
Sign up to save your podcasts
Or


「甲賀町」と「甲南町」は、甲賀市中央部の南側に、隣り合って位置しています。
一帯は古くから「忍者」が活躍した土地として知られ、
「忍びの里 伊賀・甲賀」として、日本遺産に認定されています。
戦国時代の甲賀郡には、飛び抜けた領主はいませんでした。そのかわり、小さな谷ごとに
「土豪」や「地侍」たち・・つまり「甲賀衆」・「甲賀武士」たちが、地域の自治を行っていました。
甲賀市内におよそ「200」もあったという「城」は、同じような形と大きさの城が
狭い地域にたくさん築かれていました。小さな城の領主たちは、それぞれが対等な立場で、
それぞれの地域を守っていたことがうかがえます。
こうした城跡のうち、甲南町にある 5 つの「城」と「矢川神社」、そして甲賀町の「油日神社」は
「甲賀郡中惣遺跡群(こうか ぐんちゅうそう いせきぐん)」として
国の「史跡」に指定されています。
甲賀市中央部の南側に、隣り合って位置する 2つの地域、「甲賀町」と「甲南町」は、
2004年・平成16年の合併によって「甲賀市」の一部となりました。
山や丘のふもとには、小さな谷がたくさんあります。
一帯は古くから「忍者」が活躍した土地として知られ、
「忍びの里 伊賀・甲賀」として、日本遺産に認定されています。
小さな谷をたくさん造り出したのは「古琵琶湖層」でした。
およそ 270 万年前の甲賀には、琵琶湖の原型となる湖がありました。
この時代に堆積した砂や泥、動植物の残骸などが固まってできた地層が「古琵琶湖層」です。
古琵琶湖層の土は、信楽などでは「焼き物」の原料となった一方、
粘り気が強く、水はけが悪いため、
「農業」においては、機械化が進んだ現代でも扱いが難しい面があるといいます。
ましてや手作業で農作業を行っていた時代、
小さな谷が複雑に入り組んだこの土地では、「助け合い」が不可欠でした。
滋賀県甲賀市は、滋賀県の南東側に位置しています。
2004年・平成16年の合併によって「甲賀市」の一部となった、
「甲賀町」と「甲南町」地域は甲賀市中央部の南側に、隣り合って位置しています。
2 つの地域は、南側の山々や丘陵を挟んで、三重県伊賀市と接しています。
この一帯は古くから「忍者」が活躍した土地として知られ、
「忍びの里 伊賀・甲賀」として、日本遺産にも認定されています。
甲賀町・甲南町には、「忍者」の活動のようすがわかる、
さまざまな史料が残されています。
「忍者」とはどのような人たちだったのでしょうか?
なぜ、この地域で「忍者」は活動していたのでしょうか?
琵琶湖の東側、滋賀県のほぼ中央部にあたる「湖東平野」にあり、
現在は東近江市の一部となっている「八日市」。
八日市で大凧が揚げられるようになったのは、江戸時代の中期でした。
もともとは、男児の誕生を祝って揚げられていた凧が、次第に大きくなっていったのです。
明治時代には「240畳敷き」もの巨大な凧が揚がったという記録も残っています。
「大凧を揚げるために必要な風が、琵琶湖から吹いていたこと」。
「大凧を揚げるための広大な野原があったこと」。
そして、大凧づくりを行っていた3つの村が「負けん気の強さ」をもっていたこと。
この3つが、八日市の凧が大きくなった理由だと言われています。
今年 5月 2日、八日市で 11年ぶりに「100畳敷きの大凧揚げ」が実施されました。
11年ぶりの大凧はこの日、高さおよそ 1メートル、滞空時間 17秒間の「飛揚」を記録しました。
現在は東近江市の一部となっている「八日市」は、
琵琶湖の東側、滋賀県のほぼ中央部にあたる「湖東平野」に位置しています。
八日市で大凧が上げられるようになったのは、江戸時代中期で、
そのはじまりは、男児の誕生を祝って揚げていた、小さな凧でした。
徐々に大きくなっていった八日市の大凧は、明治時代になると
「240 畳敷き」もの巨大な凧が揚がったという記録も残されています。
八日市では、今年 5 月 2 日、11 年ぶりに「100 畳敷きの大凧揚げ」が実施されました。
