今年、執筆75周年になる小説『斜陽』を書いた文豪がいます。
太宰治(だざい・おさむ)。
39歳で亡くなる、1年前に書かれたこの作品は、戦後の日本にとっても、そして太宰治にとっても、世間を揺るがすベストセラーになりました。
「斜陽族」という流行語まで生んだ小説には、チェーホフの『桜の園』を思わせる貴族の没落が描かれています。
執筆75周年を記念して、今月末から11月にかけて『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』という映画が公開されます。
この映画の脚本は、世界的な映画監督・増村保造(ますむら・やすぞう)と、脚本家・白坂依志夫(しらさか・よしお)が、生前残した草稿を元にしています。
日本映画界を牽引した二人の、どうしても映画化したかった積年の想いが、ようやく結実するのです。
太宰は、『斜陽』を東京・三鷹の田辺肉店の離れで完成させました。
三鷹駅周辺には、太宰ゆかりの場所がいくつも点在しています。
よく通った酒屋の跡地には「太宰治文学サロン」があり、旧宅の玄関前にあった百日紅の木も健在です。
2020年12月8日には、三鷹市美術ギャラリー内に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」が開設されました。
『斜陽』他、初版本や直筆原稿も展示され、かつての太宰宅を訪れたような、不思議なトリップ感を味わうことができます。
太宰が、『斜陽』で書きたかったこと…。
それは本編の中にある、こんな一文に集約されるのかもしれません。
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」
わずか39年の生涯でしたが、太宰は多作でした。
それを可能にした一因に、多くの作家が筆を休めた戦時中も、旺盛に書き続けたことがあげられます。
検閲を逃れるために、古いおとぎ話になぞらえて小説を書いたり、自らの体験をベースに世の中を描いたりしました。
戦争が終わり、日本に革命は起きたか?
起きませんでした。
それどころか、戦時中、声高に語っていた常識は崩壊し、手のひらを返すように、体制におもねる大人が散見されたのです。
太宰は、思いました。
「この世の中は嘘つきばかりだ…そして自分もまた、その中のひとりだ」
心の革命を最後のよりどころにした無頼派・太宰治が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?