げらやく(よく笑う元薬剤師の雑談日記ポッドキャスト)

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げらやく(よく笑う元薬剤師の雑談日記ポッドキャスト) episodes

  • 大人ってなに?|『40歳だけど大人になりたい』王谷晶

    #68【ひとり回】

    今回は、作家・王谷晶さんのエッセイ『40歳だけど大人になりたい』を片手に、「大人って結局なんなんだろう」を考える読書回。


    とはいえ、本の内容を順番に紹介する落ち着いたブックレビューにはならない。


    「わかる!」と大喜びした数分後には「いや、それは異議ありです」と反論し、気づけば国家試験翌日の山登り、まったく足が動かなかったフットサル、酔っ払って「お箸食べる」と言い出した夜まで掘り返されています。

    年齢だけは着実に増えていくのに、内側には完成した“大人”が現れない。

    むしろ30歳前後になってようやく、自分が何を好きで、何が苦手で、何に妙に引っかかる人間なのかが少しずつ見えてきた気がします。


    ▪️ 30歳くらいで、ようやく「物心」がついてくる


    『40歳だけど大人になりたい』に出てくる、「30歳になったあたりから、やっと物心がついた気がする」という感覚に強く反応。


    子どもの頃に想像していた“物心”とは少し違って、大人になってからの物心とは、自分のこだわりを発見していくことなのかもしれません。

    「これは好き」「これは苦手」「これは別にみんなと同じじゃなくていい」。


    経験が増えるほど世界の解像度が上がり、自分の輪郭も見えてくる。

    ただし、こだわりが増えすぎれば頑固にもなる。


    自分がわかってくる心地よさと、融通が利かなくなる怖さ。

    この両方があるところに、大人になることのややこしさがありそうです。



    ▪️ 早く歳を取りたかったのに、歳を取れば全部解決するわけではない


    若さを惜しむより、昔から「早く20歳、30歳になりたい」と思っていたという話にも共感。

    周囲から「若いほうが得じゃない?」と言われても、どうもその感覚には乗れない。


    30歳になってようやく、外見や年齢と中身が少し追いついてきた感じがする。

    とはいえ、歳を取れば勝手に完成した大人になるわけでもないらしい。



    ▪️ 「休む」ができない人は、どうやって頭を止めるのか


    何もしない日を作っても、映画を観ても、知らない街へ出かけても、結局ずっと考え事をしている。

    頭の中では、よく滑るルービックキューブのようなものが延々回っている。


    考えること自体は楽しい。でも、楽しいからこそ止まらず、結果として疲れる。

    そこで必要になるのが、考える余地を強制的に奪う身体を使う活動。


    薬剤師国家試験の翌日に友人と山へ登ったことも、今思えば自分なりの正常な「頭の休ませ方」だったのではないか。

    休むために寝る人もいれば、休むために山へ行く人もいるらしい。



    ▪️ 趣味は「受け取る」だけじゃなく、「出す」ものでもある


    映画、ゲーム、推し活など、完成されたものを楽しむインプットの趣味。

    一方で、ポッドキャストや音楽のように、自分の中にあるものを外へ出すアウトプットの趣味。

    昔は「趣味とは何かを受け取って楽しむもの」だと思っていたけれど、どうも自分はそれだけでは足りない。


    受け取った刺激を噛み砕き、自分の経験と混ぜ、言葉にして「聞いて聞いて」と誰かに渡したい。

    周囲から「今日も楽しそうだね」と言われるのも、世界から受け取る刺激の量と、それに対するリアクションが人より大きいからなのかもしれません。


    気づけば、「なぜポッドキャストをやっているのか」の自己分析まで始まっています。


    ▪️ 大人は趣味にのめり込まない?――ここで突然の「異議あり」


    王谷さんが「大人っぽさとは趣味の内容ではなく、趣味との距離の取り方にあるのかもしれない」と考える場面では、ここまでの全面共感から一転して異議申し立て。


    何かにのめり込める時間こそ、人生のかなり幸福な部分なのではないか。


    何にも夢中になっていない時期は、感覚としてほとんど屍に近い。



    ▪️ 大人が集まると、なぜ健康の話ばかりするのか


    40代になり、友人同士の健康話が面白くなってきたというくだりから、元薬剤師として見てきた「年齢とともに健康が巨大コンテンツ化する現象」へ。


    「血圧デュエル」「睡眠時間バトル」という謎競技に少し参加したくなりつつ、健康とは身体の問題であると同時に、年齢を重ねた人たちの共通コンテンツにもなっていくのかもしれません。



    ▪️ お酒で「自分を失う」と、大人の責任はどこへ行くのか


    お酒の章では、過去の失敗を墓場まで持っていきたい王谷さんに対し、こちらも直近の居酒屋収録という強烈な証拠を抱えて参戦。

    「いい店のお酒には、ちゃんとアルコールは入っている」という当たり前のことを30歳になって再確認し、ベロベロになった末に「お箸食べる」と発言していた音声まで残っていました。

    一方で、「酔っていたから」を失敗の免罪符にする人は嫌い、という価値観もある。

    自分を失うために酒を飲みたい気持ちと、失った自分の行動にも責任はあるという感覚。


    ▪️ みんな、お金のことをどこで習ってきたの?

    家、住宅ローン、投資、ふるさと納税。

    同世代が次々と「大人っぽいお金の話」を始める一方、どうしてみんなそんな知識を自然に身につけているのかわからない。


    「自分以外の人だけが通っていた秘密の学校があるのでは」と思いたくなる感覚に、またしても共感します。

    ところが王谷さんが毎年ひとりで確定申告をしていると知り、「全然同じじゃない、勝てねえ」と突然の勝負開始。


    考えてみれば、大人っぽさとは本人が「できない」と思っている部分ではなく、当たり前すぎて自分では数えていない実務の中に隠れているのかもしれません。



    ▪️ 小説家は「体験していないこと」を、なぜ書けるのか


    終盤は「フィクションと大人」から、書くこと・喋ることそのものへ。

    自分が体験したことを話すのは比較的簡単でも、体験していないことを「見てきたように」書く小説家は、一体何をしているのか。

    作品に触れるたび、「もしこの人物が別の行動をしていたら」「違う組み合わせだったら」と無限にIFを考えてしまうという話から、王谷さんの短編集『完璧じゃない、あたしたち』にも接続します。


    読書とは完成品を受け取ることだけではなく、他人の想像力に触れて、自分の想像力まで動かされることなのかもしれません。


    本を読みながら「わかる」を連発し、たまに全力で反論し、そのたびに自分の過去まで引っ張り出してくる今回。


    『40歳だけど大人になりたい』を読んでいたはずが、最後には、

    「自分は何を受け取り、それをどう咀嚼し、どう外に出して生きたい人なのか」

    を確認する回になりました。

    1 hr 4 min
  • 出来るとやりたいは違う|仕事と人間関係を整理する【ゲスト:れみ】

    #67【飲酒回】今回は、大学時代からの友人・れみをゲストに迎えての外飲み回。 MRのお姉さん・れみと、元薬剤師のいけうちが、数年ぶりの再会とは思えない速度で喋っています。


    スパークリングを選び、かぼすサワーのある店にはなぜか惹かれるという話をし、気づけば薬剤師時代の全国1位、仕事に飽きること、30歳にしてまだ物心がついていない疑惑、社会性、人間認定、ENTP、感受性と言語化まで話が広がっているようです。



    ▪️80億年ぶりの再会と、「全部拾ってくれる人」


    大学卒業後、長く会っていなかった二人。しかしいけうちには、れみについて強く残っていた記憶がありました。 それは、大学時代から自分の発言をほぼ全部拾い、全部に突っ込んでくれる人だったということ。


