本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3vx2hr9
(今回のメンバー:キョン、やすお、ナル、ソキウス)
生まれでの影響と育ちでの影響、その両方を意識してみる。
≪質問編≫での全員の回答まとめ:https://bit.ly/38UXnNw
今回は、前々回の≪質問編≫( https://spoti.fi/3wWXTDH )、前回の≪対話編≫(前編)( https://spoti.fi/3x8W07f )から続く、音楽生活の調査回≪対話編≫の後編。
前回スキップした3つの質問から「趣味の社会的側面」に関するアカデミックな議論の一端に触れたり、またそこで得た知見を基にして、これまでよりも更にイントロクイズの可能性について言語化をしていきます。
まずは前回スキップした子どもの頃の経験に関する質問から。
ここでソキウスは、この質問が扱おうとしている「趣味の社会的側面」のアカデミックな議論の文脈を紹介し、そしてそれをこれまでの回の内容と繋げようとします。
【参照:音源量回(後編)( https://spoti.fi/3637Nco )】
そこで登場するのが、「個人または集団がそれぞれの社会的活動の場において有する文化的有利さの可能性の大小」[濵嶋ほか編 2005: 547]のことを指す「文化資本」という考え方と、その考え方も用いられたブルデューの趣味に関する研究。この文化資本と今回の質問項目とを照らし合わせるために、家庭での経験について各々に尋ねます。
【参照:読書遍歴回( https://spoti.fi/3M0Sa42 )、漫画遍歴回( https://spoti.fi/3txJ2xY )】
そして、文化資本は「身体化」/「客体化」/「制度化」されたもので構成されていること[石井 1993]を確認し、それをこのメンバーにおける文化との親しみ深さの度合いとして紐付ける方向で対話は進んでいきます。
(ここで話題に挙げた「批判の文脈」は、[吹上 2018, 2021]を参照。)
その中でやすおが述べた、音楽の良し悪しの判断とイントロクイズ経験の関係は、この回の後半での論点にも繋がるものです。
次に、「文化資本だけで好みを捉えるのは決定論すぎるだろう」というやすおの指摘に沿った形で、ソキウスはブルデューが併せて提示したものである、「社会化過程の中で習得され、身に着いた一定のものの見方・感じ方・振舞い方などを持続的に生み出していく」[濵嶋ほか編 2005: 505]という性質の傾向である「ハビトゥス」という概念を導入しようとします。
ただソキウスはそれと並行して、彼が示した二つの文化獲得様式の違い、つまり「全体的で、そうとは感じられぬうちに早期からはじまり、ごく幼い時期から家庭で行われる体験的習得」というあり方と、学校で行われるような「遅くからはじまり、系統的で加速された[引用者注:原書では傍点強調]習得形態」[Bourdieu 1979=1990: 102]との違いを確認することで、この対話にハビトゥス概念を取り入れます。
(本編で挙げられた、学校では教わりづらい分野についての議論は、[Bourdieu 1979=1990: 100]を参照。)
この回の後半は、ハビトゥスのような「ものの見方」を「持続的に生み出していく」性質が、何かを好む際に作用する一つの性質であるとするのならば、イントロクイズという場はそのような「ものの見方」を得る場なのかどうかについて考えていきます。
【参照:イントロクイズって楽しいの?回( https://spoti.fi/3DufgMR )】
キョンにこのことを尋ねると、個人的には「(「ものの見方」を)大きく変えるものだと言い切れる」と回答。それを受けてソキウスは、競技スタイル回( https://spoti.fi/3FTRFrf )で確認した現状、そしてその状況から発生するかもしれない、音楽鑑賞への「マイナスの影響」を考慮に入れてもそこまで強く言えるのかと問い直すと、キョンはこの問いにはかなり困惑した様子で返しました。
この回の最後に行うのは、元調査での集計値と我々の回答との比較。比較することで見えてくるこの集団の特殊性について考えます。
その例として取り上げたのが「自分の音楽の好みを知人・友人に知ってもらいたい」という質問。この問いでの回答割合[青少年研究会 2016]から見えてきたのは、一般的にはそこまで自分の好みを知ってもらいたいという訳ではないということでした。
この結果に対して、知ってもらいたいという思いが特に強いナルは「自分の思ってたのとちょっと異なる結果」が出ていることに驚き。
イントロクイズが自身の身近なところに「あるのとないのとで」「差が起きている」のではないかという、「イントロクイズありき」な自身の考えを提示します。
この返答にソキウスは、競技スタイル回などで挙げた「対外戦略」を念頭に置きながら、自身とは「違う感覚」を想像してみることに対して自己反省モードに。
そのような状況で、この想像をキョンはどのように捉えているかをソキウスは尋ねます。
キョンは、音楽とクイズの両方が好きな人がイントロクイズを好んでいるだろうという現状から、自身とは違う感覚の人たちが「その曲を知ることが大事だ」という認識を持ってないと思われるし、「自分の好きなものを知ることが出来れば良い」と考えているだろうと提示。
【参照:ニコニコ動画回(後編)( https://spoti.fi/3t56T7r )】
ここでの「各々の理想を目指す」というキョンの回答にソキウスは、その方向性で突き進むとクイズとして成立しないのではと返答。
さらに、キョンが挙げる「出来れば良い」と思っていることが「好きなものを知ること」だけなのか、そしてそもそもここでの「知る」行為が指す内容が何なのかという2点を今後の回へ向けて残しました。
調査で得られた数値としての結果や、アカデミックな議論を由来とする精緻な言語化といったものを対話の俎上に挙げることで、自身の経験とは違う感覚を想像し、その内実を考えていく場としてこれらの回が作用したのであれば幸いです。
毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。
音楽生活/ブルデュー/文化資本/音楽の良し悪し/二つの文化獲得様式/ハビトゥス/物の見方を得る場としてのイントロクイズ/イントロクイズありきの考え方/知ること(認識論)/村田あゆみ
Bourdieu, Pierre, 1979, La distinction : Critique sociale du jugement, Paris: Minuit.(石井洋二郎訳, 1990, 『ディスタンクシオン――社会的判断力批判 I』藤原書店.)
吹上裕樹, 2018, 「A.エニョンの媒介理論――音楽的活動の比較社会学に向けて」『ソシオロジ』63(2): 63-81.
――――, 2021, 「音楽社会学における『ポスト批判的』アプローチ――A・エニョンのいう『反省性』について」『ソシオロジ』66(1): 23-41.
濵嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編, 2005, 『社会学小辞典【新版増補版】』有斐閣.
石井洋二郎, 1993, 『差異と欲望――ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む』藤原書店.
青少年研究会, 2016, 「『都市住民の生活と意識に関する世代比較調査』単純集計結果(16~29歳)」, 青少年研究会 Japan Youth Study Group, (2022年6月4日取得,http://jysg.jp/img/20160331_1629.pdf).