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前回の続きにクラシック音楽が普及してきた経緯について語り続けます。
世代によってのクラシック音楽や他のジャンルの受け止め方の違いから話題に上ったのはグレン・グールドのバッハの録音、そして、4人がクラシック音楽と出会ってきたいきさつの中から見えてきた最近の音楽のレッスン事情のことへと話は進むのでした。
背景の音楽は前話と同じく、ポーランド・クラクフのヴィオラ・ダ・ガンバのための写本からDuBuisson氏の前奏曲(Prélude)です。
日本でクラシック音楽が普及してきた時期はいつごろなんだろう、と聞かれるようになった経緯について議論を始めてみると案の定、見えてきたのは世代によるクラシック音楽の捉え方の違い。話者それぞれのエピソードを引っ張り出してみると、クラシック音楽と他のジャンルとのかかわりの変化が見えてきます。
前回の12話で見当違いの方向に行ってしまった話を巻き戻して、今度こそ演奏会場の話を始めた4人。演奏会場が選ぶ音楽、音楽が選ぶ演奏会場、聞きに行く立場として演奏会場を選ぶ、いろいろな見方から、今度はどこへ行くのやら、先行きの見えないモヤモヤ話です。
演奏会場やその音響というものについて語り始めた今回、オルガンに話が及ぶと思わぬ方向に話が転んで、オルガンの演奏に必要な人員数のことにまで話は膨らんでいきます。果たして話は戻ってくるのか?
演奏会場と演奏する音楽の話は、コンサートを取り巻く状況の話からレパートリーそれぞれの性格、そして楽器の話へと広がっていきます。
Podcastやデジタル配信音源は場所を問わず聴けますが、生音楽は場の空気感に大きく影響されるもの。そしてクラシック音楽も、実は比較的最近まで「静まり返った大ホールに行って聴く」ものでは全くなかったらしい?あの傑作は小さな教会の方が、この作曲家の曲はライヴハウスの方がしっくりくるのでは? いやクラシックどころかメタルやパンクも……
4人の話は生演奏ならではの「場所の味わい」だけでなく、配信音楽ならではの利点にも及びます。
昔の音楽を千年一日のごとく繰り返しているわけではないクラシック。どんな流行があったか、直近30年ほどをざっと振り返ってみて判明したのは「古い音楽が新しく流行る」という流れ。そしてよくよく話してみれば、そもそも「界隈の外でクラシックが流行する」サイクルにも法則がある様子。さすが昔から残りつづけている物事、根強く世に膾炙してきているようです。それも、人それぞれに…。
百年前など当たり前、もっと古い時代の作品を演奏しているクラシック音楽。でも演奏家たちもリスナーたちも「今」を生きている以上、そこに折々の「今らしさ」が何かしら滲み出ないはずはありません。では、それは「流行」と呼ぶようなものなのでしょうか?録音物の変化やその前史も含め、4人の人生経験から数世紀前の状況まで、今回も話題は思わぬ転がり方をみせ……。
前回に続いて、言葉と音楽の立ち位置を探る4人。
素敵な音楽に出会うと、その心の動きを言語化したくなる気持ちが強く働く一方、そもそも人は言語で著しにくいことこそを音楽に結晶させてきたのかもしれません。
音楽に対して、言葉という刃物をどう扱ったものか。
音楽小説をもとにした有名な映画や近年の独特な音楽書籍作者にも話題は及びながら、音楽への手がかりとしての言葉の存在価値もうっすらヒントが見えてくる……
そんな回になってます。
背景の曲は今回も引き続きマラン・マレのトリオのための曲集から『田園風ファンタジー』
第6話の続編です。
ピアノ独奏やオーケストラなど、楽器だけ演奏するため歌詞がない作品も多いクラシック音楽。その内容や魅力を言葉でどう伝えよう?と、ライターたちは日々いろいろな悩ましさに直面している様子。音なしに聴覚体験を再現する音楽漫画の話に始まり、今回は「音楽」と「言葉」の間にある微妙な関係が話題です。「客席のおしゃべりは演奏成功の証」(?!)など、演奏者目線からも思わぬ話が次々出てきて……。
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