともっと学んで、人間的にも経験値を増やして成長しなければなりません! 私はオットー・クレンペラーの演奏を日頃、好んで聴いています。彼の演奏を聴いていると時折、意識が宇宙の彼方にまで飛翔していくかのような気分になることがあります。 そういう感覚になるのは古今東西の多くの指揮者の中でもクレンペラーだけです。彼の音楽にはただ遅いだけではない何かがあります。 今回お届けするブラームスの交響曲第3番は、「ブラームスの英雄交響曲」と呼ばれることもある、ベートーヴェンの「英雄」のように逞しく立派な一面がある曲です。 実際にはブラームスらしいナイーブな面が多いことも確かなものの、特に第1楽章冒頭の主題はスケールが大きく雄大です。 ブラームスの師匠だったシューマンの交響曲第3番「ライン」第1楽章の主要主題と動機が似ていて、それを意識したことは間違いありません。 第3番は第1番と同様、ブラームスの男性的な側面が前面に出た交響曲です。 ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 Op.90 第1楽章 [2023] Johannes Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 I. Allegro con brio ...

05.11.2023

カリンニコフ:交響曲第1番 ト短調 第1楽章 提示部 [2023] / V.S.Kalinnikov:Symphony No.1 in G minor I. Allegro moderato

♪第4話:オーディションで「鳥の歌」を奏でた理世の思い はじめまして、こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラでチェロの主席を務めています貴島理世です。よろしくお願いいたします。 私はまだ学生です。高校に通いながらオケを両立させています。 トワさん、レアさん、美里さんは理事長にスカウトされたみたいですが、私は楽団員募集の告知を見てオーディションでこのオケに入りました。 私と同じような立場で、今も学校に通っているメンバーは何人かいます。 CMSLのオケがリニューアルするにあたって新加入したほとんどの楽団員は、オーディションの通過者たちです。 ガロ理事長は審査の現場で実技と面接に立ち会いました。 当日私は自由曲としてカザルスで有名な「鳥の歌」を弾きました。 最近、世界で起こっているできごとを考えると、この曲が弾きたいと思いました。 美里さんも言っていましたが理事長は演奏で見るポイントが変わっていて、私がオーディションを受けた時も指使いはまったく見ずに、ひたすら演奏中の私の顔ばかり見ていました。 それがすごく気になって、演奏途中で一旦手を止め「なんで顔ばかり見てるんですか?もっと他の部分も見てください」と言ってしまったほどです。 するとガロ理事長は「顔を見れば大体わかるよ。もちろん"顔立ち"ではなく"顔つき"ね。心と顔の表情は連動するものだから」と言いました。 続けて「君のチェロの音はまるで、一羽の鳥が戦火の地上を離れ、『自由な空へ飛んでいきたい』と叫んでいるようだった。胸が痛んだよ」とため息をつきました。 その後、私はオーディション合格の通知を受け取り、同時にチェロの主席を任されました。この時の理事長と私のやり取りは、レアさんがコンマスに任命された時のものとほぼ同じです。 私も「なぜ私が?」という思いを抱きつつ、「とにかくやってみよう」という気持ちでいます。 カリンニコフの交響曲第1番は、今回オケが取り上げたことで初めて知りました。とても旋律が美しい曲で、特に第1楽章の主題はチェロとヴィオラから始まることもあって、弾きながら胸がジーンとしました。まるでジブリ映画の音楽のようだと思いました。 調べるとカリンニコフは天才と言われながらも、病のため34歳の若さで夭折した作曲家でした。 二つの交響曲を作曲した頃は既に病床にあり、自力では不可能なため妻が代わりに口述筆記で書き上げたそうです。 その情景を思い浮かべながら聴くとより一層、第1楽章のきれいな主題が心にしみてくると思います。 カリンニコフ:交響曲第1番 ト短調 第1楽章 提示部 [2023] V.S.Kalinnikov:Symphony No.1 in G minor I. Allegro moderato [6:50] Kalinnikov-Symphony-No1-1st-2023.mp3 Kalinnikov-Symphony-No1-1st-2023.mp3 ▼オーケストラを構成する楽団員たち

05.05.2023

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集 Op.8 『四季』より「冬」 第1楽章 [2023] /Antonio Lucio Vivaldi:The Four Seasons - 'L'inverno' ("Winter") - Violin Concerto in F minor, RV297 I. Allegro non molto

♪第3話:レアがコンサートマスターになった理由…理事長が見抜いた彼女が奏でる音色の魅力 あらためまして、こんにちは。 CMSLシンフォニックオーケストラ、コンサートマスターの風華レアです。 なぜ、私のような経験もない人間が、このような大役に就いているのでしょうか? 多くの方は疑問に思うかもしれません。 他でもない私自身も、未だにこれについては心から納得していません。 私をコンサートマスターに任命したのは、オケのセバスチャン・ガロ理事長です。 私と理事長はパリのストリートで出会いました。 その頃私はパリに音楽留学中で、ある日、仲間に誘われ街頭でモーツァルトの弦楽四重奏を弾く機会がありました。 偶々そこに通りかかったガロ理事長は、私たちの演奏をずっと見ていたようです。 その日の演目が終わると理事長は私のもとに近づき、「連絡先を教えてくれませんか?」と言いました。 オケの理事長兼、音楽事務所CMSLの代表でもある彼は、それが記載された名刺を私に渡しました。 特にあやしい気配もなかったので、私は連絡先のみを彼に伝えました。 その後、数週間が経ち日本に帰国していた私のもとに「ぜひ一度お会いして話がしたい」と理事長からメールがありました。 「オーケストラに関する重要な事柄なので、直接会って伝えたい」とも書いてありました。 私はよくわからないまま、とりあえず理事長に会ってみることにしました。 所定の場所に行くと、既に到着して待っていた彼は開口一番「オケのコンマスになってほしい」と切り出しました。 しばらく頭が真っ白になった私は、正気に戻るとすぐに「嫌です、できません。意味がわかりません」と答えました。 「なぜ私なんですか?他にもっとふさわしい方がいると思います」と言うと彼は「あなたのヴァイオリンにはいい意味で哀しみがある。人の心の奥底に潜む解決されない痛みを引き出し光をあて、浄化する音色だ」と言いました。 さらにこうも付け加えました。 「音楽の大きな使命のひとつは、人の痛みを浄化するカタルシスにある。モーツァルトがなぜあれほどに人気があるかわかりますか?彼の音楽こそまさに"カタルシス"そのものだからです」 「でも、一般にモーツァルトの音楽は明るく天真爛漫で、まるで天国の調べのようだといわれています」と私が言うと理事長は「それはあまりに一面的な見方だ。モーツァルトの音楽はあたかも、目に涙を浮かべながら精いっぱいの微笑みを見せているようなものだ。そこに人々は強く惹かれるんです」と私の目を直視して言いました。 そこまで言われると私は返す言葉もなく「わかりました、どうなるかわかりませんが、とにかくやってみます」と答えました。 「レア、君がコンマスになることで、CMSLはきっと私が理想とするオーケストラになる。少しずつでいい。できることから始めてほしい」と理事長は言葉を残し、その場を去っていきました。 ヴィヴァルディの四季は私がコンサートマスターを務めるにあたって、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と共に、最初に弾いてみたいと思った曲です。 000001lkpplpoklij032-0-Enhanced-Animated5.mp4 一般には春の第1楽章が知られていますが、私は冬の第1楽章が好きです。あの楽章の厳しさと凛とした佇まいに心惹かれます。何よりそこが表現できるように心がけました。 ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集 Op.8 『四季』より「冬」 第1楽章 [2023] Antonio Lucio Vivaldi The Four Seasons - 'L'inverno' ...

05.01.2023

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23 第3楽章 [2023] / P.I.Tchaikovsky:Piano Concerto No.1 in B-flat minor, Op.23:III. Allegro con fuoco

