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古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。※RKBラジオで毎週日曜21時30分から放送(毎年10月~3月)出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター)番組ホームページ https://rkb.jp/radio/kodai/https://listen.style/p/kodai?IfTqat2t... more
FAQs about 古代の福岡を歩く:How many episodes does 古代の福岡を歩く have?The podcast currently has 288 episodes available.
October 26, 2019S5 4回目は梅花の宴の主催者大伴の旅人の話。梅花の宴を主催した大伴の旅人はしばしば香椎宮へでかけています。そして、香椎潟で歌を詠んでいます。「いざ児ども 香椎の潟に白妙の そでさへぬれて 朝菜摘みてむ」皆で海藻をつもうよという歌ですが、この海藻は玉藻のことです。玉藻はホンダワラ科のアカモクやヒジキのこと、これは玉がついた海藻です。ここ香椎潟は神功皇后が禊ぎをしてし新羅へ向かったところでも知られています。玉藻刈りで有名なのは和布刈神社の和布刈神事。旧暦の正月に潮が引いた時に和布を刈って神に奉納します。これは安曇の磯良が神功皇后に潮満つ珠と潮干る玉の秘宝を授けたときの神事を残したものと云われるとか。こういう神事を旅人はちゃんと知っていて香椎潟で玉藻刈りをしたのでは、ということです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
October 19, 2019S5 3回目は梅花の宴の主催者大伴旅人の話です。梅花の宴の主催者は大伴旅人。今週は旅人の話を「神功皇后伝承を歩く」の著者綾杉るなさんに伺っていきます。旅人は720年に隼人の抵抗を鎮めるため南九州へやってきています。大宰府はその7年後の727年に大宰府の長官「大宰の帥」として赴任してから。妻の大伴郎女も一緒でしたが、翌年亡くなってしまいます。憔悴しきった旅人は二日市温泉で心と体を休めますが、この時悲しい気持ちを歌にして残しています。また、旅人は酒におぼれ、回りの人が忠告するのも聞かず、この頃酒壺になってしまいたい。酒にどっぷり浸かってしまいたい、といった歌も残しているそうです。そして、梅花の宴が開かれたのは730年のこと。旅人66才の時でした。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
October 12, 2019S5 2回目も太宰府を歩いています。令和にちなんで太宰府から歩いています。太宰府といえば「遠朝廷」と言われている場所ですが、この言葉を初めて使ったのがのが柿本人麻呂だとか。そして、「都府楼」は菅原道真の不出門という詩の中で初めてでてくる言葉だそうです。その都府楼は三期に分けて作られました。現在都府楼跡にあるのは三期の礎石だそうです。その都府楼跡の東の方にあるのが蔵司。昔、九州各地から税を集めたところだとか。小さな丘になっています。ここから北の方に延びる延長線上に坂本八幡宮があります。ここは、梅花の宴が行われた大伴旅人の屋敷が近くにあったのでは、と見られる場所です。旅人の歌にしばしば登場する岡という言葉がこの蔵司からのびる岡ではないかと考えられているからです。梅花の宴が行われた場所の候補が3つあります。そこを探してみるのも面白いと思います。※写真は坂本八幡神社の御朱印 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
October 05, 2019S5 1回目は大宰府を歩きます。今年5月から令和の時代が始まりました。その令和は太宰府の梅花の宴で歌われた万葉集の序文から令和という言葉がとられました。そこで、シーズン5はその舞台になった太宰府市都府楼にある太宰府展示館からスタートします。ここにはすっかりテレビでおなじみになった梅花の宴の模様を再現したジオラマがあります。このジオラマは随分前からここに飾ってあったんですが、令和の報道で一躍脚光を浴びました。この展示館で注目されるのは奥の地下にある溝の一部です。ガラスを通して見ることができます。梅花の宴が行われた旅人の屋敷はどこか、が話題になっていますが、それを探るヒントがこの溝にあるのです。古都大宰府保存協会の学芸員、田中健一さんの話では、ひょっとすると、この溝は曲水の宴が行われた溝かもしれない、という話でした。そうなれば近くに旅人の屋敷が?興味ある話です。そして展示館となりの敷地にはそれらしき建物跡もあるのです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 29, 2019S4 26回目はシーズン4の最終回となります。最終回は宗像市と福津市の世界遺産「神宿る島・宗像・沖ノ島と関連遺産群」の現状と今後について、担当者から話を伺いました。注目される古墳がありました。それは関連遺産群の一つ新原・奴山古墳です。ここでは15号墳と隣の19号墳の発掘調査が行われています。15号墳は円墳とみられてきましたが、墳丘の回りの溝の発掘調査で分かったのは溝が円形になっておらず、途中で切れているということです。つまり、これは円墳ではなくひょっとすると前方後円墳ではないかと推定されることです古墳の序列からいきますと、円墳より前方後円墳の方が上となります。