本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3qzl7gs
(今回のメンバー:キョン、やすお、ナル、ソキウス)
今回は、前回( https://spoti.fi/3IzdzRn )から続く「イントロクイズと批評」回の後半。
前半の対話で見え始めた各々の批評観を「新しい地図」によってより明確にさせ、それを基にイントロクイズの場における「解説/フォロー」行為の話へ繋げていきます。
前回例に出した「ラーメン」や「お笑い」などといった、芸術作品だけに限らない様々な表現物に対しての批評的な行為(「芸術-表現批評」[難波 2019:262])をも対象に入れることを前提とした上で、批評の見取り図を参照していきます。
まずは現実に存在する批評実践の多様さを包括的にいち早く示そうと、ある行為が批評となるために目指す必要がある最低限の目的(「構成的目的」[Grant 2013])を引用。
以下の「いずれかの」伝達を目的とするのならば、それは芸術作品の批評だとしています。
(a)作品のどの部分、特徴、表象された要素についての反応が鑑賞に関与しうるか、または、
(b)どのような反応が作品についての鑑賞に関与しうるのか、または、
(c)これらの反応についてどのような適切な理由があるのか。
ソキウスはそのような目的を前提にして生まれる、反応(「知覚」の経験)とそれに対する適切な理由を伝達することを目指す批評の存在[cf. Isenberg 1949](ただし、ここでいう知覚の伝達は構成的目的ではなく「非構成的目的」[Grant 2013]の一つである)を示し、メンバーの持つ批評観を部分的に解体しようと試みます。
【参照:構造の把握+自身の「知覚の伝達」をも射程に入れた批評実践の具体的な方法として[江戸 2020]】
それを受けてナルは自身の出題の仕方は、自身の反応を伝達することが中心になっていると自己分析。この伝達の仕方にさらに何かしらの適切な理由を述べることが出来れば ―それが達成されることで批評という明確な共通言語を獲得できる[cf. みのミュージック 2021]― 、前半でナルが語った審美眼的な見方ではない批評が達成できるし、その方がより有益だとソキウスは語ります。
次は、前半では自身のイメージと言葉の違いからひとまず回答を保留していたキョン。
色々考えた結果、ここでも「色々な評価軸はあっていい」けど自身は批評を「したくない」と回答。ただ、他人の意見は気になるという言い方をここではしています。
そこでソキウスは先ほど挙げた批評の目的を参照し、何かしらの感覚を覚えたということ自体が一つの「評価」と言えるのに、なぜそれでも自身の知覚と適切な理由の伝達という意味での批評も「したくない」のかを尋ねます。
この問いに対してキョンは、自身が「したくない」のは批評全般というよりかは「好きの度合い」による「ランク付け」なのではないかと言語化。そしてソキウス的には、キョンにおける批評の捉え方が好き嫌いの尺度と結びつき過ぎだろうという形で総括。
(なおこのランク付け自体も相対評価なのか絶対評価なのかで論点が違うと思われるので、その点は今回は扱わず今後の批評に関する別の回で改めて扱う予定です。)
また、この何かしらの評価は自身の中で既に下しているはずだという点と批評との関係性は、キョンの「アニソン基礎ボード」での方針とも関係あるだろうとソキウスは考えています。【参照:「アニソンの基礎ボード」について語った振返り回( https://spoti.fi/3u2gyuI )】
この論点は近日配信予定である「アニソンの基礎」を考える回で再度扱います。
最後にこれまでの批評に関する対話を競技イントロクイズ(場合によってはイントロクイズ全般)に繋げていくために、ソキウスは「新しい地図」で目的とともに言及されている「理由」の違いを引用します。
難波はジフの議論[Ziff 1966]を参考にし、作品に対する価値付けの判断[cf. Carroll 2009]を支えるような「作品についての真偽を問いうるような価値判断」と結びつく「認識的理由」と、真偽に限定されない価値、例えば「その作品を鑑賞した際に経験されたじしんの個人的な経験それ自体の価値」などと結びつく「実践的理由」という2つの理由の存在を提示。[難波 2019:273]
以前の「イントロクイズの楽しさ」について考えた回( https://spoti.fi/3DufgMR )で挙がった、イントロクイズでの色々な音楽との「出会い」の側面を認めるならば、そして今回扱ったような、作品の持つ要素や特徴への反応、さらにはそれらに対する適切な理由付けを批評として受け入れるのならば、イントロクイズの場での「出会い」に関わる「解説/フォロー」行為は正に批評そのものだろうとソキウスは考えています。(イントロクイズにおける批評の側面を認めることで、イントロクイズの概念自体がより拡張できるだろうということも含む)
この問いにはソキウス含めメンバー全員が「どちらもあっていい」と意見が一致。
ただし、メンバー的には実践的理由に基づいたフォローの方がしっくりくる様子。
さらに言えば、イントロクイズの現状としてもこの理由に基づくフォローが中心。
それを踏まえた上で、認識的理由に基づいたフォローの仕方を想像してみます。
【参照:出題後の「フォロー」に関連する回として、「座学」回( https://spoti.fi/3lMtthD )と「語る言葉」回( https://spoti.fi/3A3uJlH )】
ここで各々が提示した認識的理由についてのあれこれは、今後も引き続き様々なテーマとともに考えていくことになるでしょう。
今回の内容がそのきっかけとなる有意義な回となっていれば幸いです。
毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。
今回はナルが、新進気鋭なクリエイターの楽曲を紹介。
批評/構成的目的と非構成的目的/知覚の伝達/相対評価と絶対評価/認識的理由と実践的理由/解説/フォロー/syudou
Carroll, Noel, 2009, On Criticism, London: Routledge. (森功次訳, 2017, 『批評について――芸術批評の哲学』勁草書房.)
江戸大, 2020, 「超わかる音楽レビューの書き方:構造把握と事実・体験・意義」(2021年12月11日取得, https://note.com/rhangylus/n/n243650fa7c0f).
Grant, James, 2013, "Criticism and Appreciation," The Critical Imagination, Oxford: Oxford University Press, 5-28.
Isenberg, Arnold, 1949, "Critical communication," Philosophical Review, 58(4): 330-344.
みのミュージック, 2021, 「フィッシュマンズが海外でウケた理由? 対談『村上隆 x みの』」(2021年12月11日取得, https://youtu.be/uuTFwQdfVuc).
難波優輝, 2019, 「批評の新しい地図 : 目的、理由、推論」 『フィルカル : philosophy & culture : 分析哲学と文化をつなぐ』4(3): 260-301.
Ziff, Paul, 1966, "Reasons in Art Criticism," Philosophic Turnings, New York: Cornell University Press, 47-74.(櫻井一成訳, 2015, 「芸術批評における理由」西村清和編『分析美学基本論文集』勁草書房, 65-98.)