♪第2話:トワと美里、ジュニアオーケストラ以来の共演…再び同じ舞台に立つ運命の二人 みなさま、はじめまして、こんにちは。 CMSL所属のピアニスト、永井美里です。どうぞよろしくお願いします。 ピアニスト…と申しましたが実際はそれほどの演奏活動は行っていません。 専ら家にあるグランドピアノを好きな時に弾いて、ひとりで楽しんでいる程度です。 幸いなことに私は生活には困らない家庭環境に生まれ育ち、ピアノには幼い頃から自然と慣れ親しんできました。 家にはそれなりの大きさの防音室があり、おかげで周囲や時間帯を気にせず弾きたい時に好きなだけ弾いて育ちました。 一応、先生について十数年間はピアノのレッスンも受けてきました。 別にプロになるつもりもなく、せっかくだからもう少しピアノについて学ぼうと音大にも通いました。 私に教えてくれた教授はユニークな方で、型通りのレッスンはせずに私に好きなように弾かせて、必要であればアドバイスしてくださいました。 そのおかげで窮屈に感じることもなく、楽しみながらピアノを学ぶことができました。 音大卒業後は特に音楽関係の仕事には就かずに、クラブのホステスを数か月していました。 箱入り娘だった私は世間のことをまったく知らず、このままでは人間として偏ってしまうと考えたのです。 クラブのような所で働けば、少しは世の中のこともわかるかもしれないと思いました。 でも実際は酔ったお客様とたわいもない話をするばかりで、目的達成には程遠いものでした。 それでもひとつだけ、クラブに勤めたからこそのいいこともありました。 CMSLフィルハーモニック・オーケストラの理事長で、音楽事務所CMSLの代表でもあるセバスチャン・ガロと出会ったのは、そのクラブに私が勤務していた時のことでした。 お客様としてクラブを訪れたガロ理事長のお相手を私が受け持つことになり、そこで様々な事柄についてお話ししました。 そして自然な流れで話題は音楽に移り、私のこれまでのピアノ経験についてもお話ししました。 ひとしきり話すとガロ理事長は私の腕をつかみ、「指を一本ずつ動かしてみてくれないか」と言ってきました。 その時ガロ理事長は自分の素性について一切明かさなかったので、私は内心「気持ちわるい」と感じながらも、言われた通りに指を順番に動かしてみせました。 その間、理事長は私の指の動きは見ようとせず、ひたすら指を動かした時の腕の筋肉の動きをじっと見ていました。 私は尚更に「気持ちわるい」と理事長の手を振り払って、コップに注いだ水を飲み干しました。 こうして意味不明のやり取りが終わると、連絡先の交換だけして理事長は帰って行きました。 それから数日後、理事長からメールがあり「コンサートでチャイコフスキーのピアノコンチェルトを弾いて欲しい」と依頼されました。 私は即座に「無理です」と返信しました。 ただでさえ難しい曲をアマチュア同然の私が、しかもコンサートで聴衆を前に演奏することなど考えられないとお伝えしました。 それでもガロ理事長は「大丈夫、本番当日までまだ2か月はあるから、それまでに仕上げてくれればいい」と勝手に言い放って、私のコンサート出演が決まってしまいました。 そこから家にあったこの曲のDVDとCDを片っ端から観て聴いて、一日数時間、時間がある限りピアノに向かう日々が続きました。 あとから知った話ですが、私がまだ中学生だった頃にこの曲を弾く機会があって、そのコンサートのジュニアオーケストラの一員だったトワさんと共演していたようです。 あちらはそれを覚えていて「お久しぶりです」と言ってきましたが、私はピアニストの立場上、まだ目立たなかったトワさんを知ることもなく最初の共演は終わりました。 そんなこともあり、これも何かの縁かと思い理事長の依頼を受けることにしました。 当時はまだ腕っ節が弱く、満足いく演奏ができませんでしたが、あれから数年が過ぎ身体的にも成長して、それなりの演奏はできるようになったかと思います。 000001lkpplpoklij032-0-Enhanced-Animated3.mp4 トワさんと私はリハーサルでも何度もお互いの意思を確認し合いながら、ていねいに演奏の全体像を創り上げていきました。 その成果をお楽しみいただけたらうれしいです。 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23 第3楽章 ...

04.29.2023

ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調 Op.98 第1楽章 [2023] / Johannes Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98 I. Allegro non troppo

♪第1話:オケの再スタートになぜ「ブラ4」? 理事長が明かした意外な理由とは みなさま、はじめまして。 この度、CMSL Symphonic Orchestraの主席指揮者に就任しましたアンドウトワです。 本日はゴールデンウィークの貴重なお時間を割き、当オーケストラの演奏会に足をお運びいただき誠にありがとうございます。 このオーケストラは既にお伝えしている通り、長かったコロナ禍の影響もあり、経営は至って苦しい状況にあります。 本来であればもう消滅していてもおかしくないところを、以前からご愛顧してくださる方々のご支援もあり何とかここまで持ちこたえてきました。 今回、オーケストラが再スタートを切るにあたり、楽団員の多くは刷新されました。 オケを去った有能な楽団員の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。 ですがその分、新たな活動を託された私たちは、全力で一つひとつの演奏に向き合っていくつもりです。 生まれ変わったオーケストラの最初の演目に何がふさわしいか。 通常であれば、ブラームスの交響曲第1番のような、晴れやかに力強く締めくくる楽曲がふさわしいでしょう。 私はそう考えていました。 しかし、理事長のセバスチャン・ガロは「それではつまらない」と言いました。 「トワとレア(コンサートマスター)を呼んだのは"意外性"があるからだ。ありきたりなことをしても仕方がない。他では味わえないような感動をこのオケではお客様に感じていただきたい」とも言いました。 「それでも、いくらなんでも晴れの門出に短調で終結する交響曲はないんじゃありませんか?」と私は食い下がりました。 すると理事長は「では言おう。トワ、あなたにはブラームスの第1番より第4番が遥かに合っている。あなたの指揮者としての本質が最も表れるのは、絶対的に第4番だ。それを思いきり聴衆に届けてほしい。」と言われました。 内心私は「そんなことはない。第1番こそ私の本質だ。理事長は私のどこを見ているんだ。」と半分怒りに近い感情を抱きましたが、これ以上不毛な言い合いをしてもしかたないので渋々、理事長の要求を呑むことにしました。 ですがわかってください。私が本当に愛しているのはブラームスの交響曲第1番です。 いずれの機会には、ぜひそれを振らせていただくつもりです。 …こう言うと、私が第4番を嫌っているかのように思われるかもしれませんが、好き嫌いは別として第4番は初めてブラームスがベートーヴェンの呪縛から逃れて本心をさらけ出した、誠意ある一曲だと思っています。 ブラームス本来の美しく流麗な旋律も随所に散りばめられています。 そして何より、ブラームス自身が最もお気に入りの自作曲だったということです。 000001lkpplpoklij032-0-Enhanced-Animated7.mp4 ごあいさつのつもりが長くなってしまいました。 それでは演奏をごゆっくりとお楽しみください。 ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調 Op.98 第1楽章 [2023] Johannes Brahms:Symphony No.4 in E minor, ...

04.22.2023

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64 第1楽章 [2023] / Felix Mendelssohn Bartholdy:Violin Concerto in E minor, Op.64:I. Allegro molto appassionato

♪ヴァイオリン協奏曲の代名詞的な不朽の名曲 メンデルスゾーンが1844年に作曲したヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲。 穏やかな情緒とバランスのとれた形式、そして何より美しい旋律で、 メンデルスゾーンのみならずドイツ・ロマン派音楽を代表する名作であり、 本作品は、ベートーヴェンの作品61、ブラームスの作品77と並んで、 3大ヴァイオリン協奏曲と称されています。 第1楽章の冒頭から独奏ヴァイオリンが奏でる流麗優美な第1主題は、 大変有名な旋律で、商業放送など至る所で親しまれています。 展開部の終わりにカデンツァが置かれていることもこの作品の特徴であり、 その音符が全て書き込まれているのも、この時代としては画期的なことでした。 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、私がヴァイオリンを手にするきっかけになった曲です。生前の父が好んでよく聴いていた曲で、小さい頃から私はこの曲に慣れ親しんできました。澄んだその音色に惹かれ、多くの楽器の中でも特にヴァイオリンを愛するようになったのは、この協奏曲を聴いたからだと思います。父のお気に入りのレコードの演奏には程遠いですが、今の私なりにできる表現は出し尽くしました。楽しんで聴いていただけたらうれしいです。(風華レア) *2007年以来、16年ぶりの新録音です。弦の抑揚、木管の音量に気を配りました。 ベルリンフィルハーモニー大ホールの舞台から20m付近の音響を使用しています。 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64 第1楽章 [2023] Felix Mendelssohn Bartholdy:Violin Concerto in E minor, Op.64 I. Allegro molto appassionato [12:48] Mendelssohn-ViolinConcerto-1st-2023.mp3 Mendelssohn-ViolinConcerto-1st-2023.mp3 オーケストラを構成する楽団員たち

04.18.2023

ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 Op.27 第3楽章 [2023] / Sergei Vasil'evich Rachmaninov:Symphony No.2 in E minor, Op27 III. Adagio

♪オーボエと弦が奏でる感動的な旋律 「交響曲第2番」はラフマニノフが私生活の上でも1902年にナターリヤと結婚、 翌年には長女を、1907年には次女を授かった、公私ともに充実していた時期の作品です。 1906年10月から1907年4月にかけて、ドレスデンと夏の間だけ帰国して過ごした 妻の実家の別荘地、イワノフカで作曲されました。 初稿にはひどく不満足だったものの、数か月の改作を経てこの作品を仕上げると 1908年1月26日にサンクトペテルブルクにて自身の指揮で初演を行いました。 演奏は大成功を収め、初演から10か月後に2度目のグリンカ賞を授けられました。 320ページにのぼる自筆譜は、長らく紛失していましたが2004年になって発見され、 テイバー財団によって所有されて大英図書館に永久貸与となっていました。 2014年5月20日にロンドンでサザビーズにより競売に掛けられ、120万ポンドで落札されました。 第3楽章は全4楽章の中で最も広く知られる、ラフマニノフならではの美しい緩徐楽章。 まずヴィオラによるスラヴ風の流れるような旋律が、儚い憧れを込めるかのように歌われると、 続いてクラリネットのソロによるノクターン風の長閑な旋律がこれに代わります。 特に3:00から始まるオーボエと弦が奏でる旋律は感動的で、胸に染み入るものがあります。 *冒頭から約5分間の抜粋です。前回よりテンポを若干落としました。 ベルリンフィルハーモニー大ホールの舞台から20m付近の音響を使用しています。 ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 Op.27 第3楽章 [2023] Sergei Vasil'evich Rachmaninov:Symphony No.2 in E minor, Op27 III. Adagio [4:53] Rachmaninov-Symphony-No2-3rd-2023.mp3 Rachmaninov-Symphony-No2-3rd-2023.mp3

04.18.2023

チャイコフスキー:幻想序曲《ロメオとジュリエット》 [2023] / P.I.Tchaikovsky:Fantasy Overture after Shakespeare "Romeo and Juliet"

