今年没後60年を迎えた、世界で初めて化学物質の危険性を告発した生物学者がいます。
レイチェル・カーソン。
アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身で、もともと生物学者だった彼女の名を一躍有名にしたのが、1962年に出版された『沈黙の春』という書物です。
一見、純文学ともとれるタイトル、「森の生き物が死滅し、春になっても声がしない」という観念的で、ポエジーな書き出しのこの本は、実は、世界で初めての環境問題告発本だったのです。
なぜ、こんなタイトルになったのか…。
レイチェルが訴えた最大のターゲットが、DDTという殺虫剤だったことが大きく関係しています。
第二次大戦中、アメリカ軍兵士の間で爆発的に蔓延した感染症。
戦争で命を落とすより、マラリアなどの感染症で命を落とす兵士が多いとされていましたが、DDTをふりかけることで、多くの兵士が死なずに済んだと報じられました。
その勢いを借りて、ノミなどの害虫を駆除する農薬として、アメリカ全土で大ヒット商品になったのです。
当初から人体や環境への影響が懸念されていましたが、DDTを製造する会社が大きな力を持ち、批判的な論文や報道は全て握り潰されてきたのです。
生物学者として、森を、海を、愛してやまないレイチェルは、食物連鎖の観点から、多くのデータを集め、DDT禁止を訴えることにしました。
彼女の論文は、どの出版社に持ち込んでも断られてしまいます。
化学物質を取り扱う企業の反対や訴訟を恐れてのことでした。
当時、彼女は体の不調を感じていました。
医者の診断は、手の施しようのない末期がん。
病気を隠しつつ、痛みに苦しみながら、レイチェルはこの本の出版を諦めませんでした。
しかし、思いはなかなか届かず、出版の夢は、やはりかなわないのかと絶望の淵に立ったとき、唯一、救いの手を差し伸べてくれたのが、時の大統領、ジョン・F・ケネディだったのです。
死の直前まで信念を貫いた賢人、レイチェル・カーソンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?