徹底した安全対策のもと行われた、11 年ぶりの「100 畳敷き大凧」は、
この日、17 秒間の「飛揚」を記録し、
新しい「東近江大凧」の歴史をつくる、大きな一歩となりました。
「八日市」は、琵琶湖の東側、滋賀県のほぼ中央部にあたる「湖東平野」に位置しています。
現在は東近江市の一部となっている「八日市」は、かつて「八日市市」として独立した、
ひとつの自治体でした。
八日市で大凧が上げられるようになったのは、江戸時代中期でした。
はじめは、男児の誕生を祝って小さな凧があげられていましたが、
次第に凧は大型化していきました。
大凧揚げが終わると、技術を他にもらさないために、
凧を燃やしてしまうほどの熱意があったと伝わります。
八日市では、「100 畳敷きの大凧」が、
毎年 5 月に「大凧まつり」として揚げられてきました。
しかし、2015 年に大凧の落下事故が起こり、
それ以降、まつりは中止となっていました。
そんななか、今年 5 月、徹底した安全対策が施され、
11 年ぶりに「100 畳敷きの大凧揚げ」が実施されました。
安全を最優先に行われた「大凧揚げ」は、「東近江大凧」の新しい歴史をつくる、
大事な一歩となりました。
「八日市」は、琵琶湖の東側、滋賀県のほぼ中央部にあたる「湖東平野」に位置しています。
現在は東近江市の一部となっている「八日市」は、かつて「八日市市」として独立した、
ひとつの自治体でした。
「湖東平野」は、今からおよそ 7,700 万年前の、火山の噴火によって形成され、
このあたりには鈴鹿山麓から湖東平野まで広がるほどの、
巨大な「窪地」=「カルデラ」ができました。
その後、永い時間をかけて、「カルデラ」に土砂を運び、堆積した土砂は、
やがて琵琶湖に向かってなだらかに広がる「扇状地」を形成しました。
また、地域では「聖徳太子」によって始まったと伝わる「市」が開かれ、
山を越えて商売に歩いた「商人」たちも活躍しました。
こういった八日市の「特徴」が、地域独特の「大凧」文化を育む土台になったと考えられます。
現在は東近江市の一部となっている「八日市」は、かつて「八日市市」として、
独立したひとつの自治体でした。
琵琶湖の東側、滋賀県のほぼ中央部にあたる「湖東平野」に位置する「八日市」は、
水田が多く、のどかな風景が見られる一方、近年では、工場も増え、
「内陸工業都市」としての側面も見られるようになりました。
およそ2100年という、悠久の歴史を誇る日吉大社は、 全国に3800社以上ある日吉・日枝・山王神社の総本宮です。
日吉大社には「東本宮」と「西本宮」という2つのお社があります。
東本宮には、古くからこの地を護ってきた、山の地主の神様「大山咋神」が祀られ、西本宮には、「大津宮」遷都の際に、国を護る神として奈良から勧請された「大己貴神」が祀られています。
永い歴史のなかで、日吉大社は「延暦寺」の「守護神」となり、また、「平安京」が造られた際には、都の鬼門を護る存在ともなって、人々の信仰を集めてきました。
日吉大社で毎年春に開催されるのが「山王祭」です。
厳かな神事から、激しく勇ましい神事まで、さまざまな表情を持つまつりは、
3月からおよそ1か月半に渡って行われます。
およそ2100年という、悠久の歴史を誇る日吉大社は、 全国に3800社以上ある日吉・日枝・山王神社の総本宮です。
日吉大社には「東本宮」と「西本宮」という2つのお社があります。
東本宮には、古くからこの地を護ってきた、山の地主の神様「大山咋神」が祀られ、西本宮には、「大津宮」遷都の際に、国を護る神として奈良から勧請された「大己貴神」が祀られています。
永い歴史のなかで、日吉大社は「延暦寺」の「守護神」となり、また、「平安京」が造られた際には、都の鬼門を護る存在ともなって、人々の信仰を集めてきました。
日吉大社で行われる最大のまつりが毎年春の「山王祭」。
厳かな神事から、激しく勇ましい神事まで、さまざまな表情を持つまつりは、およそ1か月半に渡って行われます。
From the publisher's feed