    人は数年会わなければ変わるかもしれない。それでも、こういう反射神経のようなものは案外変わらないらしい。

    相手が喋る。拾う。分析する。また別の話が始まる。

    収録開始早々、大学時代の会話の速度がそのまま戻ってきます。



    ▪️薬剤師1年目、足の裏の痛覚だけが生きている

    まず振り返られるのは、いけうちが薬剤師として働き始めた頃の話。

    国家試験まで座りっぱなしだった生活から、突然一日中立って働く生活になり、最初の一年はかなり身体的にきつかったようです。


    休日は「足の裏を天井に向けている以外、何もしたくない」。

    当時の状態は、「足の裏の痛覚だけが生きている屍」。

    薬剤師一年目の疲労だけは、数年経っても妙に鮮明に残っています。


    ▪️かかりつけ薬剤師、月200件超。そして全国1位へ


    ところが3〜4年目になると、仕事の様子が変わります。 かかりつけ薬剤師の算定を本格的に始めると面白くなり、いけうちは徹底的にやり込むようになります。


    結果、月の算定数は200件を超え、成績は全国1位に。

    本人としては「営業している」というより、目の前の人が何に困っているのかを見つけ、そこに必要なサービスを提示していく感覚だったようです。


    子どもの薬を取りに来て不安そうな親、薬が増えすぎて整理できなくなった高齢者、精神科の薬を飲みながら不安を抱えている人。

    少しでも「困っている音」がすると、それを拾う。


    そこでれみから出てくるのが、「勧めるのが上手いんじゃなくて、その前の話を聞き出すのが上手い」という分析。

    いけうち本人も、言われて初めて「そうかもしれない」と気づいています。



    ▪️全国1位になった。そのあと、やることがなくなった


    全国1位になり、店舗の数字も上がり続ける。 普通なら次は「それを維持すること」が目標になりそうですが、いけうちの感覚は少し違いました。

    できるようになるまでは面白い。

    しかし、結果を再現できるようになると新規性がなくなり、ルーティンに変わってしまう。 さらに、自分一人が上手くなっても、自分の目の前に現れた人にしか届かない。

    その影響力の小ささにも無力感があったようです。

    上司からは「維持することも大事」と言われる。 もちろん正しい。

    でも、大事なことと、自分がやりたいことは別である。

    「結果を出せなかったから辞めた」のではなく、「結果を出したあとにやることがなくなった」という、少し面倒な仕事観が語られています。



    ▪️30歳、まだ物心がついていない


    薬剤師を辞めて企画職へ転職した話から、なぜか「物心はいつついたのか」という話になります。

    いけうちいわく、薬剤師として働いていた頃にはまだ物心がついておらず、退職を決めたあたりでようやく兆候が現れたのではないかとのこと。 しかしれみに検証されるうちに、「ついたばかり」どころか「まだついていない」という可能性まで浮上します。


    30歳にして、はてなでいっぱい。

    その状態でポッドキャストをやり、最終的には教祖になりたいという話までしているので、物心より先に別のものが育っているようです。



    ▪️ENTP二人、「社会性がある」とは何なのか

    二軒目に移動すると、話題は二人の性格分析へ。

    今ではMBTIという便利な分類がありますが、大学時代にはそんな共通言語はありませんでした。それでも振り返れば、二人はどちらもENTPで、人を観察して勝手に分析する癖もよく似ています。


    ただし「社会性」の使い方には違いがある。

    れみは、相手が喋りたいなら聞き役にも回れる。一方、いけうちは相手が完全に観客になってしまうと急速に興味を失ってしまう。


    そこで登場するのが、今回かなり危険なキーワードである「人間認定」です。

    ただ眺める観客ではなく、こちらの発言に反応し、一人の人間として返してくれる相手だからこそ、こちらも相手を人間として扱えるのではないか。

    乱暴な「人間認定」という言葉から、気づけばコミュニケーションの相互性について話しているようです。



    ▪️強制的な「鎖国」で、自分の好き嫌いが見えてきた


    二人が長く会っていなかった理由についても話しています。

    いけうちは薬剤師時代、東京から横浜へ異動し、不定休の職場で働いていたことで、東京の友人たちと予定を合わせることが難しくなっていました。


    自分の意思で人間関係を閉じた部分もありつつ、環境によって鎖国せざるを得なかった部分もある。

    そして結果的に一人の時間が増えたことで、「自分は何が好きなのか」「誰といる時が本当に楽しいのか」を初めて考えるようになったと振り返ります。

    人に合わせることも、注目を集めることもできる。でも、「できる」と「好き」は同じではない。 どうやら物心は、このあたりから少しずつ始まっていたのかもしれません。



    ▪️会話に欲しいのは、情報ではなく「跳ね返り」


    後半、二人に共通する「苦手なもの」が見えてきます。 それは自分の発言に何も返ってこないこと。

    面白くしようとして話す。山と谷を作る。ボケる。突っ込む。

    そこまでして投げた言葉が無視されると、「今、全力だったの自分だけ?」という感覚になる。何でもいいから跳ね返してほしいらしいのです。


    二人が会話に求めているのは、出来事の報告そのものより、そこから何を感じ、何を考えたのかという部分なのかもしれません。



    ▪️感受性が高い。そして、それを言葉にできてしまう


    最後にれみが整理するのは、感受性と言語化の話。

    一つの出来事からたくさんのことを感じ取ることと、それを言葉にして相手へ返すことは、また別の能力です。

    本当はいろいろ感じていても、口から出るのは「期間限定バーガー食べたんだよね」だけ、ということもある。

    一方、この二人はどうやら感じ取る量も、それを言葉にする量も多い。

    だから話が止まらないし、同じだけ投げ返してくれる相手に会うと、数年ぶりでもすぐ昔の速度に戻れる。

    全国1位の話から始まったはずが、最後には「なぜ人と話すのか」まで来てしまった今回。

    久しぶりの友人との再会は、お互いが今どんな人間になっているのかを照合する時間になっていたようです。

    50 min
  • げらやく、ついに「光のサークル」になる【ゲスト:人事お姉さん】

    #66【飲酒回】

    恋愛モンスターと主役体質、日本酒を肴に人生を語る。

    今回は、人事お姉さんをゲストに迎えての外飲み回。 日本酒をメニューの上から順番に飲みながら、「結局、日本酒が一番うまい」というかなり強い結論から始まります。

    出汁が好き、豚汁が好き、豆腐も好き。だから日本酒が好きなのではないか。そんな日本人論らしきものを展開していたはずが、気づけば年齢、恋愛、LINE、仕事、教育、人生のエネルギー配分まで話が広がっているようです。

    ▪️39歳目前、「年を取る」と「大人になる」は同じなのか

    来週39歳を迎える人事お姉さん。年々人生が楽しくなっているので、誕生日もちゃんと嬉しいらしい。 そこから、ただ年月だけが過ぎていくことと、自分の人生について考えながら年齢を重ねることは違うのではないか、という話へ。

    株をやる、家を買う、子育てをする。世間から見れば「ちゃんとした大人」に見える営みはいろいろあります。 一方こちらでは、歌を歌い、ポッドキャストを録り、友達との雑談を記録し、音楽サークルらしきものを作っている。 では、それらを全部やめて「大人」になったところで、本当に楽しいのか。

    どうやらこの二人にとって大事なのは、大人らしいことをすることより、自分の生活を面白がり続けることのようです。

    ▪️本には「読むべき時」があるし、来ないこともある

    貸した本をまだ読み終えていない人事お姉さんに対して、「読まなきゃと思わなくていい」という話も出てきます。 世の中には無数の本があり、その中には出会う本もあれば、今はまだ出会わない本もある。

    今読んでいない本は、今じゃないだけ。 そのタイミングが死ぬまで来なくても、それはそれでいい。 責任感で本を読むより、自分のタイミングで考え方に出会う方がいい。そんな話をしていたら人事お姉さんが泣きそうになり、「先生、日本酒飲んで」と酒で感情を処理する流れになります。

    ▪️30代になると、好きなタイプより「ダメなタイプ」が増える

    そして39歳目前の人事お姉さんから、30代を駆け抜けてきた者としての報告。 年を重ねるほど、恋愛で「これはダメ」が増えていくらしい。

    高望みするというより、「自分はこういう人もしんどいのか」と、自分の取扱説明書が細かくなっていく。 20代の頃なら惹かれていた、会えば面白いけれど連絡は気まぐれ、追いかけるほど精神が上下するような相手も、今では以前ほど魅力的に見えない。 若い頃には「刺激」と呼んでいたものが、年齢を重ねると生活を不安定にするものとして見えてくることがあるようです。

    ここからラブタイプ診断まで持ち出され、恋愛モンスターだの主役体質だの自立型だの、急にアルファベットが飛び交い始めます。 診断を信じ切っているわけではないのに、当たっているところだけはしっかり拾う。占いとの付き合い方としては、かなり健全です。

    ▪️LINEで面白いことをしなくていい

    恋愛の話から、かなり具体的なLINE論へ。 メッセージを送ってから返事が来るまでの時間、リアクションが見えない空白がそもそも苦手らしい。 対面なら何か言った瞬間に表情も声も返ってくる。それなら、LINEで関係を完成させようとしなくてもいいのではないか。

    そこで出てきたのが、LINEは「次に会った時を面白くするための道具」という考え方。 一方で、「いつも優しくしてくれてありがとう」のような、対面だと照れて言いにくいことを文字なら言える人もいる。 即時性を取るか、照れを回避するか。便利なはずのテキストコミュニケーションにも、それぞれの向き不向きがあるようです。

    ▪️パソコン教室で判明した「生で使うタイプ」

    中高生向けと聞いて準備していたパソコン講座に行ってみると、参加者は思っていたよりかなり幼い子どもたち。 夏祭りのチラシ作りを教えながら、一人ひとりの画面を見て走り回ります。

    この子はここまでできる、この子はここで止まっている。なら次は何を説明するか。 決められた手順をなぞるのではなく、その場を見て、判断して、動き続けることがとにかく楽しかったそうです。

    HDMIが映らなくなれば「みんなパワー送って!」と突然プリキュア方式を導入し、子どもたちも本当にパワーを送る。 その結果画面が映れば、トラブルまでひとつの演出になる。 どうやら本人は、オンライン越しより現場でエネルギーを撒く方が強いタイプらしい。 LINEより対面が好きだという先ほどの話と、思わぬところでつながります。

