リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 深く憐れまれるイエス(マタイによる福音書 9章)
    また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
    (マタイによる福音書9章36節)
    ある日、主イエスは、ご自分のもとに集まって来た群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てているのを見られました。青草の原に導き、猛獣や強盗から守り、正しく導いてくれる羊飼いが羊には必要です。もし、羊飼いのいない羊の群れがいたとしたら、その羊の群れは、少しも生きていくことはできないでしょう。羊飼いのいない羊の群れは、日に日に弱っていくしかありません。
    ですから、飼い主のいない羊のように弱り果てている群衆を見て、主イエスは、深く憐れまれました。「深く憐れむ」という言葉は、内臓がひきちぎられるような痛みをあらわしています。主イエスは、人びとの苦しみをご自分の痛みとして受け止めて、共に苦しんでくださいます。
    この主イエスこそ、弱り果てた羊に命を与え、正しく生きていくことができるように導いてくださるまことの羊飼いです。主イエスは、羊の群れである教会に命を与え、教会を悪と罪から守り、正しく導いてくださいます。また、主イエスは、神の言葉である聖書を通して、教会を養ってくださいます。まことの羊飼いである主イエスに従って歩んでいきましょう。
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  • なぜ怖がるのか(マタイによる福音書 8章)
    イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
    (マタイによる福音書8章26節)
    主イエスと弟子たちが舟に乗っておられたとき、激しい嵐が起こりました。舟は今にも波にのまれ、揺れて沈みそうです。弟子たちは、相当、怖かったのではないでしょうか。
    ところが、弟子たちが慌てふためいていたのに対して、主イエスは驚くべきことに舟の上でぐっすり眠っておられました。慌てふためく弟子たちは、主イエスに向かって「主よ、助けてください。おぼれそうです」と叫びました。嵐の中で安心して眠っておられる主イエスとは対照的に、弟子たちは必死だったと思われます。その弟子たちに、主イエスは「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と言い、起き上がって、嵐を叱りつけられました。すると、さっきまでの大嵐がうそのように静まりました。
    私たちは、自分の経験が通用しないような試練にあったとき、ただ慌てふためくしかありません。しかし、私たちが慌てふためくしかないことでも、主イエスは、簡単に静めてしまわれます。主イエスは、私たちがどうすることもできないことに対しても、圧倒的な強さを示してくださいます。この主イエスがいつも私たちと共にいてくださいます。
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  • 求めなさい(マタイによる福音書 7章)
    「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
    (マタイによる福音書7章7節~8節)
    主イエスは、弟子たちに、「求めなさい。そうすれば、与えられる」と約束してくださいました。こう約束してくださった主イエスが神と私たちの仲保者となってくださいます。私たちは、この主イエス・キリストの名によって祈ります。私たちは、「求めなさい」と命じてくださる主イエスに信頼して、神にどんなことでも求めることができます。
    すべての良きものは、神から与えられます。ですから、私たちは、ほかのものにではなく、神に祈り求めることが必要です。神は、私たちの祈りを必ず聞いてくださり、求めている以上の良きものを与えてくださいます。
    ところで、神にどんなことでも求めるということは、決して熱心に祈ることによって、神を説得することではありません。神は、私たちのことを私たち以上に知っておられます。神は、私たちに何が本当に必要なのかを私たちが祈る前からすべてご存知です。だからこそ、私たちは安心してどんなことでも祈ることができるのです。
    すべてのことを神に祈り求めることからきょう一日も始めたいと思います。
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  • 聖書に耳を傾ける(ルカによる福音書 16章19-31節)
    「金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
    (ルカによる福音書16章30節~31節)
