『芦田の毎日』

『芦田の毎日』

By Hironao AshidaSociety & CulturePhilosophy
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『芦田の毎日』 episodes

  • 避暑地蓼科でのジョギング中止 — 慣れないことはやめたほうがいい

    著者は蓼科の龍神池を訪れ、ジョギングを試みるもすぐに断念し、散歩に切り替えた経験を綴っています。彼は体が重いことや、携帯電話やカメラの扱いに不便を感じたことを理由に挙げ、ジョギングする人々をユーモラスに批判しています。しかし、龍神池の美しい景観と、腐葉土で舗装された心地よい散歩道については高く評価しており、長時間歩いても飽きない楽しさを述べています。最終的には、散歩の延長でいつかまたジョギングを始める可能性も示唆しています。

    6 min
  • SACD=DSDファイル再生の魅力について

    著者は、高解像度オーディオファイルの流行、特にDSD形式に触発され、SACD(スーパーオーディオCD)がすでに20年前に存在していたにもかかわらず、その存在に改めて気づいたことを語っています。彼は、SACDプレーヤーとSACDの購入を通じて、その優れた音質、特に古い録音の再現性の高さに感銘を受けました。著者は、DSDが今日の主要なマスター音源形式であり、SACDがそのDSD音源を直接再生する最も純粋な方法であると結論付けています。PCベースのオーディオに伴うノイズの問題を指摘し、SACDがデジタル音源メディアの究極形であると主張しています。SACDの技術的優位性、例えばCDの64倍のサンプリング周波数や広いダイナミックレンジについても言及し、自身の音楽鑑賞体験においてSACDがアナログのような豊かな音質を提供することから、過去の世代が行ってきた無駄な買い直しとは異なる価値があると感じているようです。

    8 min
  • ジャック・デリダ京都滞在記(1983年)

    提供された文章は、哲学者の芦田宏直が、ジャック・デリダの逝去に際して、デリダを日本に紹介した高橋允昭教授との思い出と、1983年のデリダ初来日時の同行の様子を回想するものです。


    特に、デリダの来日時の多忙なスケジュール、彼の日本文化への興味(特に筆記具や日本食)、そして高橋教授との親密な交流が詳細に語られています。記事は、高橋教授がデリダを深く「愛していた」という表現で、その翻訳と紹介の情熱を強調し、デリダの人間的な側面も垣間見せる貴重な記録となっています。全体として、日本におけるデリダ哲学の受容と、彼を取り巻く人々の熱意が伝わる内容です。

    7 min
  • 郷ひろみ「How many いい顔」(1980)

    このソースは、郷ひろみの楽曲「How many いい顔」の歌詞を解釈したものです。歌詞は、魅力的な女性が持つ多様な表情や側面について描かれており、彼女が「ジゴロ」の男性を翻弄する様子が描かれています。また、彼女は遊びと本気の境界線で駆け引きをし、退屈よりも危険を好む性格であることが示唆されています。楽曲全体を通して、女性の**「処女、少女、娼婦、淑女」といった複数の顔**が提示され、男性が彼女のどの顔に魅了されるのかという問いかけが繰り返されています。


    6 min
  • 私の本は息子には絶対貸さない

    この記事は、著者の芦田宏直が、息子が大学の授業で推薦された本を求めてきたときの出来事を振り返るエッセイです。息子がフロム、アドルノ、リースマンの著作について尋ねてきたことから話が始まり、著者はそれらの本が自宅にあることを認めつつも、自分の大切な本は息子には貸さないという固い決意を表明します。彼は、息子に自分で本を買うように促し、特に「魂」である本は決して譲らないと強調しています。書棚を眺める息子の様子や、妻がその息子の行動を誤解している描写も交えながら、本に対する著者の強いこだわりと愛情がユーモラスに描かれています。

