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『ふしぎな木の実の料理法』3回目です。(全4回)
相変わらず「好きな箇所」を話し合っています。ぷにょさんは作中の幸福な言葉づかいについて、ジャッキーさんはスキッパーが「しゃべる練習」を一人でしていたことについて紹介しています。
今回も話題は遠く、遠くへ。友達の話を聞くような気持ちで、たのしんでいただけたら幸いです。
【目次】
○オープニング
・「好きな箇所3選」だけでしゃべりすぎてしまっている
<ふたりの好きな箇所3選>
○ぷにょさんの3つめ ふんだんなオノマトペ
・スキッパーが、少しは知っている人たちとおおむね会ったあとに、まったく知らない人(マサカとナルホド)と出会うシーン
・ものを食べたりお茶をしたりする時のしあわせな気持ち
・岡田淳さんのエッセイ集『図工準備室の窓から』の「ドリトル先生の台所」(このお話は講演会でもある時期必ずされていた)
・『ドリトル先生航海記』の冒頭、ドリトル先生の家に少年が招き入れられるシーンが、若き日の岡田さんに「人は信じられる」「人生は生きるに値する」という気持ちを与えた
・挿絵がないのに、挿絵があったかのように錯覚することがある
・あたたかく受け入れてくれ、子どもである自分を対等に扱ってくれる大人の存在
・マサカとナルホドのような、一見粗野な人たちでさえ、食後にお茶を入れてくれる
・ネタがバレたくらいで面白さの損なわれる物語ではない
・大きい事件が起こるわけではないので、ディテールが際立つ
・ラストシーン、スキッパーがマサカとナルホドを思うのは、「彼らがそこにいないから」――いいものはみんなで分け合う
・スキッパーの優しさや、情
○ジャッキーさんの3つめ 話す練習をするスキッパー
・トワイエさんの家を出ていった場面
・おまけ → トワイエさんが手を振ってくれていたこと 松尾芭蕉『おくのほそ道』「人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆるまではと見送るなるべし」、ドラえもんの名曲『友達だから』「見えなくなるまで僕は見送る」
・「森の中に自分の足あとが増えてゆく」という文学的な表現(参考文献:華原朋美『I’m proud』
・話す練習をしてギーコさんとスミレさんの家に向かったスキッパーだが、なかなかうまくいかない
・「飲みものがあるのはありがたいことです。飲んでいる時はしゃべらなくてすみます」この気持ちがわかる人は……
・言葉のかわりに、ものと動作を使ったスキッパー
○「しゃべる練習」の想い出
・新宿ゴールデン街時代、お店にやってきた「ぶきみな」10代の青年に朝までお説教を……
・ぶきみさをなくし、相手との距離感を設定するために「敬語」に代表される言語の工夫がある
・名著『橋本治が大辞林を使う』に出てきたエピソードにならい、彼にアドバイスをしてみた
・「離乳食の話」(#14参照)はモノローグだったのが問題だったのではないか?
・橋本さんは、問題の中心となっていた青年に「敬語の口の動かし方の練習」をさせた。「しゃべるというのは口を動かす身体運動である」
・お説教をした相手はその次の時、しゃべる練習をしてからお店にきた その成果がちゃんと出ていた!
・しゃべるのには練習が必要、じつはフィジカルな行為である
・練習の成果がうまく出なかったスキッパーは「もうたくさんだ」と思ったが、つぎにふたごの家に行ったときにもめげずに「じつは」をやった えらい!
○ちょっと長めの次回予告
・スミレさんとギーコさんの家(ガラスびんの家)の窓。「ガラスごしには、明るいところから暗いところは見にくい」
・喫茶店の窓は、ふつう「中から外は見えやすいが、外から中が見えにくい」ようになっている(日中は外が明るく、店内はやや暗い)
・しかし、神保町ミロンガヌオーバの新店舗やこないだザ・ノンフィクションでやっていた国立のスナック水中はガラスはガラスでも全面張りで中も明るいため、外から中も見えやすい
・ガラスびんの家には、古い喫茶店のようなすてきさをジャッキーさんは感じる
・徳島で見つけた、閉ざされたバーの窓にそっと……
・次回は「こそあどの森の家」をテーマにしつつ、第1巻についての総括をいたします