♪ロメオとジュリエットの愛の主題は特に有名 「すべてのロシア音楽の中で最も美しい旋律」 リムスキー=コルサコフがそう評した愛の主題は特に有名。 幻想序曲『ロメオとジュリエット』はチャイコフスキーが シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を題材として作曲した演奏会用序曲。 1869年の9月から11月にかけて作曲され、1870年3月16日、 モスクワにおいてニコライ・ルビンシテインの指揮によって初演されました。 楽譜は1871年にベルリンで出版されたましが、その際に大幅な改訂が行われました。 その後も改訂が行われ、現在演奏される決定稿が出版されたのは1881年です。 1868年、チャイコフスキーはロシア5人組の代表格であるミリイ・バラキレフと知り合い、 自身の作品を彼に献呈して批評を仰ぐなどしながら交友を深めていました。 1869年8月にバラキレフがチャイコフスキーの元を訪ねた折、 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を題材とした作品の作曲を勧めたといわれます。 その際、曲に用いる主題とその調性など、細かい部分に関しても具体的な助言を与えたほか、 「作曲の筆が進まない」というチャイコフスキーの手紙に 自ら譜例を書き添えて返事を送ることもありました。 こうしてバラキレフの批評を受け入れながら、第2稿、第3稿(決定稿)と改訂していきました。 *ロメオとジュリエットの「愛の主題」を中心とした抜粋です。2007年以来の新録音。 ベルリンフィルハーモニー大ホールの舞台から20m付近の音響を使用しています。 チャイコフスキー:幻想序曲 《ロメオとジュリエット》 [2023] P.I.Tchaikovsky:Fantasy Overture after Shakespeare "Romeo and Juliet" [5:18] Tchaikovsky-Fantasy-Overture-Romeo-and-Juliet-2023.mp3 Tchaikovsky-Fantasy-Overture-Romeo-and-Juliet-2023.mp3

01.27.2023

エルガー:威風堂々 第1番 ニ長調 Op.39 [2023] / Edward William Elgar:Pomp and Circumstance March No.1 in D major, Op.39

♪第二の英国国歌として親しまれる格調高い行進曲 『威風堂々』は英国の作曲家エドワード・エルガーが作曲した管弦楽のための行進曲集。 エルガーが完成させたのは5曲で、21世紀初頭に未完の第6番が 補筆完成され追加されました。 第1番は1901年に作曲され、同年の10月19日にリヴァプールにて アルフレッド・ロードウォルドの指揮で初演されました。 エルガーの友人でもあったロードウォルドと、リヴァプールの管弦楽団に捧げられました。 全6曲中、最も広く知られたこの曲は、初演から3日後の1901年10月22日、 ロンドンのクイーンズ・ホールでの演奏会では、 聴衆が2度にわたるアンコールを求めたことが逸話として伝えられています。 エドワード7世からの「歌詞をつけてほしい」という要望に従い、 翌年に国王のための『戴冠式頌歌』を作曲。 終曲「希望と栄光の国」にこの行進曲の中間部の旋律を用いました。 日本ではエルガーの『威風堂々』と言う場合、第1番あるいはその中間部の旋律を指すことが多く、 今や『威風堂々』のタイトルと第1番の中間部の旋律は切っても切れない関係になっています。 *ベルリンフィルハーモニー大ホールの舞台から20m付近の音響を使用しています。 テンポを全般に遅めにとり、「希望と栄光の国」の部分の低音弦を抑えました。 0:31からの部分は1拍、2拍を細かく刻み、3拍目を伸ばしました(過去は全て伸ばしていました) エルガー:威風堂々 第1番 ニ長調 Op.39 [2023] Edward William Elgar:Pomp and Circumstance March No.1 in D major, Op.39 [7:00] Elgar_Pomp_and_Circumstance_March_No1_2023.mp3 Elgar_Pomp_and_Circumstance_March_No1_2023.mp3

10.29.2022

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 Op92 第2楽章 [2022] / Ludwig Van Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92:II. Allegretto

♪格調高く威厳に満ちた極美のアレグレット この楽章に対するこれまでの個人的な認識は、全体に長調で溌剌とした 勢いのある第7番にあって、唯一の短調によるまったく違う表情が、 この交響曲に深い趣きをもたらしているというものでした。 しかし今回の制作ではそれに加えて、新しい発見がありました。 それは、ベートーヴェンの厳しいまでの意志力の表現です。 冒頭からしばらくは低音を中心に弦だけが演奏を続けていますが、 短調ではあるものの、音が細かく刻まれることで緊張感が保たれ、 決して悲しみに沈みこまない決然とした、前を見据える強い意志を感じさせています。 ベートーヴェンの音楽は人に泣き言を言うことをゆるしません。 もっと強くたくましく、自分を信じて歩みゆけと呼びかけています。 そうした精神は第7のアレグレットのような音楽にあっても、 確実に根底に流れていると感じました。 悲哀が漂う、ただのロマンティックな音楽ではないことは確かです。 第7交響曲は1813年12月8日、ベートーヴェン自身の指揮により初演されました。 *演奏と音響を改めた新録音です。全体にテンポを落とし、より重厚感を出すことを心がけました。 ベルリンフィルハーモニー大ホールの舞台から20m付近の音響を使用しています。 ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 Op92 第2楽章 [2022] Ludwig Van Beethoven:Symphony No.7 in A major, Op.92 II. Allegretto [9:48] Beethoven-Symphony-No7-2nd-2022.mp3 Beethoven-Symphony-No7-2nd-2022.mp3

10.15.2022

シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D 944『ザ・グレイト』第1楽章 [2022] / Franz Peter Schubert:Symphony No.9 in C major, D 944 "The Great":I. Andante - Allegro ma non troppo

♪尊敬するベートーヴェンの高みを目指して 1827年の3月、ベートーヴェンが重体に陥ったとのうわさがウィーンの街を走りました。 当時30歳になり貧困と病魔に苦しんでいたシューベルトの友人たちは、 彼を尊敬するベートーヴェンに一目、会わせようと、 シューベルトの歌曲を写した楽譜をベートーヴェンの枕元に持ち込みました。 楽譜を静かに一ページずつめくっていたベートーヴェンは、ほどなくして感嘆の声をあげました。 「シューベルトのうちには神のひらめきがある」 その後、シューベルトは友人と共にベートーヴェンを訪れることになりました。 ベートーヴェンは二人を部屋に招き入れると、次のような言葉を友人に告げました。 「ヒュッテンブレンナー 、シューベルトは私の魂を持っている。今に世界にその名を知られる人だ」 それから間もなくの1827年3月26日、ベートーヴェンはこの世を去りました。 ベートーヴェンは死の直前に「なぜもっと早くシューベルトを知ることができなかったのか」 と嘆いたといわれています。 一年が過ぎた1828年の3月、シューベルトは下書きもなしに、一気呵成に交響曲を書き上げました。 それがのちの1838年にシューマンによって発見され、メンデルスゾーンの指揮で初演されることになる 「未完成」と並ぶシューベルトの不滅の名曲「ザ・グレイト」です。 作曲当時、友人たちに「もう歌曲はやめた。これからはオペラとシンフォニーだけを作曲する」 と語っていたシューベルトが、尊敬するベートーヴェンの交響曲の高みになんとか達しようと、 その熱意と心魂を傾けた一大傑作となりました。 ベートーヴェンが告げた通り、その魂を継ぐ壮大な作品を書き上げたシューベルトは、 「ベートーヴェンがいないこの世にこれ以上生きて、何の意味があるだろうか」と言い残し、 1828年11月19日、偉大な作曲家の後を追うように飢餓によりこの世を去りました。享年31歳でした。 友人たちはその棺を担ぎ、ウィーンのベートーヴェンの墓地のとなりに葬りました。 *2007年の初公開から15年ぶりの新演奏、新録音です。 *ベルリンフィルハーモニー大ホールのステージから20m付近の音響を採用しています。 シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D 944『ザ・グレイト』第1楽章 [2022] Franz Peter Schubert:Symphony No.9 in C major, D ...

09.24.2022

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章 [2022] / Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18:I. Allegro moderato

♪自身の内面に潜む闇と徹底的に対峙 現在、世界は漠然とした不安に覆われています。 パンデミックは完全に終息したとは言い切れず、それに加えて今年に入ってからは、 ロシアによるウクライナ侵攻が、いつ終わるともわからない状況です。 ニュースを見れば否が応でもこうした情報は入ってきて、知らずに精神に影を落とし、 少なからず心と体に変調をきたしても決しておかしくはありません。 マイナスの感情は自分にはそのつもりはなくとも、心の奥底に住み着いて、 理由のわからない不安、焦燥感、パニック、憤りの原因になることもあります。 音楽療法ではこうした症例に対処する場合、まずは患者の状態と同調することで、 カタルシスの効果を生み、そこから少しずつ気持ちを向上させていきます。 落ち込んだ気分の時に、いきなり明るく力強い音楽を聴かされても、 かえって余計に落ち込みを強めてしまうことになり兼ねません。 この曲を作曲したラフマニノフは9歳でペテルブルク音楽院に入学し、 12歳でモスクワ音楽院に移ると在籍中にピアノ協奏曲第1番、歌劇「アレコ」、 前奏曲嬰ハ短調などを作曲。いずれも高評価を受け、天才作曲家として前途洋々でした。 また、ピアニストとしても、当時一流の腕前を誇っていました。 そんな彼が初めて挫折を味わったのは、1897年、24歳の秋のことです。 自作の交響曲第1番が酷評を買い、重度のうつ状態に陥ってしまいました。 生まれついて繊細で神経質だった彼は、大きな精神的打撃を受けました。 ピアノ協奏曲第2番には、この時の心情が色濃く反映されています。 特に第2、第3楽章に続いて最後に書き上げられた第1楽章には、 救いの見えない苦しい心境が、主題を奏でる弦楽器群の低音にも表れています。 この楽章で彼は自らのマイナス感情と徹底的に対峙しています。 見て見ぬふりを続ける限りそうした感情はくすぶり続けますが、 自身がしっかり見て認知するだけで、次第に効力を失っていきます。 精神科の博士で音楽愛好家でもあったニコライ・ダールはラフマニノフに、 この状態を乗り越え、協奏曲の傑作を書くという暗示を与えました。 4ヶ月に及ぶ連日の治療が功を奏し、ラフマニノフは徐々に意欲を取り戻し始め、 ついにはピアノ協奏曲の不朽の名作、第2番ハ短調を完成させたのです。 *ベルリンフィルハーモニー大ホールのステージから20m付近の音響を採用しています。 *強奏時にオケの音が混濁しないように、金管を抑えるなどの変更を行っています。 *演奏の全体を見渡せるように展開部の速度を落としています。 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章 [2022] Sergey Rachmaninov:Piano ...