    7 min
  • 中西大輔教授(広島修道大学・心理学)による『努力する人間になってはいけない』書評 — 痛烈な機能主義批判の書

    中西大輔教授によるこの書評は、芦田宏直氏の著書『努力する人間になってはいけない』が提示する痛烈な機能主義批判に焦点を当てています。著者は、心理学を含む現代科学が採用する「機能主義」を批判し、特に心理学が個人をデータ化し、モデルとして扱うことに警鐘を鳴らしています。これは、刺激と反応の関係を関数として捉え、人間の内面や「死」といった本質的な側面を見落としていると主張します。書評は、この機能主義的な思考が心理学の根幹をなし、学会ではその根本原理が問われることが少ない現状も指摘し、著者の批判が心理学者にとって**「死刑判決に等しい」**ほど衝撃的であると述べています。

    7 min
  • 〈音場〉か、〈音質〉か — 高島誠先生と五味康介と

    この文章は、筆者の音響システムに関する長年の経験と、故高島誠教授の音場に対する哲学を中心に展開されています。筆者はパイオニア製からヤマハ製を経て、最終的にデノン製のAVアンプAVC-A1Hにたどり着き、30年目にして初めて理想的なサラウンド体験を実現したと述べています。高島教授は、オーディオにおける**「音質」と「音場」の議論において音場派が優位に立つと確信しており、デジタル技術の進化によってその優位性が増していると筆者は指摘しています。また、高島教授がサラウンドに関心を持ったきっかけとして、小説家・五味康祐の厳格なオーディオセッティングでの体験が挙げられ、そこからどこにいても理想的な音場を楽しめる**研究へと繋がった経緯が語られています。

    8 min
  • 家庭用プロジェクターの進化について

    この文章は、著者が35年にわたるプロジェクターの使用経験を振り返り、その技術の進化について語っています。初期の重く、暗く、低解像度だった三管式プロジェクターから始まり、デジタル処理の登場、そしてソニーやビクターといったメーカーによる4Kネイティブプロジェクターの競争を経て、現在の高性能なレーザー光源プロジェクターに至るまでの変遷が詳細に記述されています。特に、ビクターのプロジェクターにおける**「黒の沈み込み」の優位性や、最新のレーザー光源モデルの画質の鮮明さ**が強調されており、サラウンドプロセッサーの進化にも触れつつ、現在のホームシアター環境が過去と比較して格段に向上したことが述べられています。

    8 min
  • 叙述と真理 — 『書物の時間』(1990)より

    本書(芦田宏直著)は、ヘーゲル哲学、特に**『精神現象学』の「序文」と『論理の学』を中心に、叙述と意味、思惟の関係性を深く考察しています。著者は、フォイエルバッハによるヘーゲルの「絶対理念」批判を起点に、叙述の「始まり」と「終わり」、そして「形式」と「内容」の関連性を分析します。また、主語と述語の関係を哲学的な「抽象」として捉え、カントやソシュール**の思想にも言及しながら、言葉の「意味」が「空虚な始まり」から「充実」していく過程を論じています。さらに、ガダマーの解釈学を批判的に検討し、**テクスト理解における「別様性」**が単なる「誤解」とは異なる、**叙述の「否定性」から生じる本質的な「思惟」**であることを強調しています。

    7 min
  • 「人生最後の車」の〝クルマ選び〟

    提供された文章は、筆者が「人生最後の車」を選ぶ過程と、その中で検討された複数の高性能車について考察しています。筆者はこれまでの愛車遍歴を振り返りながら、特にALPINA B4 Biturboの優れた足回りのしなやかさや低速域での安定性を高く評価しています。 その後、ポルシェ・カレラや最新のALPINAモデルなどを試乗し、それぞれの特性(フロントエンジンの重要性、RRレイアウトの特性、車重の影響など)を比較検討しています。最終的に選ばれたのは、高性能ながらも普段使いできるセダンの利便性と、現代的な安全装備、そしてV8エンジンによる強力なトルク特性を併せ持つ一台であり、その静粛性や燃費の良さも評価されています。 本文からは、筆者が運転の楽しさだけでなく、実用性や快適性、さらには社会的な視点も考慮に入れて車を選んでいることがうかがえます。

    9 min

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2000年から書き続けているプログ記事(一部は2009年から始めたFacebookの記事)、あるいは、拙著『書物の時間』(1989年)、『『努力する人間になってはいけない』(2013年)、『シラバス論』(2019年)の一部をGoogleの「音声概要」による解説会話で再編したもの。