    ▪️「ラブ上等」と、人間の感情の直球さ

    日本酒と餃子を挟みながら、恋愛リアリティショー『ラブ上等』の話も。 最初は、自分たちとは接点の薄い世界を覗くような感覚で見ていたはずが、気づけばしっかり感情移入して泣いているようです。

    面白いのは、登場人物たちの圧倒的なストレートさ。 好きなら好き、気に入らないなら気に入らない。駆け引きで隠すより先に感情が表へ出てくる。 知らない文化を面白がっていたはずなのに、最後には人間そのものを見ている。げらやくでは、人の話をしているとだいたい最終的に「人って面白いね」に着地します。

    ▪️エネルギーは、一人に全部向けると爆発する

    後半は、食べること、仕事、音楽、友達、ポッドキャストと、いろいろな場所へ向かうエネルギーの話へ。 以前は「たくさん食べる」「飲む」に集中していたエネルギーが、今は音楽や講座、人とのつながりへ分散している。

    そこで出てきたのが、「アイデンティティはいろんなところに置いておいた方が幸せ」という考え方。 仕事だけ、恋愛だけ、たった一人の人間だけに、自分の人生を全部預けない。 そもそもこの人の場合、一人に全部向けると「その人が爆発する」らしいので、分散はかなり重要です。

    ▪️げらやく、ついに「光のサークル」になる

    そして酒もかなり進んだ終盤、げらやくはついに「光のサークル」と呼ばれ始めます。 「宗教だ」と即座に突っ込まれていますが、本人たちはかなり真剣です。

    誰かが音源を聞いて元気になる。友達の話を聞いて、その人に会ってみたくなる。一緒に喋りたい、歌いたい、録音したい、と新しい遊びが生まれる。 そうやって日常の中に楽しみが増えていくことが、最近かなり嬉しいらしい。

    ポッドキャストとは、人のエネルギーを録音して、あとから再生できるものなのではないか。 「持ち運べる生命」「存在がエンターテインメント」と、言葉だけ見るとかなり壮大ですが、言っていることは意外とシンプルです。

    自分の人生を自分で選ぶこと。自己効力感を持つこと。楽しいと思える時間を少しでも長くすること。

    日本酒をメニューの上から順番に飲んでいただけの二人が、最終的にはそんな人生哲学を掲げています。 声量は大きく、話題は散らかり、途中で何度も料理を注文していますが、話していることだけは妙に高尚です。

    1 hr 3 min
  • 日常は勝手に面白くならない|星野源『そして生活はつづく』

    #65【ひとり回】前回に引き続き、星野源の初エッセイ集『そして生活はつづく』について喋るひとり回・後編。


    携帯料金を払えない、お腹が痛い、口内炎が気になる。そんな生活のどうしようもなさを笑って読んでいたはずが、後半では「自分を思うこと」「人との違い」「何かを作り続けること」と、だんだん話が大きくなっていきます。

    ▪️「キキヤク」の皆さん、今日から名乗ってください

    まずは本題の前に、『げらやく』のファンネーム「キキヤク」をちゃんと浸透させよう、という小さな改革からスタート。

    番組の特徴は「よく笑っていることなのでは」と友人から言われ、冒頭の口上も少し変更。SNSではほとんど告知していないものの、聞いてくれている人がいることは数字で把握済みとのことです。

    ▪️口内炎から「自分を思うこと」について考える

    『口内炎はつづく』では、小さな痛みが気になりすぎて、それ以外のことを考えられなくなるところから、「自分を思いすぎること」へ話がつながります。

    その前に元薬剤師の血が騒ぎ、「口内炎って何のビタミン不足だっけ」と収録中に検索。記憶違いに気づいて「知識が抜けてる」と驚きつつ、本へ戻ります。生活はつづく以前に、脱線がつづいています。

    そして作中に出てくる、「自分を思うことが、かえって自分を苦しめることがある」という趣旨の言葉。ところが話し手は、ここが今のところまったく腑に落ちません。

    むしろ現在は、自分がやりたいことや好奇心に従って動くことがかなり楽しい時期。経験していないことは言葉だけではなかなか身体に入ってこないため、「この意味が分かる日がいつか来るのだろうか」と未来の自分へ一旦預けています。

    ▪️人への接し方には、その人自身が出る

    一方で、人を思うことで、自分の輪郭も見えてくるという感覚にはかなり納得しているようです。

    誰かが困っているとき、解決策を出す人もいれば、ただ寄り添う人もいる。本人が見ている問題より、さらに先の問題を探しに行く人もいる。同じ悩みを渡しても、返ってくるものは人によって違います。

    その例として登場するのが、新婚夫婦のかわいらしい喧嘩。奥さん側は「下の名前で呼んでくれない」「好きと言ってくれない」と不満を抱えている一方、旦那さんは言葉ではなく、食べ物をさりげなく渡すなど行動で愛情を表すタイプに見えます。

    自分が欲しい愛情表現と、相手が差し出している愛情表現は同じとは限らない。誰かと関わることで、「自分は何を愛情として受け取る人なのか」まで見えてくるようです。

    ▪️裸眼になると、世界との接続方法が変わる

    次に気になったのは、星野源が裸眼で外へ出てみる話。

    見えづらくなることで、スーパーでは野菜を触ったり匂いを確かめたり、視覚以外の感覚を使うようになる。芝居でも、周囲の視線より自分の声や身体へ集中しやすくなったそうです。

    そこから話し手も、「ひとりカラオケでメガネを外して歌ってみよう」と新しい実験を思いつきます。便利さを少し減らすことで、別の感覚が前に出てくる。気づけばたまごっちの通信機能の話まで飛び、便利であることと、面白いことは必ずしも同じではないというところへ着地します。

    ▪️好きなものを、全部好きでいなくてもいい

    後半でもう一つ強く引っかかったのが、好きになったものを全部肯定しなくてもいいという話です。

    昔は、好きな作家なら全部の作品を楽しまなければいけないし、「好き」と言うなら詳しくなければいけないような感覚があった。しかし今なら、同じ人の作品でも好きなものとそうでもないものがあって当然です。

    ▪️65回作れば、「微妙な回」も当然できる

    そしてこの話は、見る側から作る側になった現在の話し手へ返ってきます。

    ポッドキャストを65回続けていれば、「今回はうまく喋れた」と思う回もあれば、「これはだいぶグダグダですね」という回もある。他人の作品には「これは好き、これはそこまで」と普通に判断しているのに、自分のアウトプットだけ毎回100点でなければならないと思うのは、考えてみれば妙な話です。

    そこで、毎回の出来に一喜一憂するのではなく、長い期間で見たときに、昔より少しずつ良くなっていればいいという考えへ。作品にも調子にも波があることを、失敗ではなく通常運転として扱えそうになっています。

    ▪️一つにならなくていい。二つのままでいる

    最近星野源の曲を聴く中で、話し手が何度も引っかかっていたのが、「一つになる」ことよりも別々のままでいることを肯定するような言葉です。

    エッセイ後半では、どれだけまとまって見える集団でも、一人ひとりが消えて一つの存在になるわけではない、という感覚が語られます。愛し合っている二人も、最後まで二人です。

    人を同じ形に揃えるより、最初から「違う」と認め、その違う人たちをどう組み合わせるか考える。集団の正解を「一致」ではなく「調整」に置く考え方に、かなり強く共感しています。

    ▪️録音すると、自分も「観察対象」になる

    最近は、ひとりカラオケで自分の歌声を録音して聞き返している話し手。

    それまでは、大声を出せる、友達の歌を聞ける、ご飯も食べられる、ドリンクバーまであるという理由で、「カラオケにはこの世の娯楽が全部ある」と思っていました。

    しかし録音した瞬間、自分の声も、今まで聞いてきた大量の音楽と同じ一つの音源になります。何度も聴いた曲なのに音程が取れていない。自分の声質はこの辺りなのかもしれない。歌っている最中には分からなかったことが、急に見えてきます。

    客観視は少し残酷です。それでも「知らない方が幸せ」とはあまり思わないため、見えてしまった欠点まで今のところ面白がっているようです。

    ▪️最後に突然、「ダメなものはダメです」と言われる

    そして一冊を読み終える直前、最大のどんでん返しが待っています。

    携帯料金を払えない。生活が苦手。腹痛になる。そんなダメな日常をここまで面白く書いてくれたため、「このままでもまあいいのか」と少し安心していたところ、あとがきでは、ダメな自分をそのまま肯定していたわけではない、という趣旨が語られます。

    「え、ダメなんかい」と慌てる話し手。

    ただ、本当に残ったのはその先でした。日常は、放っておくだけで勝手に面白くなってくれるわけではない。つまらないものを見つめ、拡大し、新しい解釈を加え、自分の手でもう一度面白くしていく。そのためには努力もいる。

