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全世界が混乱し、何が何だか分からない状況にあります。混乱こそ、悩みの原因であると、先々週のポッドキャストで話しました。今、本当に何がどうなっているのか、分からないので、不安になるのも当然です。
しかし、それらから目を逸らせというのではなく、それらをしっかりと見据えながらも、それ以上に神様と繋がることが、もはや絶対的に不可欠であると言えます。
逆説的ですが、僕の場合、この事態になったおかげで、神様を真剣に求めるようになれました。そして、まさにそのおかげで、今までに味わった事の無い、幸福感に満たされています。
激動の世の中を生きています。単に変動が激しいだけでなく、邪悪さが噴出してます。悪魔がその姿を隠さずに人類を滅ぼそうとしているようにさえ見えます。
そこから目を逸らして、見なかったようにする事は出来ません。戦わなくてはなりません。同時に、自分の心を守る方法も心得ておく必要があります。悪い情報ばかりに浸っていると、悪い影響を受けてしまいます。
いつも自分が帰る場所、隠れる場所、安全な場所が必要です。それは神様との交わりの時間です。どんな時も神様と繋がっている事が理想ですが、仕事中はそうもいきません。だからこそ、1日の中で神様と会って話す時間を作る事が必要です。
「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)
考えるのをやめて、神様のみわざを感じれば、感謝が湧いて来るでしょう。
感謝は喜びとなり、主を喜ぶ事はあなたの力です、というみことばに帰るでしょう。
そしてその喜びのループにあなたはい続けるべきなのです。
そしてあなたは自分の心を、そのループの中に置く様に守らなくては行けません。
僕の毎日はとても素朴なものですが、そんな中でとても幸せな気分を味わいながら過ごしてます。
もちろん世の中を見れば、酷いニュースばかりです。
僕はそれらから目を逸らしてはおらず、むしろしっかり向き合ってます。
だからこそ、自分の心を見張る事の重要性を感じ、色々と工夫、努力するようになりました。
おかげで神様と繋がる事の喜びと幸福感が、今までとは比べられないほど大きくなりました。
クリスチャンになって41年が経ち、それでなお、そのように感じられる事が、本当に嬉しいです。
みなさん、神様は真実なお方です。
この神様との聖なる交わりの幸福感が、あまりにも素晴らしいので、無駄な思考が湧いてくると「今、それは必要なし」と排除するようになりました。
つまり、無駄な思考をする習慣の代わりに、神様と交わる習慣となったのです。
そうです。悪習慣というのは、別の習慣によって置き換えてやらなければ、なかなかやめられないのです。
悪習慣よりも、ずっと健康的で、それでいて人生で最も大切な、祈り、神様との交わりをするならば、素晴らしい幸福感に満たされます。
我々が神様に努めて繋がろうとするなら、神様は我々にご自身を表して下さいます。
どんな状態にあろうとも、今ここで神様と繋がり、嫌な感情や思考は一旦傍に置いて、神様を礼拝しましょう。
そのためには、毎日、神様と二人っきりになって、静まる時間を持ちましょう。
これが幸福を感じるための必要条件だと思います。
その時間を可能な限り増やしましょう。
その幸福感を味わう事が出来れば、自ずとそうしたくなるはずです。
あなたが一人になれる場所、時間を考えてみてください。
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
つまり、神様との良い関係を、まず第一に求めなさい、そうすれば必要なものは与えられます。将来の心配をしてはいけません、労苦はその日その日に十分あります。神様はその日を一生懸命生きる事だけを要求しておられ、あなたにはその力が与えられてます。それ以上は求められていませんし、それをすれば心配の種が尽きる事がないでしょう。
神様の助けに信頼する事を学びましょう。
それを学ばない人は、自分の力に頼り、ますます心配が増して行くでしょう。
神様に信頼する人は、自分の力に頼らず、ますます神様に信頼して行くでしょう。
人の努力は、やろうと思えばどこまでもやってしまいます。
それができるのは素晴らしい事に見えますが、心配によって駆り立てられるのであれば、悪いサイクルにハマってしまいます。
毎日のできる分だけ、明日は明日に、としっかり区切って、神様の助けを仰ぎながら進むのです。
こんにち、どれだけ多くの人が心を病んでいる事でしょう。
少なからず、神の助けを知らず、全てを自分の手でやろうとしている事が原因にあるかと思います。
神の助けはあるという事、神はその日その日の労苦だけに集中する事を要求している事、それ以外は心配するなと教えています。
だから人間の側としては、それに従い、まず神様との正しい関係を一番大切にし、その上で、毎日の仕事だけに集中する。それが謙虚で正しく、神様の目に叶った生き方だと言えます。
神様はあなたを最高傑作として作られました。
その事が聖書に書かれています。
エペソ2章
10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
私たちは神の作品である、と書かれています。
作品とは、アーティストが丹念に目的を持って作ったものを、作品と呼びます。
製品ではありません。
製品はデザイナーがデザインしたものを、工場などで大量生産します。
それは売り物です。
出来るだけコストを抑え、利益を追求します。
作品も売り物になりますが、唯一無二のものです。
そして通常、その価値は高いのです。
コストを抑える事も考えますが、完成させる事が優先されます。
