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#48【ひとり回】今回は、朝井リョウさんのエッセイを読みながら、優柔不断、服の外注、バイトの失敗、ビールかけ、そして痔瘻の闘病記まで話しているひとり回です。
朝井リョウさんのエッセイについて話しています。
活字をなぞることそのものが癒しになるような本。
読みたいけれど、読み終わりたくない。
そんな気持ちで、大事に大事に読んでいる本の後半戦です。
今回は、いつもより少しのんびりめに、読みながら引っかかったところを自分の日常や性格と重ねて話しています。
朝井リョウさんのエッセイに出てくる、自意識、ネガティブさ、失敗、身体の不調。
普通なら隠したくなるようなことが、言語化されることで笑いになり、なぜか元気をもらえる。
そんな「弱さを面白がれる文章」の力について話している回です。
▪️決めるって、なんでこんなに難しいのか
冒頭では、決断することの難しさについて話しています。
何かを選ぶ。
何かを決める。
それだけのことが、なぜこんなに難しいのか。
お昼ご飯を決めるのも、服を選ぶのも、メニューを見て注文を決めるのも、ひとつひとつが意外と大変です。
何を食べても大きく人生が変わるわけではないのに、なぜか迷ってしまう。
そんな優柔不断さを、朝井リョウさんのエッセイに出てくる「服を選べない」話と重ねながら話しています。
▪️ファッションセンスを外注する話
朝井リョウさんのエッセイには、ファッションセンスを外注するような話が出てきます。
自分で服を選ぶのが苦手で、プロのような人に全身を選んでもらう。
その結果、相手が右と言えば右、左と言えば左に進むような状態になっていく。
この話に対して、自分自身もかなり共感しています。
自分も洋服選びを友達にかなり任せていて、その友達がいなければ、全身黒のシャカシャカした服ばかりになってしまう。
洗濯が楽で、乾くのが早くて、シワも気にならない。
合理性だけで選ぶと、服装がどんどん偏っていく、という話をしています。
ただ、服を選んでもらうことには楽さがある一方で、「自分で選んでいない」と説明したくなるめんどくささもあります。
素敵な服を着ていると思われたときに、「これは自分で選んだわけではなく、友達に選んでもらったんです」と言いたくなる。
その繊細さ、自意識、恥ずかしさまで書いてしまう朝井リョウさんの文章に、かなり救われているという話をしています。
▪️暗すぎるバーでバインミーを食べた話
決断の話から、自分の日常のエピソードにも広がっています。
最近は、ご飯屋さんに入ることは少しできるようになってきた、という話の流れで出てくるのが、暗すぎるバーでバインミーを食べた話です。
外から見るとバインミーを売っていそうなお店。
中でも食べられるのか聞いて入ってみたら、店内はほぼ真っ暗なバーのような空間。
周りのお客さんはカクテルを楽しんでいて、自分だけがバインミーと山盛りのポテトとスプライトを前に座っている。
しかも店内は電波がなく、本を読むには暗すぎる。
仕方なく万年筆でメモ帳に落書きをしていたら、店員さんに「暗くないですか?」と声をかけられる。
この、自分の体を少し動かしてみたからこそ生まれる変な体験についても話しています。
▪️結婚式バイトで、酒ではなく名前をメモする
続いて紹介しているのは、朝井リョウさんが高校卒業後に友達と経験した、一日だけの結婚式場バイトの話です。
お酒の注文を取り、厨房に伝え、できあがった飲み物を席に運ぶ仕事。
しかし、説明がうまく聞き取れなかった結果、朝井さんは注文されたお酒の名前ではなく、注文した人の名前をメモして厨房に出し続けてしまいます。
「赤ワインお願いします」と言われているのに、「お名前を伺ってもよろしいですか」と聞き、「田中です」と言われたらメモに「田中」と書いて提出する。
その結果、厨房側から「個人名を書いて送ってきているのは誰ですか」「ちゃんと酒の名前を聞いてきてください」とインカムで注意される。
この勘違いのかわいさと、その場で黙りを決め込む感じが、朝井リョウさんのエッセイらしくて面白い、という話をしています。
▪️ビールかけを実現するために脚本を書く人
さらに、ビールかけのエピソードにも触れています。
ある同僚が、ふと「俺も慰労されたいな」と言ったことをきっかけに、朝井リョウさんは「なんとかしてこの人を慰労してやれないか」と考え始めます。
そこで思いつくのが、ビールかけ。
しかし、急にビールをかけたら問題になる。
だから、相手が自分から「ビールかけをされたい」と自然に言えるような流れを作らなければならない。
そのために、昼休みに脚本を書き始める。
女子アナ、野球、ビールかけ、一生に一度はやってみたくないか、という流れを組み立て、相手に自発的に言わせようとする。
どうでもいいようなことに全力で作戦を立てる、その執念とくだらなさが本当にいい、という話をしています。
実際には、相手がすでにビールかけを経験していたことで計画はうまくいきません。
それでも、思いつきを思いつきのまま終わらせず、どう実現するか考えて動くところが面白い。
自分も妄想だけで終わらせず、もっと体を動かして、持ちネタを増やしていきたい、という話にもつながっています。
▪️ネガティブすぎるメタ認知が新鮮だった
後半では、朝井リョウさんのネガティブさとメタ認知について話しています。
会社を辞めるとき、「会社員でありながら作家である」という肩書きを失って大丈夫なのか。
自分の作品は本当に内容で読まれているのか、それとも肩書きで読まれていたのではないか。
そんな不安を、かなり露骨に、かなり自虐的に書いているところに驚いています。
自分の弱さや不安をここまで言語化できること。
しかも、それをただ暗くするのではなく、読める文章、面白い文章に変えてしまうこと。
そのネガティブさが、逆にエンタメになっているという話をしています。
自信を持つこと、自分を信じること、自分を疑うこと。
そのバランスはすごく難しい。
でも、朝井リョウさんの文章を読むと、自分の中にある面倒な部分や弱い部分も、少しだけ見てもいいのかもしれないと思える。
それが、このエッセイから元気をもらえる理由なのかもしれません。
▪️痔瘻の闘病記まで、ちゃんと面白い
最後に話しているのは、痔瘻の闘病記です。
お尻にもうひとつ穴ができてしまう病気と、長いあいだ向き合った朝井リョウさんの体験が、かなり赤裸々に書かれています。
肛門科に通い、人前でお尻を見せ続け、手術の準備をし、入院し、退院する。
普通ならかなりつらい体験のはずなのに、そこにも言葉の面白さがあります。
看護師さんに「お顔が出てきましたよ」と言われ、「お顔は首の上にあるものでは」と違和感を覚える話。
入院中は排便ひとつで記録され、褒められていたのに、退院して一人暮らしに戻ると、自分のうんちで喜んでくれる人が誰もいないと感じる話。
痛みや恥ずかしさや孤独まで、全部文章になっているのがすごい、という話をしています。
そして、こういう身体的なつらささえも、朝井リョウさんの手にかかると「読めるもの」になってしまう。
弱さや痛みを消すのではなく、言葉にして笑える形にする。
それが、このエッセイのすごさなのだと思います。
今回は、いつもより少しゆるく、でもかなり深く、朝井リョウさんのエッセイに癒されながら話している回です。
優柔不断な人、服選びが苦手な人、どうでもいいことに全力を出してしまう人、自分の弱さをうまく扱えない人に、かなり刺さる本だと思います。
朝井リョウさんのエッセイ、元気が出ます。
今回も、読みながら笑って、共感して、少し救われた話をしています。
#47【ひとり回】今回は、いけうちひとりでお送りする「本紹介会」です
今回は、『奴隷のしつけ方』について話しています。
古代ローマの貴族が、奴隷をどう買い、どう働かせ、どう管理するかを教えてくれる。しかも帯には「奴隷マネジメント術」などと書いてある。
いや、経営の話をしている。会社の話をしている。古代ローマの顔をして、現代の自己啓発本みたいなことを言っている。そんなざわざわから、この本の話は始まります。
▪️「著者欄で裏切られる」という、人生初の読書体験
いけうちがこの本でまず好きになったのは、内容以前に「著者」の仕掛けです。
表紙には、マルクス・シドニウス・ファルクスという古代ローマ貴族の名前があり、ジェリー・トナーは解説者のように書かれています。
ところが読み進めると、このマルクスという人物は架空のローマ貴族で、本当の著者はケンブリッジ大学の古典学研究者であるジェリー・トナー。
つまりこの本は、研究者が古代ローマの奴隷所有者になりきって書いた、かなり高度な“ローマ帝国の二次創作”のような本だった、という話をしています。
