社会心理学者のジョナサン・ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの意志や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」と表現した。
「するはず」というところがミソだなって。
しかも象だもんさ。
「象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」
罪の意識というとかなり重いけれど、「やってはいけないこと」という軸はニンゲン以外の動物にもあって、さんざんイタズラをした後に、めちゃくちゃ反省している犬とかを見ることも多いと思う。
「それでもやってしまう」というのが動物の性(さが)なんだなあ。
そこを社会規範やら経験則やら、セルフブランディングやらの物差しを当てはめながら、アウトプットのレベルをある程度調整できるとされているのがニンゲンなのかなあ。
軽々に使うものでもないけど、社会契約もそのうちの一つかもしれない。
象と乗り手の喩えはそうかもなあと想いつつ、では象がどういう時にどの程度動くのかはわからないわけで。動き出したら止められないかもしれないけど、どんな象かを知れば多少は対策がとれるかもしれない。
そういうお話。
ほんとうに、自分が嫌なやつだというのが世界に広まっていく。
ぜんぜんだいじょうぶではないが、しょうがない。