従って被葬者の身分も高くなるのでは、と考えられます。今回がシーズン4の最終回です。次は10月からのシーズン5をお楽しみに。※写真は15号墳の発掘調査。溝の部分は土の色が変化しています。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 22, 2019S4 25回目は神功皇后の田油津姫討伐の後の足跡を神社から辿ります。神功皇后伝承を歩くの著者、綾杉るなさんの話では神功皇后は田油津姫討伐の後佐賀へでています。杵島郡石崎という所に古代の港がありここへ皇后軍が着岸したらしいということです。ここには山惣という武内宿禰の居城があるとか。ここでは大鷹・小鷹に占拠されていたため戦になったそうです。この後、神功皇后は玉島川でアユ釣りで占いをし、見事アユを釣りあげることになります。そして、糸島半島を巡幸することになります。糸島市二丈にあるのが鎮懐石八幡宮。ここには神功皇后が新羅へ出兵するときに立ち寄り、石をふところにいれ出産が遅れることを祈願しています。神社の近くにはこぶし大の石ころが今でもたくさんあります。綾杉さんの話は今回はここで終わり、続きは10月からのシーズン5で、となります。ご期待下さい Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 15, 2019S4 24回目は神功皇后の足跡を辿ります。今週は「神功皇后の謎を解く」の著者、河村哲夫さんの話です。神功皇后は秋月を拠点にした羽白熊鷲を討伐し、宝満川を下り、こんどは田油津姫を討伐に行きます。田油津姫はみやま市の女山を拠点にしていました。神功皇后一行は宝満川から筑後川へ出てさらに南下して矢部川へ出ます。そして鷹尾神社付近に拠点を設け本格的な軍事行動を開始します。そして、女山付近で田油津姫を討伐。伝承では蜘蛛塚が田油津姫の墓だといわれているそうです。この後佐賀駅の裏にある堀江神社付近に上陸し、今度は嘉瀬川を上っていきます。そして途中から玉島川を下り唐津の方へとぬけていきます。その後は呼子まで行って香椎宮へと引き返すのです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 08, 2019S4 23回目も太宰府の水城を歩きます。水城の東門から土塁に沿って歩いていきますと御笠川にぶつかり、土塁が切れているところがあります。ここはどうなっていたのか、はっきりしたことは未だ分からないそうですが、川から出てきたものに塼(せん)という長方形の瓦が出てきたり、鬼瓦が出てきたりしています。それに、近くに古門畑という地名があるところから水門があったのではないかともいわれているそうです。そして、ここから500メートル程下流に老松神社があります。ここには平安時代には水城の渡しという船着き場があったということでした。恐らく道真公もここから船を下り、東門へ歩いていったのであろうということでした。御笠川で分断されたところから西門までは川を渡らなけれがいけません。かなりの回り道を歩きます。西門からはかつて10メートル近くの幅の道が鴻臚館へまっすぐ延びていたということでした。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
March 01, 2019S4 22回目は太宰府の水城を歩きます。水城は663年の白村江の戦いで敗れた日本へ唐と新羅が攻めてくるのでは、ということで急遽作られた防衛の為の施設。土塁の長さは1200メートル。高さは10メートル近くあり、博多側に幅60メートル程の壕が造られ、敵が渡ってこないよう水が蓄えられていました。そして、門が東門と西門の二カ所に造られていました。東門は現在県道が横を走っており、交通量が多く昔から交通の要衝だったということでした。土塁の東門近くの地下には壕に水をひくための木樋が埋めてあります。木樋の長さは80メートル程あるそうです。土塁は木の葉などを敷き詰めて作る敷そだ工法や、柔らかい土や固い土をつき固めて造る版築工法などで極めて頑丈にできています。東門から土塁の下を歩いて西門の方へ行きますと途中御笠川とぶつかります。ここにもいろんな話が残っていました。次回はここから歩きます。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
February 22, 2019S4 21回目も梅が見頃を迎えている太宰府天満宮を歩きます。先週は参道のつきあたり、延寿王院まで歩きました。つきあたりを左折したところに古い鳥居が建っています。柱と柱の間には5円玉や10円玉がたくさん挟んであります。この鳥井は700年前の南北朝時代に建てられたものだそうで、何でも九州で一番古い鳥居だとか。鳥居をくぐると過去・現在・未来を表した太鼓橋がでてきます。その真ん中の平橋にあるのが志賀社といいます。建物は1458年に建てられたものだそうで天満宮にある建物で一番古いのだそうです。楼門の手前に麻生太吉さんが奉納した石灯籠があります。太吉さんは茶店の評判の美人だったおいしさんに惚れ、おいしさんが茶店に通うのに山越えは大変だろうと掘ってあげたのがトンネル。今でもちゃんと残っています。太宰府天満宮、古代から現代まで様々な面白い話がたくさん残っています。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more32minPlay
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