なぜ現在形なのか。なぜ日本の文庫版にコメントしているのか。そういう小さな違和感の積み重ねから、いけうちは「本って、著者欄でも遊べるんだ」と衝撃を受けています。
▪️「何にもならない知識」を読む時間の豊かさ
この本には、現代生活でそのまま使える知識はほとんど出てきません。
奴隷の買い方、奴隷用ワインの作り方、農場管理人の選び方、食事・仕事・罰のバランス。どれも実用的なのに、現代日本でそのまま使ってはいけない情報ばかりです。
それでもいけうちは、この「何に使うねん」という知識を読む時間そのものに、かなりの喜びを見出しています。
何も生み出さないことに一生懸命になる時間は、人生の余白である。役に立たない知識が、役に立たないまま楽しい。この回では、そんな読書の幸福についても話しています。
▪️古代ローマの奴隷は「インフラ」だった、という気づき
本を読みながらいけうちが驚いたのは、古代ローマにおける奴隷が、想像していたよりも「生活や仕事を回すためのインフラ」として描かれていたことです。
もちろん、奴隷は人権を奪われ、所有物として扱われる存在です。その前提はかなりきつい。
しかし同時に、主人にとって奴隷は大事な資産でもあるため、むやみに傷つければよいというものではない。よく食べさせ、よく働かせ、必要な教育をし、罰も“効率よく”与える。
そこにあるのは優しさではなく、管理の論理です。
古代ローマの奴隷制と近代の大量虐殺は同じものではない。それでも、人間を人間として扱わない仕組みを前にした時、自分の中の歴史理解や固定観念がどこから来ているのか、立ち止まって考えています。
▪️セネカ、好きだったのに、普通に奴隷制の時代の人だった
この回では、いけうちが好きな哲学者・セネカも登場します。
セネカは、人生は短い、ただ消費するだけで終わるな、本を読み、過去の思想に触れ、自分の人生を広げろ、というようなことを言っている人として、いけうちの中ではかなり大事な存在です。
自分の身の回りの声だけに閉じこもらず、自分の親は自分で選んでいい。そんなふうに受け取ってきた思想家でもあります。
ところが『奴隷のしつけ方』の中で、セネカもまた、奴隷が当たり前に存在する社会を生きていた人物として出てきます。
いけうちはそこで、「そっか、セネカもこの時代の人か」と少し裏切られたような気持ちになります。
尊敬していた思想家も、奴隷制をインフラとして使う社会の中にいた。その事実を知ることで、思想だけを切り取って好きになることの危うさと、それでも好きな部分は残るという複雑さについて話しています。
▪️奴隷マネジメントが、なぜか現代の会社に見えてくる
この本の面白さは、古代ローマの話をしているはずなのに、ところどころ現代の会社やマネジメントに見えてくるところです。
奴隷を買うときは、商人の言葉を鵜呑みにしてはいけない。ちゃんと確認し、疑い、必要な質問をしなければいけない。
いけうちはここで、完全に仕事を思い出しています。買う側が売る側に対して、ありえない量の質問をしなければならない感覚。なんとなくで買ってはいけない感覚。
二千年前の話なのに、妙に現代の業務と接続してしまう。
さらに、管理人には完璧主義で、知らないことを放置せず、自分で調べられて、かつ労働者に厳しいことも言える人を選ぶべきだ、という話も出てきます。
もうそれはマネージャーの話ではないか。副業は本業に支障が出ない範囲で、というような話まで出てきて、古代ローマと現代日本の境界がじわじわ溶けていきます。
▪️罰、拷問、猛獣刑——笑って読んでいたら急に現実が重い
一方で、この本はずっと楽しく読めるだけの本ではありません。
罰の与え方、拷問、猛獣刑など、かなり重い内容も出てきます。
いけうちは、主人の怒りをどう抑えるかという話から、自分の中に湧いてくる怒りや癇癪をどう理性で扱うかにも話を広げています。
感情のジェットコースターにそのまま乗る楽しさもある。でも、簡単に怒る方へ逃げず、ぐっと押さえ込んでニコニコ話す遊びもある。
古代ローマの罰の話から、なぜか自分の感情コントロールの話に着地していくのが、この回らしいところです。
▪️奴隷の楽しみ、スパルタクス、そして泣き崩れるセネカ
後半では、奴隷たちの楽しみや、スパルタクスの反乱についても触れています。
年に一度、主人と奴隷の役割がひっくり返るような祭りがあり、宴や歌、道化や大道芸で町が賑わう。
ずっと緊張していると人はもたない。支配する側も、それをわかっていたのかもしれません。
そしてスパルタクスの反乱。大規模な奴隷反乱を二度と起こさないために、いかに奴隷を管理するかという発想が出てきます。
ここでもセネカが登場し、奴隷の涙に弱かったらしいという話に、いけうちはなぜか少し安心します。
最初に「セネカも奴隷を使っていたのか」と裏切られたあとで、「でも泣かれると面倒くさいと思う心はあったのか」と、変な角度からセネカを回収しています。
▪️最後に、現代の奴隷状態まで話が飛んでくる
この本の後書きでは、古代ローマの奴隷制だけでなく、現代にも残る奴隷状態について触れられます。
世界中で奴隷制は違法になった。それでも、暴力で脅され、労働を強制され、給料も得られず、逃げる希望すら持てない人々がいる。
いけうちはここで、最後の最後に著者から本気で殴られたような気持ちになります。
そこから話は、映画『関心領域』のことにもつながっていきます。
過去の残酷な歴史を見て「ひどい」と思う一方で、今この世界で起きていることを自分たちは見て見ぬふりしていないか。
過去の話として安心してはいけない。現実は、急にこちらを向いてくる。
▪️きつい現実を知ることで、今ある生活に感謝する
最終的にいけうちは、この本を読んで「日々に感謝」というところに戻ってきます。
重い歴史やきつい現実に定期的に触れてしまうのは、ただ苦しくなりたいからではなく、自分が守りたい日常の輪郭を見失わないためなのかもしれません。
▪️役に立たないはずの本から、いろんなことを拾ってしまう回です
『奴隷のしつけ方』は、書かれている知識をそのまま使う本ではありません。むしろ、そのまま使ってはいけない本です。
けれど、そこから現代の会社、マネジメント、読書の楽しさ、セネカへの複雑な感情、常識のあやうさ、感情の扱い方、そして今ある生活への感謝まで、いけうちはあちこちに話を飛ばしていきます。
一見、何の役にも立たない知識。でも、そこから何かを抽出して、自分の生活や考え方に接続できる人にとっては、かなり面白い本なのではないか。
そんな読書体験を、ひとりで1時間ほど喋っている回です。
#46【飲酒】今回は、人事お姉さんとお酒を飲みながら、声の大きさ、チャリ、マッチングアプリ反省会について話している回です。
一応メインテーマは「池内マッチングアプリ反省会」なのですが、そこにたどり着くまでに、声量、焼酎、飲み会での振る舞い、ポッドキャストのための筋トレ、夜のチャリ爆走などが次々に出てきます。
マッチングアプリがうまくいかなかった話のはずなのに、最終的には「自分をテキストと写真だけで伝えられるのか」「人間関係の入口はどこにあるのか」「自分は何を目的に人と会っていたのか」まで広がっていく。そういう回です。
▪️声が大きい女と、ふざけるチャンス
前半では、いけうちの声の大きさやキャラクターについて話しています。
声が大きい。飲み会でうるさい。会社の飲み会では「トップオブトップ」だったらしい。
でも、それはただ騒がしいというより、話したことがない人と話したい、できれば少しだけかましたい、というモチベーションから来ているようです。
いけうちは、初対面の人にも一度は冗談を投げてみる。
反応があれば、その人と会話が続く。反応がなければ、一旦置いておく。
この「ふざけるチャンスをうかがう」という態度が、仕事中にも飲み会にも出ているようです。
▪️ポッドキャストのために体を鍛えたい
声量の話は、なぜか筋トレの話にもつながります。
いけうちは、ポッドキャストを何本も録ると、酸素が足りなくなってクラクラすることがあるようです。
声が大きい。笑う。ずっと喋る。呼吸も多い。
そうなると、体力が必要になります。
そこで出てくるのが、ポッドキャストのために体を鍛えるという発想です。
▪️池内マッチングアプリ反省会
今回の本題は、マッチングアプリ反省会です。
いけうちは、マッチングアプリが一度もうまくいった試しがないと話します。
そして、30歳になった今、おそらくもう自分の人生の中でマッチングアプリは完結したのではないかと感じているようです。
理由のひとつは、写真と文字情報だけでは、自分を正確に伝えるのが難しすぎること。
「明るく元気に喋ります」と文章に書いても、実際に出てくるこの声量、このテンション、この会話の飛び方までは伝わらない。
テキストにした瞬間、自分の面白さや過剰さが、どうしても薄くなってしまう。
そこに、人事お姉さんもかなり納得しています。
▪️「明るく元気です」では足りない問題