09.11.2022

モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」第4楽章 [2022] / W.A.Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter":IV. Molto allegro

♪力強く確信に満ちたモーツァルト最後の交響曲の最終楽章 もし交響曲を音楽の集大成と考えるなら、 41番はモーツァルトの音楽人生の総決算と言えるかもしれません。 モーツァルトにとって最後の交響曲となった「ジュピター」。 その最終楽章は例えようもなく神々しく煌びやかで、 あたかも天使たちが乱舞する天上世界を進みゆくかのようです。 前作の40番は肉体的にも経済的にも厳しかった、 モーツァルトの実生活を反映したかのような短調の交響曲でした。 しかし41番にはそれを打ち消すような明るさ、力強さがあります。 管楽器が順にコラールを奏でる部分は、まるで天国の門が開かれ、 その先に待つ神の面前に歩み出るようなイメージが広がります。 その後も音楽は迷いなき行進を続け、確信に満ちたまま全曲を締めくくります。 *公開していた第1楽章の音響・演奏内容を修正して差し替えました。 ベルリンフィルハーモニー大ホールのステージから20m付近の音響を採用しています。 モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」第4楽章 [2022] W.A.Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter" IV. Molto allegro [7:48] Mozart-Symphony-No41-Jupiter-4th-2022.mp3 Mozart-Symphony-No41-Jupiter-4th-2022.mp3

08.25.2022

モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」第1楽章 [2022] / W.A.Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter":I. Allegro vivace

♪ローマ神話の最高神"ジュピター"の名を冠した美麗・壮大な交響曲 モーツァルトの最後の交響曲は、彼が書いた他の交響曲とは何かが違います。 私はこれまで「ジュピター」はその名の通り、ローマ神話の最高神のように輝かしく、壮麗、雄大な音楽であるとのみ捉えていました。 しかし、今回16年ぶりに一から打ち込み直した過程で、あることに気づきました。 これはモーツァルトがどん底から這い上がり、光と勝利に手を伸ばした命がけの意志の表明なのだと。 作曲当時のモーツァルトは貧窮を極め、近づく死の中、体調は最悪の状態でした。 この最中に39番、40番、41番の名作を短期間に書き上げたのはまさに奇跡と言っていいほどですが、それだけにモーツァルトの筆は冴えわたり、気迫のこもった作品が遺されました。 特に41番の第1楽章には、それが如実に表れています。 有名なハ短調からハ長調に切り替わる転調部分は、モーツァルトとしてはやや強引なきらいがあるものの、有無を言わさずこの苦境を打破しようという気概を感じます。 また後半、再現部のヘ短調から主調のハ長調へと魔法のような転調を繰り返す部分は、モーツァルトの圧倒的な天才に恍惚としながら、気づけば自分の中の問題も解決したかのような感覚になります。 「苦悩を突き抜けて歓喜へ」はベートーヴェンのモットーとして知られますが、実はこれを最初に表現したのはモーツァルトではなかったのかと制作しながら何度も感じました。 「ジュピター」は実生活の上では少しの希望もなくどん底にいたモーツァルトが、精神・意識の世界で苦境を打破し、現状に打ち勝ち、ついには宇宙の最高神の御前にまで到達する音楽であったと思います。 現在世界はかつて考えられなかったような疫病、戦争、自然災害などに苛まれています。 しかしこうした出来事は、次に訪れる光、希望、平和、そして愛に向けた、そこに至るための試練だと私は考えています。 苦しみはそれ自体のためにあるのではなく、その先の歓喜へと至るための目覚まし時計のようなものだと思います。 ですから、今困難に直面している方々も、これで終わりではなく、むしろこの先に本来の目的である魂の勝利があるのだと信じて、闇に覆われた現在を生き抜いていただけたらと思います。 (ローマ神話のジュピターとは日本神道の天照大御神、空海の言う大日如来のようなものだと思います) 9/11 公開していた音源の音響・演奏内容を修正して差し替えました。 ベルリンフィルハーモニー大ホールのステージから20m付近の音響を採用しています。 モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」第1楽章 [2022] W.A.Mozart:Symphony No.41 in C major, K.551 "Jupiter" I. Allegro vivace [9:43] Mozart-Symphony-No41-Jupiter-1st-2022-2.mp3 Mozart-Symphony-No41-Jupiter-1st-2022-2.mp3

08.21.2021

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第1楽章 [2021] / L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso

昨日、食料を買うために家を出て歩いていると、すぐ近くで街頭放送の音が聴こえました。 私が暮らす街の市長が現在のコロナの危機的な状況を訴え、 ワクチンを打っても不要不急の外出は控えてくださいとアナウンスしていました。 市長自身が街頭放送で直接呼びかけるのは初めてのことです。 一日の感染者がかつてない数に達していると語る声は沈痛でした。 私はこの時、「これはただ事ではない」と思いました。 戦時下の空襲警報は、このようなものだったのかもしれないと想像しました。 今も数多くの人々が、感染しながらも入院先がなく、 不安の中に自宅で時を過ごしていると聞きます。 救急車が来ても、そのまま置いて行かれることも少なくないといいます。 こうした方々の恐怖と不安はいかばかりでしょうか? 想像することさえできません。 ある医師は医療状況は逼迫しているのではなく、 すでに崩壊しているとテレビで言っていました。 私の街も、昨年の同時期に比べ、一日の感染者数が十数倍に達しています。 病床の稼働率は100%で、感染しても入院はほぼ不可能でしょう。 多くの人々がいつ終息するとも知れぬコロナの恐怖と闘い疲弊しています。 しかし私たちは生きていかなければなりません。 市長のただならぬアナウンスを聴いた後、 頭の中には自然と第九の第1楽章が流れていました。 この難局を乗り切るには、通常を超えた強い意志力が必要だと思います。 その思いに突き動かされながら、1年ぶりにこの曲を新たに録音し直しました。 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 第1楽章 [2021] L.V.Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 I. Allegro ma non troppo, un ...

08.23.2020

オンライン特別プログラム - モルダウ/クラシック名曲集 Vol.1 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Classical Music Best Selection Vol.1

今回は夏休み期間中ということで、これまでのように交響曲まるごと1曲ではなく、 様々な楽曲からいいところを集めたオムニバス形式でお届けします。 中には1楽章すら完全ではないものもあります。 ですが、とにかく楽曲中の美しい旋律に光を当てたいと思い、あえてそうした形にしました。 モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K.183 第1楽章 モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」で印象的に使用されて以来、 一躍人気曲になった楽章です。 モーツァルトは41曲の交響曲を書いていますが、短調は25番と40番のみでいずれもト短調です。 冒頭のシンコペーションの主題は鮮烈で、シンプルながらインパクト大です。 カリンニコフ:交響曲第1番 ト短調 第1楽章 提示部 カリンニコフは若くしてこの世を去ったロシアの作曲家で、 作品数は少ないものの、特に2つの交響曲によってその名を残しています。 晩年の病床ではもはや自身で譜面を書くことさえできず、 傍らにいた妻が口述筆記の形で、代わりに書いていたともいわれています。 そう思いながらこの楽章の主題を聴くと、胸に迫るものがあります。 ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 Op.27 第3楽章より 交響曲の名曲として紹介されることが少ないラフマニノフの第2番ですが、 ことに第3楽章の美しさは比類がなく、あらゆる交響曲の中でも屈指の名作です。 ピアノ協奏曲第2番やヴォカリーズを書いたラフマニノフだからこその旋律美です。 主題は米ロック歌手エリック・カルメンがシングルで引用したほか、 月9ドラマ「ピュア」では挿入曲として用いられていました。 ショパン:練習曲 第3番 ホ長調 Op.10-3 「別れの曲」 ショパン自身も気に入っていたというこの曲の旋律は、古今東西のクラシックの名旋律の中でも、 片手の指に入るほど美しく、完成されています。 ショパンほどに魅力的な旋律が多い作曲家もめずらしいですが、 その中でも「別れの曲」と呼ばれるこのエチュードには特別なものがあります。 エルガー:愛のあいさつ ...

08.08.2020

オンライン特別プログラム - ジョン・ウィリアムズ 映画音楽集 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - John Williams:Chinema Music (Star Wars etc.)

