東京・日比谷の帝国ホテル。
今年、開業100周年を迎えた二代目本館「ライト館」を設計した、近代建築の巨匠がいます。
フランク・ロイド・ライト。
「ライト館」は、東洋風の屋根や庭、石・煉瓦が作り出す精巧な美しさから「東洋の宝石」と呼ばれました。
また、幾何学模様の内装・家具など、ライトが愛した装飾も随所にほどこされました。
一説によれば、この「ライト館」設計のベースにあるのは、1893年、ライトが26歳のときに見たシカゴ万博の、平等院鳳凰堂をモチーフにした日本館「鳳凰殿」だと言われています。
左右対称の美しさは、ライトが考案した革命的な建築様式「プレーリー・スタイル」を踏襲しています。
この建物が地震や火事にも強いことは、落成したその日に証明されました。
100年前に起きた、関東大震災。
帝国ホテルはほとんど被害がなく、復興の拠点として、多くのひとびとに安心とやすらぎの空間を提供したのです。
「ライト館」は老朽化のため、1967年にその幕を閉じましたが、当時の壁画などが今も館内のバーに残されています。
また、来年からは、現在の本館も含めて建て替えが行われ、さらなる「東洋の宝石」の継承が待たれています。
フランク・ロイド・ライトの人生は、まさに波乱万丈でした。
特に40代は、不倫、駆け落ちなど、スキャンダルにまみれ、クライアントの信頼を失い、仕事の依頼は激減してしまいます。
そんな失意の中、当時の帝国ホテルの支配人だった林愛作(はやし・あいさく)が、彼に新館設計を依頼したのです。
日本建築に感動を覚え、いつか日本で設計をしたいという信念を持っていた、近代建築の巨匠と呼ばれるライトに、世界に名立たる設計をしてほしいと願った林。
二人の思いは、100年を越えてもなお、日比谷の地に息づいているのです。
ライトは、人間的には、あまりに自由で奔放であるがゆえ、時に誹謗中傷の対象となり、マスコミに叩かれ、罵詈雑言を浴びせられました。
しかし、建築に関しては、強い信念のもと、どの作品に対しても妥協なく向き合い続けたのです。
アメリカが生んだ建築界のレジェンド、フランク・ロイド・ライトが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?