この回では、マッチングアプリの話と並行して、自己PR文の話も出てきます。
いけうちは、ある応募文で「明るく元気に喋ります」というような表現を書いたそうです。
しかし、人事お姉さんから見ると、その文章だけでは「これ」が出てくるとは到底伝わらない。
明るい、元気、よく喋る。
どれも間違ってはいないけれど、いけうちの実物を説明するには少し弱い。
ただ明るい人ではなく、声が大きく、話が飛び、初対面でも冗談を投げ、相手の反応を見ながら会話を組み立てていく人。
その感じを短い文章で伝えるのは、かなり難しい。
だからこそ、マッチングアプリのプロフィール欄でも同じことが起きていたのかもしれません。
「どう書いても違う感じになる」問題が、反省会の中心にあります。
▪️職業インタビューとしてのマッチングアプリ
一方で、人事お姉さんはマッチングアプリをかなり楽しめていたようです。
その理由のひとつが、職業インタビューとして楽しめること。
相手が恋愛対象として違うなと思っても、今まで会ったことのない職業の人なら、その仕事の話を聞ける。
どんな働き方なのか。どんな生活をしているのか。どういう人なのか。
恋愛の入口でありながら、社会科見学のようにも楽しめる。
この人事お姉さんの感覚に対して、いけうちは「他人に興味があるからできることだ」と反応します。
同じマッチングアプリでも、何を面白がれるかは人によって全然違う。
ここでも、ふたりの人との向き合い方の違いが見えてきます。
▪️タスク処理としてのマッチングアプリ
いけうちの場合、マッチングアプリの使い方は少し違う方向にズレていきます。
いい人と出会うためというより、大量に来るメッセージをどれだけ速く返せるか。
その処理速度を楽しんでいた時期があったようです。
メッセージが来る。返す。さばく。次に行く。
マッチングアプリを、出会いの場ではなく、通知とレスポンスのゲームのように使ってしまっていたのかもしれません。
さらに、建前の会話があまり得意ではないので、最初から変なことを言っている人や、ボケられる隙がある人に反応していたようです。
▪️ゲーム友達を探し始める
さらに、マッチングアプリの目的は恋愛から離れていきます。
いけうちは、料理ゲーム『オーバークック』を一緒にできる友達を探すために、マッチングアプリを使っていた時期もあったようです。
しかも、実際にSwitchを持って行く。
相手からしたら、かなり予想外です。
出会いに来たと思ったら、ゲーム機が出てくる。
でも、いけうちとしては、ゲームを一緒にできる人が欲しかった。
ここでもまた、アプリの目的と本人の目的がズレています。
恋人探しではなく、ゲーム友達探し。
▪️チャリで夜の街を走る喜び
途中では、最近いけうちが目覚めたチャリの話も出てきます。
子どもの頃、自転車で何度も事故りかけた記憶があり、都内でチャリに乗ることには少し抵抗があったようです。
けれど、週末に橋を走ってみたら、とにかく気持ちよかった。
車道を走る緊張感。夜の空気。自分の足で漕いで進む感覚。
電動キックボードではなく、いけうちは人力で漕ぐことに惹かれているようです。
夜の観光地までチャリで行き、帰りは電車で帰るつもりだったはずが、そこでもまた人間観察が始まります。
▪️夜の観光地とカップル観察
夜の観光地では、終電間際のカップルたちがたくさんいたようです。
帰るのか、帰らないのか。
ガードレールの向こうでいちゃいちゃしている人たち。光る景色を見ながら並んでいる人たち。
普通なら、少し気まずいとか、見ないようにしようと思う場面かもしれません。
でも、いけうちはそれを見て「見せてくれてありがとう」と思います。
家でやればいいことを、外で見せてくれている。
帰りたくない気持ちを、そのまま外に出している。
その人たちの今だけの感情を、通行人として少し見られることが嬉しい。
▪️自己表現とメタ認知の回
この回は、飲みながら大笑いしている回ですが、根っこにはかなりはっきりしたテーマがあります。
自分は、写真と文字だけで伝わる人間なのか。
自分の面白さは、どこにあるのか。
他人と出会う時、自分は何を目的にしているのか。
そして、自分はなぜ、恋愛の場をタスク処理やゲーム友達探しにしてしまうのか。
ふざけているようで、かなり冷静に自分を見ています。
人事お姉さんが横で笑いながら受け止めてくれるから、いけうちの自己分析もどんどん進んでいきます。
マッチングアプリの反省会のはずが、最終的には「私はどうやったら私として伝わるのか」という話になっている気がします。
#45【紹介】今回は、げらやく初の「ゲーム紹介」回
今回は、インディーゲーム『メグとばけもの』について語っていく。
入口となるのは、「お手軽に泣きたい時、ありませんか?」という問いかけである。
映画や小説のように、感情を動かして少しすっきりしたい時がある。けれど、長い作品に向き合う体力まではない。そんな時にちょうどいい“泣けるゲーム”として紹介されたのが、『メグとばけもの』。
話し手はこの作品を、「自分で少し操作できる映画」のようなものとして捉えている。ドット絵、BGM、4〜5時間ほどで遊び終えられる手軽さ。そのすべてが、泣ける作品を探している時の条件にきれいにはまっていたという。
▪️『メグとばけもの』は、強い化け物が少女の心を守るゲーム
物語の中心にいるのは、小さな女の子・めぐと、化け物のロイである。
めぐは、人間界から魔界へ落ちてきた少女。彼女を見つけるのが、ロイとゴランという化け物たちである。
ロイはとにかく強い。ゲーム内のHPは99,999。普通のRPGであれば、もう負ける気がしない数字である。実際、ロイ自身は敵に殴られてもほとんどダメージを受けない。
しかし、このゲームで本当に守らなければならないのは、ロイのHPではない。守るべきなのは、めぐの心である。
ロイが敵に攻撃されると、ロイ本人はかすり傷程度で済む。ところが、それを見ためぐは「ロイを傷つけないで」と心にダメージを受けてしまう。めぐの心のゲージが減り、泣いてしまうと、世界が滅びてゲームオーバーになる。
つまりこの作品は、最強の化け物が敵を倒すゲームではなく、最強の化け物が少女を泣かせないようにするゲームである。
▪️ロイがめぐをあやす場面が、かなり良い
戦闘中、めぐの心を回復させるために、ロイはおもちゃを使って彼女をあやす。
人間界から落ちてくるゴミの中には、宇宙船、ボール、絵本、お絵描き道具などが混じっている。それらを拾い集めることで、めぐを安心させる手段が増えていく。
話し手が特に推しているのは、このロイがめぐの遊びに付き合う場面である。
ロイはもともと、マジックタールという物質を食べることにしか興味がない。めぐに懐かれても、最初は「なんで俺なんかについてくるんだ」という態度である。
それでも、めぐが泣くと世界が滅びる。泣かせるわけにはいかない。だからロイは、仕方なさそうに、しかしちゃんと、めぐの遊びに付き合う。
強すぎる化け物が、小さな女の子のペースに合わせようとしている。しかも本人は、優しくしている自覚があまりない。
この不器用さが、かなり良い。めぐに振り回されながら、ロイの中に少しずつ「誰かのために何かをする」感情が芽生えていく。その変化が、ドット絵と短いセリフの余白の中で描かれていく。
▪️ドット絵とBGMが、物語の余白を広げている
この作品は、派手な映像で押し切るタイプではない。ドット絵で、セリフ量も多すぎず、テンポよく物語が進んでいく。
だからこそ、プレイヤーの想像が入る余地がある。ロイがどんな顔でめぐを見ているのか。めぐがどれくらい不安で、どれくらいロイを信頼しているのか。そのすべてが、説明されすぎないまま、こちら側に渡される。
実際に遊んでみると、ドット絵の余白と音楽の情緒が合わさり、「なんかいい映画を観た後」のような感覚が残る作品だったと語られる。
▪️ここからは、ネタバレありで物語の核心へ
中盤以降、話は作品の核心に踏み込んでいく。
魔界は、ただのファンタジー空間ではない。人間界には、何でも捨てられる巨大な穴があり、その先が魔界につながっている。そこには、都合の悪いものを隠したい研究機関が集まっていた。
ロイもまた、そうした研究の中で生み出され、捨てられた存在だった。
ロイが食べ続けているマジックタールは、地球にとって悪い物質である。本来は、その物質を良いものへ変えるための研究が行われていた。しかしロイは、マジックタールを変換するのではなく、体内に取り込み、濃縮してしまう存在だった。
序盤では、めぐが泣くことで世界が滅びるように見えている。しかし真相は、ロイ自身の体内に蓄積されたエネルギーが限界を迎えつつある、というものだった。
めぐを母親のもとへ返せば、世界は救われる。そう思っていたロイは、やがて気づく。
原因は、めぐではなく自分だった。
▪️1つ目のエンドは、終われない悲しさ
