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-------Lesson Dialog-------
----Formal ----
「元号(もしくは年号)」は、紀元前140年、漢(かん)の武帝(ぶてい)の「建元(けんげん)」に始まり、以降の中国王朝、朝鮮、日本において普及したが、今日では日本にしか残っていない。
グローバル化が進んだ今日、西暦と元号とを併用することは、いささか煩瑣であるため「元号の廃止」をささやく声も聞かれるが、大きな動きとはなっていない。
日本人にとっては、近現代史は西暦で考えるよりも、元号で考えたほうが便利なのである。
ところで、日本における元号の始まりは、645年「乙巳の変(いっしのへん)」にさかのぼる。
日本史に名高いこの事件は、天皇中心の中央集権国家樹立を目指した皇子らによるクーデターであったが、その政治改革の一つとして元号「大化」が制定された。
「大化」のあとは、断続的に制定されたものの、701年の「大宝(たいほう)」からは定着し、現在の「平成」にまで至っている。
このシステムの背景には、天皇は、時間をも支配するという概念があり、元号の制定権は天皇にあった。
そのため、新天皇の即位や、祥瑞(しょうずい)、自然災害や戦乱などが起きると、天皇は、災厄を払い、人心を一新するために改元を行った。
一人の天皇に対して、多くの元号が制定されているのはそのためである。
「明治」以降は、「一世一元」とされ、その元号が天皇の諡号(しごう)となった。
天皇の専権事項であった元号の制定であるが、現在は、「元号法」により、決定権は内閣にあると定められている。
元号は、常に中国の古典から「2字」の佳字が用いられる。
ちなみに、現在の「平成」は、『史記』の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』の「地平天成(地平かに天成る)」からとったものとされる。
「内平外成」は、家の中がよく治まり世の中も平和である、「地平天成」は、世の中が平穏で何事もうまくいくという意味であり、転じて、日本も世界も平和で幸せになるというような願いが込められていた。
今上陛下の生前退位が特別法によって認められ、「平成」の御代(みよ)も終盤に差し掛かっている。
次の元号については、「平成」のときと同様に、東洋史などの学識経験者らが案を練り、内閣によって決定されるだろう。
----Formal Vowelled----
「げんごう(もしくはねんごう)」は、きげんぜん140ねん、かんのぶていの「けんげん」にはじまり、いこうのちゅうごくおうちょう、ちょうせん、にほんにおいてふきゅうしたが、こんにちではにほんにしかのこっていない。
グローバルかがすすんだこんにち、せいれきとげんごうとをへいようすることは、いささかはんさであるため「げんごうのはいし」をささやくこえもきかれるが、おおきなうごきとはなっていない。
にほんじんにとっては、きんげんだいしはせいれきでかんがえるよりも、げんごうでかんがえたほうがべんりなのである。
ところで、にほんにおけるげんごうのはじまりは、645ねん「いっしのへん」にさかのぼる。にほんしになだかいこのじけんは、てんのうちゅうしんのちゅうおうしゅうけんこっかじゅりつをめざしたおうじらによるクーデターであったが、そのせいじかいかくのひとつとしてげんごう「たいか」がせいていされた。
「たいか」のあとは、だんぞくてきにせいていされたものの、701ねんの「たいほう」からはていちゃくし、げんざいの「へいせい」にまでいたっている。
このシステムのはいけいには、てんのうは、じかんをもしはいするというがいねんがあり、げんごうのせいていけんはてんのうにあった。
そのため、しんてんのうのそくいや、しょうずい、しぜんさいがいやせんらんなどがおきると、てんのうは、さいやくをはらい、じんしんをいっしんするためにかいげんをおこなった。
ひとりのてんのうにたいして、おおくのげんごうがせいていされているのはそのためである。
「めいじ」いこうは、「いっせいいちげん」とされ、そのげんごうがてんのうのしごうとなった。
てんのうのせんけんじこうであったげんごうのせいていであるが、げんざいは、「げんごうほう」により、けっていけんはないかくにあるとさだめられている。
げんごうは、つねにちゅうごくのこてんから「2じ」のけいじがもちいられる。
ちなみに、げんざいの「へいせい」は、『しき』の「ないへいがいせい(うちたいらかにそとなる)」、『しょきょう』の「ちへいてんせい(ちたいらかにてんなる)」からとったものとされる。
「ないへいがいせい」は、いえのなかがよくおさまりよのなかもへいわである、「ちへいてんせい」は、よのなかがへいおんでなにごともうまくいくといういみであり、てんじて、にほんもせかいもへいわでしあわせになるというようなねがいがこめられていた。
きんじょうへいかのせいぜんたいいがとくべつほうによってみとめられ、「へいせい」のみよもしゅうばんにさしかかっている。
つぎのげんごうについては、「へいせい」のときとどうように、とうようしなどのがくしきけいけんしゃらがあんをねり、ないかくによってけっていされるだろう。
----Formal English----
The Gengō era system began in 140 BC, with the Kengen era of the Chinese Emperor Wudi from the Han Dynasty; it spread later to the other Chinese dynasties, Korea, and Japan. Today though, it only remains in Japan.
In this age of globalization, it seems somewhat cumbersome to use both the Western calendar and the Gengō era system, so there are rumors of "abolishment of the Gengō," but there's not a big movement yet.
For Japanese people, it is more convenient when it comes to thinking about modern history in terms of Gengō era rather than in the Christian era.
By the way, the beginning of the era in Japan goes back to the year 645, the year of "The Isshi incident."This incident, famous in Japanese history, was a coup d'etat by the princes, who aimed to establish a centralized state with the emperor at its center. And a new era, called "Taika," was established as one of its political reforms.
Although it (the Gengō era system) was enacted intermittently after the Taika era, it was established from the Taihō era in 701 and is currently in the Heisei era.
In the background of this system, there is the concept of the emperor dominating even time, and the right of establishing the era belonged to the emperor.
Therefore, when the enthronement of a new emperor, or when good omens, natural disasters, or warfare occurred, the emperor could change the name of the era, to drive calamities away and refresh the human spirit.
That is wh [...]