    この主イエスの言葉の中に、死後の世界を垣間見ることができます。きょうのたとえ話に登場する「金持ち」と「貧しい人」は、死後、お互いの境遇が逆転します。「彼(貧しい人)は慰められ、お前(金持ち)はもだえ苦しむのだ」(25節)。それで、「金持ち」は、まだ生きている兄弟たちに「こんな苦しい場所に来ることのないように」警告して欲しいと願います(28節)。その願いに、神の代弁者アブラハムが答えます。「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」と(29節)。食い下がって訴える「金持ち」にアブラハムは言葉を重ねました。
    「モーセと預言者」とは、旧約聖書を指します。つまり、生きている人間には聖書がすでに与えられているから、死に備えることに十分だと言うのです。そして、その与えられている聖書に「耳を傾ける」とは、神の御前に心と体に刻み付けるほどのことを意味します。家に聖書があるだけでは「聞く」ことにはなりません。神を知る者が、聖書を生きた神の声として「聞く」ことができるように切にお祈りします。
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  • 心を広くして歩む(コリントの信徒への手紙二 6章)
    子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。
    (コリントの信徒への手紙二6章13節)
    どのような力に頼って、どのような心できょうを生きるかが問われています。パウロが依り頼んだのは神の力でした。しかし、その力は、人間の目には必ずしも大きな力としては見えず、むしろ逆に弱く見えます。人間の目には、義の武器などよりもミサイルの方が強く見える。十字架で死なれたイエス・キリストよりも、主イエスを十字架に架けたローマ兵やユダヤ人当局者たちの方が強く見えます。
    けれども、イエス・キリストは、ひとりの人間として世に来られ、私たちのもろさと弱さを担われました。それは強い者、力ある者だけでなく、人間の目には救われないと思われるような人、弱い者、罪深い者であっても、全ての人を下から支え上げるようにして救うためです。
    広い心とは、人間の目に見えるものだけで表わし尽くされることのない、大きな神の力を視野に捉えている心のことです。それは、パウロも自分自身に与えられるものだと確信していた神の力、多くの祝福と恵み、肉体の死を超えて与えられる豊かな命を神から受けているのだという、大きな後ろ盾に支えられた、強く広い心です。
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  • 正しさは神から与えられる(コリントの信徒への手紙二 5章)
    罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
    (コリントの信徒への手紙二5章21節)
    私たちは常日頃、正しい自分、間違っていない自分でありたいと願い、「あなたは間違っていない」という肯定の声を得るために、いろいろなことを頑張って、より良い自分を目指して歩んでいます。その背後には、そうしなければ神から罰せられ、見放されてしまうかもしれないという恐れがあるのかもしれません。私たちは、人の前でも神の前でも、何とか自分の欠けを補って、恥となるものを取り繕うことを試みます。
    しかし、聖書は一貫して、私たちがそのように罪や欠けを取り繕うのは無理だと語ります。私たちは自分の実感や想像をはるかに上回る罪人です。けれども、そのような私たちを、神はキリストを通して、正しい者として受け入れて、神の義を与えて、愛してくださいます。
    頑張って正しいわたしに変わるのではなく、また、自分は正しく間違っていないという思い込みで自分を支えるのでもありません。間違っているこのわたしを赦し、受け入れて、キリストの義を与えてくださる神の深い愛によってこそ、私たちは正しいと認められ、新しい自分へと変えられていくのです。
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  • 目には見えない強い支え(コリントの信徒への手紙二 4章)
    わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
    (コリントの信徒への手紙二4章17節~18節)
    ある日、テレビの番組に、何が人生で一番大切なものなのかが分らず、悩んでいる女子高生が出ていました。彼女は答えを求めて小さな島に行き、あるおばあさんを訪ねて、人生で一番大切なものは何かと尋ねました。そのおばあさんが、開口一番、「目に見えるものは結局壊れてなくなっちゃうから、そりゃあ目に見えないものが大事よ」と答えたのを聞いて、わたしは驚きました。パウロも基本的に同様のことを語っています。しかし問題は、目に見えるものが過ぎ去ったその先に何があるかです。
    17節に「永遠の栄光」という言葉があります。それが先にあるからこそ自分は落胆せず、心強いのだとパウロは語りました。パウロのような人が存在した事実は、人間にはこういう生き方があり、このような希望をもって生きる道が私たちにも開かれていることを意味します。