1つ目のエンドで、ロイは自分を犠牲にする選択をする。地球上で爆発すれば、世界が終わる。ならば、自分が地球の外へ行けばいい。
ロイは宇宙船に乗り、めぐから離れていく。
この時点でロイは、もう最初のロイではない。マジックタールを食べることしか楽しみがなかった化け物は、めぐと出会い、遊び、喧嘩し、仲直りし、誰かのために何かをする嬉しさを知ってしまっている。
だからこそ、死にたくない。けれど、めぐには生きていてほしい。
最後の会話で、ロイはめぐをあえて突き放そうとする。本当は大切なのに、冷たくしようとする。しかし最後まで、「嫌い」とは言えない。
そしてロイは、地球の外で爆発し、一際明るい星になる。
話し手は、この結末について「ここで終われるわけがない」と語る。エンドロールは流れる。作品としての区切りもつく。しかし、心はまったく終わっていない。
しかもこのエンドでは、ゴランにも悲劇が訪れる。研究者によって変えられてしまったゴランを、ロイが倒さなければならない。結果として、めぐだけが残されるような重い結末になっている。
▪️道中のキャラクターも、ちゃんと濃い
本筋はかなり重いが、道中には少しおかしなキャラクターたちも登場する。
特に紹介されるのが、作中で「やべえやつ」と呼ばれるキャラクターである。
行く先々に現れ、めぐに執着し、ある日ついには「一人で家に来て」というラブレターを送ってくる。当然、ロイが一人で行かせるわけがない。めぐとロイは一緒にその家へ向かう。
そこで待っていたのは、めぐを食べようとする“やべえやつ”。しかし、こちらにはHP99,999のロイがいる。めぐをあやしながら、ロイはきっちり相手を倒していく。
こうしたサブエピソードがあることで、作品はただ泣かせるだけではなく、少し笑えて、少し不気味で、キャラクターごとの愛着が積み重なるものになっている。
▪️げらやくタイム:ロイが星になると、太陽系はどうなるのか
後半では、感動的なエンドに対して、番組らしい科学的な寄り道が始まる。
話し手が引っかかったのは、ロイが宇宙船で地球から離れ、爆発して星になる場面である。
地球を滅ぼすほどのエネルギーを持つ存在が、地球から見えるほどの距離で爆発した場合、地球は本当に無事なのか。さらに、もしロイが本当に恒星のような存在になった場合、太陽系はどうなるのか。
仮にロイが太陽の8%ほどの質量を持ち、月くらいの距離で恒星のような存在になった場合、地球はただでは済まない。重力の影響で軌道は乱れ、地球が割れる、吹き飛ばされる、太陽系全体のバランスが崩れる、といった事態が考えられる。
つまり、現実の恒星として考えると、ロイはめぐを見守るどころか、太陽系をめちゃくちゃにしてしまう。
そこで最終的には、ロイは物理的な恒星になったのではなく、魔法の力で光り続ける人工衛星のような存在になったのだろう、という解釈に落ち着く。
物語としては、ロイが星になって地球とめぐを見守っている。物理としては、太陽系を破壊しない程度によく光っている。感動と安全性の、ぎりぎりの折衷案である。
#44【対話】今回は、ノブさんが送ってくれた東京大学入学式の来賓祝辞をきっかけに、AIと人間、記憶と身体について話している回です。
ゲストはノブさん。オーディエンスには、きたこーとみちかちゃんもいます。
テーマになっているのは、劇作家・演出家・俳優の野田秀樹さんによる、令和8年度 東京大学入学式の来賓祝辞です。
今回話している来賓祝辞はこちら。
令和8年度 東京大学入学式 来賓祝辞
14分ほどなので、ぜひこの回とあわせて見てほしいです。
最初は「AIと人間の話」として始まりますが、途中から、身体に残る記憶、科学を信じること、創作の喜び、そして「自分のポッドキャストはAIに代替されるのか」まで話が広がっていきます。
▪️ノブさんが送ってくれた来賓祝辞
今回の始まりは、ノブさんがいけうちに送ってくれた一本の動画です。
以前のAIについて話した回を聞いたノブさんが、「これも興味あるかも」と送ってくれたのが、野田秀樹さんの東京大学入学式の来賓祝辞でした。
いけうちはその動画を見て、かなり強く反応します。
一晩、その祝辞のことしか考えられなかったと言うほどです。
話の内容はもちろん、語り方、ユーモアの入れ方、構成、声のトーンまで、全部が面白かったようです。
ただ真面目なだけではない。けれど、ふざけているわけでもない。
強い信念があるのに、聞き手を置いていかない。淡々と話しているのに、なぜかずっと引き込まれる。
いけうちは、その話し方そのものにもかなり感動しています。
▪️AIという「記憶の化け物」
祝辞の中で印象的に語られるのが、AIと人間の記憶の対比です。
AIは、膨大なデータを持つ「記憶の化け物」として語られます。
一方で、東大に入学する学生たちにも、ひとりひとりの人生があります。
3000人の20年分を合わせれば、6万年分の記憶になる。
ただし、その記憶はAIが持つような、整理され、磨かれ、選抜された情報だけではありません。
道端でいい感じの棒を拾って怒られた記憶。虫を捕まえて持ち帰って怒られた記憶。何の役に立つのか分からないけれど、なぜか身体に残っている記憶。
そういう、雑で、個人的で、不完全な記憶こそが人間にはある。
いけうちとノブさんは、この「道端の記憶」の話に強く反応します。
役に立つ情報だけではなく、なぜか残っている記憶がある。そこに、人間の面白さがあるのではないかという話になっていきます。
▪️人間には身体がある
この祝辞で、いけうちに特に刺さったのが、人間には身体があるという話です。
AIには新しさがある。膨大な情報もある。
でも、人間には若さがあり、老いがあり、痛みがあり、死にたくないと思う身体があります。
記憶は、ただ頭の中に保存されているものではありません。
身体に結びついている。感情と結びついている。時間と一緒に変化していく。
だからこそ、人間は何かを感じたり、判断したり、表現したりできるのではないか。
この話を聞いて、いけうちは自分のポッドキャスト活動にもつなげて考えます。
喫茶店に行く、本を読むだけでなく、どこかへ出かける。身体を移動させる。そこで何かを感じる。
その感情を持ち帰って、話して、編集して、配信する。
そういうサイクルが、自分には必要なのだと改めて感じたようです。
▪️科学を信じすぎる自分を疑う
話は、科学への信頼にも広がっていきます。
いけうちは、科学が好きです。科学は正しいものだと信じたい気持ちがかなり強いようです。
一方で、この祝辞を聞いたことで、その「科学を信じたい気持ち」自体も、一度メタ認知したほうがいいのではないかと考え始めます。
ノブさんは、科学も前提によって見え方が変わるという話をします。
アリストテレスとニュートンの話を例に出しながら、どちらかが単純に正しくて、どちらかが完全に間違っているとは限らないという話になります。
前提が変われば、正しさも変わる。
科学は道具であり、絶対的な宗教ではない。
それでも科学が好きだからこそ、自分が何を信じているのかは見ておきたい。
このあたりは、かなり知的な話をしているのに、会話としてはずっと自然に進んでいきます。
▪️原爆と、身体を持つ人間の判断
祝辞の中では、原爆の話にも触れられます。
AIが知識や効率だけで判断するなら、大きな力を持つ技術をどう使うのかという問題が出てきます。
効率や合理性だけでは止められない判断がある。
それを止められるのは、痛みを感じる身体を持った人間なのではないか。
いけうちは、その話にも強く揺さぶられています。
科学技術は好き。けれど、科学技術の先に何が起きるのかを考える時、人間の感情や身体感覚を切り離してはいけない。
知識だけでなく、身体に根づいた記憶があるからこそ、できる判断があるのだと思います。
▪️AIにポッドキャストは奪われるのか
後半では、話がいけうち自身のポッドキャスト活動に戻ってきます。
AIが進化すれば、いけうちの話し方、笑い方、関心の向き方までトレースできる日が来るかもしれない。
自分の声に似たAIが、自分っぽいポッドキャストを作る未来もあるかもしれない。
それでも、いけうちは思います。
自分がやるのが楽しい、という感覚までは奪われない。
話すこと自体が楽しい。録音することが楽しい。自分の番組を自分で聞くのが楽しい。
AIがどれだけ似たものを作れるようになっても、その「楽しい」と思う身体は、いけうち自身の中にしかない。
ここで、祝辞の「身体性」の話が、ポッドキャストを続ける理由に接続されていきます。
▪️AIには虫や枝への興味がない
AIが情報を集めることはできる。
でも、「これが気になる」「これが面白い」と身体で反応することは、人間の側に残る。
いけうちは、自分のポッドキャストの面白さも、そこにあるのではないかと考えているようです。
▪️自分の番組の一番のファンでいること
この回では、いけうちが自分のポッドキャストについて、かなり率直に話しています。
