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サムエル記第一もいよいよ最後の章になりました。
今回は、サウルの最期に関わった3人の人物にフォーカスし、私達の人生に適用したいと思います。それぞれに素晴らしい一面がありながらも、最後の最後で「惜しい!」と言わざるをえない人々です。
サウル王の最期をテキストに、私達の人生の「惜しい!」部分に光を当ててみませんか?
戦場から帰ると、家は焼かれ、妻子は連れ去られている・・・
激烈のダビデ軍についていけず荷物番をする人々・・・
色々な要素を通して透けて見えるのは、「教会」の建て上げ方。
受難週のメッセージをお届けします。
「そんなの私の人生には関係ない・・・試練とかいらないし、神様に用いられなくてもいい!平穏に暮らして、天国にひゅーっと行きたい・・・」
そう思うのは、「砕かれる」ことについて、無知なだけかも知れません。
「死ねば、生きる」
皆さん!!占いをやったことはありますか!?(ドキッ)
・・・実は、聖書の神様は、これらの占いを、メチャクチャ嫌います!!「これくらいなら・・・」が命取り!!
今回は、八方塞がりのあまり霊媒師に頼り、亡きサムエルを呼び出そうとした、哀れなサウル王の場面から学びます。
高い信仰のレベルを保つのは、どんなに信仰に篤い人であっても難しいことです。
ダビデもまた、全き信頼を神様に置き、人間的には決して考えられないような信仰的な行動を取ったそのすぐ後に、不信仰に陥ってしまいます。サウルからの逃亡生活の間、いつも神様の守りがあったにも関わらず、突然サウルに対する恐れに支配され、罪を犯してしまうのです。
その上、私たち人間は自分の不信仰を正当化するために、ウソをつくのです。
(仕方ないじゃん…)
などとつぶやいて、どんどんと元の道から遠ざかり、漂流し続け、気が付いたら途方もなく遠くまで来てしまっていた、ということが誰にでもあるのではないでしょうか?
高い信仰のレベルを保つのは難しいことです。
あなたは今、どれくらい神様の近くにいますか。
★メッセージ中に触れた「なぜ愛の神が人殺しを命じるのか」のシリーズは、こちらから視聴できます。
★メッセージ中に触れた、ARTIST CHAIN #111 Mana & 大山小夜子 による賛美「SAFETY」は、こちらから。
日本人は世界で最も睡眠時間の短い国民であると言われています。
しかし、この世界は霊的にはすっかり眠りこけているのです。いや、日常生活に忙殺されている現代社会だからこそ、「今」だけを切り取ったような刹那的な生き方となり、霊的に鈍感になるのです。
今日の箇所では、またもやダビデを追ってきたサウル陣営に、ダビデとその部下が潜入します。しかし、サウルの陣営はすっかり眠りこけており、誰一人として宿営の見張りをしている者はいませんでした。ダビデがその気になれば、簡単にサウルを殺すことが出来た状況であり、これは王を守るべき兵士たちの最大の失態でした。
この危機感の欠如は、単にサウル陣営が肉体的に眠りこけていたことだけでなく、霊的な状態も表しています。そして、これは誰よりもサウル自身の霊的な問題でした。
なぜ、何度もダビデの誠実さに心打たれながらすぐに心変わりするのか。
主は、目を覚ましている人を用いられます。
サウルとその陣営の霊的な鈍さを通して、私たちも自分自身の霊的な状態を見つめてみたいと思います。
あなたは、霊的に覚醒していますか。
あなたは賢い人ですか。
でも、そもそも「賢い人」って、一体どんな人なんでしょう?
人づきあいに長けて世渡り上手な人、家計のやりくりが上手な人、先見の明がある人、勉強が得意な人…?
確かに、そういう人たちは「賢い人」でしょう。
しかし、聖書の示す「賢さ」は、この世の「賢さ」とはだいぶ違うのです。
今日の箇所で出てくる一組の夫婦、ナバルとアビガイルは、「愚かな人」と「賢い人」の好対照をなしています。
夫ナバルは、裕福なやり手の実業家で、この世的には「賢い人」であったとも言えます。しかし、迫りくる危機を見抜くことも、それに正しく備えることも出来なかったという点で愚かでした。
それに対して妻アビガイルは、自分たちの置かれている状況を的確に判断し、謙遜な態度と知恵ある言葉で夫の愚かさが招いた危機を切り抜けます。
人生の危機に対峙する時、本当に必要なのはアビガイルの示した賢さです。それは、神様の前で身の程をわきまえ、他者のために自らを差し出す信仰的な姿と言えるでしょう。
世的な賢さはあなたを救えません。
今日、私たちが下す一つ一つの選択が、本当に賢い選択となるように、祈りたいと思います。
大きな決断をしなければいけない時が、人生には必ずあります。
自分の直感や分析力を頼りにする人もいるでしょうし、信頼できる人に相談したり、占いに頼る人もいるかもしれません。
しかし、ダビデは「神様の御心を問う」という姿勢を忘れませんでした。
今日の箇所では、ダビデは危険を冒してまでペリシテ人の手からケイラを救います。自分自身がサウルから命を狙われ国中で捜索されているにも関わらず、ケイラのために戦いに出ていくのです。
決して向こう見ずな心から出たことではなく、神様に対する揺るぎない信頼がダビデを動かしていました。
神様は、私たちにその時に必要なことを、必要なだけお示しになります。ご計画の全体像が見えないこともしばしばあります。それでも、あなたは従えるでしょうか。
全てが見通せない中で従うときにこそ、有益な訓練がある。
そのことを今日、ダビデの姿を見ていまいちど学びたいと思います。
「ハドソン川の奇跡」という映画は、USエアウェイズ1549便の不時着水事故を元に作られています。
この構図、イエス・キリストに似ていませんか?
今回は、洞窟でたくさんの弱者の拠り所となったダビデから、「嵐の中も主こそ隠れ場」ということを学びます。
国籍、性別、年齢、居住地、仕事…。
しかしながら、私たちはこのIDを忘れてふらふらさまよい出て、クリスチャンらしからぬ行動を取ってしまうことがあるのではないでしょうか?
信仰によってあのゴリアテを倒し、油注がれた王ダビデですら、このIDを見失った時、惨めな振舞いをするに至りました。それはつまり、①嘘で身を守り、②この世の知恵に頼り、③使命を忘れる、ということです。
ダビデはサウルの追撃を恐れていたのです。しかし、恐れる時こそ、私たちは神様からのアイデンティティー(ID)を確認しなければならないのです。
さて、あなたにとって一番重要なIDは何でしょうか。
もし、「神の手で、神に似せて創られた」というIDをどこかに置き忘れていたならば、きっと名前を呼ばれます。主は、ご自身の羊一匹一匹を、その名前を呼びながら探し求めるお方だからです。
そんな時は、ぜひ早くIDを取りに戻ってください。
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