虐めの問題も、結局は単なる臆病であり、批判や侮蔑を受けたくないから、責められたくないから、自分より劣ってる、嫌われてる相手を殴るのです。
でもそれ…相手が自分より権限が上だったり、肉体的に強い相手に対し、そういう度胸を持ち合わせていないから、弱い相手にしか手が出ないのです。もっと単純に言えば、自分が如何に多くの先人や親族の手によって守られ、世間と隔絶された世界に籠ってるかを知らんからこそであり、その実情を自らの意思で知り得た時、今までの“平和”は、打ち砕かれるのです…世間の荒波は、学校や居住地域を、一歩でも出た先にあり、それを避ける以上、何もできないまま衰亡するのみです。
他人の価値観ってのは、そういう狭い範囲での安穏と享楽でしかなく、自分の言い分や思考が“全て正しい”という幻影に取り憑かれてる以上、気に食わない、思惑通りにならない事が腹立たしいし、故に承認欲求が強く強引になるのです。しかし、強要に怯まず、暴行や妨害にめげず、真っ向から見据え立ち向かう者は、一方で愚かであっても、信念…必ず自分の後に続き道を拓く者がいると確信してる以上は、その拳は弱くても、その知能は劣ってても、最後は上下貴賎関係なく、遍く人々の心を揺さぶる存在になるのです。
今は無視されても、誰も正当な評価を下せなくても、真の価値がわかる者が実証を示した時、後悔の念に駆られ、今までの行動が何だったのかと落胆するのは、何も知らぬまま相手を侮辱し続けた、自分自身です。