自分が聞きたいポッドキャストの1位が、自分のポッドキャストである。
少し照れるような話ですが、創作を続けるうえではかなり大事な感覚です。
誰かに評価されるから続けるのではなく、自分が聞きたいから作る。
自分が楽しいから話す。
その感覚は、AIに代替されにくいものなのかもしれません。
ノブさんが送ってくれた祝辞は、いけうちにとって、ポッドキャストとの向き合い方を考え直すきっかけになったようです。
今回話している来賓祝辞はこちら。
令和8年度 東京大学入学式 来賓祝辞
ぜひ本編とあわせて見てほしいです。
#43【対話】前回の「カレーが大好きなみちか」の話を受けて、今回はそのカレー愛がスリランカまで飛んでいった回です。
ゲストは引き続き、みちか。ゴールデンウィークに行ったスリランカ旅行について、いけうちと一緒に振り返っています。
ただの旅行記かと思いきや、話はスパイス、旅の相方、トゥクトゥク、空腹時の機嫌、そして見返りのない優しさへ広がっていきます。
カレーを食べに行ったはずなのに、最終的には「誰と旅をするか」「旅先で何を諦めるか」「知らない土地でどう強くなるか」まで話している。そういう回です。
▪️スパイスが呼んでいたスリランカ
みちかがスリランカに行った理由は、かなりまっすぐです。
カレーが好きだから。
最初はナンで食べるインドカレーが好きで、そこからスパイスカレー、ルーカレー、スープカレーへと興味が広がっていきます。
気になるカレー屋を見つけては行ってみる。どこかへ出かける時も、とりあえず近くのカレー屋を探す。そういう生活の中で、たまたま出会ったのがスリランカカレーだったようです。
日本でスリランカカレーを食べて、「こういうジャンルがあるんだ」と知る。そこから、いつか本場で食べたいという気持ちが出てきます。
航空券はゴールデンウィーク価格で、往復およそ20万円。冷静に考えれば高いです。
でも、もう飛行機を取ってしまった。そうなると、行くしかありません。
いけうちはその流れを聞きながら、「スパイスが呼んでるって思ったんだ」と受け止めます。
▪️スリランカカレーは一皿で味変できる
スリランカカレーの話では、一皿の楽しさが語られます。
ご飯の周りに、複数のカレーや副菜がのっている。ひとつずつ食べてもいいし、混ぜてもいい。野菜の漬物のようなものを混ぜることもできる。
つまり、食べながら味を変えられる。
一皿なのに、食べ進めるたびに味が変わる。混ぜ方で印象が変わる。食事なのに、ちょっとした実験のようでもあります。
ビリアニやロティ、ドーサ、紅茶、スパイスの話も出てきます。スリランカでは、食べることがそのまま文化に触れることでもあったようです。
いけうちはそこから、ビリアニは家で作ったら炊飯器が一生ビリアニになりそうだ、という方向にも反応します。
スリランカの話をしているのに、急に生活圏へ戻ってくる。この脱線も、この番組らしいところです。
▪️有名観光地より、自分の興味で旅先を決める
この回では、旅先の選び方についても話しています。
みちかにとって、スリランカは「有名だから行きたい場所」ではなく、カレーとスパイスへの興味からたどり着いた場所です。
いけうちはその感覚にかなり共感しています。
有名な観光地だから行くのではなく、自分の中にある興味に従って行き先を決める。
その土地に有名スポットがあったとしても、自分の関心と重ならなければ、必ずしも行かなくていい。
旅は、チェックリストを埋めるものではない。
何に呼ばれているのか。何を確かめたいのか。その感覚が、旅先を決めているようです。
▪️ひとり旅とふたり旅の違い
今回のみちかの旅には、会社の同僚が同行しています。
最初から強く誘ったわけではなく、「スリランカに行こうと思っている」と雑談で話したところ、その子が「行きたい」と言ってくれたそうです。
ひとりなら自由度は高い。行きたい場所だけ行けるし、興味がなければ行かなくていい。
でも、ふたりだから予定が決まる。自分だけなら選ばなかった場所にも、相手が行きたいと言ってくれたから行ける。
自由さは減るけれど、旅の幅は広がる。
ここから話は、スリランカそのものだけでなく、誰と旅をするかというテーマに移っていきます。
▪️旅の相方に必要なのは、諦めポイントの近さ
いけうちは、自分の過去の旅行を振り返りながら、旅の相方選びについて話します。
韓国旅行では、想像していた「韓国料理、コスメ、スパ」の旅ではなく、相手の目的がカフェ巡り中心だったことに衝撃を受けたようです。
広島旅行では、同行者がとにかく観光地を全部回りたいタイプで、2時就寝、4時起きのような過酷な旅になった話も出てきます。
どちらも楽しかった。けれど、かなり衝撃でもあった。
そこから、旅には相性があるという話になります。
食べる量が近い人。関心どころが似ている人。のんびりする時間も大事にできる人。
そして何より、諦めポイントが近い人。
全部やりたい人もいる。ひとつ満たされたら満足できる人もいる。暑いから今日はここまでにしよう、と気持ちよく言える人もいる。
今回のみちかの旅では、そのすり合わせがうまくできたようです。
▪️5日間でカレー10食
みちかは、スリランカで5日間に10食ほどカレーを食べたようです。
かなり食べています。
でも、同行者も「毎日カレーを食べられるなんて最高だね」というテンションで付き合ってくれたようで、その相性の良さが伝わってきます。
旅先でその土地のものを食べることは、ただの食事ではなく、文化に触れることでもあります。
いけうちはそこから、香川でうどんを1日6食食べた話にも脱線します。
小説に出てきた「口に入れた瞬間に腹に落ちている」というようなうどんの描写を確かめたくて、香川まで行った話です。
結果として、どんなにおいしくても、うどんはちゃんと噛む必要があったようです。
▪️空腹と機嫌とスニッカーズ
旅の話は、空腹時の機嫌にも広がります。
みちかは、自分はお腹が空くとイライラしてしまうと話します。
完全に空腹になってからでは遅い。けれど、次のご飯を楽しむために食べすぎるわけにもいかない。
お腹は空いている。早くカレーを食べたい。でも、相手のやりたいことも尊重したい。
誰も悪くないけれど、ちょっと頑張らないといけない時間です。
いけうちは、自分の過去の話として、空腹になると不機嫌になる相手にスニッカーズを渡していたエピソードを出します。
自分の弱点を知って、先回りしておくこと。これも、いい旅の技術なのかもしれません。
▪️トゥクトゥクと強気なマインド
スリランカの現地感が強く出ているのが、トゥクトゥクの話です。
トゥクトゥクは、現地のタクシーのような移動手段です。アプリで呼ぶこともできるし、路上で声をかけてきた運転手と交渉して乗ることもできるようです。
最初は、運転手が話しかけてくれることを世間話のように感じていたみちか。
けれど途中から、それがほとんど商売につながっていることに気づきます。
アプリで金額を確認しながら、相手の提示額と交渉する。言った金額と違うことを言われたら、ちゃんと払わないと言う。
そこでみちかは、「なめんなよ」という強気なマインドを手に入れていきます。
女性ふたり旅だからこそ、舐められないようにする。けれど、喧嘩腰になるわけではなく、現地のやり取りとして楽しんでもいる。
この交渉のたくましさが、かなり面白いポイントです。
▪️商売ではない優しさに触れる
一方で、商売ではない優しさに触れた瞬間も語られます。
道路を渡れずに困っていた時、現地の男性が「ついてこい」というように誘導してくれたそうです。
お金を求めるわけでもなく、何かを売るわけでもなく、ただ助けてくれる。
それまでトゥクトゥクの営業や価格交渉にたくさん触れていたからこそ、その純粋な親切がかなり印象に残ったようです。
この対比が、スリランカ旅行の人間模様としてかなりいい余韻になっています。
#42【対話】今回は、いけうちとスペシャルゲストのみちかが、大人になってから友達になることについて話しています。
ふたりが出会ったのは、共通の知人せーたが開いていた本をおすすめするバーの新年会。ほとんど知り合いがいない状態で、それぞれがその場に参加します。
最悪、食べて飲んで帰ればいい。そんな気持ちで行った場所で、なぜか今では月に一度くらい会い、朝からコーヒーを飲みながら何時間も話す関係になったようです。
この回には、オーディエンスとしてきたこーとノブさんも登場します。
▪️大人になってから友達になるということ
この回の大きなテーマは、大人になってからの友達作りです。
たまたま同じ場にいた人と友達になる。その不思議さについて、いけうちとみちかは出会いの記憶をたどりながら話しています。
大人になると、友達は自然発生しにくくなります。
予定を合わせるにも理由がいるし、連絡先を交換するにも少し気合いがいるし、「この人ともう一度会いたい」と思う瞬間を見逃すと、そのまま人生の脇道に消えていきます。