    ポッドキャストを録り、歌を練習し、本を読み、人との会話を観察する。そうやって何でもない出来事をわざわざ拾っていること自体が、日常を面白くする作業なのかもしれません。

    一生懸命になりたいものを自分で選べて、それに夢中になれること。それ自体が、かなり豊かな生活なのではないか。

    星野源のエッセイを読んでいただけのはずが、最後にはポッドキャストや歌を続けることまで少し肯定されてしまったようです。

    生活は勝手に面白くならない。だから今日も、自分なりに面白くしていく。

    『そして生活はつづく』を最後まで読み切り、前回以上にいろいろ食らっているひとり回です。

    ```

    47 min
  • 生活が苦手だから、生活を言語化してしまう|『そして生活は続く』星野源

    #64【ひとり回】

    携帯電話の料金を払い忘れ、部屋は荒れ、人付き合いにも苦戦する。現在の華やかな姿からは少し意外な、生活にまったく手慣れていない頃の星野源が、日常の面倒くささを柔らかな文章で報告してくれる一冊です。


    音楽サークルの課題曲をきっかけに星野源の曲を聴き始め、友人からこの本をすすめられた話し手。生活の中にある愛情を歌う人なのだから、さぞかし生活を丁寧に扱える人なのだろうと思っていたところ、読んでみれば、どうやらそうでもなかったようです。

    むしろ、生活が苦手だからこそ、生活をここまで観察できるのではないか。

    そんな発見から、エッセイの話は請求書、クレジットカード、マイケル・ジャクソン、ジム、歌、黒歴史、腹痛へと、生活らしく脈絡なく続いていきます。



    ▪️携帯料金を払えない人の、立派すぎる現金主義


    最初に紹介されるのは「料金支払いはつづく」。お金を実際に財布から取り出して払うことで、受け取った価値を実感したい。だからクレジットカードは作らない。思想だけを聞けば、ずいぶん筋の通った現金主義です。


    ただし、肝心の請求書払いができておらず、携帯電話は止まっている。そこで会話相手のKさんから、「まず支払いができる人になってから、その思想を語ってください」とでもいうような正論パンチを受けることになります。

    話し手は、この一連のどうしようもなさに、かなり見覚えがあるようです。

    ただし現在は、現金よりも、支払いが一つのアプリに集約されるキャッシュレスの方が管理しやすい派。生活能力が足りないから現金を使うのではなく、生活能力が足りないからこそデジタルに寄せたいという、時代を隔てた別の結論へたどり着いています。



    ▪️生活が得意な人は、生活をこんなに書かない

    本書の中心にあるのは、誰にでもいずれ死が訪れ、それまでは生活だけが延々と続いていく、という身も蓋もない事実です。それなのに星野源は、自分は生活というものがとても苦手だと書いています。


    ここで話し手は、生活が得意な人なら、生活についてこれほど細かく言語化しないのではないかと考えます。請求書が見つからない。顔を洗えば周囲がびしゃびしゃになる。腹は痛くなる。本人にとっては毎回うんざりする出来事でも、細部まで観察して文章に置き直すと、誰かが笑える話になる。


    最近エッセイばかり読んでいるという話し手も、以前は他人の日常にあまり興味を持てなかったそうです。けれど今は、何が好きで、何が苦手で、どこに引っかかり続けている人なのかを知る材料として、エッセイを読んでいるようです。


    人が長く考えてきたことは、得意なことよりも、案外うまくできなかったことの中に残っているのかもしれません。



    ▪️マイケル・ジャクソンから、ジムの看板娘へ

    請求書を探す場面にマイケル・ジャクソンのグッズが大量に登場したことで、話は当然のように本から離れていきます。気づけば、最近観たマイケル・ジャクソンを扱った映画と、それをすすめてくれたジムのお姉さんの話になっているようです。


    器具の使い方を教えながら、セット間の休憩に猛烈な勢いで雑談をしてくるお姉さん。話し手も話し続けてしまうため、会話を止める目的で次の筋トレを始めることすらあるそうです。すでに運動より会話の比重が大きく、本人も「あのお姉さんがいるからジムに行っている」と認めています。


    星野源のエッセイを紹介していたはずが、マイケル・ジャクソンの自立に励まされ、ジムのお姉さんの営業力に感心している。テーマから外れているようで、他人の期待ではなく自分の欲望を選ぶという点では、後半の話へひそかにつながっています。



    ▪️家の中だけは、楽しくしておきたかった


    「子育てはつづく」では、学校でつらい時期を過ごしていた幼い星野源と、両親の記憶が語られます。


    母親は自分を「お母さん」と呼ばせず、家の中でさまざまな茶番を仕掛けていたそうです。なかでも、お風呂の排水口に吸い込まれるふりをして、息子に助けてもらう遊び。幼い星野源は必死で母親を救出し、無事だったことに胸をなで下ろします。


    当時は、ふざける母親に自分が付き合ってあげていると思っていた。しかし後になって理由を尋ねると、学校から帰るたびに暗い顔をしていた息子へ、無理に「頑張れ」と言うのではなく、せめて家の中だけは楽しくしてあげたかったのだと明かされます。


    話し手はこの場面に、かなり真正面から心をつかまれているようです。つらかった土地や時期を思い返すと、記憶は一番強いネガティブな場面へ引っ張られやすい。けれど実際にその場所を歩いてみれば、忘れていた別の記憶も戻ってくることがある。


    過去を美化するのではなく、一つの嫌な記憶だけに、その時代のすべてを代表させない。母親の茶番は、何年も経ってから、息子の過去の見え方まで少し変えていたようです。



    ▪️二つ追ったら、二つとも面白いかもしれない

    「部屋探しはつづく」では、音楽も俳優も文章もやりたい星野源が、周囲から「一つに絞った方がいい」と言われながら、それでも全部を続けようとする姿が描かれます。


    話し手にも、一つの技能だけを徹底的に掘り下げ、「これに関しては無敵です」と言える状態になることへの苦手意識があるそうです。面白そうだから始め、少しできるようになると別のものにも興味が移る。途中まで育てた「もうちょっといいかな」が、生活の中に大量に残されています。


    最近はポッドキャストで自分の話し声を録音し、別の日にはひとりカラオケで歌声を録音している。喋ることも上手になりたいし、歌うことも上手になりたい。どちらも声を使う活動ではあるものの、一本に絞るつもりはないようです。


    星野源の「やりたいものはやりたい」「欲しいものは全部欲しい」という姿勢に触れ、二つを追った結果、一つも得られないとは限らない。二つとも追うからこそ面白い場合もあると、少し勇気づけられています。



    ▪️得意なことで働き、苦手なことに憧れる

    本書には、うまくできないことだからこそ憧れる、という考えも登場します。

    一方、世の中の仕事術では、呼吸するようにできること、自分では苦労と思わない得意なことを仕事にした方がいい、と語られがちです。両者は矛盾するようで、話し手の中では意外とうまく住み分けられています。


    日中は比較的得意なことを使って働き、夜や休日には、まだうまくできない喋りや歌を練習する。生活のための仕事と、生活を面白くするための挑戦を、無理に一つへ統合しなくてもよいのかもしれません。


    しなくても生きていけることを、ただ「できるようになりたい」という欲望だけで続けられている。その時間を持てること自体が、かなり豊かな生活なのではないか。そんなことを考えながら、話し手は筋肉痛の腹筋を抱えて笑っています。



    ▪️エッセイを書く男性は、お腹を下しがちなのか


    最後に紹介されるのは「はらいたはつづく」。お腹を冷やす撮影で、予想どおり腹痛に襲われる星野源の話です。

    ここまで生活、家族、才能、自立について考えてきたはずが、最終的に出てきたのは、最近読んでいる男性エッセイストは、みんなお腹を下している気がするという観察でした。


    お腹を下しがちな人はエッセイを書けるのか。それとも、エッセイを書く人が腹痛を報告したがるだけなのか。検証する気は特にないまま、今回のトークはこの「ガバガバ理論」に到達して終了します。


    生活が続いてしまうなら、その途中にある面倒くささまで面白がってみる。

    星野源のエッセイを入口に、気づけば話し手自身の現在地まで見えてくる、家事のお供にちょうどよいひとり回です。

    42 min
  • おもちゃが変わらなきゃいけない?|30歳で観るトイ・ストーリー5【ゲスト:ぴーちゃん、もっつ】

    #63【泥酔回】

    【再生前のご注意】
    今回は、仲のいい女性4人が浅草を飲み歩きながら収録した、非常に騒がしい飲酒回です。全員が途中から正体を失いかけるほどお酒を飲んでおり、声量、会話の重なり、話の脱線、突然の高笑いなどが通常回よりかなり多くなっています。酔っ払いの飲み会を隣の席で聞くくらいの気持ちで楽しめる方のみ、お聴きください。

    浅草で飲みながら収録している今回。これから『トイ・ストーリー』の最新作を観る人に向けて、シリーズの熱心なファンであるぴーちゃんが、その魅力と予習ポイントを語っています。