『シンドラーのリスト』は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年のアメリカ映画。 第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的ホロコーストが東欧のドイツ占領地で進む中、 ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する 軍需工場に必要な生産力との名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描いています。 シンドラーは決して絵に描いたような善人の英雄ではなく、むしろ快楽主義に取りつかれた遊び人で、 プレイボーイのライフスタイルを楽しみ、生きることをそのすべての面で享受していました。 同時代の人たちから見てくれよく育ってきた人間とみなされて、上流社会の中で立ち回り、 良い身なりをし、女性たちからももてはやされ、金銭を湯水のように使っていました。 当初は戦争に乗じてひと儲けするためにポーランドにやって来たシンドラーでしたが、 ポーランド系ユダヤ人たちに対するナチス党政権の度を越えた弾圧に不信感を募らせ、 自らもナチ党であったにも関わらず、無力なユダヤ人住民たちを救うことに意識が転換していきました。 やがて出来る限り多くのユダヤ人を救済したいという願望の下に、 最後には全財産をこの目的のために投じただけでなく、自らの生命まで賭けようとしたのでした。 彼の救済の行動は執念ともいえるもので、動きを怪しんだナチスの親衛隊に3度も逮捕されるも、 時には収容所の看守に賄賂を渡すまでして、徹底した救済活動に身を投じました。 戦後に事業に行き詰まり困っていたシンドラーを、彼に救われたユダヤ人たちはイスラエルに呼び、 今度は反対に援助して彼の生活を支えたということです。 映画で音楽を担当したジョン・ウィリアムズは、フィルムを観て自分には荷が重すぎると感じ、 スピルバーグ監督に「この作品には自分よりもっと適任の作曲者がいると思う」と進言しました。 しかし監督は、「知ってますよ、でもその人たちはみんなすでに故人なんです」と返しました。 ジョン・ウィリアムズはこの作品でアカデミー作曲賞、英国アカデミー賞 作曲賞を受賞しました。 サウンドトラックにおいて、メインテーマなどの主要なヴァイオリンソロは、ユダヤ人であり、 20世紀の最も偉大なヴァイオリニストの一人と評価されるイツァーク・パールマンが演奏しました。 尚、今回併せて公開した『スターウォーズ』と『E.T.』のメインテーマは、最近使用してきた ベルリンフィルハーモニー大ホールの音響を更に研究して、効果を最大限に引き出しました。 過去に公開した音源に比べ、よりダイナミックで立体的なサウンドをお楽しみいただけると思います。 ジョン・ウィリアムズ:映画「シンドラーのリスト」から メインテーマ John Williams:Main Theme from "Schindler's List" [4:07] CMSL Classical masterpieces Sound ...

08.01.2020

オンライン特別プログラム - ビル・コンティ 映画音楽集 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Bill Conti:Chinema Music (Rocky)

映画「ロッキー」の主人公ロッキー・バルモアは、フィラデルフィアに暮らす無名のボクサーでした。 才能がありながらもそれを活かそうともせず、4回戦ボーイとして日銭を稼ぐ日々。 これといった目的も持たず、ただ自堕落に過ごすだけの生活でした。 そんな彼にあるチャンスが舞い込みます。 それは無敵の王者アポロが無名の選手を相手にしたイベント試合を行うというもので、 その相手として何人かの候補の中からロッキーが選ばれたのです。 最初はこれを拒否するロッキーでしたが、周囲の勧めや愛するエイドリアンのため、 そして何より自分自身のために、この無謀な試合に挑むことを決意します。 それまでとは打って変わって過酷なトレーニングにも耐え、 自分の人生をかけた闘いに正面から向き合うロッキー。 しかし、はなからアポロに勝てるはずがないとわかっていたロッキーは、 とにかく最終15ラウンドまで闘いぬくことを目標とし、それをエイドリアンに告げます。 試合ではアポロに激しいパンチを浴び、腫れ上がった顔でフラフラしながらも、 ついにロッキーは王者アポロを相手に、互角の試合で全ラウンドを成し遂げます。 判定にもつれ込んだ試合は結果として僅差でアポロの勝利となりましたが、 そんなことには構わず、ロッキーはひたすらエイドリアンの名を叫ぶのでした。 映画「ロッキー」の作曲を手がけたビル・コンティは、イタリア系アメリカ人の作曲家。 主に映画音楽、テレビドラマ劇伴を手がけ、「ロッキー」の音楽は特に有名です。 イタリア・オペラが流れる家庭に育ち、ナイトクラブでジャズを弾いた経歴もある彼は、 名門ジュリアード音楽院で学士・修士を修得するも、しばらくは無名の作曲家でした。 しかし、映画「ロッキー」の大ヒットにより、作曲家として一躍時の人となりました。 「ロッキー」は当初、主演のスタローンの弟が音楽を手がけていましたが、 思いもかけずめぐってきたチャンスをコンティは見事にものにしました。 そして、1983年の映画「ライトスタッフ」でついに、アカデミー音楽賞を受賞します。 このサントラで実質のテーマ曲として、人気が高いのが「イェーガーの勝利」です。 4回に一度は死の危険が伴うという、テストパイロットの過酷な任務に果敢に挑み、 パイロットとしての己の“正しい資質”が命ずるままに生きる主人公のチャック。 そんな彼を象徴するような音楽が、勇壮な管弦楽曲「イェーガーの勝利」なのです。 ビル・コンティ:映画「ロッキー」から 「ロッキーのテーマ」 Bill Conti:Gonna Fly Now from "ROCKY" [2:53] CMSL Classical masterpieces ...

07.29.2020

オンライン特別プログラム - ベートーヴェン序曲集 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Ludwig Van Beethoven - OVERTURES

ベートーヴェンの管弦楽作品を堪能しようとする場合、真っ先に挙げられるのが、 九つの交響曲であるのはもちろんのことですが、全部で11曲ある序曲にも、 彼の交響曲レベルの感動と充足感をもたらしてくれる作品は少なくありません。 ベートーヴェンが生涯に作曲したオペラは「フィデリオ」のみで、 11曲中の4曲は「フィデリオ」から生まれています。 その中の「レオノーレ序曲 第3番」を含む、代表作を3曲お届けします。 序曲とは言え、3曲を通して聴くと40分近いので、 あたかも交響曲を1曲聴いたかのような満足感を得ていただけると思います。 コリオラン序曲 Op.62 ブルタークの英雄伝に登場するローマの英雄コリオランを扱った戯曲家コリンの悲劇に、 感銘を受けたベートーヴェンが1807年に作曲した演奏会用序曲です。 ベートーヴェンは主人公コリオランの性格に、自らに通じるものを見出し、 この序曲を通じて自己表現を試みたといわれています。 ワーグナーは、「偉大な力、不撓の自信と熱狂せる反抗心が、憤怒、憎悪、復讐、 破壊的な精神のうちに台頭する姿を眼前に髣髴たらしめる」とこの曲を評しました。 エグモント序曲 Op.84 ゲーテの悲劇「エグモント」に感激したベートーヴェンが、 1809年から1810年にかけて作曲した、最もよく知られる彼の序曲のひとつです。 導入では苦難に対して凛とした態度で臨む崇高な姿が描かれ、 その後は過酷な運命との闘いと、最終的な勝利に至るまでが表現されています。 「ベートーヴェンが大詩人の言葉から霊感を得て描き出した最初の一例である」 とこの曲についてリストは語っています。 レオノーレ序曲 第3番 Op.72b ベートーヴェンの唯一の歌劇「フィデリオ」は、計3回の修正が行われました。 そして修正されるごとに新たな序曲が書かれ、つごう4曲が残っています。 今日、歌劇の序曲としては「フィデリオ」が演奏されますが、 この他に3つのレオノーレ序曲が存在しています。 中でも第3番はベートーヴェンの序曲中で最もスケールが大きく、 音楽の造りのバランスも良く、最大傑作と呼べる堂々たる佇まいがあります。 歌劇「フィデリオ」の上演では、最後の場面の前に第3番が慣例で演奏されています。 ベートーヴェン:コリオラン序曲 Op.62 [2020][IR] Ludwig Van ...

07.22.2020

オンライン特別プログラム - ショパン ピアノ協奏曲 第1番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - F.Chopin:Piano Concerto No.1 in E minor, Op.11

生涯に2曲しか残されていないショパンのピアノ協奏曲のひとつです。 第1番というものの、実際の作曲順ではこちらが第2番。出版順で番号が入れ替わっています。 ショパンが故郷のポーランドを去る20歳の年に完成した作品で、骨太で重厚な曲調が特徴です。 特に第1楽章は「これがショパン?」と思うほどに男性的で力強く、 ドイツの古典派、ロマン派の王道をいくような品位と風格があります。 初演は1830年10月11日、ショパン自らのピアノ演奏により行われました。 このコンサートはウィーンへと旅立つショパンの告別演奏会で、 ショパンの初恋の人である一歳下のソプラノ歌手、コンスタンティア・グラドコフスカが、 白いドレス姿で髪にバラの花を挿して助演したと伝えられています。 彼女はすばらしかったとショパンは書き記していて、最後に彼女から渡されたリボンを ショパンは終生にわたり手元に置いていたということです。 ピアノ協奏曲第1番は「ピアノの詩人」として知られるショパンとしては、 伴奏の管弦楽部分も充実していて、第1楽章でピアノが登場するまで4分もの時間を要しています。 また、ショパン自身の自信作だったようで、その後のコンサートでも度々取り上げていました。 第1楽章の印象的な主題が、都はるみの75年のレコード大賞曲「北の宿から」に似ている とも言われますが、作曲家の小林亜星氏は「特に本作をもとにして作曲したわけではない」と 雑誌『ショパン』(2009年1月号)で語っています。 第2楽章は一転して甘美で幻想的な音楽ですが、ショパン自身はこれについて 「春の月のおぼろに霞んだ夜の瞑想」と説明しています。 尚、漫画「のだめカンタービレ」では主人公の野田恵が、シュトレーゼマンの指揮により 最初のコンサートのステージでピアノ協奏曲第1番を披露しています。 ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11 第1楽章 [2020][IR] Frederic Francois Chopin:Piano Concerto No.1 in E minor, Op.11 1. Allegro maestoso [20:36] ...