今回は、その見逃されがちな瞬間の振り返りです。
いけうちとみちかの関係は、ただ仲がいいというより、話し合うこと自体が遊びになっている関係に近いのかもしれません。
朝からコーヒーを飲みながら爆笑している。かなり健康的な会話量です。
▪️初対面でパンを見て「朝食」と言う人
ふたりの出会いで象徴的なのが、新年会で出てきたパンの話です。
大きな鉄板にいろいろな種類のパンが並んで運ばれてきた時、普通なら「おいしそう」と言う場面です。社会性のある大人なら、だいたいそうします。
しかし、いけうちはそこで「朝食だ」と反応します。
夜の会です。新年会です。周囲はおそらく、パンをパンとして受け止めています。
しかし、いけうちの中では、パンは突然「朝」を連れてきたらしいです。ここからすでに、会話の入口が少しずれています。
いけうちは、初対面の相手に対して、あえて少し突飛な言葉を投げることを「初手で殴る」と表現しています。
本当に攻撃しているわけではありません。相手がその変化球にどう反応するかを見る、独特なコミュニケーション方法です。
そして、みちかはその球を拾います。
引くでもなく、流すでもなく、ちゃんと反応する。その時点で、いけうちは「この人は返してくれる人だ」と感じたのかもしれません。
初対面の場でパンを朝食扱いする人と、それに乗れる人。友達の始まりとしては、かなり強いです。
▪️「来世まで祟りますね」と言って困らせる遊び
パンの話のあとにも、印象的なやり取りがあります。
いけうちは、最後のひとつを食べた人に対して、「来世まで祟りますね」というようなことを言います。
もちろん本気ではありません。初対面の相手を本当に呪っているわけではなく、ちょっと困らせて、その反応を見て遊んでいるようです。
普通なら、急にそんなことを言われた側はかなり戸惑います。食べただけなのに、来世まで話が飛ぶ。罪のサイズに対して、罰があまりにも大きいです。
けれど、みちかだったらそこで引きません。
いけうちが投げた変な球に、みちかがちゃんと反応する。ここで、ふたりの会話のルールが少しずつ成立していきます。
友達になる瞬間は変な言葉の温度が合った時に起きるのだと思います。
いけうちの冗談を、みちかがただ笑うだけでなく、自分の言葉で返していく。その往復が、この回の土台になっています。
▪️地元トークとザンギの法則
その後、話題はみちかの地元である北海道・札幌へ移ります。
いけうちは、地方出身の人が地元の話をする時、少し表情が変わることに気づいているようです。
食べ物、方言、祭り、空気感、地元のしんどさ。
そういう話には、その人自身が出やすい。
だから、いけうちは仲良くなりたい相手に、地元の話を振ることがあるようです。これは単なる雑談ではなく、相手が自分の話をしやすくなる入口です。
みちかはあとから、それがいけうちの「テクニック」だったことに気づきます。
ただし、完全な計算というより、いけうち自身が知らない土地の生活感覚を聞くのが好きなのだと思います。
北海道トークの中で出てくるのが、ザンギと唐揚げの違いです。
いけうちは、ザンギと唐揚げは何が違うのか、前から気になっていたようです。
名前が違うなら、何かが違うはず。そういう、日常のどうでもよさそうで、本人にとっては全然どうでもよくない疑問です。
みちかは、自分の感覚として、ザンギは普通の唐揚げよりも大きいと話します。
厳密な定義ではありません。北海道出身のみちかが持っている、生活感覚としての説明です。
いけうちはこれをかなり面白がります。
なぜならそれは、ネットに載っている情報というより、その土地で暮らしていた人の中に残っている情報だからです。
ザンギはちょっと大きいらしい。この知識だけで、次に北海道出身の人と話す時、またひとつ会話の入口が増えます。
▪️走馬灯に出てきたら嬉しいか
途中から、きたこーとノブさんも巻き込む形で、走馬灯の話が始まります。
テーマは、初対面の人が死ぬ前の走馬灯に出てきたら嬉しいかどうか。
みちかは、それだけ楽しかったということだから嬉しい、という立場を取ります。まっすぐです。
一方でいけうちは、初対面の記憶が走馬灯に出るということは、その後の人生でそれ以上の出来事が起きなかったようにも見える、と考えます。
急に人生全体を背負わせています。
どちらが正しいというより、視点の置き場所が違うのです。
最終的には、いけうちが「嬉しい」という感情には勝てないと認める形になります。
感情は、理由で否定できない。相手が嬉しいと言っているなら、それはもう嬉しいのです。
議論をしているのに、最後は感情の強さに着地するところが面白いです。
▪️カレーとシチューは並べられるのか
この回の大きな山場は、カレーとシチューの議論です。
カレーが出てきたことをきっかけに、いけうちはカレーとシチューを比べようとします。
いけうちにとって、カレーとシチューは並べられる存在です。どちらもご飯と食べる。どちらも似た料理として見ている。
だから、どちらが好きかを聞くことは自然な問いでした。
しかし、みちかはそこで立ち止まります。
みちかにとって、カレーはご飯で食べるもの。一方で、シチューはパンで食べるもの。
つまり、そもそも付け合わせが違う。前提が違うものは、同じ土俵で比べられない。
この「前提が違う」という返しに、いけうちは強く反応します。
普通の雑談に対して、前提条件を持ち出してくる人がいる。しかも、シチューとカレーの話で。
ここでいけうちは、みちかの理系的な考え方を発見します。
カレーとシチューという、かなり日常的な話題から、前提条件の整理にたどり着く。
しかも本人たちは、それをかなり真剣に、かなり楽しそうに話している。
このあたりに、ふたりが友達になった理由がかなり詰まっているように思います。
#41【飲酒】今回は、飲み会収録の第2本目。
元薬剤師のいけうち、産婦人科女医のぴーちゃん、経理8年目のもっつ、ホテルマンの石田の4人で撮りました。
テーマは、汗と匂いと通勤と、自分の扱いづらさについて。
最初は「最近、汗が気になる」「若い時より匂いが変わった気がする」という日常の悩みから始まり、帝王切開の手術現場、自転車通勤の恐怖、頭皮の匂い、口臭、職場の香水問題、そして発達障害と中二病の境界線まで話が広がっていきます。
話題だけ見るとかなり散らかっていますが、全体としては「自分の身体や性格を、他人からどう見られているのか気にしすぎてしまう人たちの会話」になっています。
▪️汗の話から始まる、身体への不安
今回の入口は、いけうちの「汗が臭い気がする」という悩みです。
通勤で歩いたり走ったりしたあと、会社に着いた瞬間に汗が気になる。
昔はシーブリーズを軽く使うくらいで済んでいたのに、今は汗拭きシート、制汗剤、冷感スプレーなど、出社前から対策が増えている。
そういう話から、4人で「汗そのものが臭いのか、皮脂なのか、服なのか、頭皮なのか」を雑に、でも妙に真剣に考えていきます。
ただの美容や清潔感の話ではなく、ここで出てくるのはかなり切実な自意識です。
人の近くを通った時、パソコンを覗き込んで教える時、電車に乗った時。
「自分、今くさくないか?」という不安が、日常のいろんな場面に入り込んでくる話です。
▪️産婦人科女医の手汗と、帝王切開の現場
汗の話から、ぴーちゃんの手術中の手汗の話にも広がります。
集中して作業している時や、緊張感のある医療現場では汗をかく。
その流れで、帝王切開の時にお母さんが起きていること、麻酔のかけ方、赤ちゃんの状態によって急いで出す必要があることなど、産婦人科医ならではの話が自然に出てきます。
汗の話をしていたはずなのに、急に医療現場のリアルな緊張感が差し込まれる。
くだらない雑談の中に、突然専門職の現場感が入ってくるのが、この4人回らしいところです。
▪️徒歩通勤か、自転車か。汗と通勤のサバイバル
汗対策の話は、通勤方法の話にもつながります。
歩いて会社に行くと汗をかく。
では自転車にすればいいのではないか、という話になるのですが、そこから出てくるのは都会で自転車に乗ることへの恐怖です。
自転車に乗れないわけではない。
でも、人通りの多い道、車の多い道、学生が大量に歩いている坂道、246号線のような大きい道路を走るとなると、一気に怖くなる。
「人を傷つけたくない」という気持ちが強すぎて、チャリ通がほぼサバイバルのように語られていきます。
▪️頭皮、口臭、サプライズキムチ
汗の話は、やがて頭皮の匂い、口臭、食べ物の匂いへと広がっていきます。
朝シャンしないと不安。
ドライシャンプーに頼っている。
人に近づいた時に、自分の頭皮がどう思われているか気になる。
でも同時に、他人も意外と臭いと分かると少し安心する。
このあたりの会話は、かなり生々しいのですが、妙に共感もあります。
誰もが清潔でいたいと思っている一方で、身体はどうしても生活の匂いを持ってしまう。
