福島県会津若松市出身の、日本のファッション・イラストレーターのレジェンドがいます。
長沢節(ながさわ・せつ)。
彼は、戦後の日本ファッション界に、突然現れた風雲児。
繊細でナイーブなファッションイラストは先鋭的で、画家で編集者の中原淳一(なかはら・じゅんいち)の目にとまり、これまでなかった、ファッション・イラストレーターというジャンルを確立します。
1967年には、男性もスカートを!と提案した「モノ・セックス・モード・ショウ」というイベントを企画。
男女が性差なく、同じスカートで観衆の前に立ちました。
このショーは、マスコミにも大きく取り上げられ、賛辞がおくられた一方、多くの誹謗中傷も巻き起こり、長沢は渦中の人になりました。
「観客は初めのうちだけ、果たしてどっちが美しいか?見比べて見ていますが、やがて男女の違いを全く意識しなくなってしまうだろうという私の計算だったのです。
1人1人のパーソナリティこそが何よりも優先して尊重されなければならないのだと私は絶叫したのでした」
2017年4月、東京都文京区の弥生美術館で、「生誕100年 長沢 節 展 ~デッサンの名手、セツ・モードセミナーのカリスマ校長~」が開催されました。
全国から訪れる、多くのファン、そして教え子たち。
彼の学校は、惜しまれながら閉校しましたが、彼の功績は次世代に確実に引き継がれています。
長沢が、大切にしたもののひとつに「弱さ」があります。
戦中、戦後、まだ男性に強さや頼もしさを求めていた時代にあって、彼は、弱さこそ優しさであり、弱さこそ愛おしさの原点であると主張したのです。
「あのひとは、弱いから素敵」
「あのひとは、弱いからキレイ」
「あのひとは、弱いからセクシー」
そこにファッションの真髄があると言い続けました。
学校では、デッサンを重視。
何枚も何枚も画くことを生徒に伝えました。
「まぐれは、必然。
ただ、その確率をあげなくてはいけない。
そのためには、まず、ひたすら画くこと。近道はない」
82歳で、不慮の事故で亡くなる寸前まで、生徒たちに交じって1日6時間絵を画き続けたレジェンド・長沢節が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?