日本国憲法の下では、如何なる信仰も選択自由である以上、宗派の垣根越えた交流や協力体制は、あって然るべきと、オイラは考えてます。コレは、創価学会自身の方針と一緒で、あくまで基本は日蓮法華系宗教団体としての信念の上で、且つ、他宗派の意見や概念も存在意義や教義の正当性を見出す比較対象と選択肢として認めてる訳です。でないと、イスラム教徒とキリスト教徒の諍いにおいて、オブザーバーや仲裁役を務める事は不可能ですからw
コレは何も宗教に限らず、様々な沼ハマりに該当する話で、その世界観しか知らん、純朴な連中を頭ごなしに批判するのは、いくらド正論な事を言っても通じないし、そもそもの矛盾点を、当事者が気付く事は出来ない上に、余計に殻にこもって世間との接点を断ち切って狂う事になりかねません。労使交渉然り、国家間対立も然り。
根本的に、人である以上は、子供にだって選択権はあるし、それを自分の“思い通り”のモノにする事が、如何に傲慢で愚かだという事に気付けば、自ずと答えは出るモノであって、変な拘りや安い自尊心で満足してるなら、それによる弊害を甘んじて受け入れる事が“等価交換の理”であり、それが出来ない人程、他人を見下すあまりに責任転嫁に躍起になるのです。