そのどうしようもなさを、4人で笑いながら共有している感じがあります。
さらに、昼に食べたキムチが時間差で口の中に戻ってくるような感覚を「サプライズキムチ」と呼び始めるなど、匂いの話はどんどん言葉遊びになっていきます。
▪️匂いはデュエルになる
中盤では、満員電車や近距離での頭皮問題が、なぜか遊戯王のようなデュエルとして語られていきます。
誰かの頭皮を嗅がされる。
こちらも自分の頭皮で応戦する。
「俺のターン」「ドロー」「ターンエンド」のようなノリで、匂いの押し付け合いがバトル化していく。
もちろん現実には何も解決していないのですが、不快な日常を大げさなバトル表現に変換することで、話が一気にくだらなくなっていきます。
▪️職場の香水問題と、匂いを指摘する難しさ
後半では、自分の匂いだけでなく、他人の匂いにどう向き合うかという話になります。
職場の人の香水が強い時、本人に直接言うべきなのか。
上司や人事に相談した方がいいのか。
香水は好みの問題でもあり、身体に近い話でもあるため、かなり触れにくい。
ここでは、過去に香水を「くさい」と言ってしまったことで、相手から強めの反撃を受けたエピソードも出てきます。
笑い話として語られていますが、根っこには匂いの問題は、言う側も言われる側も傷つきやすいという難しさがあります。
▪️発達障害なのか、性格なのか、ただのサボりなのか
さらに話は、いけうち自身の「整理整頓や管理が苦手」という悩みに移っていきます。
データを集めることはできる。
でも、それを整理して、根拠として使える形にまとめるのが苦手。
仕事で求められる管理や整理整頓に対して、自分は発達障害的な特性があるのではないか、という話になります。
ここでぴーちゃんたちは、かなり容赦なく切り込んでいきます。
「病気というより、できるのにやっていないのではないか」
「中学の頃からそうだった」
「中二病や反抗期っぽさもあるのではないか」
というように、長年の関係性があるからこその辛辣なツッコミが入ります。
ただ、これは単に否定している会話ではありません。
何でも病名にして安心することと、苦手さを現実的に改善することは別という話でもあります。
自分の困りごとに名前をつけたい気持ちと、でも結局やるしかない現実。その間を、かなり雑談のテンションで行き来しています。
▪️この回で話していること
・仕事中や通勤中に汗をかくことへの不安
・若い頃とは違う体臭や皮脂臭への戸惑い
・自転車通勤への恐怖と、都会の道を走る難しさ
・頭皮、口臭、キムチ、香水など、匂いにまつわる日常の地獄
・匂い問題を遊戯王風のデュエルにしてしまう中二病ノリ
・職場で他人の香水がきつい時、どう伝えるか問題
・発達障害、怠惰、性格、中二病の境界線についての身内会議
今回の回は、汗と匂いの話をしているようで、実はかなり「自意識」の話です。
自分は臭くないか。
人に迷惑をかけていないか。
職場でどう見られているのか。
自分の苦手さは病気なのか、性格なのか、ただの甘えなのか。
そういう、普段はあまり口に出しにくい不安を、4人でかなり笑いながら話しています。
きれいな結論が出るわけではありません。
でも、誰にも言えない小さな恥ずかしさや、自分でも扱いづらい悩みを、ここまで笑いにできるのは友人同士の雑談ならではです。
汗が気になる人、通勤だけで一仕事終えた気持ちになる人、口臭や頭皮が不安な人、自分の扱いづらさに名前をつけたくなる人。
そんな人には、どこかで身に覚えのある回かもしれません。
#40【飲酒】※食事中の方は、いったん再生を止めることをおすすめします。
今回のエピソードでは、嘔吐物・排泄物に関する話題がかなり直接的に出てきます。苦手な方、体調が不安定な方、きれいな気持ちでごはんを食べたい方は、タイミングを改めてお聴きください。
今回は、元薬剤師のいけうち、産婦人科女医のぴーちゃん、経理8年目のもっつ、ホテルマンの石田の4人でお届けする飲み会収録回です。
第40回にして、なぜこのテーマを選んだのか。
お酒とごはんを前にしながら、4人で「食事中にされてきついのは、ゲロとうんちのどちらなのか」について喋っています。
かなり最低なテーマではあるのですが、話している本人たちは妙に真剣です。
もらいゲロのしんどさ、においへの耐性、職業柄の慣れ、衛生面への想像、食卓との相性の悪さ。
くだらない二択を、なぜかそれぞれの人生経験と職業感覚を持ち寄って考えている回です。
▪️職業がバラバラすぎる4人の飲み会
今回の登場人物は、元薬剤師、産婦人科女医、経理、ホテルマンという、全員の職業が見事にかぶらない4人です。
医療現場を知っている人、数字や実務に強い人、ホテル業で人をもてなしている人。
普段なら清潔感や冷静さが求められそうな人たちが集まって、なぜか食事中に一番してはいけない話をしています。
きちんと構成されたトークというより、飲み会のテーブルにマイクを置いたら、そのまま録れてしまったような会話です。
自己紹介をしながら食事が進み、ビールを取りに行き、乾杯をして、誰かがマイクを気にして、誰かが話を脱線させる。
その場の空気ごと録れているのが、今回の特徴です。
▪️食事中に気まずいのは、ゲロか、うんちか
メインテーマは、「食事中に目の前で起きたら、ゲロとうんち、どちらがよりしんどいのか」という究極の二択です。
いけうちは、もらいゲロへの警戒心から、かなり早い段階でゲロの方が無理だと話しています。
一方で、うんち派の意見としては、食卓にあること自体の破壊力や、大腸菌・食中毒・衛生面を想像してしまうしんどさが出てきます。
ただの下品な話で終わらないのは、それぞれが「なぜ自分はそれを無理だと思うのか」を自然に分解しているところです。
見た目が無理なのか。においが無理なのか。連鎖して自分も吐きそうになるのが無理なのか。理屈で考えて危ないから無理なのか。
どうでもいい話のはずなのに、だんだん判断基準が細かくなっていきます。
▪️ぴーちゃんが語る、壮絶な「ゲロの海」
途中では、ぴーちゃんが学生時代のかなり壮絶な介抱エピソードを話しています。
バレー部のマネージャー時代、飲み会で男子トイレが大変なことになり、そこに当時の彼氏や同期たちが次々と巻き込まれていく話です。
状況としては相当ひどいのですが、話し方の勢いと、周りのツッコミと、なぜか頼もしすぎる部長の対応が重なって、ただ汚いだけではないエピソードになっています。
この話は、「人が本当にどうしようもない状況になった時、なぜかめちゃくちゃ頼れる人が現れる」という話でもあります。
酔っているはずなのに片付け始める部長、泣きそうになるぴーちゃん、どうにもならない現場。
聞いていて汚いのに、少しだけ青春っぽさも混ざっているのが不思議です。
▪️医療職っぽい視点と、ただの生理的嫌悪が混ざる
今回おもしろいのは、話題そのものは最低なのに、ところどころで医療職っぽい視点が混ざるところです。
産婦人科女医のぴーちゃんは、仕事柄、排泄物や手術中の出来事にまったく縁がないわけではありません。
元薬剤師のいけうちも、身体の反応や衛生面の話には自然に触れます。
その一方で、結局は「でも無理なものは無理」という生理的な話に戻っていきます。
知識があるから平気、というわけではない。
現場経験があるから全部受け止められる、というわけでもない。
頭では分かっていても、身体が拒否するものがあるという話を、かなりくだらない形で喋っている回でもあります。
▪️「え、お」という謎の擬音と、言葉で遊び始める4人
会話の途中では、嘔吐の音をどう表現するかという流れから、「え、お」という謎の擬音が生まれます。
そこから、ローマ字にしたら「E O」でおしゃれなのではないか、カフェの名前みたいではないか、どこかの国の挨拶みたいではないか、という方向に話が転がっていきます。
汚い話をしているはずなのに、途中から言葉の響きで遊び始める。
こういう、くだらない連想がどんどん横に広がっていく感じも、今回の飲み会回らしいところです。
▪️北海道土産、JJ、少女時代、そして脱線
後半は、北海道土産のホタテのひもを食べたり、お酒の紹介をしたり、話題がどんどん飲み会らしく脱線していきます。
この日のお酒は、ビールとJJ。
そこからなぜか少女時代の話になり、曲の話になり、またお酒の話に戻ります。
本筋だけを追うとかなりひどいテーマなのですが、実際には友人同士がごはんを食べながら、話題を飛ばし続けている時間を聴いている感覚に近いです。
ゲロとうんちの話をしていたはずなのに、いつの間にかホタテのひもを食べ、JJを紹介し、少女時代を思い出し、塩焼きそばや卵料理の話をしている。
話がまとまらないこと自体が、かなり飲み会らしい回です。
▪️今回の聴きどころ
・職業がバラバラな4人が、なぜか最低な二択を真剣に考えているところ
・「上品な女医」ぴーちゃんの肩書きと話している内容の落差
