今年、没後30年を迎えた、伝説の映画女優がいます。
オードリー・ヘプバーン。
彼女は、晩年の多くの時間を国際連合児童基金、ユニセフの仕事に費やし、親善大使としてアフリカ、南米、アジアを訪問。
恵まれない子どもたちのための援助活動を、積極的に行いました。
1992年に、アメリカ合衆国から大統領自由勲章を授与されましたが、そのわずか1か月後の1993年1月20日、病のため、スイスの自宅でこの世を去りました。
享年、63歳。
大女優の早すぎる死は、全世界に哀しみをもたらしました。
子供のころ、ナチス占領下のオランダで、迫りくる死の恐怖と飢餓状態に襲われた彼女は、ユニセフ親善大使を受けるとき、こんな発言をしています。
「わたくしの全人生は、このお仕事のためのリハーサルだったのです。
わたくしは、ようやく、この役を得ました!」
24歳のときに出演した『ローマの休日』で、アカデミー賞主演女優賞を受賞して以来、『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』など、立て続けにヒット作に恵まれ、美の象徴として、名実ともに大スターであり続けた彼女ですが、実は、容姿へのコンプレックスや、父を失ったトラウマなど、多くの苦しみの中にいました。
ユニセフの活動をしているときでさえ、こんな揶揄する言葉を受けました。
「あなたがしていることは、実際のところ、全く無意味なことなんですよ。
子どもたちの苦しみは、ずっと昔からあったし、今後も続いていくことでしょう。
オードリー、あなたは子どもを救うことで、彼らの苦しみをただ単に長引かせているだけなんです」
そう言われたオードリー・ヘプバーンは、静かに、こう返しました。
「なるほど、そうですか、じゃあ、あなたのお孫さんのことで話を考えてみましょう。
いいですか、お孫さんが肺炎になっても、決して抗生物質を使わないでください、お孫さんが事故にあっても、断じて、病院に連れて行かないでください」
オードリーは、自らの体験から、ある信念を持っていました。
その強い思いを、生涯、手放すことはありませんでした。
彼女が抱えた苦しみ、そして、揺るぎない信念とはなんだったのでしょうか。
ハリウッド黄金時代を支えた偉大なる女優、オードリー・ヘプバーンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?