07.15.2020

オンライン特別プログラム - チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique"

「傑作を書きました。これは私の心からの真実と申しましょう。 私は今までにないほどの誇りと喜びと満足を感じています」(出版商ユルゲンソンへの手紙) 「私は今度の交響曲の作曲に全精神を打ち込みました」(コンスタンチン大公への手紙) 交響曲第6番「悲愴」はチャイコフスキーが最後に遺した一大傑作です。 ベートーヴェンなどの古典様式を意識した前作の第5番とは違い、 型にとらわれずに自らの作曲スタイルを自由に羽ばたかせています。 その結果、チャイコフスキーの天才が臨界点を超えて発揮された名作になりました。 交響曲第5番についてチャイコフスキーは「あの曲の中に潜む不自然さが私には気に入りません。 なにか虚飾的な感じがします」と支援者のメック夫人への手紙でもらしていました。 「悲愴」での一転したオリジナリティの爆発は、第5への不満の反動だったのかもしれません。 チャイコフスキーの音楽は多分に感傷的で、それが常に作風を特徴づけていましたが、 「悲愴」の場合は感傷を超えた慟哭、絶望までが感じられ、 作曲家が極限の精神で自らの内奥の心をさらけ出し、明るみにしているのがわかります。 作曲しながら目頭ににじんだ涙で楽譜が見えなかったという話もあります。 「悲愴」を語るうえで個人的に連動して思い起こされるのがブラームスの交響曲第4番です。 ふたりはロシアとドイツと国こそ違え、どちらも19世紀の同時代を生きた作曲家。 同じ5月7日生まれで、愁いを含むどこか寂し気な作風も共通しています。 さらにブラームスは交響曲第1番で、チャイコフスキーは交響曲第5番で、 苦悩から歓喜へという「運命」に象徴されるベートーヴェンのモットーを踏襲しています。 しかし最後の交響曲となった第4番と「悲愴」ではそうした縛りを離れ、 自らの人生観や音楽的趣向を解き放っています。 最終楽章が短調で締めくくられる構成も同じです。 もっともチャイコフスキーはブラームスについて「尊敬しているが彼の音楽は嫌いだ」と語り、 むしろグリーグが自分には身近でわかりやすく、血のつながりを感じると日記に書いています。 3人は1887年12月20日、ライプツィヒのヴァイオリニスト、プロツキイの家で知り合いました。 チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 第1楽章 [2020][IR] Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" ...

07.09.2020

オンライン特別プログラム - ブラームス 交響曲第4番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Johannes Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98

ブラームスは作曲家として常にベートーヴェンを指標としていました。 やるからにはベートーヴェンを越えねばと、作曲に21年もの歳月を費やした交響曲第1番は、 「運命」と同じハ短調で、苦悩から歓喜へと至る同じ構成を持っています。 第4楽章の「第九」を思わせる主題などから、「ベートーヴェンの交響曲第10番」とも呼ばれました。 また、ブラームスの交響曲第2番は牧歌的で自然を思わせる曲調から「ブラームスの田園」と呼ばれ、 男性的なたくましさもある交響曲第3番は「ブラームスの英雄」とも言われることがあります。 つまり、ブラームスの全4つの交響曲のうち、前の3曲はベートーヴェン絡みで語られるわけです。 ですが、最後の第4番ホ短調だけは、そうした関連付けは一切されていません。 ブラームスがベートーヴェンの呪縛を離れて、初めて自己表現を全開にした作品とも言えます。 最終楽章で勝利を高らかに謳いあげた第1番以降、ブラームスの交響曲は後にいく程暗くなっています。 第3番でも後半のふたつの楽章は短調が主体で、第4番ではついに短調で全曲を締めくくっています。 ベートーヴェンは気にせずに、「これが本当の私自身だ」と言わんばかりに、 自分の人生観や音楽的趣向をめいっぱい詰め込んだのが、最後の交響曲第4番と言えます。 ですから人によっては「沁みったらしくてついていけない」と感じるかもしれません。 しかし、それまである意味、仮面をつけていたブラームスが、初めて自分をさらけ出したという意味で、 彼の他の交響曲にはない真実味や誠実さが感じられるのも事実です。 また、人生に少し疲れた人には、心に寄り添う優しさが慰めとなるかもしれません。 交響曲第4番は最終楽章にバッハ以来使われなくなったパッサカリアという形式を用いるなど、 古典派のベートーヴェン以上に古典的なところも注目すべき点です。 ブラームスは第4番のあと、亡くなるまでの13年間に、二度と交響曲を作ることはありませんでした。 そして死の床で彼自身が第4番を「最も好きな曲だ」と語ったということです。 ≪こぼれ話≫ ある時、一人暮らしのブラームスの隣家で火事が起こりました。 ブラームスはすぐに消火活動にあたり、率先してバケツリレーにも参加しました。 自身の家に火が燃え移りそうになっても「それどころではない」と目もくれず、 隣家の消火に専心していたといいます。 見かねた知人がブラームスの家に飛び込み、寸前のところで交響曲第4番のスコアを持ち出しました。 信仰に厚く実直なブラームスらしいエピソードです。 ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調 Op.98 第1楽章 [2020][IR] Johannes Brahms:Symphony No.4 in E minor, ...

07.02.2020

オンライン特別プログラム - ブルックナー 交響曲第9番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Anton Bruckner:Symphony No.9 in D minor

交響曲第9番はブルックナーが最後に遺した大作です。 作曲の半ばに亡くなったため、全4楽章の予定が第3楽章までの未完となっています。 しかし、敬愛するシューベルトの「未完成」が2楽章のみで充分に成立しているように、 ブルックナーの第9番も、この後に何も付け足す必要がないほどに音楽として完成しています。 ブルックナーはこの曲を愛する神様に捧げました。 通常、楽曲の献呈は支援者などの身近な人たちになされるもので、 それを神様に対して行ったのは、おそらくブルックナーが初めてです。 ブルックナーの音楽は不思議で、一般的な音楽のように「聴こう」と身構えると、 つかみどころがなく、何が言いたいのかもわからず肩透かしをくらってしまいます。 音楽は少し進むとそこで途切れ、まったく違うブロックが開始されます、 これが延々と続くので、どうしても聴いていて身が入らないということもあります。 しかし一度「聴こう」という態度をやめ、聴くのではなく音楽に身を浸す感覚になると、 たちまちその魅力に気づき、そこから抜け出せなくなります。 本場オーストリアのファンは、ブルックナーの長大な交響曲が終わると、 またすぐに最初から聞き直したくなるということです。 ブルックナーはお風呂に楽譜を持ち込み、湯船につかりながら作曲していました。 ですから温泉に入るようにリラックスして、何も考えずに聴くのがいいかもしれません。 ブルックナーの交響曲第9番は、名作第8番に続く「奥の院」とも言える究極の作で、 音楽の深遠さは計り知れなく、地上世界を遥かに超えた宇宙的なスケール感があります。 第8番にはまだ人間的な葛藤や孤独感などが感じられますが、 第9番では徹頭徹尾、大自然や神羅万象、大宇宙の運行が描かれています。 特に感動的なのは第3楽章で、信仰の極に達したかのような法悦は他に例えるものがなく、 自身の死を前にした心境の深まりが、冒頭の輝かしいトランペットからも伝わってきます。 ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 第1楽章 [2020][IR] Anton Bruckner:Symphony No.9 in D minor I. Feierlich misterioso [28:23] Bruckner-Symphony-No9-1st-2020-IR.mp3 Bruckner-Symphony-No9-1st-2020-IR.mp3 ブルックナー:交響曲第9番 ...

06.24.2020

オンライン特別プログラム - ベートーヴェン「運命」バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - L.V.Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67

「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる手紙があります。 これはベートーヴェンが悪化する難聴への絶望と、それでも果たさなければならない芸術家としての 使命感との間で揺れ動く心情を綴ったもので、甥であるカールと弟のヨハンに宛てられています。 『…6年このかた治る見込みのない疾患が私を苦しめているのだ。 物の判断も出来ない医者達のために容態はかえって悪化し、症状は回復するだろう という気休めに欺かれながら1年1年と送るうちに、今ではこの状態が永続的な 治る見込みのないものだという見通しを抱かざるを得なくなったのだ。 人との社交の愉しみを受け入れる感受性を持ち、物事に熱しやすく、感激しやすい 性質をもって生まれついているにもかかわらず、私は若いうちから人々を避け、 自分ひとりで孤独のうちに生活を送らざるをえなくなったのだ。 耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら、自分が入っていきたい世界から 押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。 …そのような経験を繰り返すうちに私は殆ど将来に対する希望を失ってしまい 自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。』 (http://www.kurumeshiminorchestra.jp/beethoven_heiligenstaedt.html) 新進気鋭の音楽家としてウィーンの社交界に登場したベートーヴェンは、 自在な変奏による得意のピアノ即興演奏で名をはせた存在でした。 後年のイメージとは違い、ベートーヴェンは社交好きで人とのつながりも多く、 人々にもてはやされる日々は彼の心を高揚させました。 しかし、30代になるにつれ、彼の耳は次第に具合が悪くなり、 やがてはまともに人の声も聞きとれず、会話も困難になっていきました。 音楽家として耳が聞こえなくなるという事態はあってはならないもので、 ベートーヴェンはこの事実を悟られまいと社交界から遠のいていきました。 元来、人付き合いを好む彼には、難聴と同じくらいに苦痛なことでした。 (ベートーヴェンが散策した19世紀のハイリゲンシュタット) 人々の前から姿を消したベートーヴェンは、療養でウィーン郊外のハイリゲンシュタットに居を構え、 自然豊かなこの地で演奏よりも作曲に専念するようになっていきました。 日の出と共に作曲を開始すると昼過ぎには切り上げ、午後は数時間をかけて周辺を散策しました。 おそらく歩きながら楽想を練り、翌日には朝から譜面に書き留めていたものと思われます。 『そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと 感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去ってゆくことはできないのだ。』 芸術家としての使命感から自ら命を絶つことを思いとどまったベートーヴェンは、 このような暮らしの中で後年に残る数々の名曲を生み出していきました。 そうした作品のひとつが交響曲第5番「運命」です。 過酷な運命に立ち向かい、人としての務めを果たすべく克服していく様を描いたこの曲は、 作曲から200年以上を経た今も、逆境に苦しむすべての人を励まし鼓舞し続けています。 遺書から6年が過ぎた1808年、「運命」は「田園」と共に作曲家自身の指揮で初演されました。 「運命」の作曲に着手したのは、遺書を書いた1801年から1802年の頃とみられています。 ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 ...