・もらいゲロ、におい、衛生面など、判断基準が妙に細かくなっていくところ
・壮絶な話なのに、どこか青春っぽさもある「ゲロの海」エピソード
・汚い話から、言葉遊びや音楽の話に脱線していく飲み会感
・生活音、笑い声、食べている気配まで含めた、かなり生っぽい収録の空気
第40回にして、かなり人を選ぶ回です。
でも、くだらないことを大人が真剣に話す時間には、妙な豊かさがあります。
きれいな結論が出るわけではありません。
ただ、「こんなことを4人でここまで喋れるのか」という、飲み会ならではの勢いがあります。
食事中の方は本当に注意しつつ、タイミングの合う時に、4人の混沌とした飲み会トークをお楽しみください。
#39【ひとり回】今回は、3つのお知らせと、朝井リョウさんのエッセイ集『風と共にゆとりぬ』について話している回です。
前回まで「ハキヤク」として配信していたこの番組ですが、第39回からは「げらやく」になりました。
「ハキハキ喋る元薬剤師」よりも、「ゲラゲラ笑う元薬剤師」のほうが実態に近いのではないか。
38回分録ってみて見えてきた、自分の話し方や番組の空気をもとに、番組名を「げらやく|ゲラゲラ笑う元薬剤師の雑談日記ポッドキャスト」に変更した、というお知らせから始まります。
▪️番組名が「げらやく」になりました
冒頭では、番組名変更について話しています。
一人で喋り、一人でツッコミ、一人で笑っている。
そんな自給自足感も含めて、「ハキヤク」より「げらやく」のほうが今の番組らしいのではないか、という話をしています。
▪️トップ画像とステッカーができました
番組の新しいトップ画像とステッカーについても話しています。
イラストを描いてくれたのは、らいちゃん。休日にDiscordをつないで、画面共有しながら8時間ほど一緒に作業してもらい、新しいアイコンとステッカーの制作が進んでいきました。
もともと使っていた黒ギャルのアイコンも可愛かったのですが、実際の番組内容は、一人で喋り、一人で笑い、急に本や仕事や人生の話をし始める雑談ポッドキャストです。
より「いけうちという概念」に近いアイコンを作ってもらった話をしています。
このパートでは、らいちゃんがパワポで作ってくれたラフに衝撃を受けた話や、iPadで絵が仕上がっていく職人技に圧倒された話をしています。
色の組み合わせ、デフォルメの仕方、本人らしさの落とし込み方。さらに、キラキラするステッカーを3種類発注したことも報告しています。
▪️RSS連携で、いろんな場所で聴けるようになりました
3つ目のお知らせとして、RSS連携についても話しています。
これまでSpotify中心で配信していた「げらやく」ですが、Amazon Music、Apple Podcast、YouTube Podcast、Castbox、Pocket Castsなどでも聴けるようになりました。
Spotify側で発行されたURLを各プラットフォームに登録すると、番組名や音声データが連携され、配信先が広がっていく。
「何が起きているのか完全にはわからないけど、すごい仕組みだ」という驚きも含めて、ポッドキャストを育てている近況報告になっています。
▪️朝井リョウさんのエッセイ、2冊目に突入しました
ここから本題です。
前回のひとり回では、朝井リョウさんのエッセイ集『時をかけるゆとり』について話しました。
今回は、その続きとして第2弾のエッセイ集『風と共にゆとりぬ』について話しています。
1冊目は、街で変な人に絡まれ続けるエピソードの破壊力が印象的でした。
一方で『風と共にゆとりぬ』では、朝井リョウさん自身がコンフォートゾーンを抜けて、いろいろな体験に飛び込んでいく面白さがあります。
今回特に話しているのは、朝井リョウさんの「ネガティブの力」です。
本人はかなりネガティブな人として描かれているのに、なぜこんなにも面白い文章が生まれるのか。
自分で笑って進んでいく自分とは感覚が違うからこそ、そのネガティブさが燃料になって、笑いや観察や言葉に変換されていく感じが面白い、という話をしています。
▪️贈り物に「わさび5本」と「オクラの模型」を選ぶ人
『風と共にゆとりぬ』の中で、特に印象に残ったエピソードとして、「大好きな人への贈り物」の話を紹介しています。
舞台などに関係者として招かれたとき、差し入れに何を持っていくか。
無難なものではなく、その人が本当に好きなものを渡したい。
その結果、ある人には、好物だと知った「わさび」を5種類そろえて差し入れする。しかも、いろいろなスーパーを回って足で集めたわさびです。
さらに別の相手には、「オクラが好き」という情報をもとに、なぜかオクラの置き物を探し始めます。
そしてたどり着くのが、名古屋の教材メーカーが販売していた、オクラ模型の色彩教材。
色の違うネットをオクラ模型にかぶせ、どの色が一番オクラを新鮮に見せるのかを体験できる実験キットです。
この話をきっかけに、プレゼント選びの難しさについても話しています。
欲しいものなら本人がもう買っているのではないか、と考えすぎるとプレゼントはどんどん難しくなる。
でも、「オクラが好きらしい」から「オクラの置き物を探す」くらいまで飛んでもいいのかもしれない、という自由な贈り物の考え方に触れています。
▪️オクラのネットから、信頼の作り方を考える
オクラ模型の実験キットから、話は「同化体験」へ広がります。
緑色のネットに入ったオクラが、より鮮やかで新鮮そうに見える。
周囲の色に本体の見え方が引っ張られることで、実際以上においしそうに見えるという話です。
この話から、スーパーの入り口に青果売り場がある理由を思い出しています。
野菜や果物のように鮮度管理が必要なものを入口に置くことで、「この店はきちんと管理されている」という信頼感が生まれる。
新鮮な青果は、単に商品として売られているだけではなく、店全体への信頼をつくる役割も持っているのではないか、という話です。
そして、その考察は番組のトップ画像にもつながっていきます。
可愛いアイコンは、ただ可愛いだけではない。
初めて番組を見る人に対して、「この番組はちゃんと作られている」「入り口が整っている」と感じてもらうための青果売り場のようなものでもある。
らいちゃんが作ってくれたトップ画像によって、番組が信頼を借りているのではないか、という話をしています。
▪️ビーチバレーに行く朝井リョウさんが面白すぎる
続いて話しているのが、朝井リョウさんのビーチバレーのエピソードです。
男4人でビーチバレー大会に出ようとしたものの、当日の朝に1人が寝坊。受付では「お腹が痛くてトイレに行っている」とごまかし、なんとか参加しようとします。
しかし、試合直前に「今起きた」と連絡が入り、絶対に間に合わないことが判明。
そこから海岸にいる人たちに片っ端から声をかけて、代わりに出てくれる人を探すことになります。
最終的に頼ることになるのが、最初に嘘をついた受付のおばちゃん。
しかもそのおばちゃんが、誰よりもビーチバレーがうまい。
「ちゃんと練習してきたの?」と怒られながら試合に出る流れが、あまりにも出来すぎていて笑ってしまう、という話をしています。
この一連の流れから、朝井リョウさんの「体験に飛び込む力」と「それを構成して笑いにする力」について話しています。
▪️「物語を必要としない人たち」と「物語に居場所を求める人たち」
最後に、この回で一番深く刺さった部分として、バレーボールサークルの話から広がる「物語と現実」の対比について話しています。
出版業界にいると、本や漫画、映画、ドラマなど、何らかの物語に救われた人たちと話すことが多くなる。
すると、まるで世の中の全員が物語に救いを求めているかのように思えてしまう。
でも、実際には、本や物語を必要とせず、目の前の現実を楽しんでいる人、現実そのものに必死になっている人がたくさんいる。
この一節を読んで、自分自身はかなり「物語に居場所を求めてきた側」だと感じた話をしています。
漫画、ブログ、ポッドキャスト、誰かの言葉、誰かの人生相談。
現実がしんどいときほど、言葉や物語の中に居場所を探してきた。
一方で、目の前のボールを追いかけている人たちがいる。
空想や物語ではなく、今ここにある現実に一生懸命な人たちがいる。
どちらが良い悪いではなく、ただ住んでいる世界や、心地よくいられる場所が違うのかもしれない。
今回は、朝井リョウさんのエッセイをきっかけに、贈り物、色彩効果、信頼の作り方、ビーチバレー、そして物語と現実の違いまで、かなり自由に話が広がっていく回になっています。
『風と共にゆとりぬ』が面白すぎて、今回だけでは話しきれませんでした。
たぶん、また続きを録ります。
朝井リョウさんのゆとりエッセイ、あと1冊で終わってしまうのがすでに寂しいです。
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