熊本市立出水南中学校の田中慎一朗校長は、「学校は子どもの幸せのための場であり、同時に社会全体の公共サービスだ」と繰り返し語ります。
しかし、その“教育環境”がどのような状態なのか、保護者や地域の人たちに意外と知られていない現実もあるといいます。
聞き手はRKKの江上浩子です。
🔶 見えにくい「校舎の現実」――トイレから分かること
田中校長が最初に挙げたのは、子どもたちが毎日使う「トイレ」でした。
出水南中学校の一例です。
▶ 男子トイレ
・個室が2つ
・1つは和式、1つは洋式
▶ 女子トイレ
・個室が5つ
・3つが和式、2つが洋式
温水洗浄便座(いわゆるウォシュレット)はありません。冬場は便座も冷たく、家庭のトイレ環境と比べると「かなりギャップがある」状態です。
家庭ではすでに多くが洋式・温水洗浄便座に移行している一方で、学校のトイレは和式がまだ多く残っているケースも少なくありません。
田中校長は、こうしたギャップが「学校を居心地の悪い場所にしている可能性がある」と指摘します。
「家ではウォシュレットなのに、学校のトイレが嫌で…という子は実際にいます。長時間過ごす場所だからこそ、細かい環境が心に影響するんです」(田中校長)
授業参観など短時間の訪問では見えない、日常の使いづらさや古さ。
それもまた、子どもたちが毎日身を置いている「教育環境」の一部です。
🔶 給食費無償化だけで「教育環境」は良くなるのか
近年、「給食費の無償化」や「私立高校授業料の実質無償化」が大きく報じられてきました。
田中校長も、給食費無償化そのものを否定するわけではありません。
「給食費の無償化は、子育て世帯の経済的負担を軽くするという意味ではとても良い取り組みです」(田中校長)
ただし、それは主に「保護者の家計支援」であって、「学校の教育環境の改善」に直結しているとは限らない、とも強調します。
すでに、経済的に厳しい家庭には就学援助などの福祉制度があり、給食費や修学旅行費が免除される仕組みも整っています。
一方で、老朽化した校舎やトイレ、不足している人員といった“足元の環境”に十分なお金が回っていない現実も残ります。
「給食費の無償化が悪いとは言いません。ただ、同じお金を使うなら『子どもの学びの場そのもの』にも、もう少し回してほしいという気持ちは正直あります」(田中校長)
🔶 自治体によってこんなに違う? 教育環境格差という問題
田中校長が危機感を抱いているのが、自治体による「教育環境の格差」です。
熊本市には、小・中学校だけで約150校があり、それぞれの校舎を改修・更新していくには膨大な費用がかかります。
一方で、学校数が少ない自治体では、トイレの改修や設備投資、支援員の配置などに比較的手厚く予算を回せるケースもあります。
象徴的なのが「学習支援員・学級支援員」の配置です。
▶ 出水南中学校(生徒約900人)
・学習支援員は全校で1人のみ
▶ 他自治体の例
・同程度の規模でも、4〜5人の支援員が配置されているケースもある
授業中に困っている子どものサポート、学習に遅れがちな子へのフォロー、不登校ぎみの生徒へのケアなど、本来支援員が担える役割は数多くあります。
しかし、人員が足りない学校では、そのほとんどを担任や少数の教員が背負わざるをえません。
「どの自治体に住むかは、子ども自身が選んでいるわけではありません。それなのに、住んでいる地域によって『受けられる教育環境』に大きな差が出ているのは、本来あってはならないことだと思うんです」(田中校長)
「教育は公共サービス」と考えるなら、一定水準の環境を全国どこでも確保できる仕組みが必要だ――田中校長は、国レベルでの議論を求めています。
🔶 「静かな教室」と「多様性の尊重」をどう両立させるか
教育環境の話は、施設やお金だけにとどまりません。
教室の雰囲気や指導のあり方も、子どもにとっては大きな環境要素です。
保護者アンケートを取ると、こんな声が同時に寄せられるといいます。
▶ 「子どもの個性を大切にしてほしい」
▶ 「あまり強く指導しないでほしい」
一方で、こんな声もあります。
▶ 「授業中がうるさくて集中できないので、もっときちんとさせてほしい」
▶ 「教室が騒がしいのがつらくて、学校に行きたくない子もいる」
つまり、「多様性の尊重」と「落ち着いた学習環境」は、どちらも大事なのに、現場ではしばしば緊張関係をはらんでしまいます。
「不登校の子どもたちの中には、『教室がうるさくて学ぶ意欲がそがれる』という理由で来づらくなっている子も確かにいます。
その一方で、『あまり厳しくしないで、個性を認めてほしい』という声もある。どちらかを切り捨てるのではなく、両方に目を向ける必要があります」(田中校長)
そのバランスを、現在の教員数と業務量のまま、学校任せにしてしまっているところに無理があるのではないか――。
田中校長は、「少ない人数で大量の児童・生徒を任せてきたこれまでの仕組み自体を、社会全体で見直す必要がある」と訴えます。
🔶 「人が欲しい、お金が欲しい、安心できる施設が欲しい」
田中校長の本音は、きわめてシンプルです。
「人が欲しいし、お金が欲しいし、子どもたちが安心して過ごせる施設も整えてほしいんです」
給食費の無償化であっても、子ども本人の口に入るものの質や残菜の問題まで目を向ける必要があります。
▶ 食材費高騰の中、限られた予算で献立を組む現場の苦労
▶ 無償化で「タダ」になることで、かえって残菜が増えてしまう懸念
▶ 食材費を抑えざるをえず、給食の質が下がるリスク
「給食費無償化そのものはありがたい取り組みです。ただ、『タダにすること』だけが一人歩きすると、質の低下や残菜増加につながる恐れもあります。子どもたちの“食”と“学び”をどう支えるのか、もう一段深いところで議論してほしいですね」(田中校長)
教員たちは、給食費が無償化されても自分の給食代はきちんと支払います。
だからこそ田中校長は、「お金が、確かに子どもたちと現場の利益になる形で届いてほしい」と願っています。
「教育に、もっとお金と眼差しを。子どもたちが安心して学べる環境を整えることは、社会全体の未来をつくることだと、多くの人に知っていただきたいです」(田中校長)
🔶 まとめ:見えにくい教育環境に、社会全体の視線を
この記事で示されたポイントを整理すると、次のようになります。
▶ 学校のトイレなど、基本的な施設が家庭よりも劣悪なままのケースがあり、子どもの「行きたくなさ」に直結している
▶ 給食費無償化や授業料無償化は、家計支援としては有効だが、「教育環境の底上げ」に直結しているとは限らない
▶ 自治体によって、支援員の配置数や施設整備の進み具合に大きな差があり、子ども本人の選択と無関係な「教育環境格差」が生まれている
▶ 教室の静けさを求める声と、多様性を尊重してほしいという声を両立させるには、教員任せではなく、人的・財政的な支援が不可欠
▶ 「教育にもっとお金と眼差しを」という校長の訴えは、子どもだけでなく、社会の将来のための投資を求めるメッセージでもある
年が改まる節目に、子どもたちが毎日過ごしている「学校」という空間に、もう一度目を向けてみませんか。
教室の静けさ、トイレの快適さ、支援員の数――その一つひとつが、これからの社会を支える子どもたちの「土台」になっていきます。
【出演】熊本市立出水南中学校 校長 田中慎一朗さん
【聞き手】江上浩子(RKK)