神は最初の人アダムとエバが神の命に背いて罪を犯し、その生涯を通して罪と死に縛られ、滅びに至るという運命を担ったときから、人を救い出すご計画をお持ちになられた。神はご自身がお創りになったものが誰一人として滅びることをのぞまない。人間でさえ家族を顧みる。私たちの創造者。つまり私たちが存在する原因であり理由であられる神が私たちにそそぐまなざしは、人の想像を超えて強い責任と愛に満ちたものだ。神は、救いの約束をアブラハムを祖とするイスラエルを通してすすめられた。イスラエルに遣わされた預言者、王たちは、一人の油注がれた人が起こされ、イスラエルを救い出し神の民として回復させる、そしてすべての国々に神の救いと回復が及ぶという希望に満ちた神の約束を預言した。神の民として選ばれたイスラエルは素晴らしい光栄を得た。しかしすべての人間が抱える弱さをイスラエルも抱えていた。その弱さのゆえに神に背き、イスラエルは国を失った。その間も王や預言者たちを通して語られた神のおことばは、イスラエルにとって決して消えることのない希望の光だった。イスラエルは神が約束された救いをもたらすメシアを待ち望んだ。神の時がついに訪れ、イエスはこの地にお生まれになった。ヨセフとマリアが律法に従い生まれて間もないイエスをエルサレムに連れて行ったとき、神殿にはメシアの誕生を待ち望んでいた老人シメオンがいた。シメオンは産まれて間もないイエスをその腕に抱き神を崇めた。シメオンはイエスによって神の救いが万人に及ぶこと、また、そのためにイエスが苦難を受けることを両親に告げた。罪のない神であられるイエスが私たちの罪を背負い、苦しみ、私たちの身代わりとなって十字架にかけられ神のさばきをお受けになられた。神はイエスをよみがえらせ、死の毒牙を抜き取り無力とされた。神は御子イエスによって永遠のいのちを私たちに与えられた。イエスによって成し遂げられた救いは、人が考え付かない栄光に満ちたものだ。全天全地をおさめる神が、私たちの父となられ、私たちを子と呼んでくださる。父は私たちを御旨に抱かれる。イエスとともに歩む人生は、ときに激しい嵐に見舞われるが父なる神は私たちを真の幸せへと導く。*(Ⅱコリント4:5-15)父なる神のおこころは、この福音が人々に伝えられていくことだ。福音は、私たちに新しいいのちを与え、人生を変えた。私たちが受けた同じ恵みを多くの人が受けることを神は願う。*(ヨハネ3:7-8)人が新しいいのちを得ることも、イエスの福音を語ることも聖霊の力でなされることが聖書に記されている。人が永遠のいのちを得ることは、父なる神の最も重要なビジョンだ。十字架にかかる前にイエスが神に懇願された祈りによって、父なる神とイエスと聖霊と私たちが一つにされますように。そして、私たちの周りに聖霊の力ある御業が行われていきますように。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(Ⅱ歴代16:9)