    最初は「どの作品を観ておけば楽しめるのか」という軽い案内になるはずでした。しかし、長年シリーズを観てきた人にマイクを渡した結果、話はすぐにおもちゃの使命、子どもの成長、持ち主への執着という、想像以上に重たい領域へ入っていくようです。

    ※『トイ・ストーリー』シリーズの内容に触れています。

    ▪️『トイ・ストーリー4』に残った寂しさ

    まず語られるのは、『トイ・ストーリー4』を観て、少し気持ちが離れてしまったファンもいるのではないかという話です。

    シリーズの初期から描かれてきたのは、ウッディたちがアンディのおもちゃであることを強く望む姿でした。ジェシーにも、かつての持ち主への忘れられない思いがあります。おもちゃは誰かに選ばれ、遊ばれ、その子の成長をそばで見守る存在でした。

    ところが『4』では、ウッディが持ち主のいない「野良のおもちゃ」として生きる道を選びます。その選択は、新しい子どもと出会うための前向きなものでもあります。それでも、アンディのそばにいるため走り続けてきたウッディを知る世代には、正しさだけでは処理できない寂しさが残ったようです。

    女性を選んだからではなく、ウッディがおもちゃとして別の生き方を選んだことが寂しかった。気づけば、長年見てきたキャラクターが、自分の知らない場所へ進んでしまう感覚について話しているようです。

    ▪️子どもの5年と、おもちゃの5年は同じではない

    子どもが5歳年を取れば、遊ぶものも興味を持つものも大きく変わります。しかし、おもちゃの側から見れば、昨日まで一緒に遊んでいた相手が突然、自分ではない何かに夢中になったように見えるかもしれません。

    おもちゃの時間は止まっているのに、子どもの時間だけが進んでいく。持ち主を思い続ける気持ちは変わらなくても、持ち主からのおもちゃの扱いは少しずつ変わる。この時間感覚のずれが、『トイ・ストーリー』の根底にある切なさなのではないかと話しています。

    ▪️最新作を観る前に、ジェシーを知っておきたい

    最新作を観る前には、少なくとも『トイ・ストーリー2』を見返した方がよいそうです。理由は、ジェシーが何を失い、おもちゃとして何を使命にしてきたのかを知っておく必要があるからです。

    ジェシーは、かつての持ち主に遊ばれなくなった経験を持ちながら、それでも子どもの大切な時期に寄り添うことへの意識が強いキャラクターです。そのジェシーが、現代の子どもを夢中にさせるタブレットのような存在と向き合います。

    ここで描かれるのは、昔のおもちゃと新しい娯楽の単純な対立ではありません。ウッディやバズではなくジェシーの経験が中心になることで、シリーズが描いてきた「おもちゃとしての役割」が、別の角度から見えてくるようです。

    ▪️画面ばかり見る子どもと、悪者になれないタブレット

    現代の子どもは、SNSやタブレットの画面に夢中になっています。昔ながらのおもちゃからすれば、自分たちの居場所を奪う存在に見えるかもしれません。

    しかし、タブレット側にも悪気はない。おもちゃもデジタル機器も、その子を楽しませようとしているだけです。「誰も悪くない。みんなその子に一生懸命なだけ」という言葉が出てきます。

    古いものと新しいものを戦わせるのではなく、どちらも子どもの成長に関わる存在として見る。変化した子どもを責めるのではなく、おもちゃの側も新しい役割を探す。その発想に、今の時代らしい優しさを感じているようです。

    ▪️ウッディは保安官、バズはスターコマンド

    会話は、ウッディとバズの性格の違いにも進みます。2人は最高のパートナーですが、役割に対する考え方はかなり異なります。

    ウッディにとって大切なのは、持ち主のおもちゃとして仲間を守ること。一方のバズは、もともと宇宙で任務を遂行する存在として作られています。そのため、バズは自分の感情だけでなく、相手の選択や任務を尊重できるのではないかと分析しています。

    「スターコマンドだから」という言葉が何度も繰り返され、途中から作品考察なのか軍隊の説明なのか分からなくなりますが、バズの忠誠心と使命感を理解するうえでは重要な視点のようです。

    ▪️『バズ・ライトイヤー』は観るべきか

    スピンオフ作品『バズ・ライトイヤー』については、「絶対に観た方がいい」という意見と、「顎が発達した男性の話なので観なくていい」という意見が同時に出ています。

    最新作を観るための必修科目ではないものの、観ておくとザークに関する非常に小さなネタで笑えるらしく、作品全体というより小ネタのために鑑賞を勧めています。

    そのザークの名前がなかなか出てこず、「ダース・ベイダーではない」「Zのやつ」と全員で迷い続けます。熱心なファンでも、固有名詞は酒に負けるようです。

    ▪️大人になると、自分がアンディだったことに気づく

    子どもの頃に大切にしていたおもちゃを思い出せるか、という話になると、それぞれの頭にいくつかの顔が浮かびます。代表的なおもちゃが3個も思い浮かんだ人には、「お前がトイ・ストーリーだ」「お前がアンディだ」と声が飛びます。

    もし、あのおもちゃたちにも感情があったのなら、もっと大切にしてあげればよかった。大人になった今だからこそ、遊ばなくなった側にも、残された側にも感情移入できるようになっています。

    『トイ・ストーリー』と『インサイド・ヘッド』は同時に観るとよいのではないか、という話も出てきます。片方は子どもの外側で、おもちゃが成長を見守る物語。もう片方は子どもの内側で、感情が変化を受け入れていく物語です。

    ▪️おもちゃの方が、変わらなければならない

    子どもは、おもちゃが生きていることを知りません。だから、子どもに変わらないことを求めるのではなく、おもちゃの方が変わらなければならない。それが、長いシリーズを観てきた末にたどり着いた結論のようです。

    おもちゃ自身が変化し、別の役割を見つける。おもちゃの使命は、永遠に遊ばれ続けることではなく、その子の人生のある時期に寄り添うことなのかもしれません。

    ▪️シリーズと一緒に、観客も30歳になった

    第1作を子どもの頃に観ていた世代は、最新作では30歳を目前にしています。かつてはアンディと同じようにおもちゃと遊ぶ側でしたが、今では甥や姪、あるいは次の世代へおもちゃを渡す側になりつつあります。

    子どもの頃には理解できなかったおもちゃたちの不安を、大人になった今なら理解できる。最新作に納得できたのは、作品だけでなく、観客自身も成長したからではないかと話しています。

    物語には昔のままでいてほしい。それでも、変わらなければ続かないことも知っている。シリーズを長く追ってきた人間の複雑な感情を、最新作が受け止めてくれたようです。

    浅草で飲みながら始まった映画紹介は、気づけば変化を受け入れること、役割を手放すこと、誰かの成長を喜ぶことについての話になっているようです。

    20 min
  • 寿司に敗北するアラサー女の恋愛観【ゲスト:ぴーちゃん】
    #62【泥酔回】本当に騒がしいので注意してください

    【再生前のご注意】
    今回は、仲のいい女性4人が浅草を飲み歩きながら収録した、非常に騒がしい飲酒回です。全員が途中から正体不明になるほどお酒を飲んでおり、声量、会話の重なり、突然の高笑い、話題の脱線が通常回よりかなり多くなっています。酔っ払いの飲み会を隣の席で聞くくらいの気持ちで楽しめる方のみ、お聴きください。

    いつでもどこでも録音できるマイクを手に入れた結果、浅草での飲み会までそのままポッドキャストになりました。今流行りの「setlog」で映える角度を探し、録画を消して撮り直し、マイクを装着した人だけが急に番組への責任を感じ始めます。

    ▪️30歳になると、「好き」は自然に芽生えなくなるのか

    今回の中心にあるのは、30歳になった女性たちの恋愛観です。自分たちを冗談めかして「高額納税者」と呼びながら、世間一般で語られる30代の恋愛や結婚とは、少し違う場所に来てしまったのではないかと話しています。

    誰かが自分を大好きでいてくれる。それだけで相手を選べたら、恋愛はもう少し簡単なのかもしれません。しかし実際には、相手から強く好かれていることと、自分がその人を好きになれることは別問題です。

    ▪️学生時代の恋愛と、仕事を覚えたあとの恋愛

    学生の頃は、もっと簡単に誰かを好きになれた気がする。しかし、仕事を覚え、自分の生活を作り、友人関係や一人の時間も充実してくると、恋愛だけを生活の中心に置くことは難しくなります。

    仕事を優先したいわけではない。恋人にも会いたいし、友人にも会いたい。ただ、そのすべてを入れた最後に残ったわずかな空白だけは、一人で過ごしたい。その貴重な空白に誰かの予定が入りそうになった瞬間、かなり発狂しそうになるという話が出てきます。

    ▪️一人で天井を8時間見る時間は、予定として認められるのか

    今回を象徴するのが、「一人で天井を見て8時間過ごす時間が必要」という言葉です。何かを達成するわけでも、どこかへ出かけるわけでもない。ただ一人で、何もせずに過ごす。外から見れば空いている時間でも、本人にとっては立派な予定です。