それは作者の意図を余すところなく表すものです。
人に理解されなくても、作者のメッセージが込められています。
聖書には、あらかじめ良い行いを備えて下さった、と教えています。
我々は製品ではありません。
どれも同じ、いつでも替えが効くもの…ではありません。
唯一無二の作品であり、神様が丹念に目的を持って作られたのです。
人生の目的は、作者である神様のもとにあります。
だから作られた作品は、自分で存在意義を知る事よりも、作者に尋ねるべきなのです。
第1ヨハネ4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
第一コリントへの手紙13章には愛について書かれてます。イエス様がどんな方か知りたければ、この箇所をよく読むと良いです。このような方であり、イエス様は私とあなたに、このような姿でこのような愛で接して下さるというのです。
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のしたあくを思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
御子イエス様は、父なる神の完全な現れだというのです。父なる神様を肉眼で見る事は不可能です。だからこそ、人間の姿をとって、我々にわかる形となってイエス様が来てくださいました。
ヘブル人への手紙1章
3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます
イエス様ご自身も、十字架にかかられる前、最後の晩餐の時に、皆にこう明かされました。
ヨハネによる福音書14
8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。
つまり父なる神様も、同じ愛なる方であるというのです。
僕は決してまともなクリスチャン生活をしてきた訳でなく、右に左に外れながら、上がったり下がったりしながら、それでも神様を信じ続けて来ました。弱い自分を神様は助けて下さるだけでなく、訓練を施して、成長できるようにして下さいました。
それが一番大きな慰めと言えます。いろんな場面で、いろんな助けを受けて来ましたが、それだけではなかったのです。同じ過ちを繰り返すうちに、神様は懲らしめという名の訓練を下さいました。それは本当に辛く、苦しい体験なのですが、神様と共に歩むうちに、乗り越えさせてもらえるのです。
そして振り返ると、父なる神様としての、本当のお父さんとしての愛を見るのです。
それが分かった時、いつしかその苦しかった時は、人生のハイライトともなりました。
でも、本当はそのお父さんの愛に気づくのは、実は苦しみの中で、既に感じているのです。
辛い状態は続くけれど、その中でもがきながら、神様の愛を知るのです。
そうすると問題は問題で嫌ですが、それもまた良しというか、いつか良くなると確信が持てます。
情けないかな、問題がなければ、神様を頼ろうとしない自分なのです。
そんな事を重ねながら、今では、問題があってもなくても、神様と共に毎日を過ごすようになりました。
そしてここに辿り着けた事を、本当に感謝しています。
困った時の神頼みでなく、ただ一人の息子として、いつも神様の家で過ごしたいという感覚です。
そういう状態でいられる事が、本当に大きな慰めです。
人生で色んな失敗をして、後悔だらけの人生ですが、そこにはまた、神様の恵みと憐れみも沢山あった事を見いだすのです。
ヨハネ3章
1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」
10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。
11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。
12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
今日はこの箇所から、新しく生まれる事について話しました。是非、聴いてください!
旧約聖書を読む時、これはただのイスラエルの民族史ではないと思いました。
なぜなら赤裸々に恥ずかしい事が書かれているからです。
例えば、ダビデ王の失敗などは、イスラエルの最大のヒーローであるにも関わらず、部下が戦争で戦っている間に不倫してしまい、妊娠した事が分かると、部下に知られたくないので、最前線に出して殺してしまいました。
ダビデ王の最大の汚点ですが、それを隠さずに挿入しています。さらにそこから、ダビデ一家は転落していきます。
その中身も非常にドロドロしたものですが、それを敢えて残す所が凄いと思います。
真実であるにはあまりにも不都合な情報です。イスラエル民族の恥を残すのはなぜでしょうか?意味がないと思うのです。
僕はドロドロした聖書を読み、最初は気が乗りませんでした。
さらに読み続けるうちに、これは自分の人生を表している、と思えるようになったのです。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」ヘブル人への手紙11:6
天地万物の創造主、あなたを造られた方、そしてその方は善なる方であり、あなたを愛していると聖書は教えています。あなたの身代わりに死ぬというほどの方です。そんな方がどこにいるでしょうか?そんな素晴らしい方が神様なのです。その方に全幅の信頼を寄せて、毎日共に暮らすという関係、それを神様の方があなたに求めているのです。そして、それに応答して歩む時、神様は報いて下さると約束しています。
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