06.16.2020

オンライン特別プログラム - ブルックナー 交響曲第8番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Anton Bruckner:Symphony No.8 in C minor

この4月からバーチャルコンサート・シリーズで公開してきた楽曲のほとんどには、 あるひとつの共通項があり、それが一貫したシリーズのテーマにもなっています。 それは楽曲の構成はいずれも、ベートーヴェンの交響曲「運命」がモデルになっていて、 短調の第1楽章に始まり、同主調で長調の終楽章に終結することです。 全編を通じて暗闇から光、苦難から勝利、絶望から希望へと至る変遷が描かれています。 例えばベートーヴェン自身の「第九」はニ短調からニ長調、 ブラームスの交響曲第1番はハ短調からハ長調、 ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」はホ短調からホ長調、 チャイコフスキーの交響曲第5番もまたホ短調からホ長調、 そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はハ短調からハ長調という具合です。 今回のブルックナーの交響曲第8番も、そうした「運命」モデルを踏襲した作品で、 「運命」と同じくハ短調からハ長調という展開を通じて、闇に対する光の完全勝利を描いています。 また、第8の第1楽章では「第九」第1楽章のタターンという動機が用いられ、 「第九」と同じく第2楽章に短調のスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章が置かれています。 しかし、ベートーヴェンの場合は人間が主役として中心にあるのに対して、 ブルックナーではむしろ大宇宙や大自然が前面に出て、 その偉大さを前にして佇む人間存在の孤独さ、小ささが描かれています。 ですから第8でも苦難に立ち向かう英雄像が見えるものの、闘争の末に勝利するというより、 一旦はすべてを受け入れ、その上でそれらを超えていくというような懐の深さも感じます。 第4楽章のコーダでは、それまでの楽章の主題が長調で混然一体となって絡み合い、 否定しようもない完全な光の勝利が爆発するなか、圧倒的な威力で全曲を終結します。 第1楽章の最後では短調で物寂しく響いた「ミレド」のフレーズ(正確には半音下降を含む)は、 終楽章の最後ではオーケストラの全体合奏で華々しく「ミレド」と長調で演奏されています。 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 第1楽章 [2020][IR] Anton Bruckner:Symphony No.8 in C minor I. Allegro moderato [17:38] Bruckner-Symphony-No8-1st-2020-IR.mp3 Bruckner-Symphony-No8-1st-2020-IR.mp3 ブルックナー:交響曲第8番 ...

06.10.2020

エルガー:《エニグマ変奏曲》 Op.36 - 第9変奏 「二ムロッド」 [2020][IR] / Elgar: Variations On An Original Theme, Op.36 "Enigma" - 9. Nimrod (Adagio)

♪友人とベートーヴェンを語り明かした夜の思い出 ある日のこと、エルガーがピアノに向かい、とりとめもなく旋律を奏でていると、 ひとつの旋律が夫人の注意を引き、「もう一度聴かせてほしい」と頼まれました。 その旋律こそが『エニグマ変奏曲』全体の基となる主題になりました。 エルガーはこの主題から次々と、即興的に変奏を弾き始め、 それぞれの変奏を友人たちの音楽的な肖像としてまとめました。 たとえば、第1変奏は夫人のキャロライン・アリス・エルガーを表し、 譜面には「第1変奏 L'istesso tempo "C.A.E."」と頭文字を記すといった具合です。 ただ、はっきりとは人物名を記さず、楽曲全体を通した隠し主題があるという理由から、 『独創主題による変奏曲(Variations on an Original Theme for orchestra)』という 正式名称よりも『エニグマ(謎の)変奏曲』という通称が一般化しています。 14の変奏からなるこの変奏曲の中でも、もっとも高い人気を誇り、 単独の演奏会用ピースとしても取り上げられるのが、第9変奏「二ムロッド」です。 二ムロッドとは出版社勤務の友人イェーガーにエルガーがつけた愛称で、 彼の高貴な人柄がその音楽を通して描き出されています。 エルガーとニムロッドはある夜に、ベートーヴェンの緩徐楽章について語り合いました。 その時の記憶が第9変奏「二ムロッド」に反映されています。 それだけにこの音楽には崇高な気高さがあります。 背後にうしろで手を組みたたずむベートーヴェンの姿が透けて見えるかのようです。 尚、今回からベルリンフィルハーモニー大ホールの音響をリバーブに使用しています。 過去にはウィーン・コンツェルトハウスの音響をメインに使用していましたが、 今後は近代的なオーケストラサウンドが堪能できるベルリンフィル大ホールの音響で録音していきます。 参考として、新しい音響で録音した演奏(ハイライト)をお聴きください(mp3) ♪ブルックナー:交響曲第8番 第1楽章より ♪ブラームス:交響曲第4番 第1楽章より ♪ベートーヴェン:交響曲第7番 第2楽章より ♪ワーグナー:楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲より ♪チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」第1楽章より ...

06.05.2020

オンライン特別プログラム - ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18

ラフマニノフは身長2mに達しようかという大男でした。 彼がピアノの前に座ると、ピアノがまるでおもちゃのように見えたといいます。 この長身と長い指を活かした演奏はダイナミックでピアニストとしても注目の存在でした。 小さい頃から神童と持て囃され、学生時代から発表した自作曲も次々と高評価を受け、 ラフマニノフはピアニスト・作曲家として前途洋々とした道を歩んでいました。 ところが1897年、24歳の秋、順風満帆の彼の音楽家人生に大きな壁が立ちはだかります。 ペテルブルクで初演された交響曲第1番が悪評を受け、彼は一気に自信を消失しました。 生まれつき繊細で神経症気味だったラフマニノフは、ショックでひどいうつ状態に陥り、 創作意欲も失せ、音楽家人生も終わったと危ぶまれるほどになりました。 各種の治療を試みたものの事態は一向に改善されず、絶望的な状況は続きました。 こうした様子を見て心配した彼の友人が紹介したのが、精神科医ニコライ・ダール博士です。 ラフマニノフは1900年1月から4月まで連日のように博士のもとへ通い治療を受けました。 これが功を奏しラフマニノフの症状は徐々に好転していきました。 ダール博士が施したのは一種の暗示療法でした。 博士は「あなたは今に世界に知られる傑作を書くことになる」とラフマニノフに言い続けました。 失われていた創作意欲を取り戻し始めたラフマニノフは、ついには新作の着手を決意しました。 こうして作曲を再び開始した復帰第一作が「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」です。 ラフマニノフは手始めにまず第2楽章から取り掛かり、次いで第3楽章を仕上げました。 そして最後に時間をかけて第1楽章を完成させました。 1901年10月27日、27歳の時、モスクワで彼自身のピアノとモスクワ・フィルハーモニーの演奏により、 「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」は初演され、すぐさま大絶賛を浴びました。 その後、1905年にはこの曲にグリンカ賞が贈られ、ラフマニノフの名は不動のものとなりました。 英国映画「逢いびき」で使用され、米ロック歌手エリック・カルメンの「All By Myself」に 引用されたことでも知られる第2楽章は、ラフマニノフが復帰で最初に着手した楽章ということもあり、 強度のうつ状態にあった彼の精神状態が少なからず反映されているといわれています。 冒頭の弦楽による和音の進行は、彼が尊敬した先輩チャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章を思わせ、 その後も同じように祈りにも似た、切実で精妙な調べが続いていきます。 特に終結へと向かう10:36からの展開は美しく、すべての悲しみが洗い流されるかのようです。 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18 第1楽章 [2020][VR] Sergey Rachmaninov:Piano Concerto No.2 ...

05.30.2020

オンライン特別プログラム - チャイコフスキー 交響曲第5番 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - P.I.Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64

交響曲第5番を書いた頃のチャイコフスキーは、ひどく疲れていました。 まるで創作意欲がなく、楽想も気分も何も湧きませんでした。 作曲に先立ち彼は支援者のメック夫人に、次のように書き送っています。 「それほど年を取ったとは思いませんが、年を感じ始めました。 私は近頃、疲れます。夜、ピアノを弾くことも本を読むことも苦労になりました」 こうした状況を打破するためか、第4番から10年ぶりに取り掛かったのが第5番です。 ベートーヴェンの第5番「運命」と同じく、苦難との闘いとそれに対する勝利が描かれています。 しかし、主人公には「運命」のようなたくましさはなく、ナイーブで傷つきやすい姿があります。 その分、生身の人間には共感できる部分が多く、また甘美な旋律は彼ならではのものです。 第1楽章の冒頭では、クラリネットが全楽章を貫く陰鬱な主題を奏でます。 困難に見舞われても、それに立ち向かう気力もなく、仕方なくとぼとぼと歩き始めます。 その嘆きは次第に大きくなり、苦しさを叫ぶ絶叫は頂点に達します。 第2楽章は短調のほの暗い弦楽合奏に始まり、やがて夢幻的な旋律をホルンが奏でます。 続く主題もこの上なく美しく、ふたつの主題は旋律作家チャイコフスキーの真骨頂です。 最近、この楽章は「祈り」を表現していると感じています。 苦しい状況にあっても、どうか心には安らぎがあるようにという願いです。 しかし、美しい旋律のあとにも、過酷な運命の主題が再び襲い掛かってきます。 第3楽章は一時、すべてを忘れて憩いの時を持つワルツです。 主人公は楽しかった過去の思い出に浸っているかのようです。 しかしここでも、最後に運命の主題が静かな影を落とします。 そして第4楽章の冒頭では、第1楽章の運命の主題が長調に転じて演奏されます。 しばらくは各楽器により明るい気分が表現されますが、その後にまたも闘いが開始されます。 音楽は様々な変遷を経たのち、最後にオーケストラ全体での勝利の行進になります。 短調だった第1楽章の第2主題もコーダで長調になり、金管が高らかに謳いあげます。 そして最後に念を押すように、全体が「タタタタン」とリズムを踏みしめて締めくくられます。 「タタタタン」はベートーヴェン「運命」の主要な動機でもあります。 チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 Op.64 第1楽章 [2020][VR] Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 ...