    ところが恋人ができると、「何時間以内には返信しなければ」「休みのうち何日かは相手のために確保した方がいい」と、自分の中で義務が増えていきます。相手から求められている以上に、自分で恋人らしい行動を課してしまう。恋愛そのものより、恋人として正しく振る舞おうとする自分に疲れている可能性もありそうです。

    愛情表現として予定を確保していたはずが、少しずつ勤怠管理のような緊張感を帯びてくる。働く大人の恋愛には、ロマンチックな言葉だけでは処理できない勤務調整がついて回るようです。

    ▪️「好きな日に休んでいいよ」が、むしろ難しい

    シフト勤務や休日出勤がある生活では、恋人と1泊2日で会う時間を作るだけでも調整が必要です。土曜日の午後から日曜日までを空ける。その休日は自然に発生したものではなく、職場に希望を伝え、誰かに別の日を引き受けてもらい、自分の努力で作った時間です。

    だからこそ、相手から「この日を空けてほしい」と明確に言われる方が楽だという意見が出てきます。「仕事を優先して、好きな日に休んでいいよ」という思いやりは、もちろん嬉しい。しかし普段から職場で「任せてください」と引き受ける側の人にとっては、自分のためだけに休みを主張することが難しいのです。

    恋人のわがままを聞きたいのに、相手はこちらを気遣ってわがままを言わない。優しさと優しさが向かい合った結果、なぜか予定だけが決まらないという、かなり平和で厄介な問題について話しているようです。

    ▪️恋人の予定は、勤務希望のように先に押さえる

    解決策として登場するのが、スケジュール共有アプリです。1か月前に「来月はいつ会うか」を決め、勤務希望を出すように互いの都合を申請する。恋愛にしては合理的ですが、その方がかえってストレスは少ないようです。

    「恋人と会うかもしれないから」という曖昧な理由で、友人からの誘いを断りたくない。先に恋人との日程を確定し、残った日に友人との予定を入れ、何も入らなければ一人で過ごす。友人も恋人も一人の時間も大事にしたいからこそ、感情ではなくカレンダーが交通整理を担当しています。

    ▪️世界一喋っている人が、「喋らなくていい場所」を求めている

    話題は恋愛から、なぜか「誰が一番喋っているのか」という検証へ移ります。ピーちゃんは、その場で誰よりも喋っているにもかかわらず、「自分が喋らなければならない現場が一番だるい」と語ります。当然、周囲からは「今、世界一喋っている」と指摘されます。

    本人としては、喋りたいのではなく、マイクがあるから喋らなければならないと思っているらしい。マイクをつける前から喋っていたという証言も出ますが、そこは採用されません。自然体で喋り続けられる人ほど、沈黙を許される場所を求めているという、少し不思議な構図が見えてきます。

    ▪️法律が変わったら、友人にプロポーズする

    気を使わず、笑いの感覚が似ていて、趣味も酒量も合う。そんな友人との関係を確認しているうちに、「法律が変われば結婚する」という宣言が始まります。

    しかも、法律が変わった際には自分からプロポーズすると、マイクの前で正式に約束しています。結婚式の話まで進み、周囲は高笑いし、本人たちは意外と本気です。恋愛の相手には距離感や予定調整で悩む一方、すでに生活の相性が分かっている友人とは、驚くほど話が早く進みます。

    ▪️人生の優先順位を変えられるほど、誰かを好きになれるのか

    まだ仕事で上を目指せる。すでに自分の人生がある。その上に加わるプラスアルファとして恋愛があるのであって、誰かと付き合うために、今ある生活を最初から組み直したいわけではありません。

    そして、「相当好きじゃない限り、人生の優先順位は変えられない」という言葉が出てきます。恋愛を軽視しているのではなく、これまで作ってきた人生を軽く扱えない。自立とは誰にも頼らないことではなく、自分が守ってきた仕事、友情、生活、一人の時間の価値を知っていることなのかもしれません。

    ▪️恋愛の深い話は、寿司が来た瞬間に終了する

    ここまで人生と恋愛について話してきたところで、目の前に寿司が登場します。北海道の本マグロとニュージーランド産のインドマグロの食べ比べ、東京湾の魚、函館のウニ、天然本マグロのトロたく。店員による丁寧な説明を聞きながら、全員の語彙は急速に「やばい」「おいしい」「キラキラしてる」へ集約されていきます。

    「銀座なら1貫3万4千円」という発言をめぐって混乱し、寿司の「ネタ」と話の「ネタ」をかけた言葉遊びが発生し、食べた人は深刻な顔になります。人生の哲学は複雑ですが、おいしい寿司を食べた顔は非常に分かりやすいようです。

    ▪️最後は泥酔状態から送られる、人生への応援演説

    収録の最後、メンバーからリスナーへ一言ずつメッセージを求めると、突然、熱い人生論が始まります。「夢を諦めるな」「お前の人生はお前のものだ」「やりたいことを全部やれ」。正体を失いかけている人から、正気のリスナーへ向けて、全力の応援演説が送られます。

    酔いと勢いに任せた言葉ではあるものの、恋愛、仕事、友情、一人の時間を全部大事にしようとしてきた今回の話を振り返ると、不思議なほど筋が通っています。誰かの幸せではなく、自分の幸せを生きること。恋愛の正解は最後まで分かりませんが、自分の人生を他人任せにしないという点だけは、全員の中で一致しているようです。

    浅草の店内から、30代の恋愛観、勤務希望、一人で天井を見る時間、友人へのプロポーズ、高級寿司、そして人生への応援演説までが入り乱れる約20分。飲み会の隣の席に座ったような気持ちでお聴きください。

    23 min
  • 結婚がクソでかコンテンツすぎる | 『結婚の社会学』 阪井裕一郎

    #61【ひとり回】 ▪️20代にだけ大量に届く「早く結婚しなよ」

    今回紹介するのは『結婚の社会学』。入り口にあるのは、20代の頃に全方面から浴び続けた「結婚しなよ」「子どもを産みなよ」という言葉です。

    年上の人だけではありません。

    同世代や年下でも、すでに結婚や出産を経験した人が、急に人生の先輩席へ移動して助言を始めることがある。

    本人たちにとっては雑談かもしれませんが、その背後には「自分たちが正しい側、普通の側にいる」という静かな自信が見え隠れします。


    結婚は、多くの人が参加しているために正しさまで巨大化した「クソでかコンテンツ」なのではないか。

    マジョリティ側から「お前もこちらへ来ないか」と勧誘され続ける構図を、気づけば『鬼滅の刃』の鬼への勧誘になぞらえているようです。


    ところが30歳になった途端、その言葉は本当にぱたりと止まりました。20代のあいだだけ設置される、期間限定の結婚勧誘窓口だったのでしょうか。

    終わってみれば喜ばしいものの、なぜあれほど他人の人生に口を出せたのかという疑問は残ります。



    ▪️「結婚するべきか」より、結婚を誰が作ったのか

    この本が面白いのは、結婚すべきか、しないべきかという小さな二択に答えないところです。

    そもそも現在「結婚」と呼んでいるものは、誰が、いつ、何のために作った制度なのか。

    明治から戦時中、戦後、高度経済成長、そして現代の婚活までをたどりながら、当たり前に見える家族像を一度ばらしていきます。


    文章は驚くほど丁寧です。「世の中の常識を壊し、もう一度組み直したい」という強い意志を、声を荒らげず、礼儀正しい日本語で進めていく。

    その表面の穏やかさと内部の破壊力の落差にも、話し手はかなり惹かれているようです。


    なかでも刺さったのが、「現在の結婚制度に適応できない個人がいるのではなく、特定の家族だけを普通として設計された社会が、多くの人を不適合にしている」という視点でした。

    結婚できない、姓を変えたくない、離婚後に生活が苦しくなる、恋愛関係ではない人と支え合いたい。

    そうした問題を、本人の性格や努力不足だけに還元してはいけないという話です。



    ▪️なぜ結婚したのか、逆に全員へ聞いてみる


    「なぜ結婚しないのか」と聞かれすぎた結果、話し手には、結婚した人全員へ「なぜ結婚したんですか」と聞き返していた時期がありました。

    子どもが欲しかった理由や、結婚式を挙げる理由まで尋ねてみると、返ってくるのは「寂しかったから」「本能だから」「一生の思い出だから」といった答えです。


    もちろん、それで十分なのでしょう。

    欲しかったから結婚した。欲しかったから産んだ。ならば反対側も、欲しくないから選ばない、で終わってよいはずです。

    多数派の選択には理由がなくても許されるのに、少数派だけが長い説明文を要求される。その非対称さが、ここでは軽く笑いながらも、かなり正確に拾われています。


    質問され続けた人ほど、自分の生き方を言語化せざるを得ません。

    問い詰める側は数秒で投げた質問を、問われた側は何年も考えることになる。

    質問には、思った以上のエネルギーがあるようです。



    ▪️社会学は、見えていなかった前提を見つける学問


    外科医が搬送された子どもを見て「自分の息子だから手術できない」と言う。

    有名な問いでは、外科医を男性だと思い込むジェンダー規範が示されます。

    しかし外科医が男性でも、父親が二人いる家族なら成立する。ひとつ思い込みを外したと思った瞬間、その外側にもまだ前提が残っているのです。


    社会学とは、あまりに当然すぎて自分でも認識できていない常識にピントを合わせ、「なぜそうなっているのか」と疑う学問なのではないか。

    薬学部出身の話し手には、数字で白黒が決まらない、変数だらけのふわふわした対象を研究し、構造として説明していく営みがかなり異質に見えます。


    決まっているほうが安心する自分の思考の癖にも気づきながら、答えが一つではないものを扱う人たちへの尊敬が深まっているようです。



    ▪️マッチングアプリに「一人でホタルを見に行く人」は表示されない


    出会いは、見合いや職場結婚から恋愛結婚へ、さらに婚活やマッチングアプリへ移りました。アプリでは年齢、身長、年収、体型、子どもを望むかどうかなど、人の特徴が項目と数値へ変換されます。