    人は目に見えない神に信頼して強く生きることができる。この希望を、私たちが出会う、悩み迷う人びとに伝えたいと思います。パウロが心強いと語った主の力が、この私たちのきょうにも働いてくださいますように。
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  • 良きキリスト教会にあるサイン(コリントの信徒への手紙二 3章)
    わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
    (コリントの信徒への手紙二3章18節)
    有名な飲食店に行くと、時々、著名人のサインを見つけます。それは、この店は美味しい店だということのしるしのようなものです。では、教会にはどんなしるしがあるのでしょうか。
    パウロは、教会に集いつつ歩む私たち信仰者の存在そのものが、ここにキリストが宿っておられ、救いが存在するということを示すしるしであると語っています。
    「静かに川辺を歩いていると、自分の罪深さに対する憂いで泣けてくる」と語っていた牧師がいましたが、私たちの存在そのものを醒めた目で顧みるとき、キリストの救いを知っていながらも、実際には罪と離れることができずにあえいでいる自分がいます。「覆い」という言葉が頻出するこの章ですが、まさにアダムが神から隠れたように、覆い隠さなければならない自分の姿があります。けれども、その罪との葛藤を繰り返しながら生きる私たちを、主の霊がキリストの姿へと造り変えてくださいます。
    実にキリストによって赦され、覆いを取り除かれて、きょうを自由に歩む私たちそのものが、教会の良きしるし、その輝きなのです。
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  • 神の救いを香らせて(コリントの信徒への手紙二 2章)
    救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
    (コリントの信徒への手紙二2章15節)
    焼鳥屋さんの前を通ると、思わずその香りに心が掴まれ、引き寄せられます。
    香りというものは不思議なものです。無色透明で目に見えないけれども、確かな存在感があり、色がある。香りは無理強いすることなく、違和感なくすっと人の心に届いて、人に伝わる。パウロは私たちの存在を、その香りになぞらえています。パウロによれば、神は私たちを通じて、キリストを知るという知識の良き香りを、至るところに漂わせてくださいます。キリストに属する私たちは既に、その良い香りになっているのです。
    ウェストミンスター小教理問答の第1問の答えに、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」とあります(新教出版社『ウェストミンスター信仰基準』所収、榊原康夫訳)。
    神の栄光をあらわすと聞くと、それは何か特別な、ものすごいパフォーマンスであるとか、目覚ましい働きをすることだと思いがちです。けれども、決してそれは、小難しく大それたことなのではありません。とても芳ばしいこのキリストの香りを、きょうもこの私たちが振りまいて生きるということなのです。
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  • 苦難と共にある慰め(コリントの信徒への手紙二 1章)
    神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
    (コリントの信徒への手紙二1章4節)
    苦難は慰めとセットです。ここでは苦難は苦難として、単独では考えられていません。その理由は、私たちが苦難を受けるということは、キリストの苦難の歩みを自分も辿ることを意味し、それは、ますますキリストへの信頼を豊かにされる機会となるからです。
    よって慰めとは、苦難や痛みが消えてなくなるということとは必ずしも一致しません。また慰めとは、もう少し経てば状況がだんだん良くなるという見通しとも違います。それはさらに、自分よりも他人はもっと苦しいのだからと考え、自分はまだましだと納得して頑張ることでもありません。苦しみの渦中で神に出会うこと、それそのものが慰めです。
    いろいろな希望があり、人はいろいろなものに希望を置きますが、苦難の時、その苦難がたとえ消えずとも、そこで神に出会えて、「主よ、あなたはわたしの希望」と言うことができるということほど、心が強くされることはほかにないのだと思います(詩編71編5節)。どのようなときや状況に至っても、私たちの慰めとなる希望は、これしかありません。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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