05.23.2020

オンライン特別プログラム - シューベルト 交響曲第8番「未完成」 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Franz Peter Schubert:Symphony No.8 in B minor, D.759 "Unfinished"

シューベルトとベートーヴェンは同時代のウィーンに生きた作曲家です。 生年はベートーヴェンが27年先ですが、亡くなったのはわずか2年も違いません。 そんなシューベルトは友人の引き合わせで、最晩年のベートーヴェンに会ったことがあります。 病床でシューベルトの楽譜に目を通したベートーヴェンはページをめくり声をあげました。 「シューベルトのうちには神のひらめきがある」 また、友人とシューベルトを前にして、ベートーヴェンはこう賞賛しました。 「シューベルトは私の魂をもっている。今に世界にその名を知られる人だ」 ベートーヴェンが亡くなったのはそれから間もない1827年3月26日のことでした。 シューベルトの「未完成」は長らくベートーヴェンの「運命」と人気を二分する、 レコードや演奏会でも定番の交響曲の組み合わせでした。 「運命」「未完成」「新世界より」を3大交響曲とする演奏会もあります。 それだけに「未完成」がもつ音楽の佇まいは立派で、まさに名曲の趣きがあります。 本来、4楽章であるべき交響曲が2楽章で終わっているため「未完成」と呼ばれるものの、 内容は2楽章でも充分に完結しており、この後に何を付けても役不足になりそうです。 ブラームスはこれについて「天才の直感で途中で筆を置いたのだろう」と言っています。 しかし、「未完成」が世に出たのはシューベルトの死後37年が過ぎてからでした。 彼をベートーヴェンに引き合わせた友人のヒュッテンブレンナーが所蔵していたのです。 シューベルトは絶えず貧困に苦しんだ人で、亡くなった時はほとんど餓死状態でした。 楽譜一枚を買うことさえできず、ピアノもないため、友人たちのピアノを借り歩いたほどです。 「私の音楽は私の才能と貧乏の産物ですが、自分が一番苦しいときに作った音楽を、 世間の人は好むらしい」とシューベルトは言っています。 1828年11月19日、「このようなところにはいられない。ここにはベートーヴェンはいないんだ」 とうわごとのようにつぶやくと、シューベルトは31年の短い生涯を終えました。 彼の父や兄たちはお金を出し合い、彼の墓を敬愛するベートーヴェンのそばに置きました。 ところで、日本における新型コロナウイルスの新規感染者数は減少傾向を見せ、 25日にも首都圏の緊急事態宣言が解除されようかという方向に向かっています。 世間では自粛ムードも薄まり、徐々に人出も多くなりつつあるようです。 これは多くの日本人の超常的な意志と努力の賜物だと思います。 しかし、一方で実際の医療現場では、現在も医療スタッフの闘いが続いているようです。 医療従事者たちは自らの生活を犠牲にし、生命をかけて任務にあたっています。 また今も、患者とその家族が苦しみの最中にあります。 こうした現状を見ると、まだまだ気を引き締めなければならないと感じました。 医療現場がかつての落ち着きを取り戻したときに、初めて収束と言えるのかもしれません。 焦点:「解除の日」遠い医療現場、聖マリアンナ病院の葛藤 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200522-00000102-reut-asia シューベルト:交響曲 第8番 ロ短調 D759 「未完成」 ...

05.16.2020

オンライン特別プログラム - ベートーヴェン「田園」バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - L.V.Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastorale"

交響曲第6番「田園」は、ベートーヴェンの9つの交響曲の中でも異質な存在です。 「英雄」「運命」「第九」などの有名曲は、いずれも男性的な強さ、困難に立ち向かう意志を描いていますが、「田園」にはそうした闘争の姿はなく、自然への感謝と穏やかな心境のみが表されています。 ベートーヴェンは「田園」について、「自然の描写というより人間感情の表現」と説明しています。 ベートーヴェンは自然が見せる様々な表情を通して、人生そのものを描いているのです。 第6番「田園」は、全くタイプの違う第5番「運命」と同時進行で作曲されました。 そしてどちらも1808年、38歳の年に書き上げられ、その年の12月にウィーンで同時に初演されました。 コンサートでは、第1部で「田園」、第2部で「運命」がベートーヴェン自身の指揮で演奏されています。 ベートーヴェンは激しい闘争の「運命」と、静かでやすらかな「田園」の二面性をもって、 様々なできごとが起こる人間の人生を総括的に描こうとしたのかもしれません。 そして人間には、強さとやさしさの両面が必要だと伝えているような気がします。 「運命」と「田園」を作曲した頃のベートーヴェンは、耳疾の療養のために、しばしばウィーン郊外の ハイリゲンシュタットに居を構え、そこで作曲の作業を進めました。 朝は日の出とともに作曲を始め、午後2時頃まで仕事を続けると、その後はウィーン近郊を 日が暮れるまで、時には夜中までをかけて延々と散歩で歩き回っていたといいます。 毎日のように、自然の中を散策したベートーヴェンはそこからインスピレーションを受け、 おそらくは歩きながら作曲の構想を頭の中でまとめていたのかもしれません。 ベートーヴェンは親しいドロスティック男爵夫人に、「誰か、私より田園生活の好きな人がいるでしょうか?色々な木々や茂みは、私の心の疑問に答えてくれるようです」と書き送っています。 第2楽章「小川のほとりの情景」には次のような説明がついています。 「さらさらと流れる小川のせせらぎにも似た弦楽器の音。そして、それを伴奏にしてきれいな懐かしい旋律は、時には初夏の野辺を照らす太陽のように、また楽し気に飛び交う小鳥の群れようにも聴こえるでしょう。やがてフルートがナイチンゲールの声を吹き、オーボエがうずらの鳴き声をまね、クラリネットはカッコウの歌をうたいます」 「田園」を作曲した頃のベートーヴェンは、ほとんど聴覚を失くしていました。 ですから第2楽章の最後に奏でられるナイチンゲールの声も、うずらの鳴き声も、 カッコウの歌も実際には聴こえていませんでした、ベートーヴェンはそれらを心の耳で聴き、 想像をめぐらせ、音符にして譜面に書き留めていたのです。 ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68 「田園」 第1楽章 [2020][AR/VR] Ludwig Van Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 I. Allegro ma ...

05.04.2020

オンライン特別プログラム - ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 バーチャルコンサート / Online Virtual Concert - Antonin Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World"

今回も引き続き特別プログラムでお届けします。 交響曲第9番「新世界より」はドヴォルザークが作曲した最後の交響曲。 「新世界」とはこの曲が作曲されたアメリカのことで、故郷ボヘミアへの想いが込められています。 1892年、ニューヨークに新設されたナショナル音楽院の院長に招かれたドヴォルザークは、 故郷をしばらく離れることになるこの任務を快く引き受けました。 彼は大の鉄道ファンだったため、アメリカに行けば好きなだけ鉄道を見れると思ったのです。 妻子を連れて初めてアメリカに渡ったドヴォルザークは、当初はそこでの日々に満足していましたが、 やがてすぐに故郷ボヘミアが恋しくなり、極度のホームシックにかかってしまいました。 素朴な人情家の彼にとって、機械文明のアメリカはあまり馴染める場所ではなかったようです。 そこでドヴォルザークはアメリカでありながらボヘミア人が多く住み、 ボヘミアをそのまま移したようなアイオア州のスピルヴィルという地区に暮らすようになりました。 「新世界より」を始め、弦楽四重奏曲「アメリカ」やチェロ協奏曲などの名曲は、 スピルヴィルで過ごした2年間のうちに書き上げられました。 これらの曲には5音階(ペンタトニック)の旋法が多用されており、 ドヴォルザークがアメリカの黒人霊歌や原住民の民謡に影響されたのを物語っています。 「新世界より」を象徴するのは何と言っても第2楽章のラルゴです。 のちに弟子のフィッシャーが合唱曲「Going Home」に編曲して大人気になりました。 日本でも「遠き山に日は落ちて―」の歌詞で知られる「家路」として有名です。 イングリッシュホルンで奏でられるどこか寂しい旋律を通じてドヴォルザークは、 遠く離れた懐かしい故郷ボヘミアへの想いを切々と表現しています。 「新世界より」はまた、交響曲としてはかなり速い作業で作曲が進められました。 アメリカに来た翌年の1893年1月10日にスケッチが着手され、5月24日には完成しています。 そして、その年の12月16日にアントン・ザイドルが指揮する ニューヨーク・フィルハーモニック協会の演奏会で初演されました。 ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」 第1楽章 [2020][VR] Antonin Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From ...