    条件で絞り込めることは便利ですが、アプリ上で価値がある人と、自分にとって本当に価値がある人は同じなのか。

    フィルターによって既存の序列をむしろ強化してしまうのではないか、という本の指摘に、これまで一通りアプリを試してきた経験が重なります。


    身長180センチ以上、年収1000万円以上という条件が、本心と完全に一致している人には向いているのかもしれません。

    しかし「急に思い立って一人で夜のホタルを見に行く人が好き」「一人でポッドキャストを録り、一人で笑っている人が好き」という項目はありません。


    先日のホタル鑑賞を、周囲の友人たちは「いつもの感じだね」と受け入れ、光る仕組みまで一緒に掘ってくれました。

    人を好きになるうえで大切なのは、案外こうした数値化できない奇行への受容なのかもしれません。

    アプリをチャットツールや、普段交わらない人と接触するゲームとして楽しんだ末に、話し手は「自分には無理でした」と静かに着地しています。



    ▪️恋愛相手だけが、家族になれるのか

    話は、婚姻や血縁だけに閉じない家族へ移っていきます。

    夫以外にも心から信頼でき、子どもを安心して預けられる人がいると語った年上の知人。その人は、形式上の家族とは別に、家族と同じほど信頼できる人を自分で増やしていました。


    子育ては夫婦で完結させ、難しければ親族を頼る、という定番の図から少し外れ、自分が家族だと思う人を家族にしていく。家の問題を家の中だけに閉じ込めるより、その風通しのよさのほうが話し手には馴染むようです。


    一方で、親子、夫婦、会社員といった「関係の名前」に甘え、相手がいなくならない前提で振る舞いが緩むことへの怖さも語られます。

    なぜかそこから会社員と自営業の働き方まで連想が飛びますが、関係が保証されるほど努力しなくなる可能性、という点では同じ話なのかもしれません。



    ▪️「退出できること」が関係を改善する


    最後に取り上げるのは、家庭内の権力と退出する権利です。携帯会社がサービスを改善するのは、利用者が別会社へ移れるから。関係をやめられる可能性が、相手の声を聞く理由になります。

    戦後の多くの女性にとって、離婚は現実的な選択肢ではありませんでした。

    退出できなければ発言力も弱くなり、強い側はより大きく、弱い側はより小さくなる。さらに権力は、夫が妻の希望を直接拒否する場面だけでなく、「どうせ言っても喧嘩になる」と話し合い自体を諦める状態や、双方が夫の仕事を優先することを当然だと思い、妻自身が希望を持たなくなる状態にも潜んでいると説明されます。


    ただし、外から見て力関係が偏っている夫婦でも、本人たちが納得し、その形で安定しているように見える場合もある。

    すべてを「権力だから悪い」と簡単に切り分けることもできません。ここで結論は出ず、話し手は「無限に考えられる」という、本にとって最高の褒め言葉へたどり着きます。


    結婚を勧める本でも、否定する本でもありません。

    「普通」とされる家族を歴史と制度から疑い、自分だけの問題だと思っていた違和感を社会の側へ置き直してくれる一冊について話しているようです。

    特に、20代で「早く結婚しなよ」という攻撃を受けている人へ。

    次に同じことを言われたとき、明治時代から説明を始められるようになるかもしれません。

    1 hr 1 min
  • ホタルを見に行った夜、人間も光っていると知った

    #60【ひとり回】

    今回向かうのは、夜の植物園。ホタルの光から親子連れの会話、誰もいない田舎道、分子の励起状態、そしてなぜか人間の発光まで。

    夏の一晩が、いつの間にか自然観察と人間観察と化学の授業を兼ねた長い散歩になっています。


    第60回は、音だけでどこまで景色を立ち上げられるのかを考えながら始まります。画面を見なくていいポッドキャストだからこそ、言葉と音だけで、聞いている人の頭の中に道や匂いや空気をつくれるのではないか。

    60回目にして、そんな当たり前のようで大事なことに気づいたようです。



    ▪️ Googleマップの紫色から始まる、ひとりホタル鑑賞


    友人から「花火を見に行く」と聞き、頭の片隅に“夏をやっている人”の気配が残っていたある日。

    Googleマップに現れる紫色のイベントマークを眺めるという独特な趣味の最中に、市川市動植物園のホタル観賞を発見します。


    薬学部時代、薬草園の奥でホタルを見た記憶も重なり、Googleフォームには迷いなく「1人・公共交通機関」と入力。

    ホタルそのものだけではなく、木々が鬱蒼とし、小さな沢が流れ、その中にぽつぽつ光るものがいる空間へ行きたかったようです。


    ところが「ひとりでホタルを見に行く」という報告への反応は、人によって少し違います。休日にも会う友人たちは「夏だね」「楽しそうでよかったね」と自然に受け止める一方、普段は遊ばない人からは、期待どおりの「私だったらしないです」が返ってくる。

    その差から、普段そばにいる人たちが、話し手の奇行をかなり柔らかく受け止めてくれていることに気づきます。



    ▪️ 真っ暗な一本道で、他人の家族を観察する


    夜間開放された植物園は、想像以上に縦に長く、途中離脱もしにくい一本道。

    閉園時刻を気にしながら、同じ時間に集まった人々と少しずつ進みます。

    湿った草木の匂い、木道を踏む音、水の気配、ホタル以外にはほとんど光のない暗さ。

    目的はホタルだったはずなのに、気づけば暗闇そのものの豊かさについて話しているようです。

    園内のほとんどは小さな子どもを連れた家族で、ひとり客はほぼ見当たりません。そのため、前後からさまざまな親子の会話が流れ込んできます。

    「夢の中にいるみたい」と漏らした母親に、父親が「何そんな可愛いこと言っちゃって」と返す家族には、心の中で末永い幸福を祈る。

    一方、子どもがリンゴジュースを盛大にこぼし、父親の不機嫌が母親へ向かっていく家族には、「水で薄めればよくない?」という現実的な解決策が浮かぶ。

    暗闇はホタルだけでなく、一緒にいる人の機嫌の扱い方までよく見せるようです。

    さらに、「雷はどうして黄色いの?」と尋ねる子どもに、氷の粒や電気の話を本気で説明し始める理系の父親も登場します。

    子どもは途中から聞いていないのに、後ろを歩く話し手だけが熱心に聞いている。ホタルを見に来たはずが、知らない家族の会話を勝手に受講する夜になっています。



    ▪️ ひとりで行く場所と、誰かと行く場所は別物

    人の流れから外れた分岐に入ると、水がちょろちょろ流れる音だけが残ります。誰かと来ていたら、きっと話したり、はしゃいだりして、この音には気づかなかったかもしれない。

    そこで、同じ場所でもひとりで行った場所と、誰かと行った場所は、自分の中では別の場所として保存されているのではないかと気づきます。

    ひとりだから優れているわけでも、誰かと一緒だから楽しいわけでもない。静かな水音を拾える時間も、同行者との間にしか発生しない会話も、どちらも別の面白さを持っている。その両方を味わいたい感覚が、「ひとりでホタル」の奇妙さをあまり奇妙だと思わない理由なのかもしれません。



    ▪️ ホタルよりスリリングだった帰り道


    一本道の奥側から出た結果、最寄り駅は消え、頼れるのは離れた場所にあるバス停だけ。梨園や馬小屋の気配がある暗い道を爆走し、リュックの金具が鳴るたびに「誰か来た」と自分で振り返ります。


    ようやく着いたバス停では、Googleマップの情報が本当に正しいのか、1時間に1本のバスが自分を見落とさないか、スマホのライトで足元を照らしながら待機。

    遠くから来たバスがハイビームを二度点滅させた瞬間、「気づいてくれた」と一気に世界が現実へ戻ります。乗客はひとり。夢のような夜の締めくくりには、ひとりで飲むビールがよく合ったようです。



    ▪️ げらやくタイム:ホタルの光は、熱くない

    ここから話題は、予想どおり「ホタルはなぜ光るのか」へ移ります。繁殖のため、という目的ではなく、知りたいのは原理のほうです。


    光り方には、高温になった物体が光る熱放射と、熱以外の仕組みで光るルミネッセンスがあります。

    ホタルの光は後者で、化学反応によって分子が高エネルギーの励起状態になり、安定した基底状態へ戻るときに光を放つ化学励起・生物発光です。

    ルシフェリンがルシフェラーゼという酵素の働きで反応し、励起状態のオキシルシフェリンが生まれる。

    通常なら振動や回転によってエネルギーを逃がすところを、酵素が分子をしっかり固定するため、光として放出しやすくなる――という説明を、分子が「落ち着きたい」「ブルブルしたい」と訴える様子に置き換えながら進めています。



    ▪️ 日焼け止めも震えているし、人間も光っている


    分子が受け取ったエネルギーを手放すという意味では、日焼け止めの仕組みにもつながります。

    紫外線吸収剤が紫外線のエネルギーを受け取り、振動や熱として逃がすことで、皮膚へ届きにくくしている。

    ホタルは光として返し、日焼け止めは主に熱として返す。同じ「励起状態から落ち着く」話が、急に夏の必需品へ接続されます。


    さらに調べるうち、人間もごく微弱に発光しているという情報に遭遇します。

    代謝の過程で脂質やタンパク質が酸化され、励起状態から戻る際に、ごくわずかな光が生じる。ただし肉眼で見える明るさには遠く及びません。

    しかも発光には日内変動があり、夕方4時ごろに強くなり、胴体よりも顔、特に頬や口の周りが光りやすいらしい。「君は輝いて見える」という口説き文句が、突然かなり物理的な事実を含み始めます。


    ひとりで見に行ったホタルから、親子の会話、帰れないかもしれない恐怖、ルシフェリン、日焼け止め、そして人体の発光へ。

    何の身にもならないはずの雑談が、明日誰かに「人間って夕方4時ごろが一番光るらしいよ」と言いたくなるところまで連れていく、第60回です。

    53 min
  • 一生懸命な人の話|『人生を変えたコント』霜降り明星 せいや

    #59【ひとり回】

    ※本編には、いじめや円形脱毛症に関する具体的な描写が含まれます。しんどくならない範囲でお聴きください。


    ▪️耳から「うきっ」を流して、ジムへ


    「ジムに行くときは基本的に『げらやく』を聴いている」という友人の報告を受け、今回はなぜかリスナー全員の筋力トレーニングを応援するところから始まります。耳元で「うきっ」という笑い声を鳴らしながら重量を上げてほしいとのこと。番組は皆さまのジムを心の底から応援しているようです。



    ▪️芸人が書いた本と、分かりやすさへの信頼


    今回紹介するのは、霜降り明星・せいやの著書『人生を変えたコント』。芸人ラジオを長年聴き続けるなかで、令和ロマンのポッドキャストをきっかけに手に取った一冊です。


    話はここから、「伝えたいことがあるなら、なるべく分かるように言ってほしい」という作品観へ。解釈の余白は好きでも、答えがあるのに受け手が必死で汲み取らなければならない作品には、つい「言いたいことあるなら言えば」と思ってしまうらしい。王道で、分かりやすく、真正面から届くものへの信頼が語られています。



    ▪️自分は自分を信じている。でも、周りがきつい


    この本を読んだのは、転職後、職場の環境がかなり厳しかった時期。自分で自分を嫌いになったわけではない。ただ、一歩外に出ると地獄のような状況が待っている。そんな、自分の内側と外側の温度差が大きかった一年に、自然とこの本へ手が伸びたようです。


    求めていたのは、問題を鮮やかに解決する方法というより、少し先まで生き延びるための安寧だったのかもしれません。



    ▪️教室の「一軍」は、なぜあんなに動物的なのか


    物語は、高校に入学したせいやがクラスに馴染めず、笑いで輪に入ろうとして滑ったことをきっかけに、いじめの標的になるところから動き出します。


    教室の中心で大きな声を出し、広く場所を使い、笑い声の大きさで存在感を示す人たち。学校にあった「一軍」という感覚を思い返しながら、それはほとんど縄張りを主張する動物のようだったのではないか、と気づけばクラス内ヒエラルキーの話になっているようです。



    ▪️いつ見ても魂が乗っている人


    せいやは、何度滑っても、また笑いで輪に入ろうとします。そこから話は、売れたあとも熱量を失わず、いつ見ても全力でいるせいや本人への敬意へ。


    何かに一生懸命な人を見ると「友達になろうよ」と思う。名づけるなら一生懸命友達。流しに入らず、ずっと魂を乗せ続ける人が好きで、自分もそうありたい。これは本の感想であると同時に、話し手自身が守りたい生き方についての話でもあるようです。



    ▪️身体が先に「しんどい」と言う


    暴力や屈辱的な行為が続いても、せいやは「いじめられている人」として振る舞わず、明るく受け流そうとします。しかし身体は耐えきれず、円形脱毛症を発症します。

    ここでは、自身も二度経験した円形脱毛症の記憶が重なります。「治る」と言われても、その時点でしんどいことは、しんどい。先の見通しがあることと、今の痛みが消えることは別である。その当たり前が、静かに確認されています。



    ▪️出る杭なら、いっそ突き出しておく


    せいやは、周囲の介入だけでは自分が本当に望む居場所は得られないと考え、まず足の速さで突き抜けます。リレー選手になるほど練習し、分かりやすい強みを見せたことで、少しずつ話しかけてくれる人が現れます。


    周囲に馴染もうとして杭を引っ込めるより、出ている杭をさらに突き出して、「この人はこういう人だ」と認識してもらう。誰にでも当てはまる正解ではないけれど、出る杭側の人間には、妙に腑に落ちる戦い方だったようです。



    ▪️戦うことも、逃げることも、外からは決められない


    先生や親に助けを求めず、自分の力で状況を変えようとしたせいやの選択に驚きつつ、「戦うのが正しいのか、逃げるのが正しいのかは分からない」とも立ち止まります。ここを安易な根性論にはしないのが、この回の揺れでもあります。

    過去に似た経験がある人や、今まさに苦しい場所にいる人には、無理に聴き続けなくていいとも呼びかけています。最後が明るい物語であっても、途中の痛みまで軽くなるわけではありません。



    ▪️プール裏のオアシスと、誰かと食べる昼ごはん


    一人で弁当を食べるために見つけたプール裏は、やがて友人と集まるオアシスになります。自分の言葉に相槌が返り、笑ってもらえる。誰かと一緒にごはんを食べることが、こんなに楽しいのだと知る。

    夏休みに再会した中学時代の友人たちが、普通に相槌を打ち、普通に笑ってくれたことで、「自分にはこの場所があるから大丈夫だ」と思えたという場面にも深くうなずきます。信じられる場所が一つあれば、そこから外へ出ても、なんとか戻ってこられる。居心地のいい場所は、逃げ場というより、遠くへ行くための足場なのかもしれません。


    通学中に聴いていたウルフルズの『笑えれば』も、物語を通して流れるもう一つの支柱です。「最後に笑えればいい」という言葉は、状況を雑に明るく塗り替えるのではなく、結末を今すぐ決めなくていいという猶予として響いているようです。



    ▪️嫌がらせで渡された台本が、人生を変える


    文化祭の劇で台本を書くよう押しつけられたせいやは、それを自分のすべてを挽回する機会として受け取ります。寝る間も惜しんで作ったのは「リアル桃太郎」。嫌がらせとして渡された役目に、本人だけが本気と才能を注ぎ込み、クラス全体を巻き込む舞台へ変えていきます。

    妨害すら笑いに変え、劇は大成功。王道で、分かりやすく、だからこそ泣ける。話し手がこの本を好きな理由が、物語の結末そのものに詰まっています。



    ▪️どん底は美談にならなくても、いつか話にはなる


    過去の傷は、成功したからといって完全に消えるわけではない。それでも、どん底から這い上がった人は強く、当たり前の幸せに気づきやすくなる。本書の言葉を受けながら、厳しかった職場での経験も、すでに少しずつ笑い話へ変わり始めていると振り返ります。


    誰かとごはんを食べられること。家に帰って鍵を閉められること。人の笑い声が耳元にあること。苦しかった経験を「必要だった」と無理に肯定しなくても、何年か後には、今より少し遠くから眺められるかもしれない。


    なお、疲れている時の読書においては、内容と同じくらい文字が大きいことも重要らしい。救いの言葉が詰まっていても、紙面までキュチキュチでは救われにくい。感動の余韻に、最後まで妙に生活感のある基準が差し込まれます。


    現在、自分は自分を信じているのに、周囲の環境がきつくてしんどい人へ。最後に笑えていればいいという、単純で強い言葉を手渡す、少ししっとりした一人回です。

    53 min

About げらやく(よく笑う元薬剤師の雑談日記ポッドキャスト)

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